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23.出立

結果から言うとマテニは交渉に応じた。その目ににじんだ涙は嘘でも何でもなく、彼女の悲しみの発露だった。


『今のところ、あれを感情と呼ぶほかないだろうな。自らの使命を捻じ曲げ、それでも動き続けたあいつだけが得たもの。俺にはわからないが、そういうことなんだろう。あいつ自身、ずっと誰かと話したくて、もっと言うと止めてほしかったんだろうな』


パトリオはどこか寂しそうにそう言った。


マテニとの交渉事項は大きく二つ。ひとつはロケットの発射方法。これは簡単に決着がついた。人類がロケットの発射を邪魔しないのであれば、発射場所もタイミングも変えることはたやすい。

地上での核パルスエンジンの始動さえなくなれば、人類のほとんどはロケットへの関心を失った。彼らはこれからの生活をいかに支えるかに自身の注意を最大限集中させているからだ。ロケットの発射時には必要な通常の燃料をもちいたロケットエンジンを利用し、低軌道上で核パルスエンジンを始動させること、ロケットの発射は人類の生存権から離れた場所で行うこと、これについては簡単に合意できた。


問題はもう一つだった。驚くことにマテニは人類をアストレイア-9に送り届けてからのことをほとんど考えていなかった。まるで乾燥した海藻のように生み出しさえすればあとはどうとでもなると考えていたようだった。


「必要な知識はロケットに積み込むつもりです。人間はそれを学習すればよいではないですか」


その言葉に僕は嘆息した。


「あのなあ。そんな簡単に人が育つか。育ったとしても彼らは僕たちと同じような過ちを繰り返すよ。どうにかして歴史だけじゃない。生きた人の声を彼らに届ける必要がある」

「どうやって? 人を乗せることはできませんし、人工知能が人を導くことは今後ないでしょう」

『人の意識を人工知能で学習して送り込めばいい。以前マテニと話すためにマーザーサーバに乗り込んだ時に使ったあれだ』


パトリオがこともなげに言ったその言葉に僕とマテニは面食らった。しかし、それ以外に方法はなさそうだった。

問題は人選だった。誰を送るべきか。その人には新しい人類を導くという重責がかかる。しかも何もわからない道の場所に一人、行かないといけない。


「私、行くわ」


すぐに人選は決まってしまった。レンと一緒にスミコへのお見舞いに訪れ半ば愚痴交じりにそんな話をすると、スミコが簡単に言った。


「そんな、本気なのか」

「うん」


スミコはあっさり言った。


「だって私助からないもの。みんなは大丈夫って言ってくれるけど、私にはわかる」

「......」

「だったら、新しいことしてみたいな」

「そんな簡単に言うなよ」

「大丈夫だ」


言葉を引き取ったのはレンだった。


「俺も一緒に行く」

「レン君......!」

「レン、お前。まさか」

「そうだ。ずっと探していた罪滅ぼしの道。スミコは善良すぎる。新しい人間には教えてやらないといけない。人間には俺みたいなやつもいるっことを。それが今俺にできることだとそう思う」


レンには同情的な意見が集まっていた。というより人類全体のマテニへの憎しみがあまりにも強いせいでレンの責任への追及がそこまで強くなかったという方が正しいか。とにかくそのまま静かに過ごしていればレンには何の罰も課されることはなかったが、もとより正義感の強いレンはそれを許さなかった。自ら罰せられることを望み、近いうちに裁判にかけられる予定だった。


僕は医療のコロニーから知性のコロニーに戻った。知性のコロニーは人に手に戻った。ランドとリンが共同で長の地位に就き、長を失った武装のコロニーと医療のコロニーをまとめ上げている。当然、二人だけでは手に負えないからマテニの補助を受けている。はじめはマテニ憎しだったランドも今では頭が上がらくなっているようだった。


業務の合間、マテニに人選の結果を告げると、驚くほどあっさり受け入れた。


「人類の皆様がそう望まれるのなら私が止める理由はありません」

「本当にそう思っているのか」

「私としても考えられるベストだと思います。あなたが私に見せてくれたあの幸せな記憶。私は次の人類にもあのような瞬間があることを望みます」

「お前が勝手に見ただけじゃないか」


僕たちは小さく笑った。

目にクマを作ったランドが言った。


「お前自身はどうするか決めたのか。スミコ・ハヤシもレン・トキムラも宇宙へ行く。お前だってそうしたっていいんだぞ」

「それはやめておくつもりだ」

「どうして」

「言ったじゃないか。僕は今の人類をあきらめたわけじゃない。ロケットは二人に任せて、僕は僕にできることをするつもりだ」


それからしばらくして人間としてのスミコは亡くなった。レンも裁判を受け、監獄の中に消えていった。

僕は旅に出ることにした。僕たちが知っているのは地球のごく一部だ。知らない土地に人類がまだ生き残っていて、僕たちと同じように己の運命にあらがっているかもしれない。そうした人々と協力できれば再び人類は全員を宇宙に送れるかもしれない。その望みを捨てるわけにはいかない。みんな今はコロニーの再建に忙しそうだから、これができるのは僕しかいない。そういうわけだ。何より二人がいない場所にこれ以上の用事もないわけだし。


見渡す限りの荒野。曇天の空。僕は手に入れたばかりのバイクでその下を駆け抜けていく。

ふいに背後から地響きにも似た大きな音がした。胸の奥が震えるような感じがする。

振り返ると、黒くして小さな何かが一生懸命空を上っていくのが見えた。

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