喧嘩(表)
喧嘩した。
喧嘩の原因がほぼ自分であることは理解している。
けれども大したことはしていないし、向こうが過剰に怒っているだけである。
原因は至極単純で、自分が映画見るついでに買い物に行った、ただそれだけである。
普段は視聴覚室で映画を見ているけど、今回見たかったのはまだ放映開始直後の映画だったため、そういうわけにはいかなかったのだ。
なので、映画館に赴いた。何気に初めてのことだった。
長には外出すること、夜には戻ることを伝えていたが、前日ふらっと煙が消えるみたいにいなくなっていたそいつには伝えようにも伝えられない状況だったので、特に何も。
それで予定通りの時間に戻ってきたら、自分が不在の間に帰ってきていたそいつが事態を把握し、大層ご立腹な様子でこちらを出迎えた、というような感じだった。
なんのことわりもなしに一人で外を彷徨くな、とかなんとか言われた。
しかし、普段気がつくといなくなっていてそのまま数日帰ってこないなんてこともザラにある男から、そんな小言と説教を喰らいたくはない。
そういうわけで互いに主張し合い、言い争いになり、最終的に大喧嘩になった。
互いに一歩も引かなかった、平行線というのはこういうことをいうのだろう。
結局決着がつかず、長にもう遅い時間だからとそれぞれ自室に押し込められて、今に至る。
原因が自分の連絡不足なのはわかっている、元々映画館に赴く気は数週間前からあったので、その時点で伝えておいた方が無難だっただろう、とも。
けれど、普通に前日か当日行く直前に伝えるつもりだったのに、その伝えようとしていた時に勝手に無言でいなくなっていたのは向こうのほうである。
ならどうしようもないではないか。
それに、誰にも何も言わずに勝手に外出したわけではない。
長にどこに行っていつ帰るかを伝えたし、ちゃんと時間通りに帰ってきた。
多少の小言、例えば「外出する気があるのなら数日前に伝えておけ」程度で済ませてくれたら、自分だってあそこまで強情な態度を取るつもりはなかった。
素直にこちらが謝って、そういうことをいうのならあなたも勝手にふらっといなくならないでほしいと軽口を叩いてそれで終わりになったかもしれない。
けれども、普段の口数の少なさからは信じられないくらいネチネチと、長々と、文句、文句、文句、ついでに関係のない普段の行動へのお小言。
あそこまで言われる筋合いはこちらにはない。
元々報連相ができていないのは向こうである、それなのにこちらだけそれを徹底させられるのは割に合わない。
そういうわけでこちらが反省すべき点が全くないとは残念ながら言えないものの、だからと言って全面的にこちらが完全に折れるつもりはない。
多分これは長引くだろうと思う、あの死神のような男は結構頑固なのだ。
けれども折れてやるかと思う、向こうから「言いすぎた、悪かった」の言葉を絶対に引き出してやるとそう決意して、ベッドに倒れ込んだ。
「まだ不貞腐れているのか」
朝食を食べている途中、遅れて食堂にやってきたそいつと目があってすぐにそんなことを言われた。
不貞腐れているのではない、怒っているのであるこっちは。
それなのに何だ不貞腐れているって、まるでこっちが全面的に悪いみたいな言い方をしやがって。
しかしこれで機嫌悪めの対応をすればこいつの言葉通りになる、なのであくまで冷静に、大人な対応を。
「別に、不貞腐れてなんかいないわ」
「…………そうか、ならいい」
そう言って奴は当たり前のように自分の隣に座ってきた。
何故隣に座る、喧嘩中なのに。
それとなくトレイの上に乗っている向こうの朝食をチェックすると、白米と味噌汁、それと塩鮭だった。
対するこちらは普段通りのシリアルである。
何故朝からそんなに食べられるのだろうかと思っているとこちらの視線が気になったのか、向こうもこちらを見てきた。
別になんでもないと目を離す、向こうも大して気にしなかったのか、特に言葉で何かを追求してくることはなかった。
黙々と食べ終えて、立とうとしたところで視線を感じた。
横を見ると奴がこちらを探るような目で見ている。
「何よ?」
「勝手に外に出ようだなんて思うなよ」
瞬間湯沸かし器というものがあるが、それが多分今の自分の状態を喩えるのに最も相応しい代物だろう。
「は?」
ドスの効いた声が口から漏れる、しかし相手はその顔色を特に変えることなく淡々とした超えでこう続けた。
「だから、一人でふらふらとどこかに行くなと言っている。どうしても行きたい場所があるなら付き合ってやるから声をかけろ」
小さな子供にでも言うようなその口調に、思わず持ち上げかけていたトレイを勢いよくテーブルに叩きつけた。
