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契約逆転 オーガと魔物使いの主従生活  作者: 山田二郎


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第一章 契約

初投稿です。よろしくお願いします。

「森の匂いが、いつもと違う……?」

マリーは小さな声でつぶやき、獣道の途中で足を止めた。腰に下げた革袋の中で、罠の道具が微かに音を立てる。心臓が、もうずっと落ち着かない。

数えで十五の彼女は、この村では「オババの弟子」として知られている。本当の意味を知る者は少ない。魔物使いの技術は、この村では忌み事とされていたからだ。

村には兄弟が多く、口減らしのために子どもを売る家も珍しくなかった。マリーの家も例外ではなく、いずれ自分がそうなるだろうことを、彼女はどこかで諦めながら理解していた。抗う力もなく、ただ順番が回ってくるのを待つだけの日々。

「マリーや、冒険者になる気はないかい?」

ある日、水汲みの帰り道で呼び止められ、オババにそう言われた時、マリーは何のことか分からず戸惑った。特別な才能があるとも思っていなかった。ただ、他の村の子たちより、ほんの少しだけ魔力が多いらしいということは、以前オババに触れられた時に指摘されたことがあった。それだけの理由で、こんな話をされるとは思わなかった。

それから誰にも言わずに、魔物使いの技を仕込まれる日々が始まった。危険な賭けだということは、マリーにも分かっていた。失敗すれば魔物に喰われて終わる。それでも他に道はなく、縋るような気持ちで教えを受け続けてきた。

「今日で最後じゃ。角兎の群れ、仕留めてこれたら卒業させてやるからのう」

出がけに、オババはそう言って地面に簡単な図を描いてみせた。しわがれた声には、いつもと変わらぬ穏やかさがあった。

「奴らは決まった水場に来るもんじゃ。この配置で、囲い罠を張るんじゃぞ。慌てず、群れの端から崩していけばいい」

罠の結び方から、逃げ道を塞ぐ順番まで、一つ一つ丁寧に授けてくれた。マリーは頷きながらも、内心では不安でいっぱいだった。本当に自分にできるのだろうか。失敗したら、オババをがっかりさせてしまう。それだけは、何より怖かった。

森の奥、水場に近い岩場で、マリーは罠の準備を終え、物陰に身を潜めていた。手が震えている。何度も呪符の位置を確かめ直してしまう。

その時だった。

茂みの奥に、何か大きなものが蹲っているのが見えた。息が止まりそうになった。赤みがかった肌、額から覗く二本の角――オーガだ。

頭が真っ白になった。本能的な恐怖が全身を駆け巡る。逃げなければ。今すぐここから離れなければ。オーガは村人にとって手に負えない災厄そのものだ。こんなものに遭遇しただけで、命があるかどうかも分からない。

だが、足が動かなかった。恐怖で竦んだまま、マリーはその場に張り付くようにして、オーガの様子を窺うことしかできなかった。

しばらくして、少しだけ違和感に気づいた。

体高は二メートルほど。オーガとしては明らかに小柄だ。しかも動きが鈍く、時折体を折るようにして呻いている。怪我か、消耗か――理由はわからないが、明らかに弱っている。

(これなら、もしかして……)

心臓が痛いくらいに脈打っていた。頭のどこかで、無謀だと分かっていた。それでも、この機会を逃せば、次はもうないかもしれない。オババに認めてもらいたい。役立たずだと思われたくない。その一心で、マリーは震える手を動かし始めていた。

角兎用に組んでいた罠の配置を、震えながら組み替えていく。何度も手が滑った。それでも、オババに教わった技術の応用を、必死に思い出しながら仕上げていった。

水場の縁に沿って、マリーは急ぎ足で縄を張り直した。角兎用に仕込んでいた誘導縄を繋ぎ替え、逃げ道を一つずつ潰していく。息が浅い。今にも吐きそうなほど緊張していた。

オーガが水を飲もうと身をかがめた瞬間、マリーは合図の縄を引いた。

木々の間に隠していた重石が落ち、張り巡らせた縄が一斉に締まる。地面に仕込んだ罠石が跳ね上がり、オーガの足元に絡みついた。

「グ……ゥ」

低い唸り声が漏れたが、それだけだった。オーガは軽く身をよじっただけで、縄を引きちぎろうとする素振りすら見せない。

マリーは呆然とその場に立ち尽くした。あの丸太のような腕なら、この程度の縄など一瞬で引きちぎれるはずだ。それをしない。予想外の反応に、頭の中が混乱した。

(本当に、弱ってる……のよね?)

