4章 英雄の剣
その後もウルド達の冒険というかお悩み解決行脚は続き、結局大幅に予定が遅れてハクラの地に到着、砦攻略部隊の本陣にやってきた。
そこで砦攻略隊の指揮官ローレンによって暖かく歓迎された。
「久しぶりだなウルド」
ローレンは真っ先にウルド達の元へ駆け寄り、ウルドの両肩をバンと力強く叩いて、快活に笑った。
「お久しぶりです。先輩」
ウルドは肩の痛みに顔をしかめながも、久しぶりの再会を果たしたローレンの姿に嬉しさがこみ上げてきた。
ローレンはウルドが士官学校卒業後、国王軍の訓練員として配属された部隊で上官だった男だ。ウルド以上の身長と筋肉質な体格で、当時は鬼上官として訓練員達から恐れられていた。しかし厳つい外見とは裏腹に面倒見のよい人で、ウルドの相談にも色々と乗ってくれた。尊敬できる数少ない先輩の一人だ。
「先輩がここの指揮官だったんですね。驚きました」
「まあ、参謀長自らのご指名だ。俺もそろそろ出世の道が見えてきた、なんてな」
ローレンはにやりと笑う。
ローレンは昔親衛隊への配属を推薦されるほどの優秀な人材であった。しかし親衛隊のような堅苦しい所は性に合わない、と言って断ったそうだ。だから本当は出世には興味がない、らしい。
ウルド達はローレンに促されて軍議用テントに入った。中には各隊の隊長達が揃っていた。そこでチェドとマローリン、そしてヘレーネを紹介した。ローレンは同行者が予定より一人増えていて最初こそ驚いた顔をしていたが、ヘレーネが「よろしくー」と言って笑顔でお辞儀する姿に、すっかり魅せられていた。目尻を垂らして自らお茶とお菓子を用意し始める始末だ。……ちなみにローレンは既婚者である。
一通り紹介が終わった後、ローレンはじろじろとチェドを値踏みるかのように観察した。
「これが噂の英雄の末裔殿か……」
ローレンの視線にチェドは緊張のため一瞬肩を震わせたが、すぐに落ち着きを取り戻し、深々とお辞儀をした。
「チ、チェド=フェヒナーです。……よ、よろしくお願い、します」と、片言ながらちゃんと挨拶した。
何と素晴らしい成長ではないか! ウルドは心の中で喝采をあげる。王都で初めて会った時は喋れないほどに緊張し硬くなっていたチェドも、ウルドの厳しい教育とここへ到る途中で経験した様々な冒険によって、全身から冷や汗を流しながら、それにこの挨拶の為に三日前から馬車の中で猛特訓していたとしても、初対面の人間に対して挨拶ができるようになった。これを成長と言わずしてなんと言おうか。……挨拶程度で大げさなという気もするが、チェドは確実に成長を遂げていた。そんな意味では、時間の浪費と思えた数々の厄介な相談事も役に立ったかもしれない。
しかし挨拶をしただけで結局チェドは固まってしまった——挨拶以外教えていないのでしようがない——。そんな彼をじっと見ていたローレンは突然机を力強く叩いた。大きな音がしてテントの中にいた全員が飛び上がらんばかりに驚いた。ローレンの目は大きく見開かれ、チェドを睨みつけているようだ。その異形のモノも泣き出さんばかりの恐ろしい形相にチェドは口をあわあわとさせて、一歩後ずさろうとする。しかしそうはさせまいとローレンの大きな両手がチェドの華奢な肩を力強く押さえつける。チェドの目には既に涙が溜まり始めていた。
果たしてこの百戦錬磨の鬼上官ローレンの目にチェドはどのように映っているのだろうか? 所詮少々人見知りが緩和された程度、本当は普通のひ弱い少年であることなど、鬼上官はすぐにお見通しだろう。しかし、次の言葉にウルドは耳を疑った。
「素晴らしい!」
そう言って、ローレンは豪快に笑った。
「この、異形のモノ打倒へ向けた決意ある目つき、しなやかな体、そして深慮深そうな表情、大胆でありながら常に状況を冷静に判断しているに違いない。理想の戦士だ!」
……はい? さすがに褒め過ぎ、むしろ何か色々勘違いされていませんか? 先輩。
「いや、あのう」
ウルドが訂正しようとするが完全に無視される。
「なるほど、これなら竜を追い払い、人喰い虎を仕留め、盗賊団を蹴散らしたのも納得だ」
ローレンの言葉に、テント内にいた他の隊長兵士達もうんうんと頷いている。更にマローリンとヘレーネまで頷いている。
「さすが指揮官殿。一目でお見抜きになられるとは。如何にも、いずれもチェド殿がいたからこそ成し遂げられた偉業にございます」
マローリンがローレンに向かって慇懃に答える。
——まて、竜の一件はともかく、盗賊共を蹴散らしたのも、人喰い虎を倒したのも、ついでに温泉が沸き出す直前まで掘ったのも、俺、ウルドがやったことだぞ。
ウルドの震える姿を見てローレンは哀れむような表情をウルドに見せた。
「ウルドよ。分かるぞ、その悔しさ。お前が優秀だということは俺が一番知っている。しかしだ、ここまで格が違ってはな。……しようがない。この悔しさをバネにお前が今まで以上に成長してくれることを、俺は期待しているぞ」
そう言って、ローレンは何故か笑顔で親指を立てた。
だ、か、ら、違う! さすがに我慢ができなくなった。立ち上がって一言言ってやろうと思ったところで、ヘレーネに手を引っ張られた。彼女を見ると首を左右に振って「ややこしくなるだけだから、止めときなよ」と顔で訴えていた。
わざとらしく大きな溜息をつく。先輩にまで勘違いされ、納得いかないことこの上ない。
その後、ローレンが是非旅の話を聞かせてくれと懇願したため、道中に起こった冒険談を掻い摘んで話した。もちろん説明したのは我らが広告塔マローリンだ。マローリンは様々な事件を百二十パーセントくらい脚色してローレンや隊長兵士達に聞かせた。彼らはマローリンの一言一言に頷き、驚き、歓喜し、そして涙した。語り部マローリンによれば、登場人物達の貢献度は、ばっさばっさと敵をなぎ倒し時には情を以て諭すチェドの活躍が五十パーセント、そして智恵と魔法でチェドを補佐するマローリンの活躍が三十パーセント、豊かな知識と思考力で謎を解く名探偵ヘレーネの活躍が十五パーセント、そして道化役のウルドが五パーセント、だそうだ。もちろん事実無根のでっち上げ。真実は全くの逆だ。今回もウルドが何度か訂正を試みたが、これもいつも通り、聞く耳持たれず完全に無視された。それほどまでにマローリンの語りに全員が吸い込まれていた。そして、話が終わる頃には英雄チェドの存在は不動なものとなり、そしてチェドを導いたマローリンはそれに匹敵するほど尊敬の念で見られるようになっていた。
「素晴らしいお話でした、先生!」
ローレンはマローリンを先生などと呼ぶようになり、チェド以上にマローリンのことを尊敬しているようだった。
一通り話し終えて、全員がチェドを期待を込めた眼差しを向けていることを確認しマローリンは満足そうにうなずいた。
「……こうしてチェド殿の威光は日々高まっておる。が、その力を完全なものとする為に、わしらはここへ来たのじゃ」
ようやく本題に入る。ハクラの砦を攻略する理由、トウマ国の至宝であり魔王を倒す切り札、ウエンリハトの奪取だ。
本題に入ろう、ローレンはそう言ってテーブルにハラクの地図を広げた。自軍を示す白石と敵軍を示す黒石を置いていく。
「ここが、今我々がいる攻略隊の本陣だ。そしてこっちが砦。ここから直接砦を確認できないが、常に偵察隊が砦の動向を監視している。
見ての通り、砦は三方を山に囲まれ、正面は平野が広がっている。険しい山の為、大軍を以て側面や背後から攻撃するのは難しい。必然的に前面からの攻撃になるが、敵も当然それを見越して正面の守りを徹底的に堅くしてくるだろう。こうなるとなかなか攻略は難しい。……だから昔の人は、そこに砦を作ったわけなんだが」
「敵の動きはどうじゃ。出入りは多いかのう?」
マローリンが尋ねる。
「いや、ほとんどありません。既に砦に大量の物資を備えているらしく、補給らしきものは今のところ確認されていません」
「敵の戦力はどれほどでしょう?」と、ウルド。
「正確な数は不明だが、千人と言うべきか、千体と言うべきか、千匹と言うべきか……。とにかく偵察隊の話では千は越えないだろうという認識だ」
「で、こちら側の兵力は?」
ローレンは苦々しげな表情を浮かべて答えた。
「……三千だ」
ウルドは腕を組んで唸る。三千対千。砦の攻略戦には守備隊の三倍の戦力は必要だ、というのがよく言われる話である。ならば一見攻略可能なぎりぎりの数字に思える。しかしこの三倍則は味方と相手で個人個人の戦闘能力が同等であることを前提としている。相手が人間よりも体格が大きく、力も強い異形のモノに対して果たして成り立つのだろうか?
