第二十三話 丁寧な暮らしの理想と現実
「あそこ――」
河童少年は、天井を指さした。少年が示す隙間からは夏の陽射しがきらきらと降り注いでいる。
ジョバンニは、その陽射しに目を細めながら、
「お前、天井の埃を取ったって……たかが埃取るくらいであんなにでかい穴が開くか?」
彼の見上げる先には、手のひら大の大きな穴がぽっかりと開いていた。
「しっかし、こんなにでかいの、なんですぐに言わないんだよ」
呆れた表情を浮かべながら尋ねるジョバンニに、紗良は、勢いよく首を振って否定した。
「ち、違うわよ。こ、こんな大きな穴をあけたら、私だってちゃんと白状するわよ。た、確かに、ぴき? ぱき? 的な音はしちゃってたけど……でも、穴なんて開いてなかったわ、大丈夫だったのよ」
紗良の隣で、河童少年が楽しそうにそのくちばしをパクパクとさせてジョバンニに答えた。
「ちゅん、ちゅんって……」
河童少年の言葉に、ジョバンニが首を傾げて彼に尋ねた。
「ちゅん、ちゅん?」
河童少年は、コクコクと頷きながら、
「ことりさんが、コンコンって、トントンって、いっぱい頑張って、それでこれくらい大きくなって、それで朝におはようって入ってきたの」
「鳥がちゅんちゅんと、クチバシで……マジか」
「夜は、お月様もこんにちわして、雨も降ってきたの」
得意げに報告する河童少年。
ジョバンニは、げっそりとした様子で「マジか……」と、再び天井を見上げた。
彼らが見上げる先は、とんがり屋根の頂の裏側。吹き抜けの天井のように誰の手も届かぬほどの高さにあった。
「しっかし、こんな高いところ、お前、どうやって埃を取ったんだよ」
ジョバンニは、上を向いたまま紗良に尋ねた。紗良は、彼の視線の先を同じように眺めながら、
「脚立と、モップで――」
「脚立?! あんなでかいもの、こんな最上階まで?」
驚き紗良を見たジョバンニ、紗良は、気まずそうにしながら答えた。
「時間はかかったけど、そうよ。ここまで運んだわ。し、仕方なかったのよ」
「仕方なかったって、なんだよ」
眉を顰めるジョバンニに、紗良は、肩を竦めながら、
「ほら、丁寧な暮らしをね。一度してみたいなって思ってて、それで、ほら今回、あなたたちの手が離れて、時間が出来たタイミングで、この機会にって、塔をね、隅々まで掃除をして、綺麗にして、それで、綺麗な我が家で、午後は、ゆっくり淹れたお紅茶を楽しんだり……傾く夕陽を浴びながら、編み物、お裁縫、多趣味な私ってな感じで、ほら、優雅な暮らしをしてみたかったのよ。
それに、黙々と作業をしていると、セロトニンが、幸せホルモンがね、どんどん出てくるらしいから。モヤモヤもすっきりとして、その……と、とにかく気分転換に良いと――思っちゃったのよ」
ごめんなさいと背中を丸める紗良に、ジョバンニは面倒くさいなと腕を組みながら、
「なんだよ、また、わけわかんねぇ言葉出してきたな。その丁寧も、セロなんだかもどうでも良いけど……これ、俺には修理はできねぇぞ。
お前の背丈で、モップでつついて、ようやく開けた穴――ぜってぇ届かねぇもん。
カイルが帰ってきて、あいつなら外側から何とかなるかもしんねぇけど……俺、この塔、登った事ねぇし、登ったところで――やだよ。落ちたくない」
申し訳ないと俯いている紗良を横目に、ジョバンニは、はぁとため息を吐きながら、
「――カイルが戻ってくるまで、あと、どれくらいだ? とりあえずは、これ、保留だな。とにかく触らないのが一番だ。余計なことは、もう一切しない。とりあえず、雨漏りだけどうにかするために、水を受け止める……空の樽、氷室にあったよな」
ジョバンニの言葉に、紗良は、コクコクと頷いた。
「じゃあ、この部屋は、それでよしとして……河童、お前、当分、俺んとこで寝るか?」
ジョバンニの提案に、河童少年は元気よく頷いた。
「じょ、ジョバンニ……」
河童少年の頭を撫でていたジョバンニの背中から声がした。彼らが振り返ると、そこには申し訳なさそうにしてヴォルフが佇んでいた。
「ん? どうした?」
「俺の部屋も――」
ヴォルフの言葉に、ジョバンニと紗良は勢いよく駆け出した――。
「マジかよ?! お前んところまで……」
小さく身を縮こませている紗良の隣でジョバンニが驚きながら壁を眺めている。
彼らの視線の先には、天井からの壁沿いに大きな染みが出来ていた。
「ああ、そうか。お前の部屋。河童の下だったな――って、紗良、お前、どんだけ被害を広げるんだよ。
これ、鳥が屋根つついたくらいで、こんなんならねぇだろ。お前、モップでどこまでつついたんだよ――お前、ここ壊す気か?」
紗良に鋭い視線を向けたジョバンニは、落ち込んだ様子の紗良に話し続けた。
