19-A.攻撃
瞬きのようなするどい暗転のあと、僕は現実世界に戻ってきたようだ。いや、正確には単に眠っていただけなのか。あの仮想世界の自分は正確にはこの自分ではなく、単に記憶と言動の傾向を引き継いだコピーだという。
それでも現実世界のこの僕もあの世界で起きたことをまるで自分で経験したかのように覚えていた。
そして何をすべきなのかも。
真っ先にランドとリンとの通信回線を開く。それから間もなく知性のコロニーが侵攻してくることを伝えた。
当然彼らからの返答はない。これじゃあ完全に独り言だ。それでも言わないよりはましだろう。そう言い聞かせて通信を切り上げた。
こんなところでもたもたしてはいられない。僕はいそいで立ち上がると、真っ白な会議室を後にした。
真っ白な廊下の片側には診察室の入り口を思わせるようなスライド式のドアがたくさん並んでいる。もう片側は完全にガラス張りになっていて、くすんだ日光がきらきらとした反射を伴って差し込んでいる。ここはなんでもない建物のはずであったが、まるで病院のような作りだ。窓からの外にはここと同じように病院のような建物が規則正しく並んでいるのが見える。医療のコロニーはアストレイア-9への移住後、医療分野をつかさどる船団の物資が元になっていると言われている。それを聞けばその眺めというのも納得だろう。
病院の廊下を走っているような感じがして、少し罪悪感を抱くがそんな場合ではない。
僕は脳内のパトリオに語り掛けた。
『それで、奴は何を望んでいるんだ』
『ああ。たったいま届いた』
それは
『生体の冷凍技術、だとさ』
『冷凍技術? それも生体の? そんなもの何に使う気だ』
『さあな。今の俺にもわからんよ。とにかく戦争を止めたければ奴の言うとおりにすることだ。すべてのことが済めば、奴は知性のコロニーを解放するとも言っていたしな。正面から戦って勝てる見込みがない以上、俺たちにできることはこれしかない』
『まあね。それでパトリオ、その情報をハッキングで抜くことはできるのか』
『それが難しいんだ』
『どうして? 電子戦で知性のコロニーに勝てるわけないだろう』
『ああ。医療のコロニーもそれは重々承知していたらしい。ここでは施設間のネットワークというものがないんだ。だからネットワークに介入してハッキングすることができない。すべての施設をいちいち調べて情報を掘り起こす必要があるようだ』
『なるほどね。それで僕たちにお鉢が回ってきたってわけだ』
本当にただの小間使いというわけだ。まったく泣けてくる。僕はとりあえず今いる施設の端末を探し始めた。それはほどなく見つかって幸い周りには誰もいなかった。しかし、お目当ての情報はそこにはなかった。
施設を後にして、僕は一番近い別の施設に向かうことにした。
その道すがら僕は改めて考えた。
ミサイルのような飛翔体と生体冷凍技術。マテニは何をしようとしているのか。少なくとも飛翔体に核弾頭を搭載してこちらにはなってくる意思はなさそうだ。もし飛翔体を発射する気なら僕たちと悠長に交渉する理由がないからだ。生体冷凍技術だっていらない。そもそも何を冷凍する気なのか。人間? 人間を冷凍してそこからどうするつもりなのか。わからない。このまま本当に奴の言うことを聞いていて、奴の願いを叶えてしまっていいのか。
迷うのはもう遅い。奴と交渉してしまった以上、僕は僕のすべきことをするだけだ。
頭を切り替えて、僕はパトリオに問うた。
『ところで、知性のコロニーの攻撃はいつになる。本格的に攻撃が始まれば、情報探しだって面倒くさくなる』
『その情報もわからない。奴は俺たちに必要な情報を与えた後に攻撃を開始する、と言っていたが具体的な時刻までは伝えてこなかった』
『おいおい。走り回っているうちに鉛玉にぶち抜かれるなんてごめんだぞ』
奴は恐らく僕を攻撃しないなんて器用なことはしてこないだろう。死んだらそれまでと割り切るに違いない。
『それについてはあまり心配しなくてもいいだろう。奴自身も情報のありかを分かっていない。ということは物理的な攻撃を加えて情報を保存した媒体が破壊されることを避けるはずだ』
『僕らの命は情報のついでってことかよ』
『命が惜しければさっさと見つけるしかない』
そうやって軽口をたたきあっているとふと肌寒さを感じた。季節は晩秋だが、今は昼過ぎの一番気温の高い時間帯のはずだ。ついさっきまで射していた日光が完全に感じられなくなっている。
見上げると、日光を遮るように雲が広がっている。核戦争の後、地球の低軌道を周回する衛星はすべて使えなくなってしまったから今の人類に気象予報をする力はないけれど、それにしたってこんな風に大きな雲が急に現れるわけはないと直感で分かる。
雲は黒い。そうして途方もなく大きく、数十万人は居住している医療のコロニーの全体をすっぽりと包み込んでいる。今にも雷を降らしそうな不穏な色。
見れば僕と同じように何人かの人々が空をぼうと見上げている。
そうしてふと誰かが言った。
「空が、雲が落ちてくる」
『今すぐ建物に逃げ込め!』
パトリオのその言葉に僕は反射的に反応し、最寄の病棟に突っ込んだ。
転がり込んだそのままの姿勢で僕は見た。
真っ黒な雨が地面に突き刺さっている。その勢いはすさまじく、窓の外の視界はまるで墨に塗られたようだった。
それだけではない。地面に突き刺さった雨は意思を持つようにぬめりと動き出し、自動ドアの隙間を抜けて僕のいる病院の中に入り込んでくる。寝転がって視点の低くなっていた僕はようやくその正体を見ることができた。
理科の時間に見たT-2ファージのようなマイクロロボット。黒い雨はその集合体だったのだ。
マイクロロボットの群れは建物内を小さな川のように流れていく。
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