「ウルド、お前の心配は分かる。みんな同じ考えだ」
ウルドの心情を読み取ったのか、ローレンが声をかけてきた。
「当初はもっと兵力が用意されるはずだったんだ。ただ最近状況が変わってな。再び異形のモノの動きが活発になりつつあるし、それに……」
と、そこでローレンは言いよどんだ。そしてマローリン、チェドそしてヘレーネを順に見やる。マローリンは先程から腕を組みながらじっと机に広げられた地図を凝視していた。ローレンの視線には気づかない。一方チェドとヘレーネの方は不思議そうに首をかしげた。
「……まあともかく、戦況的にこれ以上の数は投入できない、ということだ」
「このまま正面衝突して、勝てる可能性はどうじゃ?」
マローリンが机に広げられた地図を見たまま口を開いた。
「野戦になれば勝機もあります。ですが当然相手は籠城してくるでしょう。攻城兵器も用意はありますが、かなり難しい、というのが本音です」
ローレンが苦しい表情を見せる。
「だったら、素人考えだけど兵糧攻めってのがあるんじゃ?」ヘレーネがわざわざ手を上げて発言した。「あいつらだって、何かは食べるんだから。……ああ、異形のモノって何食べるのかなー。気になるー」
最後は完全に独り言だった。一人楽しそうに思考を巡らすヘレーネを無視して、ローレンが頬をボリボリと掻きながらウルドに顔を向けた。
「まあ、今が兵糧攻めに近い状態だが、しかしのんびり待っていたら、敵の増援がやってくるかもしれない。そしたら今度は我々が窮地に陥る」
出発の時に国王軍が全面支援をすると聞いていたので、ハクラの砦では国王軍は準備万端。あとは圧倒的戦力で砦を叩くのみ、と楽観的な考えをしていたが、そうではなかったようだ。兵を集めてはみたものの十分に揃えられず何もできない状況が続いている。
ここでも我々を難題が待ち構えていたわけだ。ウルドは思わず苦笑する。すると大体次の展開が読めてくる。
「なるほど、厳しい戦況じゃな、と」
マローリンはローレンから攻略軍の状況を伝えられても動じる様子はなく、いつもの作ったような薄ら笑みを口元に浮かべていた。
「はい。しかしこれ以上待っていても戦局は好転しません。明後日に攻撃を仕掛けようと思います。作戦は正攻法。砦に正面から攻撃を仕掛けるつもりです」
「でもそれって、損害も大きんでしょ?」
ヘレーネが誰もが認識していることを口に出した。いや、正確な認識は、損害が大きいばかりか勝てる可能性すら怪しい、だ。
強い風が吹いてテントの幕が大きく震えた。雲が太陽の光を遮った為、急にテント内が薄暗くなった。
一分ほどの沈黙の後、相変わらず苦しげな表情のローレンが口を開く。
「そうです。ですが、これ以外に手はない」
ここで突然マローリンが立ち上がった。ローレンを含めテント内の全員の視線がマローリンへ集まる。ウルドを除いて。
——そら来たよ、いつもの展開が。
「そんな不毛な戦いを挑むなど、愚かな」
マローリンの一言に、ローレンの後ろに控えていた隊長兵士達がいきり立った。それをローレンが手で制した。
「先生、では先生ならどうされると?」
ローレンは落ち着いた雰囲気で喋っているが、彼も目は真っ赤に燃えていた。軍事の専門家であるローレン達にとって、いくら尊敬する魔法使いといえども、作戦を完全に否定されてたら怒りもするだろう。そんな様子にマローリンは眉一つ動かさず、わざとらしく口角をつり上げた。
「野戦で戦えばよいじゃろう」
「しかし奴らは籠城の構えを見せています。異形のモノの単体戦闘力がいくら高くても、数が不利で、待っていれば援軍も期待できる状況では、砦から出てくるとは思えません。いくら原始人みたいな鎧を着ていても、そこまで頭が悪くはないかと」
ローレンは丁寧な口調で反論する。後ろの隊長兵士達は一様にローレンの言葉にうなずいていた。その様子をマローリンは横目で見て、そしてフンッと鼻で笑った。それを見た隊長兵士の一人が剣の柄に手をかけようとしたが、周りにたしなめられていた。相当頭に来ているようだ。無理もない。いっそのことそのまま斬ってくれても俺は構わないが、とウルドは密かにその隊長兵士を応援する。
マローリンは彼らのやり取りを気にする様子もなく、テントにいた全員をゆっくりを見渡した後、一言。
「わしにまかせるがよい」
またか、ウルドは独り大きくこれ見よがしに溜息をついた。
異形のモノとの戦争において、開戦直後の国王軍の絶対的な劣勢状態から、異形のモノの進軍が止まり、現在の均衡状態になった理由は正確には不明だが、その一つとして考えられているのが、国王軍側の戦闘方針の転換である。
戦争開始直後の国王軍の編成は、重騎兵隊を中心とし、その補助として歩兵部隊が組織されていた。人も馬も重厚な鎧を身にまとった重騎兵の一斉突撃は周辺諸国から黒馬の岩落としとも呼ばれ、恐れられていた。
異形のモノの侵攻が始まった直後も当然国王軍は自慢の重騎兵隊を投入した。しかし、異形のモノ達の軍勢の前には歯が立たなかった。なにせ重騎兵隊以上の紺青色の巨体がほぼ同じ速度で迫ってくるのだ。破壊力で敵うはずがなかった。
国王軍は軍編成の改革に迫られた。この改革を担当したのが国王軍歴代最高の名参謀と謳われた参謀長ジェフだった。彼は異形のモノに対する情報を集めた(その情報収集で最も有用だったものがイェニーの書いた論文だった、と前に弟が自慢していた)。ジェフは異形のモノに関する文献、伝承や戦場の報告から一つの仮定を導き出した。異形のモノは遠距離可能な武器を所持していない、もしくは所持していたとしても非常に原始的なもので、現在の国王軍の有する兵器に比べればその射程距離も威力も遥かに劣っている、というものだった。
この仮定からジェフは歩兵と騎兵で敵の進軍を阻み、そこへ敵の射程外から大量の矢や石を雨あられのように浴びせかける戦術を立案した。当然ジェフの仮定とそれに伴う軍再編案を疑問視する声は多かった。しかしジェフは改革を強行、その結果、重騎兵隊は廃され、弓矢や投石機、バリスタを中心としそれらを歩兵や軽騎兵に護衛させるという、遠距離兵器を重視した編成へと変化した。
この変更は見事的中し、多大な戦果をあげることができた。しかし、比較的広い平野での野戦という条件付きだった。奪われた街や砦を奪還することはできず、結局こう着状態に持ち込むことが精一杯だった。
マローリンの「野戦で戦え」という発言はこのことを踏まえてのものだった。一般人ならこんな知識持っている訳がない。ヘレーネも目を大きく見開き驚いてマローリンの言葉を聞いていた。魔法使いという肩書は依然として怪しいままだが、この知識量には驚くばかりだ。
そんなマローリンが提案した作戦は、陽動と潜入だった。
本隊が陽動として砦を守る異形のモノ達の注意を引きつけ、その隙に別働隊が砦に潜入、ウエンリハトを奪う、というものだ。更に、敵を砦前の平野におびき出すことができれば、国王軍にとって有利な野戦に持ち込める、と。
マローリンは自案の有用性を熱弁した。テントはさながらマローリンの講演場と化していた。
「そもそものわしらの目的を忘れてはならぬ。わしらの目的とは、ウエンリハトの奪還であって、砦を奪還することではない」
「しかし、砦を奪還しないことには剣は手に入りません」
マローリンの言葉を遮ってローレンが意見する。マローリンは不敵に笑った。
「普通に考えればその通りじゃ。そのために多大な犠牲を払って砦を攻略する。如何にも頭の堅そうな連中が考えそうなことじゃ」
そう言ってウルドを見る。何故こちらを見る? 黙って睨み返してやった。
「それに、むしろ砦攻略する方が危ういかものう。もし首尾よく砦攻略に成功したとしよう。やつらはともすると、砦や剣をわしらに渡すまいと、剣を隠してしまうかもしれぬ。もしくは砦に火を放って剣もろとも破壊してしまうかもな。そうしたら、何の為の砦攻略だったんじゃ? ということになる」
「……」
ローレン達は黙ってマローリンの言葉に耳を傾けている。一部の隊長兵士達から「ほお」と感嘆の声が漏れていた。マローリンは彼らの様子を横目で見て満足そうにうなずくと、更に続けた。