相変わらず平行線だった。
最終的にまた長が割って入ってきて、冷静になれと握り拳を頭にくらった後、長も交えて話し合いを。
別に小さな子供でも何でもないのだから好き勝手に外出しても問題ないと主張するあたしと、何かあったらどうするの一点張りでそれを否定するあちら。
長が中立的な意見を保ちつつどうにか互いに妥協させようとしたけど、結局決裂。
話にならないとその場を飛び出して、今に至る。
「どこまで、どこまで馬鹿にする気なの、あの男……!!」
不平不満が口から漏れる、何故あんな小さな子供みたいなことを言われねばならないのか。
確かに自分は世間知らずだ、それは仕方がないけれど事実なので認める。
十二歳までは『施設』にいて外出なんてほぼしたことなかったし、その後五年くらいは実験体として外出どころかほぼ身動き取れずにひたすら身体に痛みを叩きつけられていただけだったので、自分が普通の人とは程遠い存在だということもわかっている。
それでも外の危険性、そして生き方は『施設』でたくさん教えてもらっていたし、危機管理能力や警戒心は人並み以上だと自負している。
電車だって一人で乗れるし、映画のチケットだって一人で買えるし、一人で買い物もできる。
危なそうな人には近寄らないし、声をかけられても相手にしないようにする。
まともに外に出たことがなかった自分が世間知らずで頼りない存在だと思われるのは仕方がない、けれどもあそこまで言われる筋合いだってない。
ああ、あんまりにも腹が立つから涙まで出てきた、そうなってしまう自分の身体が惨めで、こんな思いをする羽目になった元凶であるあの男にさらに腹が立つ。
結局、部屋に戻って夕方くらいまでふて寝した。
夢見はいつも通り最悪だった。
起きた後も動く気になれず携帯端末でぼんやりとパズルゲームを、頭が働いてないせいかびっくりするほどできなくて途中で端末をその辺に放ってしまった。
無理矢理身体を動かして食堂へ、あまり食欲はなかったけれど。
普段よりも遅めの時間だったからかいつもより人が少ない。
あの男が半分ほど食事を済ませているのを遠目に確認しつつ、本日の夕食を何にするか決める。
少し迷ってナポリタンにした。
あの男から一番離れた席に座って、小さくいただきますと呟いた。
食べ始めると意外なほど食が進んだ、そういえば今日は昼食を抜いていたのだった。
あっという間に食べ終わって、立ち上がる。
栄養分を口にしたからか、身体に少し活力が戻った気がした。
二十一時になる前、暇だったので映画を見ることにした。
なので通販でまとめ買いしたアルミ皿のポップコーンを一つ携えてキッチンへ。
広いキッチンの片隅でアルミ皿をコンロで温める。
それにしても無駄な程広いなとキッチンを見渡す。
以前聞いた話によるとここは元々ホテルだったらしい、それを長が買い取って適当に改装したと。
元々がまあまあ大きめのホテルだったようで、だから使われていない無駄なスペースがいっぱいある。
最近は主に自分が使い始めた視聴覚室も、元々はその誰も使わない無駄なスペースだったらしい。
誰も使っていなかっただなんて勿体無い、そう思いつつポップコーンがポンポンが弾ける音を聞く。
ポップコーンが出来上がったらカップの中にどさっと注いで、視聴覚室に向かう。
珍しく誰とも遭遇せずに視聴覚室にたどり着いた。
普段は大体あの男とすれ違ってなんだかんだ一緒に見る流れになるが、今回は遭遇しなかった。
喧嘩中なのでこちらを避けたのか、それともこれまでが本当にただの偶然だったのか。
どうでもいいかと思って頭の中からあの存在感が強い男の影をしっしと追い払う。
さて、今日は何を見るか。
ともだちから昔聞いていた映画のシリーズはおおよそ見終わってしまった。
なので何を見るか。
そもそもジャンルは何にするか、実写かアニメか。
悩みに悩んで最終的に何も考えずにこれと指差したものを選ぶ。
パッケージもろくに確認せずに再生してみると、それは戦争にまつわるアニメ映画だった。
ポップコーンを食べながら映し出された映像を見る。
エンドロールまで見終わって、ふうと息を吐く。
退屈ではないがどことなく難解な内容だった、事前に何かしらの知識を入れておいた方がいいものだったのかもしれない。
今度また気になったらネットで色々調べた上で見てみようか、なんて思いつつカップに目をやる。
カップの中は空になっていなくて、まだポップコーンが三分の一以上残っていた。
大抵は、映画が見終わる頃には全部食べ切っているのに。
何故だろうかと思った、映画の内容が難解だったから食べる手が止まってしまったのだろうか。
それとも、あの男との喧嘩が原因か?