「とりあえず、他の部屋も確認するからな。マジで、全体にひびが入ってたら、ここ、住めなくなるからな。あぶねぇし、しっかり見とかねぇと。
お前は、脚立係な。ここまで脚立を一人で持ち上げられたんだ。脚立担いで、全部の部屋をまわるくらいできるだろ?」
コクコクと素直に頷く紗良。
ジョバンニは「めいっぱい働かせるからな。覚悟しろよ」と黒い笑みを浮かべると、それから河童少年とヴォルフを見遣った。
「河童、ヴォルフ、お前らに俺のベッド譲るよ。お前ら二人で俺んところに寝ろ。俺は、カイルんとこで寝るわ」
うんうんと嬉しそうに頷いている二人の横で紗良が「あっ」と声をもらした。
「あ?」
ジョバンニの胡乱な眼差しが紗良を捉える。
「今度は、なんだよ」
「いや、あの……DIYをね。」
「なんだよ、そのでぃーあいとかって」
「いや、ほら、カイル、ずっとボロボロのベッド使ってたから――新しいのをこの機会に作ってあげようと思って……」
「まさか……お前」
「えっと、ほら、それに、ジョバンニ、あなた、この前、程よく乾燥した木材が必要だって……ほら、木のグラスとか、器とか」
「俺の木のグラス……ってお前?! カイルのベッドで俺らの食器を作ったって……嘘だろ」
驚愕の表情で言葉を失くすジョバンニに、
――すみません
紗良は、消え入りそうな声で手を合わせた。
紗良の申し訳なさそうにしている姿に、はぁと深く息を吐いたジョバンニは、どかっと床に腰を下ろした。胡坐をかいて腕を組み、天井を見上げる。
「河童とヴォルフのは、部屋が駄目で……ベッドはなんとかいけそうで、カイルのは、部屋が良くてベッドがダメで――」
思案顔でぶつぶつと呟いているジョバンニに、紗良がおずおずと口を開いた。
「あ、あの。じょ、ジョバンニさん、すみません。わ、私の部屋のベッドも……」
「なんだよ」
「ちょっと、その、使えなくなってしまいまして……その、私、今回、若返ったもので、それで腰の痛みとか気にしなくってもよくなってしまいまして、それで、おしゃれ優先にしようと、ベッドの高さを低くして、部屋を広く見せたいなと――思い立ちまして、また、暴走してしまい、そうしましたら、失敗してしまいまして……」
「暴走しすぎだよ。お前、何を目指してんだよ。破壊王かよ。ああ、そうか。だからお前、ずっと徹夜だとか言って居間に入り浸ってたのか」
はぁと大きくため息を吐いたジョバンニは、もう無理と床に仰向けになった。
彼の足元には、紗良が反省した様子で肩を丸めている。彼の両脇には、河童少年とヴォルフが座っていた。
ジョバンニは、彼を心配そうにのぞき込む、ヴォルフと河童少年を眺めながら、
「なんか、もう面倒くさくなってきたな。どこに誰を寝かすとか、どこの部屋なら使えるとか――もういいんじゃね?」
ジョバンニは天井を見ながら紗良に尋ねた。
「紗良、ヴォルフのサークル、居間に置いてたやつ。あれは、壊さねぇでちゃんと残してんだろ? あと、そこに敷いてた布団も」
「うん」
「じゃあ、それをまた居間にだして、そこで俺らでまた十年前みたいに一緒に寝る事にしねぇ?
河童とヴォルフと俺と、お前。俺とヴォルフが獣化すりゃあ、全然余裕でいけるだろ? 俺だけ獣化でも十分いけるか。
四人で一か所で寝るんなら、もうどこにひびがとか、どこから水がとか気にしねぇで、必要な部分だけ、毎日確認してれば良いし――万が一なんかあっても、一緒に寝てりゃあ、塔が崩れたって――どうにかなるだろ」
戸惑う紗良に、河童少年が嬉しそうにして彼女に抱き着いた。
「紗良と! 僕、紗良のとなり!!」
ヴォルフは、河童少年に驚いたようにして目を見開くと、その視線を紗良に移した。
紗良は、河童少年の頭を嬉しそうな表情で撫でて頷いていた。
二人を黙って見つめ続けるヴォルフに、ジョバンニが起き上がり彼の背中をさすった。
「じゃあ、決まりだな。カイルが戻るまで、また、居間でみんなで楽しく過ごそうぜ」
言い終えてポンポンと最後に背中を叩いたジョバンニに、ヴォルフは、こくりと頷いた。
その日の夜、迷走がひどい紗良の気分転換にと、ジョバンニは紗良と一緒に買い出しに行かないかと尋ねた。二つ返事で嬉しそうにすぐに頷いた紗良は、また、夜更かしして髪の毛を金色に染めた。
河童少年は、初めてのお留守番とヴォルフの手を握り締めながらその目を輝かせた。
翌日、足取り軽く一人先に船着き場へと向かっていた紗良の目の前に、銀髪の青年が現れた。
浜辺に打ち上げられ、ぐったりとしている彼の顔をおそるおそる覗き見た紗良は、
「あれ? え?! アーサー? え? 若返った?!」
驚きの声を上げた。