「そこで、敵を平野におびき出し、もぬけの殻になった砦に潜入。剣をかっさらえばよいのじゃ!」
「素晴らしいです、先生!」
先ほどまでの対決姿勢は何処へやら、ローレンは大声で賞賛の声を上げた。そしてマローリンの両手をがっしりと掴む。その目は涙で潤んでいた。
「か、感動いたしました。実に素晴らしい作戦。参謀部も全く思いつかなかったものをいともたやすくご考案なされるとは」
「ふん、わしにかかれば造作もないことよ」
ぶっきらぼうな返答だが、かくも賞賛されたことに満更でもないのか、マローリンの口元は垂れ下がっている。他の隊長兵士達も同様にマローリンを尊敬の眼差しで見ていた。そして、マローリンの隣に座っているチェドも目を輝かせてマローリンを見上げている。彼もマローリンの作戦にいたく感動している様子だった。一方ウルドの隣に座っているヘレーネは、特に表情を変えることもなく気怠そうにテントの中の人々を見回していた。……どうやらこのテントの中で常識人は俺と彼女だけのようだ。
ローレンは感動と興奮に声を震わせる。
「先生、その作戦、早速実行に……」
「先輩、待ってください」
後戻り不可能になる前に手を打たねば、とウルドは遂に口を挟んだ。
「なんじゃ、若いの。またわしの意見に文句があるのか? お前はいつもいつも、わしの計画や作戦にケチばかりつけおる」
マローリンが眉間に皺を寄せて、面倒くさそうにウルドの方へ振り向いた。
「ウルド、先生に楯突くのは許さんぞ」
ローレンまでもウルドを睨みつける。
……なんて面倒な。ウルドは頭をガリガリと掻く。——目を覚ましてください先輩。こんなペテン師野郎に騙されてはいけません。
「聞いてください、先輩。俺はこのジイさんの計画やら作戦やらで今まで何度も酷い目にあってきました。こんな人の計画なんて信じちゃいけません」
「わしの計画が酷いじゃと。何時そんなことがあった?」
マローリンは心外だと言わんばかりに、大げさに肩をすくめてみせた。
今度こそこのペテン師の計画を叩き潰してやる、ウルドはそう心に決めると歯を噛み締めた。
「俺はこの人が考えた作戦のおかげで、竜と独りで戦わされたり、毒蛇だらけの部屋に閉じ込められたり、崖から突き落とされたり、穴を掘らされたり……」
ウルドはハクラの砦へ至る道中での様々な冒険を振り返る。思い出しただけで涙が出そうだった。あんな経験二度とごめんだ。
ローレンは驚いた表情でマローリンを振り返った。しかしマローリンの作り笑いは消えない。
「ああ、そして全て万事解決したではないか。竜と和解でき、遺跡の宝珠は手に入り、幸薄い少女の病気も治せ、温泉にも入れた」
ローレンと隊長兵士達から「おお、さすが先生」と、どよめきの声が上がる。
「あくまで結果論じゃないか。一歩間違えれば俺は死んでいた」
ウルドは怒りで顔が真っ赤になっているのに対して、マローリンは相変わらず飄々とした様子だった。
「落ち着け、ウルド」
見かねたローレンがウルドに声をかける。
「お前が大変な目にあってきたことは分かった。しかしウルド、一件無謀に見える作戦も、先生はお前の力を信じてこそ、立案されたのではないか?」
その言葉にウルドははっと息をのむ。心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
俺の力を信じて……、だと。てっきりマローリンは俺のことを、ただの小間使いか何かとして扱っているだけだと思っていたが。そうか、俺のことを、俺の力をなんだかんだ言いながら頼っていたのか、この人は!
そう思うと今までマローリンを散々罵ってきたことに対して、急に後悔の念が湧いてきた。なんだ、ならもっと素直に頼ればいいじゃないか。思わずウルドの口元が緩んだ。
「ですよね、先生?」
ローレンが同意を求めようとマローリンの顔を覗き込んだ。
マローリンの動きが一瞬止まった。数秒の沈黙。
「あ、ああ、もちろんだとも。わしは将来有望なあの若者ことをだな、し、信じて……」
マローリンの喋り方が珍しくぎこちなかった。
——前言撤回。やはりこのペテン師ジジイの計画は今度こそ論破しなくてはならない。今回は俺だけでなく、同胞たる三千の国王軍兵士の命もかかっているのだ。
ウルドは再び体中から沸々と怒りの感情が湧き上ってきた。しかしここはあくまで冷静に。わざと咳払いを一つしてから、マローリンへ向き直った。
「……先ほどのあんたの作戦、二つ重要な点が抜けている。まず、敵を砦から平野へおびき出すというところ。これをどうやってやる? あんたの説明には詳細が無いぞ」
「そ、そうなんですか、先生? どうやって奴らをおびき寄せるんでしょうか?」
ローレンが驚いた顔でマローリンを振り返った。——何を今更……。
「ふん」と、マローリンが鼻で笑う。何を愚かな質問を若造が、と思っているに違いない。「わしが奴らを砦から引っ張り出してやろう」
「……な!」
ウルドは予想外の答えに言葉に詰まった。マローリンの声は更に大きくなる。
「わしを誰だと思っておる? 世界に名だたる希代の大魔法使いじゃぞ。奴らの行動を支配することなど、容易いことよ」
あんたが魔法使いだってのが一番信じられないんだって……。
「おお、さすが先生!」
一方ローレンは素直に感心していた。ウルドは急にローレンがこの軍隊の指揮官であることに不安を覚えた。——先輩ってこんな単純な人でしたっけ?
「ぐ、具体的にどうするつもりだ」
「細かいことは説明が難しいが。まあ、お前達は心配せずわしに全て任せよ」
予想していたが、いつも通り具体的なことははぐらかした。
「そもそも、魔法が使えるなら、敵をおびき寄せるとかまどろっこしいことなんてせずに、敵を全部ぶっ飛ばしてくれりゃあいいじゃないか」
「……」一瞬だけマローリンの口が止まった。「ああ、そうしてやりたいのはやまやまなんじゃが、わしの魔法は誰かを物理的に傷つけるタイプではなくてのう」
マローリンは声を出してカッカッカッと笑った。普段から作り物っぽい表情と笑い声だが、今はいつも以上に作り物っぽく聞こえた。
結局、作戦の柱の一つである陽動側を突いてみたが話は平行線を辿った。これ以上はできる、できないの水掛け論争になってしまい話が進まない。ローレンとその他隊長兵士達は黙ってウルド達の議論に耳を傾けていたが、彼らは心の中でマローリンを応援していることは明らかだった。——貴方達の安全も考えて今このペテン師と戦っているのに、あんまりじゃないか!
チェドはウルドとマローリンへ交互に視線を移している。唯一の常識人だと信じていたヘレーネはいつの間にか机の上でうつ伏せになって「クークー」と寝息が聞こえてくる始末だ。外からは食事の匂いが漂ってくる。昼過ぎから始まったテントでの話し合いは既に数時間に及んでいた。さすがに疲れてきたが、国王軍兵士のため、なにより自分のため、ここで倒れるわけにはいかない。
ウルドは作戦のもう一つの柱である潜入側に話を移した。
「じゃあ、潜入の方はどうする。誰が潜入するんだ。異形のモノ達の溜まり場に少数で攻めるなんて、正気の沙汰じゃないだろ」
潜入ということは実行部隊は少数にならざるを得ない。その状況で単体の戦闘能力は圧倒的に上回っている異形のモノと戦うなんて、どう考えても分が悪すぎる。参謀部が陽動潜入作戦を立案しないのも当然である。陽動にしろ潜入にしろ実行できる人がいないのだ。
「言われてみれば」
ウルドの言葉にローレンはまたしても今気づきました、という反応を見せた。——周りが見えなさすぎです、先輩。
「しかしウルド。先生は当然検討済みに決まっているだろう、ですよね先生?」
ローレンの言葉にマローリンは一瞬たじろいだ様子を見せた。しかしすぐに顔をぶるぶるっと震わせ、「む、無論じゃ」と、小さく答えた。
「おい、明らかに今気づいたって顔だぞ」
その様子を見て、ウルドが冷静に突っ込む。
「そ、そんなことはない。わしは適任者を知っておる」
「誰だ?」
そう言った後、ウルドは後悔した。——言ってはいけない言葉を口にしてしまった!