自分に問いかけても、答えは返ってこない。それでも、この状況を信じるしかなかった。マリーは震える手で二の矢の呪符を投げ、地面に円陣を広げた。拘束の光がオーガの足元から這い上がっていく。抵抗らしい抵抗もないまま、光は着実にオーガの体を締め上げていった。

最後の一本を結び終えた時、オーガは岩場に膝をつくようにして、大人しく動きを止めていた。

マリーはその場にへたり込んだ。膝が笑っている。手足の震えが止まらない。頭では成功したと分かっているのに、実感が追いついてこない。信じられなかった。本当に自分が、これをやったのだろうか。

震える足でどうにか立ち上がり、マリーは最後の仕上げに取り掛かった。オババに教わった契約の作法――弱った獲物に直接触れ、己の魔力を流し込む。それで従えられるか、あるいは拒まれるか。決まるのはその瞬間だけだ。

震える手を伸ばし、マリーはオーガの額にそっと触れた。指先が、思ったより温かい皮膚に触れる。

意を決して、体の奥から魔力を絞り出し、その手のひらから流し込んでいく。舌が縺れそうになるのを堪えながら、古い言葉を紡ぐ。声が震えて、何度も詰まりそうになった。

流し込んだ魔力が、額に触れた場所から吸い込まれていくのをマリーは感じた。届いた――そう思った瞬間だった。

流れが、逆流した。

「――っ!?」

胸の奥に、圧倒的な量の魔力が一気に流れ込んでくる感覚に、マリーは膝から崩れ落ちた。景色が歪み、耳鳴りがする。これは違う。何かがおかしい。

気づいた時には、頭の中に声が――否、声にならない何かが直接流れ込んできていた。輪郭のはっきりした、まるで人の言葉のような「意思」。

(――お前が仕掛けたのか)

言葉ではない。それでもマリーには、はっきりとそう「聞こえた」。地面に手をつき、荒い息のまま顔を上げると、オーガの赤い瞳がこちらを見下ろしていた。怒りではなく、値踏みするような、奇妙に理知的な光を宿して。

血の気が引いた。何か取り返しのつかないことをしてしまった――そんな予感だけが、はっきりとマリーの中に広がっていく。

「わ、私は……ごめんなさい、私……」

言葉は届かない。オーガに人語は通じないはずだ。だが、念話は繋がっている――ただし、主従が逆転した形で。

その事実を理解した瞬間、マリーの体は芯から冷えていった。震える声すら、もう出てこない。

契約は、成った。だが従うのは、自分の方だ。

森を抜け、村へと続く道を歩きながら、マリーは何度も後ろを振り返った。巨大な影が黙々とついてくる。言葉は交わせない。それでも、頭の奥に絶えず流れ込んでくる意思の断片から、この化け物が――ただの獣ではないことは、痛いほど伝わってきた。

怖い。ただ、それだけだった。

村外れの一軒家に近づくと、オババが戸口から顔を出した。角兎の首尾を聞くつもりだったのだろう、その表情はいつも通り穏やかだった。だが、マリーの後ろに続く影を見た瞬間、オババの顔から表情が消えた。

杖を握る手に、みるみる力がこもるのが分かった。

「マリー……お前さん、それは……」

声が、僅かに震えていた。長く生きてきたオババでも、これは想定の外だったのだろう。しばらくの間、オババは値踏みするようにオーガを見つめ、それからマリーへと視線を移した。

「角兎を狩りに行って、オーガを連れて帰ってくるとはのう……」

呆れとも驚愕ともつかない声だった。マリーは俯いたまま、何と説明すればいいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。失望されるかもしれない。無謀を叱られるかもしれない。そんな不安が、胸の中で渦を巻いていた。

オババはしばらく無言でオーガを観察していた。傷の有無、纏う気配、そして何より、マリーの様子――怯えながらも、契約自体はどうやら成立しているらしいこと。それらを一つ一つ確かめるような、長い沈黙だった。

「……契約は、成ったんじゃな」

「はい……」

マリーは短くそう答えるので精一杯だった。契約の形が逆転しているとまでは、とても言い出せなかった。

オババは深く息を吐き、杖を下ろした。

「儂も長く生きとるが、こんな話は初めてじゃ。だが、成ったもんは仕方あるまいよ。オーガほどの魔物を連れて帰ってきたなら、村におる意味はもうないじゃろ」

「街に、出るんですか」

「ああ。冒険者組合のある街まで、行きな。それだけの魔物を連れているなら、心配はいらんじゃろ」

オババの声には、まだ驚きの余韻が残っていた。それでも、その言葉に迷いはなかった。長年、多くの魔物使いを見てきた経験から来る、確かな判断のように、マリーには感じられた。

「準備が出来次第、発ちます」

マリーはそう答えながら、内心では別の不安と向き合っていた。この契約が、本当は逆転しているという事実。それを黙ったまま、この魔物を連れて街へ向かうことの重み。オババにさえ本当のことを言えない自分に、僅かな罪悪感が疼いた。

翌朝、マリーは荷をまとめ、村を発った。オーガを連れたまま、冒険者組合のある街を目指して。

道中、言葉は交わせないまま、二人はただ黙々と歩き続けた。時折、頭の奥に流れ込んでくる意思の断片だけが、この魔物が単なる獣ではないことを、絶えず思い知らせてきた。

街の門が見えてきた頃には、既に日が傾き始めていた。

これが始まりだと、まだ彼女は知らない。

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