あんなちょっと喧嘩しただけで食欲失せてるのか自分は、絶対あっちの方が悪いのに。
いや、そんなまさか。
そこまで弱くない、そこまでナイーブな性格はしていないはずだと、ふと思ったそれを否定する。
あんな程度で食欲が失せるはずがない、だって夕ご飯は普通に食べられた。
そんな馬鹿な話があってたまるか、あんな言い争い程度で。
それに、重ねて言うが悪いのはあっちだ、自分は悪くない。
そうだそうだその通りだ、と思ったけれどポップコーンが残ったカップに何故かやたらと重みを感じて、気がついたら項垂れていた。
そんな感じの苦い思い出をうっかり思い出してしまった。
今から一年程前の話だ、目の前にいる子供がここに来る少し前の。
何故そんなことを思い出してしまったのかというと、自分よりもずっと幼い子供が一人で遊びに出かけて、ついさっき帰ってきたことを今知ったからだった。
一人で出かけたことを知って真っ先に思ったのが『危ない』だった。
何かあったらどうするんだ、悪い大人にいらんことでもされたら、なんて言葉をどうにか飲み込んだのは、自分がそう言われてひどく腹を立てた経験があったから。
この子ならそこまで腹を立てはしないだろうけど、それでも自分が昔ネチネチと責め立てられて嫌な思いをしたのと同じような言葉をかけるべきではないだろう。
けれどやっぱり、心配だ。
お土産と渡されたキャラクターがプリントされた菓子の箱を見つつ、そんなことを思った。
ちなみに今回の行き先はゲーム会社のオフィシャルショップだったらしい、何故誘ってくれなかったのだろうか。
「あの、他のものの方がよかったですか?」
「いえ、そんなことないわよ!!? すごく嬉しいわ!!」
どうやら顔に出てしまっていたらしい、慌てて取り繕う。
「そうですか、喜んでいただけたのならよかったです」
「うん、すごく嬉しい。……今度行く時は、誘ってくれる?」
そう聞いてみると小さく頷いてもらえた。
その時スッと後ろから影がさした。
「戻ったのか」
聞き慣れた低い声、感情がほぼこもっていないそれを聞いて「ん?」と思った。
「あ、師匠。ただいま帰りました。こちらお土産です」
「ああ、ありがとう」
自分と同じ箱を受け取った長い腕の持ち主を振り返る、その顔には特になんの感情も浮かんでいない。
何故平然と受け取っているんだろうか、お土産を。
自分が去年一人で映画見に行った時はこちらがただいまを言い切る前にブチ切れて詰め寄ってきたのに。
というか、なんならこの子が行く前から一人で外出するのを知っていたような雰囲気すら感じる。
去年の自分よりもずっと幼い年齢の子が一人で出かけることを許容したのだろうか、この男は。
無関係ならまだしも、一応師弟関係なのに。
二人の顔を交互に見る、特に張り詰めた気配などはなくいつも通りだった。
「どうかしましたかお姉さん」
「いえ、その……あなたこの子が一人でショップに行ったの知ってたの?」
そう言って男の顔を見上げる、よく見たところで何を考えているのかわからなかった。
「知っていたが……それが何か?」
「いえ、止めなかったのが意外で」
「何故止める必要が?」
何を考えているのかはその表情からは読み解けない、けれども多分言っている通りのことしか考えていないのだろう。
つまり、自分はこの男にこの子よりもずっと頼りないだとか一人にさせてはいけないだとか思われているのでは?
もう一度二人の顔を交互に見た。
自分よりも背が小さい子供、自分よりもずっと年下の子。
表情が抜け落ちてる顔のせいでぼんやりしているように見える子の顔と、鏡で見る自分の顔を思い浮かべて、思った。
それは流石に怒るべき案件では、と。
けれどもちびっこの前でそんな怒りを見せるのは若干格好悪い気がしたので、誤魔化し笑いを浮かべて「なんでもない」と。
苦情は後でたっぷりと言ってやらねばなるまいと決意しつつ、ここで怒りをのみこめるようになった自分に成長を感じた。