そして予想通りの答えが返ってきた。
「もちろん。若いの、お前じゃ。親衛隊でも一、二を争う剣豪、一人で竜にも立ち向かう勇気。お前をおいて適任はおらんじゃろ。なにしろ、わしはお前を【信じて】おるからのう」
このジジイ、さっきのやり取りを逆手に取りやがったな。
「確かに。ウルド、お前なら」
ローレンもマローリンの案に賛同する。
「断る!」
ウルドは即答する。——冗談じゃない、俺だって命は惜しい。
マローリンは驚愕の顔を見せた。……明らかに演技だ。
「お前、親衛隊として、国王陛下と国民に尽くすことこそ義務であろう。国王陛下と国民のためなら命も惜しくない。それが親衛隊ではないのか?」
「くっ」
ウルドにとって反論しにくい話題で攻めてくる。今度はこちらが守る番だった。
「この一戦にトウマ国の命運がかかっていると言っても過言ではなかろう。ここで国への忠誠心を見せなくて、何時見せるというのじゃ!」
「それなら軍隊も一緒だぞ。軍の中からふさわしい者を探せばいいだろ」
そうだ、そもそもこの戦いの主体は軍隊。ウルドの任務はあくまでチェドをここへ送り届けることだ。
ウルドは期待の眼差しでローレンを見つめる。ローレンも軍としての責務とプライドがあるはず、何よりかつてはウルドの上官。可愛い後輩にそんな危ない仕事をさせるはずがない。仕事は軍側で受け持つと言ってくれるはずだ。でなければ、この作戦自体を諦めることになる。
テントの中の全員がローレンを注目していた。ローレンは顔を引きつらせ、小声で答えた。
「……俺の部下にそんな危険な真似をさせられるか」
「じゃあ、やっぱりこの作戦は却下だ!」
勝った。ウルドは心の中で小躍りした。遂にあのジイさんに勝ったぞ。
しかし次のローレンの言葉に耳を疑った。
「ウルド、この重要任務、お前に任せたい!」
ウルドは唖然とする。文字通り開いた口が塞がらない。何を言っているんだこの人は。
「部下を心配するなら、後輩である俺のことも心配して下さい」
「いたずらに部下を失ったら、俺の信頼が失われる。そうしたら……出世にも響く」
本音が出たな、先輩。やっぱりこの人も出世がしたいんじゃないか。
しばらくウルドとマローリン、ローレンの間で睨み合いが続いた。
沈黙。
日が傾き始め、隣のテントの影が長く横たわっていた。夕食の香ばしい匂いがますます強くなってきた。喉も乾いたしお腹も空いてきた。
「あ、あのう」
思わぬところから、何時終わるともしれない睨み合いは終止符を打たれた。
チェドがおずおずと手を上げている。
「え、英雄殿。どうされました?」
ローレンが声をあげる。
久しぶりの発言だった。結局チェドは挨拶しかしていなかったような。
テント内の全員がチェドに注目する。ヘレーネ一人だけ船をこいでいて、完全夢の世界に旅立っていた。
チェドはテント内の人々の視線を感じて一瞬肩を震わせた。そして大きく深呼吸をする。しかし力みすぎて逆に咳き込んでしまった。
「だ、大丈夫か」
ウルドの言葉に、チェドはこくりとうなずいて、もう一度深呼吸をする。
ようやく落ち着いたチェドは、ウルド、ローレン、マローリンを順に見る。そして再びウルドに視線を戻した。
「ぼ、僕が行きます。砦に」
ウルドとローレンが同時に飛び上がった。
「何を言ってるんだ、お前」「そんな危険こと、英雄殿にやっていただくわけにはまいりません」
「この戦い。僕の為。僕が剣を持つ為に。なら僕が行かないと」
ウルドとチェドの目が合う。見るからに弱々しい風貌で言葉もたどたどしいが、朱色の瞳は力強い光を宿し、その意思を示していた。ホイリヨ村での竜退治を引き受けた時など、時々見せる、言葉より雄弁に強い意思を感じさせる目。
しかし、だからといって「じゃあお願いします」とは言えない。
「別にこの戦い、お前の為じゃない」
「そうです、軍として、砦奪還は必要な作戦です。それが剣奪還とたまたま重なっただけであって……」
ウルドとローレンが口を揃えてチェドに考え直すよう訴えた。
「これは、僕の戦い。僕の使命」
しかしチェドは頑として譲らなかった。
「それに、陽動作戦で、砦は逆に安全。僕、マローリンさんを信じてるから」
チェドはマローリンの方を見る。マローリンは真一文字に口を結びながら、横目でチェドを見ていた。そして、
「さすが、英雄の末裔。どこかの軍人さん達とは違うのう」
と、ウルドとローレンに向かって当て付けがましい言葉を吐く。
「「くっ」」
ウルドとローレンは言葉に詰まる。
「我らが英雄様はこうおっしゃっておるが、お前達どうする」
マローリンが勝ち誇ったように、ウルドに向かって意地悪そうな笑みを浮かべた。
結局こうなるのか。やはりあのペテン師ジジイに良いように操られている気がする。
ウルドはわざとらしく大きくため息をつくと、チェドの顔を見る。チェドは懇願するような目でウルドを見ていた。
「……分かった。こいつを守るのが俺の任務だ」
その瞬間、チェドの顔が明るくなる。その表情が妙にまぶしかった。
と同時に、チクリとウルドのこめかみが一瞬痛んだ。——まただ。また痛い。変な病気じゃないだろうな。
マローリンが両手をパンと叩いた。
「決まりじゃな」
マローリンが勝ち誇った様子で宣言する。やっぱりいつかこいつに天誅を下してやる、ウルドはそう思いながら歯ぎしりする。
「あれ、やっと終わったん?」
こちらも久しく聞いていなかったヘレーネの声がした。今までの緊迫した状況から想像もできない間の抜けた声に、全員がすっ転びそうになった。そんな様子を気にすることなくヘレーネは大きく背伸びをする。
「そろそろ夕食かしら」
テントにいた全員のお腹からぐうと音が鳴った。
□ □ □ □ □
翌日、ウルドはローレンに付き従って、隊の宿営地を案内してもらった。
「これを見てみろ」
そう言ってローレンは、ウルドに棒状の物体を投げ寄越した。
「なんですか、これ?」
ウルドは受け取った筒状の物をまじまじと見つめる。武器であることは明白だが今まで見たことがなかった。細長い鉄製で筒状の形をしている、一端はへの字に緩く曲がっていた。
「最近開発された銃という武器だ。弓矢と同じく飛び道具だ」
「へえ」
ウルドは銃と呼ばれた武器をじっくり観察する。火薬によって筒から弾を発射して敵を攻撃するという。
「殺傷力も、飛距離も弓矢以上だ。今回の戦いの為に特別に使用許可が出たんだ」
そう言ってローレンは、もう一丁銃を取り出すと射撃の構えをする。
「今この場にあるのは百丁。数を揃えられれば、異形のモノとも今まで以上に戦えるようになるはずだ」
ウルドもローレンに見習って銃を構えてみる。ずっしりと重く動きにくい。ウルドは剣や槍など近距離の武器の扱いは得意だったが、弓矢などの遠距離武器は苦手だった。この銃とやらもしっくりこない。
「この銃で戦場は変わるはずだ。今までのように剣や槍やらで戦う、ましてや棍棒なんかで殴り合う時代は終わりだろう」
本当だろうか、ウルドは首を傾げる。こんな重くて弓矢以上に扱いにくい、それに話によると一発打つと次の発射までには時間がかかる、更に雨の日は使えないなど制限が多いらしい。そんなものが普及するのだろうか?
「その顔は疑っている様子だな? 嘘だと思うなら明日の戦闘じっくりと観察するがいいさ、ってお前は潜入部隊だったな」
砦への攻撃作戦は明朝。マローリン立案の陽動潜入作戦が採用された。潜入部隊に任ぜられたウルドとチェドは今日の深夜に砦裏手へ向けて出発する予定だった。
今、攻略隊の宿営地は明日の戦いに向けて準備の真っ最中である。ローレンとウルドは視察を兼ねて宿営地を歩き回っている。その他の連中は各々好き勝手やっていた。マローリンは休憩中の兵士や労役でやってきていた男達を片っ端から捕まえて、英雄チェドの冒険譚を熱心に語っていた。ヘレーネは丁度近くに小さな遺跡があるらしく、チェドを連れて見学へ行ってしまった。どいつもこいつも緊張感に欠ける。
「まあ、もっと肩の力を抜け、ウルド。久しぶりの実戦だってことは分かるが」
「いや、そんなに緊張しているつもりは……」
戦う、という行為について緊張しているつもりはなかった。なにせ、ここへ至る道中、主にマローリンのおかげで竜と戦ったり盗賊団と戦ったりと戦闘の連続だった。このわずかな時間に限って言えば、兵士達の中で一番戦闘を経験しているかもしれない。
ウルドの一歩前を歩いていたローレンが急に立ち止まった。周りには誰もいない。気づいたら宿営地の外に出てしまっていたようだ。
「お前、変わったな」
ローレンはそう呟いて振り返る。厳しい視線をウルドへ向けた。突然の変化にウルドは戸惑う。
「……変わりましたか、俺?」
親衛隊に配属されて二年弱。色々あった。変わったかもしれない、でもウルドにはそこまでの自覚がなかった。
「ああ変わった。お前、昔はもっと、こう……」
「こう?」
「……なんて言うか、熱かったな」
熱い?
