12=天満家本邸にて
天満家と言えば、こと日本において知らない者はほとんどいない。精神統制法から始まり、絶望捜査官に関する制度を作り上げた立役者の一家。そのトップに君臨する家長には、国会において議長級の名誉ある椅子が用意されている。鶴の一声で法案審議を通す、あるいは白紙に戻す力がある。家長以外で天満の血を引く者は、世界的に力を持つ企業の経営を牛耳っている。男女関係なくその地位は与えられ、一人欠ければ少なくとも日本経済は停滞すると言われている。
「……久しぶりね」
その天満の総本家は、第三特別管理区――大阪市にある。かつて大阪市役所があった場所に鎮座する屋敷だ。そこに、かつて大都会を管轄していた行政の足跡はもはや見当たらない。代わりに見えるのは、天満の権力の象徴だ。
私は正門から入り、長い道を歩いてようやく玄関にたどり着いた。すると自動ドアのように、中から私専属の使用人が扉を開けてくれた。
「お待ちしておりました、ヤヨイ様。長旅ご苦労様でした」
「ええ」
実際は電車を使えば三十分程度なので、とても長旅とは言えない。使用人が発した社交辞令に、私はあいまいな言葉で返す。
天満家は総勢百名を超える使用人を雇っている。大抵は天満家の誰か専用の使用人で、私の父につく者が最も多い。天満の一族で一番年下に近い私でさえ、常に自由に動かせる使用人が五人いる。その五人に何をさせるかは、基本的に私にゆだねられている。
「コウシロウ様は視察で京都へ行かれております。もう間もなく戻ってこられますので、しばらくお待ちください」
「分かったわ」
私はその五人に、身の回りの世話よりも絶望捜査官の仕事の手伝いをするように頼んだ。雇い主の命令に逆らう権利は使用人にはないから、彼らは街の中央部にある遺体処理施設で主に働いている。そして五人のうち二人は、今回の私の帰省より一足先に本家へと戻り、私を出迎えてくれた。
私は応接室に通され、しばしソファに座って待つことになった。応接室の壁には様々な史料が飾られており、天満家の歴史がたどれるようになっていた。
「……思い出すわね」
「ええ。昔ヤヨイ様がまだ小さかった頃を思い出します」
二人のうち片方は、ずっと昔から私の使用人を務めている。母が私を身ごもった時に雇われたらしく、幼少期の私の身の回りの世話を全てしてくれていたと聞く。それだけに、いかに使用人に対して信頼がないといっても、彼女だけは別だ。
「絶望捜査官のお仕事はいかがですか。ヤヨイ様は昔から、精神的に決して強い方ではありませんでしたから」
「ありがとう。……大丈夫よ、定期健診でも今のところ、異常は出ていないから」
絶望捜査官、と言えばもっともらしく聞こえるが、はっきり言って人殺しだ。対象が絶望を抱えた人で、たまたま精神統制法によって合法化されているだけで、擁護する法律がなければシリアルキラーと何ら変わらない。絶望を抱えた人を把握するのにシリアルナンバーを用いるとは、何とも皮肉な話である。
「そうですか。ですが今は大丈夫でも、ある日突然体調を崩すということもあり得ます。少しでも変だと感じたら、いつでもわたくしに連絡を」
「ええ。分かってる」
彼女も含めて、私専属の使用人は今、絶望捜査官全員の仕事に携わっている。ゆえに昔とは違い、私のプライベートにかかわることはほとんどなくなっている。だからこそノノカちゃんを預かっていても、クレハと協力していても全く気づかれていないのだ。
ノノカちゃんは今、クレハに面倒を見てもらっている。話をした当初はひどく渋っていたが、本家に呼ばれた以上変に怪しまれるのを避けるためにも行かなければならない、ということを繰り返し伝えて、何とか了承してもらった。
「ヤヨイ様は、絶望捜査官になられてよかったと思われていますか?」
「……え?」
そんなことは訊かれた試しがなかった。私は幼少の頃から、姉妹で絶望捜査官になることを期待されていたから。絶望捜査官になることは、私以外の家族の中では既定路線だった。絶望捜査官になること自体を期待されていたというよりかは、それ以外の道に進むことが許されなかった、という方が正しいのかもしれない。
「あ、いえ。ご気分を害されたのであれば、申し訳ありません」
「いいえ、そういうわけではないの。けれど、そうやって言ってくれるのはあなたしかいなかったから」
そんな圧力の中で育ったからか、物心つく頃にはすでに、私は絶望捜査官になるのだと自分で分かっていた。絶望捜査官の門は狭い。大学校をほとんど首席で出なければ、絶望捜査官になるための試験を受けることすら難しい。私は初等学校、中等学校、高等学校、大学校と常にいい成績を取ることを要求された。それでも私は、天満の名に恥じないように期待に応えるべきだ、と考えていた。
「……いかに絶望捜査官とはいえ、職業ですから適性はあります。天満家が絶望捜査官という制度を作り上げた以上、ヤヨイ様が大きな期待をされていたということは承知しております。コウシロウ様もいらっしゃる場で同じ質問をすれば、ヤヨイ様は当たり前だ、と即答なさると思います。ですが、正直にお答えください。今のご自分を、どう思われますか」
彼女の質問はまるで、クレハの言葉で揺れている今の私を全て見ているかのようだった。人生経験の差だろうか。生まれる前から私のことを知っている人に、ごまかしは通用しないということか。
「……本当は。本当は、不安だったのかもしれない」
「ええ、そうでしょう。学業成績は非常に優秀でしたが、精神検査では合格ギリギリでしたから」
私は精神的にそこまで強くない。打たれ弱い方だという自覚もある。だが同時に、これは生まれつきではなかったとも思っている。私が変わったとするならばそれは、
「……やはり変わられたのは、クレハ様の一件以降ですか」
「あっ、それは」
「分かっております。この家で、あの方を様とお呼びしてはいけないこと」
ある日突然、クレハが勘当された。理由は分からない。父がひどく怒っていて、専属の使用人もまとめて家から追い出した光景は、はっきりと記憶に残っている。父からすれば、自分の逆鱗に触れた人間を追放した、というほんの小さな出来事にすぎないかもしれない。しかし私にとってそれは実の姉と生き別れたという、あまりにも大きな事件となる。
「……クレハはなぜ、この家を追われたのかしら」
「わたくしにも、見当がつきません。まだ初等学校に入られたばかりだったというのに」
彼女の言う通りだった。成績がひどかったとか、絶望捜査官になるのを拒んだとかなら分かる。しかしクレハはそのどちらにも当てはまらなかった。そして大人になって再会した時には、クレハは重い闇を抱えていた。
「もしも絶望捜査官を辞めたいと思われたならば、まずわたくしにお伝えください。絶望捜査官でなくとも、天満家に貢献する道はあります。ヤヨイ様がお生まれになって以来お仕えさせていただいている身として、コウシロウ様と交渉させていただきます」
「ええ。……もしもの時は頼むわ」
絶望捜査官になったのも、実は天満家の当主になるための第一歩に過ぎない。第六特別管理区という大規模な場所の配属となったのも、いずれ絶望捜査官を統率する側となり、天満の名を継ぐにふさわしい権力を持てるようになるためなのだ。絶望捜査官を辞めるということはつまり、当主になるまでの道が変わるということを意味する。父が決めた私の人生を変えるようなことを、許すかどうか。
「……コウシロウ様がお戻りになられました。お迎えに行ってまいりますので、しばしお待ちを」
「ええ」
いよいよだ。五年ぶりの再会。私は膝の上に置いた手を、爪の跡がつくほど強く握りしめた。