ローレンはふと上を向く。ウルドもつられて空を見上げる。雲一つない晴天。その青く澄んだ空を一匹の鷹が飛んでいた。
「そう、熱かった。もっと何事も真剣で、今のようなそんな目じゃなく、希望に溢れるような眼差しで」
そうだっただろうか? そんなに時間は経っていないはずなのに、思い出せない。訓練生時代何を考えていたのか。
「今でも真剣ですよ。でなければこんなところには来てません」
ウルドの言葉にローレンは目を細めた。寂しそうな表情だった。
「そうか。ならいいんだが。……でも少なくとも、人の意見を頭ごなしに否定するような奴じゃなかったと思うが」
昨日のマローリンとのやり取りのことか。
「あれは、あのペテン師が滅茶苦茶な作戦を言うものだから」
「なんて畏れ多い。あの人はこの部隊の大恩人だぞ」
もうローレンの中ではマローリンの作戦が成功したことになっていた。——駄目だこりゃ。
二人は再び宿営地目指して歩き始めた。遠くで槍や先ほど見た銃の扱いを訓練している兵士達の姿が見えた。その姿を見ていてウルドがふと思い出す。
「先輩、昨日の会議で、兵士が十分動員できなかったって言ってましたね」
「……そんなこと言ったか?」
「言ってました。今戦局って実際どうなっているんですか?」
一度聞いておきたい問題だった。王都で親衛隊の仕事をこなしている時は戦争とはほぼ無縁だった。チェドやマローリンを連れてここへ来る途中もそれほど戦争の現状については十分な情報はなかった。今後の行動にも関わることなので、ちょうどいい機会だ、整理しておきたい。
「十分な数が動員できないってことは、思った以上に戦局は悪いんでしょうか?」
ローレンはしばらく沈黙する。視線を下に落として考え込んでいるようだった。
ウルドはしばらくローレンの言葉を待つ。ローレンは意を決したようにウルドへ向いた。「あくまで、噂だが」そう前置きして、ローレンは話し始めた。
「異形のモノ達との戦いは、お前の認識通り小康状態にある。大規模な戦闘はここ数ヶ月行われていない。時々小競り合いがある程度だ。これから俺達が砦を攻撃するが、戦いの規模だけ見ればそれほど大きな戦闘じゃない。もちろんその意味の大小は別問題だが」
「だったら何故、もっと戦力をここに集結できないんでしょうか? そうすれば、マローリンの危ない作戦を採用するまでもなく、砦を攻略できると思うのですが」
「そうしたいのはやまやまさ。周辺の部隊を集結させて一気に砦を攻めたいところだ。でもそれが難しい。前も言ったかもしれんが、最近再び異形のモノ達が活発化している。参謀部によると大規模な作戦の前触れではないか、とのことだ。それを警戒して部隊が動かしにくくなっている」
それでも、と、ウルドは思う。中途半端な運用の方が危険ではないだろうか。
「お前の言いたいことは想像がつく。今のは理由の半分だ。実は、異形のモノ以上に厄介な問題が発生しているって噂だ」
厄介なこと? 異形のモノ以上に重大な事件などあるのだろうか?
なんですか、とウルドが問うとローレンは再びためう様子を見せた。しかし最終的には他言するなよ漏れると兵達が動揺するから、と念を押したうえで教えてくれた。
「属州に不穏な動きがあるらしい」
「属州?」
ウルドは反芻する。……また属州か。最近割と耳にする。
「この国が異形のモノと戦っているのを見て、属州の一部に独立運動の機運が高まっているらしい。特に動きが激しいのがガサ属州で、そこの動きを警戒して軍の四分の一近くが動員されているって話だ」
「四分の一!」
数の多さにウルドは思わず驚きの声をあげた。相当な緊迫状況であると想像できた。
「戦いは、異形のモノ達だけじゃないってことだ。だから軍としてはお前や英雄殿の力が必要なんだよ」
ローレンはウルドの肩に手をかけ、にやりと笑う。
「頼むぞ、後輩」
「……あ、は、はい」
しかし思った以上に厄介な話だった。多くの物語にあるような、英雄様ご一行が魔王を打ち倒して国は平和になりました、めでたしめでたし、とはいかない、そんな気がしてならなかった。
□ □ □ □ □
朝靄がかかる中、ウルド達はハクラのお砦の裏にそそり立つ岩山の中腹にいた。そこからは砦の全容とその先に広がる平野が一望できた。
砦への潜入部隊として組織されたのは、ウルドとチェド、そしてオリバーという国王軍の新米兵士だった。
……三人、だと。
本当はもう少し同行させるとローレンは言ってくれていた。しかし、
「いや、潜入の人数は少ない方がよい。目立つからのう。それに陽動部隊に一人でも多く人を配置し、戦いに備えるべきじゃ」
そう言って、マローリンが断りやがった。潜入部隊でないにも関わらず、だ。マローリンの言葉を妄信しているローレンはすんなりとその提案を受け入れた。ウルドに発言権はなかった。
結局、国王軍から一名だけウルド達に同行させることになったが、誰一人志願する者はいないのではないかと危惧された。しかし予想に反して志願者が続出した。彼らは英雄様のお供ができるなら「たとえ火の中水の中」と口を揃えて言ってくれた。その中でじゃんけんに負けたのが、今ウルドの左脇に控えているオリバーという青年だった。……何故人選がじゃんけんで負けた奴なのか、と細かいことはこの際言うまい。
潜入部隊は深夜に出発した。月の光もない真っ暗な中、砦の裏に回るため足場の悪い険しい岩山を進んだ。潜入にはあつらえ向きな暗さだったが山歩きには向いていない。何度か崖に足を踏み外しそうになり、危ない状況も何度かあった。それでもけが人を出すことなく、夜明け前に予定の砦裏まで四人はたどり着くことができた。
……四人、だと。
「はやく、異形のモノ姿現さないかなー」
ヘレーネは小型の望遠鏡を砦に向けて覗き込んでいた。
この女、無理矢理付いて来やがった!
「だって、潜入部隊に付いて行った方が異形のモノを近くで見れそうじゃないー」
これが同行の理由だった。学者魂恐るべし、もはや何かに取り憑かれているのではないか、とすら思う。
「もっと頭を低く、あと静かに。見つかるぞ」
ウルドは観察に夢中になっているヘレーネの頭を抑える。
「痛い、痛い、なにするのお義兄さーん。分かったから、髪引っ張らないでー」
ヘレーネはそう言って望遠鏡を覗いたまま片手でブロンドの髪を整える。
そんな嬉々とした様子のヘレーネと対照的に、新米兵士のオリバーは震えていた。朝の寒さの為ではない。ウルドは右脇に控えているチェドに視線を移す。こちらは震えこそしていなかったが体はガチガチに堅くなっていた。……荷物が増えただけじゃねえか、とウルドは嘆息する。
しかし、この中で一番やる気がないのはウルドかもしれない。この二人(ヘレーネはそもそも目的が違うから除外する)が今回の作戦をどう思っているかは分からないが、ウルドは全くと言っていいほど自信が持てなかった。普通に考えて、戦力が劣っている状態で敵が砦から出てくるなんてあり得ない。それにもし陽動がうまく行ったとしても、砦内の防備が依然として高い可能性もある。
潜入が無理だと分かったら、ウルドの判断で撤退することは了承済みだった。誰も犬死なんてしたくないし、させたくもない。
ウルドは岩陰に身を隠しつつそっと砦の様子を伺う。砦は三層構造で、黒く汚れた石レンガが、建物の長い歴史を感じさせた。見張り用のバルコニーに幾つか明かりが見えるだけで、ウルド達の方向からはバルコニーに何かいるかどうか確認できなかった。砦の小さな窓の中も真っ暗で、中の様子は分からない。
ウルドは頭の中で砦の構造を思い出し、予定経路を何度も脳内で予行練習をする。砦の見取り図は出発前に頭に叩き込んだ。潜入後、どれだけ無駄なく行動できるかが作戦成否の鍵である。
「ウルドさん。夜が明けます」
オリバーが平野の方を指差す。それと同時に、朝日を浴びた平野が黄金色に染まり始めた。一方岩山の影にある砦はまだ薄闇色に覆われている。そして遠くから、日の光を反射して白金に輝く一団が砦に近づいてくる。ローレン率いる本隊が時間ぴったりに到着した。
急に砦から大きな動物の鳴き声のようなものが聞こえ始めた。そして次々と窓から明かりが漏れ出す。ウルド達はじっと待って様子を伺う。
国王軍が砦から十分な距離を取ったところに布陣する。敵方もゾロゾロとバルコニーに現れ始めた。
「きゃー、来た来た。本物! 生きてる! 動いてる!」
望遠鏡を覗いたままヘレーネが絶叫する。ウルドは慌ててヘレーネの口を塞いだ。
「頼むから静かにしてくれ、奴らに見つかる」
「はうはう、……はがった」
ヘレーナが何を言っているか分からなかったが、ウルドの言葉にうなずいたので手を離してやった。彼女は再び望遠鏡で覗き込む。「凄い凄い」と今度は小声で呟きながら舌なめずりをし始めた。それを唖然と見つめるオリバーとチェド。——こんな女性を見て彼らは女性不審になったりしないだろうか、いやその前に自分がなりそうだ。
ウルドは再び砦に目を向ける。異形のモノ達は砦のバルコニーに群れをなし、国王軍を見下ろす形で対峙する。異形のモノは噂通りの巨体で、紺青色の皮膚、体毛は一切生えていない。それぞれ防具をまとっているが、革製と思われる肩当てや胸当て程度の簡素な物であった。武器も大きな棍棒を持っているだけで、国王軍の武器や防具に比べれば大きさ以外は原始的なものだった。
ざわざわと砦はますます騒がしくなっていく。
国王軍の一団から一騎前に進み出てくる者がいた。ウルドも個人用の小型望遠鏡で覗き込む。
マローリンが単身砦に向かって進んで行くではないか。
「何考えてやがるんだ、あのジジイは」
マローリンは砦と国王軍の中間辺りまでやってきたところで馬を停めた。そして砦に向かって大声で話し始めたようだ。しきりに口や手を動かしている。「代表を出せ」と言っている。
砦に望遠鏡を向けると、バルコニーにいた一団から一体、他に比べると多少立派な鎧と兜を身につけた異形のモノがバルコニーの端に進み出た。あれが隊長だろう。
「そこの異人よ」異形のモノ隊長はマローリンに向かってそう叫んだ。「貴様、何者」
発音は酷いが一応人語だった。ウルドは再びマローリンの方へ望遠鏡を向ける。
「ふん、人に名を尋ねる時は先ずは自ら名乗るものじゃ」
典型的な挑発態度だ。いくら相手が異形のモノだとしても、自分から代表を呼び出しておいてその言葉はないだろう、と思う。
「我が名は、さたるひこ」
しかし、異形のモノ隊長は律儀にも名を明かした。……敵ながら、紳士だ!
「わしの名はマローリン。この世に知らぬ者なし、大魔法使いじゃ!」
その言葉にバルコニーに集まっている異形のモノ達が一気に騒ぎ出す。さたるひこと名乗った異形のモノ隊長は手に持っていた棍棒を振り上げて言った。
「魔法を使える異人は滅んだはず。嘘を言うな」
ウルドは一人うんうんとうなずく。——普通はそう思うよな。いたって当然の反応だ。異形のモノの方が常識度は高いんじゃないか?
マローリンは大声で笑っていた。
「嘘ではない。魔法は生きておる」
「では、証拠を見せよ」
さたるひこの言葉にマローリンはしばらく黙っていた。敵も味方も全員の視線がマローリンに注がれる。
「……ところで、さたるひことやら」
あ、話を逸らしやがった。
「お前達、そんな狭い砦に引きこもって恥ずかしくはないか?」
「どういう、ことだ?」
異形のモノ隊長は首を傾げた。
望遠鏡でマローリンと異形のモノのとのやり取りを見ていたウルドに、オリバーが声をかけてきた。
「マローリン殿は何をなさっているのですか?」
ウルドも望遠鏡を覗いたまま答える。
「やつらを挑発してるみたいだな」
「なるほど、奴らを激高させて、砦から外に出させるのですね!」
オリバーは感心していた。一方ウルドは訝しむ。果たしてこんな方法で相手は挑発に乗ってくるのだろうか。見たところさたるひこと名乗った異形のモノ隊長は決して頭は悪くなさそうだ。冷静にマローリンを対処している。
「恥ずかしくない、とはどういうことだ?」
異形のモノ隊長はもう一度マローリンに問う。
「そのままの意味じゃ。わしらよりもずっと強いお前達が、少し頭数が少ないからと言って、そんな砦に籠って怯えているのじゃ。これを笑わずにいられようか!」
もう一度マローリンが笑った。それに呼応してマローリンの後ろに控えている兵士達も一斉に笑った。示し合わせていたらしい。砦を囲う山々に笑い声が反響する。
突然「ガハハ!」とウルドの隣のオリバーまでもが大声で笑い始めた。ウルドは慌ててオリバーの口を塞ぐ。——さっきからこんな役ばかりだな。
「何笑ってんだ、お前。見つかるだろ」
「いや、仲間が笑ったもので、つい反射的に」
こんな時まで軍隊特有の連帯意識を保とうとするんじゃない。
果たしてマローリンの嘲笑攻撃は異形のモノに効いたのだろうか、ウルドは砦に意識を戻す。さたるひこは依然として冷静なままだった。
「異人共め。そうやって我らを挑発しても無駄だ」
「悔しくはないのかのう。こんなに笑われて」
マローリンが両手を広げて一際大声で笑う。しかし異形のモノ隊長は全く動じる気配はない。
「我らが大義、魔王様の忠誠の前に、些細な誇りや羞恥心など取るにたらん。この砦にいる限りお前達は我らに手出しできまい」
そう言って今度は異形のモノ隊長が笑う。それに合わせて他の異形のモノ達もブタの鳴き声のような笑い声をあげた。
どう見てもマローリンの挑発作戦は失敗だ。そもそもこんな程度で挑発できるなんて考える方がどうかしている。とにかくこの作戦自体が中止。早めに撤退をした方がよいだろう、ウルドがそう思った時、マローリンが再び異形のモノ達に叫んだ。
「お前の母ちゃん、で、べ、そ! お前の父ちゃんも、で、べ、そ!」
その瞬間、砦の雰囲気が変わった。砦全体が震えたような気がした。いや、バルコニーに集まった異形のモノ達が全員わなわなと震えていたのだ。異形のモノ達の顔色に黒みが帯びてくる。明らかに様子が変だ。
異形のモノ隊長は先ほどまでの冷静な態度から一変、目はつり上がり、口を大きく開けて歯ぎしりしていた。
「口先ばかりの異人め、言わせておけば。我らの誇りであるご先祖様を愚弄するとは、許さん!」
異形のモノ隊長は吠えた。それに続いて異形のモノ達が次々に声高く吠える。その凶暴な叫び声にウルドは少しだけ怖くなった。周りを見ると、オリバーは耳を塞いで震え、チェドも冷や汗をたっぷり流していた。ヘレーネは相変わらず嬉しそうに望遠鏡を覗きつつ何やらメモを取っている。
そして異形のモノ隊長が叫んだ。
「あの異人の首を打ち取れ! 報酬は望みのままぞ!」
それを合図として、砦から異形のモノ達が雄叫びをあげながら平野に向かって一斉に飛び出していった。青い固まりが一丸となって平野にいるマローリンに向かって突き進んでいく。バルコニーには異形のモノ隊長を残すのみである。
マローリンは異形のモノ達が砦から飛び出してきたのを見ると、悠然と馬を反転させ本隊の方へ戻っていった。マローリンの高笑いが木霊した。
理解の範疇を超えている。ウルドの常識が音を立てて崩れ落ちていく。ウルドは唖然としてその光景を見つめるしかなかった。……夢を見ているのか?
チェドが音も立てず、すっと立ち上がった。チェドの動きに全員が我に返る。放心している場合ではなかった。チェドに続いてウルド、オリバー、そしてヘレーネも立ち上がった。
「え、ヘレーネさん。やっぱり付いてくるの?」
てっきりこの岩場で見学するだけだと思っていたのだが。
「もちろーん」
そう言ってヘレーネは白い歯を見せて笑う。その笑いが異形のモノの叫び声よりも怖かった。
□ □ □ □ □
頼りなさそうな新米兵士オリバーと、やる気は人一倍あるが戦力としては最も期待していないチェド、そして戦闘員ですらないヘレーネを引き連れて砦の裏口へ到着する。——遠足じゃないんだぞ、これは……。
音を立てないようにゆっくりと裏口の門を開く。生暖かい風がウルドの頬をかすめた。そして獣のような匂いが漂ってきた。
砦内はたくさんの松明が焚かれ明るかったが、物音一つ聞こえず生き物の気配は感じられなかった。だが、何時目の前に異形のモノが現れるか知れたものではない。目的のウエンリハトが保管されているはずの倉庫へ一刻も早く向かいたい気持ちをぐっと堪えて、足音を立てないように慎重に歩を進める。
暫くすると第二層への階段にたどり着いた。ウルドを先頭にチェド、ヘレーネそして殿にオリバーの順に階段を登る。今砦に響き渡るのは、ウルドとチェドとオリバーが着ている鎖帷子が擦れる音と、時々松明の爆ぜる音だけだった。
「何もいないですね」
階段の半ば辺りまできたところで、オリバーが小声で話しかける。
「本当に全員、平野に出て行ってしまったのか?」
ウルドは前を向いたまま答えた。何をどうすれば、揃いも揃って怒り狂い、後先考えず戦いを始められるのか? まだ信じられない。まるで魔法のようだ……。いやいや、これはマローリンによる罵倒の結果だ。魔法でも何でもない。
階段を登り終えたところで、外から大きな物音がした。ウルド達は丁度近くにあった窓からこっそりと外を覗く。
国王軍と異形のモノ達との戦闘の一部を見ることができた。一丸となって襲いかかってくる異形のモノ達に対して、国王軍は前面に槍歩兵が壁のように隊列を組み、その後ろに弓矢と銃を持った一団が控えていた。丁度銃歩兵隊が異形のモノ達に向かって発砲、銃口から煙が立ち上った。それと同時に異形のモノが数体、バタバタと倒れる。遅れて、砦を囲う山々から発砲音の反響がウルド達の耳に届いた。あまりに大きな音に全員が耳を塞いだ。
この音を聞いただけでも、銃がかなりの威力を有していると想像できた。ローレンが賞賛していたのも納得だ。
しかし、怒り狂った異形のモノ達はものともせず国王軍に突撃を止めなかった。そして槍部隊の壁とぶつかる。異形のモノ達が次々と槍部隊の兵士達を大きな棍棒でなぎ払っていく。兵士達はいともあっけなく吹っ飛ばされていった。そこへ再び大量の矢と銃弾が降り注ぎ、異形のモノ達がまた一斉に倒れていく。それを繰り返していた。
その光景をチェドは息を呑んで凝視していた。唇がわずかに震えていた。
「行くぞ」
ウルドはチェドを無理矢理窓から引き離すと、剣が納めらた部屋に向かって再び歩を進めた。チェドの顔が蒼白になるのも無理はない。今までの所詮数十人程度の盗賊団との小競り合いとはわけが違うのだ。
結局、砦内では全く異形のモノに出会うことなく目的の倉庫にたどり着いた。
平野での激闘と比べると、正直、拍子抜けだった。
倉庫は一際大きな扉できっちりと閉じられていた。この中にウエンリハトがある。異形のモノが移動させていなければ、だが。もしこの部屋に無かったら、砦内を探さないといけないが、それはとても面倒なことになりそうだ。
「実はこの倉庫から、剣は移動されてるってことはないですよね」
ウルドと同じ疑問をオリバーが口にした。
「それは、ないと思うよ」
ヘレーネが即答する。
「なんで分かる?」
ヘレーネはこの砦に来たことも、剣を見たこともないと言っていたが。
「だって、異形のモノはその剣に触れることすら、出来ないって、文献に……」
ウルドとヘレーネの会話のそばでオリバーが倉庫の扉を力一杯押し開いた。立て付けが悪いらしく、扉はギギギと大きな音を立てた。ウルド達はギョッとし息をのんだ。
ウルドとオリバーが緊張の面持ちで辺りを見回す。しばらく耳を澄ませて砦内に動きがないか様子をみたが、やはり何モノかがやってくる気配はなかった。
「心臓に悪いな……」ウルドは大きく息を吐いた。
四人は倉庫の奥へと進む。倉庫はカビ臭い匂いが充満しており、四隅には何に使うのか分からない物が乱雑に置かれていた。異形のモノの略奪を受けたのか、それとも元々この部屋は整理されていなかったのか……。
部屋の一番奥の一角だけ他と様子が変わっていた。広々とした空間に台座が一つだけある。台座の上に一振りの剣が横たわっていた。剣は鞘に納められ、柄と鞘は同じ赤色で所々金の装飾が施されている。そのものものしい雰囲気に、歴史ある寺院を見た時のような神聖さを感じずにはいられなかった。これが英雄ペルが手に入れ、建国物語によれば、剣を抜いただけで異形のモノ達の動きを止め、魔王を屈服させた伝説の剣なのだろうか。
「これが、ウエンリハトなのか?」
ウルドがチェドに向かって尋ねる。
「えっと……」
チェドは口ごもる。どうやら分からないらしい。そりゃそうか。一瞬、英雄と伝説の剣が出会う劇的な展開を期待したが、現実は淡白であっさりしたものだ。
「ところで、台座の周りの黒いシミはなんですかね」
オリバーが台座を指差す。ウルドは台座を見渡した。確かに台座には黒いシミらしきものが大量に付着していた。台座の装飾、ではなさそうだ。
「多分、異形のモノの血、ね」
ヘレーネの言葉に思わず台座から一歩離れた。
シミは時間が経っているようで乾いてる。それでも人間の血に比べてずっと黒かった。
「異形のモノが剣に触ろうとしたんだろうけど、奴らにはこれを触ることができなくて、血が出たってところかね」
何だそれは? 剣に触れない、ということがあるのか?
……ちょっと待て、もしそれが本当なら別に潜入作戦は必要なかったんじゃないか? これはそもそも異形のモノが砦の戦いに負けた時に剣を紛失させないための作戦だったはずだ。
やはりあのペテン師ジジイの作戦など取るべきではなかった。ってヘレーネさん、剣のこと知ってるなら最初に言ってください!
「に、人間は触っても大丈夫なんですか?」
異形のモノの血を見て青い顔になっていたオリバーが震えながら聞いてくる。
「大丈夫、異形のモノだけを拒絶する、魔法具らしいんよ、……多分」
最後の多分って、何だ、多分って。ここは力強く断定してください、学者先生!
四人は剣を見つめたまま動かない。オリバーの顔は相変わらず蒼白で、チェドも怯えた表情だった。ヘレーネも悩ましそうに剣を見ている。
——やっぱりここは、俺の仕事なんだろうな。
意を決したウルドは剣に手を伸ばす。一瞬躊躇したが、鞘を掴んで一気に持ち上げた。
……普通に持てた。全員の表情が安堵に包まれる。
剣の大きさに比べて意外と軽かった。せっかくだからともう片方の手で柄を持ち、剣を抜こうとした。
「ん?」
抜けない。もう一度力を入れて剣を抜こうとする。……やっぱり抜けない。
「抜けないぞ、まさか錆び付いているのか?」
ウルドは剣の持ち方を何度か変えて試してみるが、びくともしない。「抜いてみろ」と言って剣をオリバーに渡す。オリバーも両手で剣を抜こうとしたがやはり駄目だった。再び剣がウルドの元へ戻ってきた。多大な時間と犠牲を払って遂に手に入れた伝説の剣が、錆びていて使い物になりません、だなんてどんな喜劇だよ。とても笑えない。
「僕も、試してみる……」
チェドの両手がウルドへ差し出された。
「おい、大丈夫か? 俺の力でもビクともしないんだぞ。お前の力じゃ……」
そう言いつつも、駄目で元々だと、チェドに剣を放り投げた。チェドはがっちりと両手で剣を抱え込んだが、そのままバランスを崩し転びそうになった。チェドの腕が震え剣がカチカチと音を立てた。
「重い……」
ウルドとオリバーが顔を見合わせる。「重かったか?」「いいえ」視線で二人が会話する。剣の中では軽い方だ。剣が抜けたとしても、この英雄様に果たして使いこなせるのだろうか?
その時、倉庫の入り口からドンと大きな音が聞こえた。ウルドはとっさに扉の方を向き、身構える。
扉から真っ青な何かが見えていた。青い何かがゆっくりと扉から入ってくる。何モノかは扉を窮屈そうに通り抜けた。
異形のモノ。
さすがに全員が外に出て行ったわけではなかったようだ。
倉庫に入ってきた異形のモノは、他の異形のモノと同じく革製の胸当てと腰鎧を装着し、手には大きな棍棒を持っていた。
「ひっ!」チェドが小さく悲鳴を漏らす。
「……あ、あ」オリバーが歯と膝をガタガタと震わせている。
「キャー、遂にこんな近くで!」ヘレーネが黄色い声をあげている……。
異形のモノは四人の姿を捉えた。
「侵入者?」
異形のモノはくぐもった声を発すると、棍棒を振り上げ、行く手を阻むガラクタの山をなぎ倒し、一直線に向かってくる。
「逃げろ!」
ウルドはそう言うが早いか自身の剣を抜き、異形のモノに向かって突っ走った。近づいてくるウルドに異形のモノは棍棒を力一杯振り下ろす。ウルドはその攻撃を難なくかわし、異形のモノの側面へ回り込む。そして脇腹目がけて剣を突き出した。
次の瞬間、ウルドの体は宙に浮いていた。
ウルドの突撃に対して異形のモノは素手で剣を払っていた。その勢いでウルドは剣ごと吹っ飛ばされていたのだ。
声を発する暇もなかった。ガラクタの山の上に仰向けに体を叩き付けられる。大きな音を立ててガラクタが四方に散らばった。遅れて根元から折られたウルドの剣が地面に落ちた。
「がは!」
ウルドは咳き込む。錆びた鉄のような不快な味が口一杯に広がる。ガラクタの山に叩き付けられたせいで体中が痛い、特に剣を持っていた右手首の痛みと痺れが酷かった。
なんて馬鹿力だ。
異形のモノはゆっくりとウルドへ向かって近づいてくる。ウルドも体中の痛みに堪えてよろよろと立ち上がる。
さすがにこれは危ない。
今まで何度か死にそうな目にあったが、今の危険度は最上級だ。体中が粟立った。歯を思いっきり食い縛るが足が今にも震えだしそうだ。
「こっちだ!」
その声に異形のモノが背後を向いた。ウルドも声の方向に目を向ける。
そこにはオリバーとさすがに今の状況に恐怖を感じ始めたヘレーネが、二人寄り添って震えていた。そして震える彼らの前にチェドがいた。
チェドは両手で剣を抱えて、全身が恐怖で震えながらも異形のモノを必死に睨みつけている。
やめろ、逃げろ。そう声に出そうとしたがウルドは声が出なかった。それどころか胃酸が逆流してきて再び咳き込んだ。
チェドは異形のモノを睨む。異形のモノはゆっくりとチェド達三人へ向かって歩き始めた。
「殺す、殺す。異人共はみんな殺す!」
異形のモノのくぐもった声が倉庫内に響く。オリバーとヘレーネが目をつむりその場にしゃがみ込んだ。
恐らく無意識だったのだろう、とにかく何かにすがりたかったのだろう。チェドは震える手で剣の柄を握った。
剣はあっさりと鞘から抜けた。
その瞬間、部屋の雰囲気が一変した。張り詰めた空気、一気に下がる室温。体は何かに圧迫されたかのように重かった。
異形のモノも含めて全員が、ウエンリハトを手にしたチェドへ注目している。チェドの口がゆっくりと開かれる。
「……おいそこの醜い化物。汚ねえ面をこっちに向けんじゃねえ」
薄暗い倉庫の中で剣の刃が光り輝きチェドの朱の瞳を照らしていた。その瞳は夜行性動物の目のように怪しく光っていた。チェドは異形のモノを見据え、口を大きく開けて笑っている。いつもの大人しい感じは全く感じられない。獲物を前に狂喜する肉食動物のようだった。
壁に寄り添い力なくへたり込んでいるヘレーネ、同じくしゃがみ込み兵士でありながら最早戦いを放棄していたオリバーが唖然としてチェドを見上げていた。
まるで別人だった。
「なんだ、お前?」
異形のモノもチェドの雰囲気に不審に思ったようで、首を傾げた。しかし「殺すー!」と叫びながら棍棒を振り上げるとチェド目がけて振り下ろした。チェドはその攻撃を悠然とかわす。
華奢な体でどうしてそんなに素早く動けるのか、異形のモノは目を見開いた。
「遅えよ、図体だけの豚足のろま野郎が!」
チェドは剣を構えた。
次の瞬間、異形のモノの上半身と下半身は二つに分かれていた。切り口から真っ黒な血を倉庫中にまき散らしながら異形のモノは絶命した。
チェドの顔と鎖帷子は異形のモノの返り血を浴びて真っ黒になっていた。しかし気にする素振りは全く見せず、倒れた異形のモノを無表情に見下ろしていた。そして一言、
「はっ、ゴミくず」
ウルドはただ呆然とする。言葉が出なかった。これは現実か? 夢を見ているのか?
チェドが剣を抜いた直後、雰囲気が一変したかと思ったら、あの巨体を一瞬で切り伏せた。あまりの動きの速さにウルドもすぐには何が起こったか認識できなかった。外見こそチェドだが、明らかに今までのチェドとは雰囲気も動きも違った。血に飢えた攻撃的な目を見たことはない、俊敏な動きをするなど考えられない、短剣すらまともに扱えない奴に目にも止まらぬ剣捌きができるはずない、幾ら敵とはいえ汚い言葉で相手を罵るなんて絶対にしない。
一体、何がどうなったというのか。
……剣。まさかウエンリハト。ウルドはチェドの持っている剣を見る。その刃は異形のモノの血が一切残っておらず銀色の輝きを放っていた。
チェドは血に飢えたオオカミのような目つきでウルドの顔を見た。
「おい、おっさん」
おっさん? おっさんって誰のことだ? ……俺のことか!
ウルドは痺れた右手を押さえながらチェドに一歩近づく。
「次の敵は誰だ?」
チェドはそう言って笑った、残忍な顔つきで。
その雰囲気にウルドは戦慄を覚えた。こいつは楽しんでいる? 戦うことを、いや、殺すことを?
「おい、チェド……。とりあえずその剣を鞘におさめろ。剣を振り回していたら危ないだろ」
ウルドは冷静を装ってチェドにもう一歩近づく。足は異形のモノと対峙していた時よりも激しく震えていた。
「なんだよ、うっせーな……。殺し足りねえ、殺し足りねえぞ! 俺は暴れてえんだよ!」
チェドはウルドを睨む。もう一歩近づいたらウルドも切り伏せられそうな気がした。これ以上チェドに近づくことができなかった。
「……うん?」
不意にチェドが倉庫入口の方を向く。ウルドもつられて入口を見たがそこには何もなかった。しかしチェドはそのまま扉へ向かう。
「そうか、敵はこっちか!」
そう言うや否や、チェドは走って倉庫を飛び出した。
倉庫に取り残されたウルド達。
「な、なんなんですか? あれは」
オリバーが恐る恐るウルドに近づいていた。顔面蒼白、手と足は震え、泣き出さんばかりの表情だった。
「知らねえよ、俺はチェドを追う。お前はヘレーネとここにいろ」
そう言いつけると、チェドの後を追ってウルドは倉庫から駆け出した。
□ □ □ □ □
ようやく砦にも日が差し込み、気温がぐんぐん上がっていく。
砦のバルコニーに出ると、チェドと比較的立派な鎧を着た、先ほどさたるひこと名乗っていた異形のモノ隊長が対峙していた。そしてバルコニーの床には五体の異形のモノが倒れていた。……どうすればこんな倒し方ができるのか分からない。胴体が真っ二つにされたものや、原型を留めていないほどにバラバラになったものがあった。
チェドと対峙している異形のモノ隊長は恐怖で紺青色の顔は白くなってしまっていた。
「その剣、お前が……。使い手が、現れる、など……」
異形のモノ隊長は足を震わせ何やら呟いていたが、ウルドにはほとんど聞き取れなかった。
チェドが一歩近づくと異形のモノ隊長は一歩下がる。人間の少年に対して、その二倍以上の大きさがある異形のモノが恐怖で足を震わせ後ずさりしている光景は、端から見れば滑稽に見えるだろう。しかしウルドは笑えなかった。今のチェドはウルドであっても近寄り難かった。
ウルドはバルコニーの入り口でただ成り行きを見ていることしかできなかった。
遂に異形のモノ隊長はバルコニーの端に追いつめられた。チェドは剣を構える。
「なっさけねえ、これで隊長だなんて笑わせるぜ。じゃあさっさと消えろ、雑魚が!」
その言葉と共に異形のモノ隊長の首が空を舞い、胴体は大きな音を立ててその場に崩れ落ちた。チェドの全身は返り血で真っ黒だ。その手に握られた剣だけが銀色に怪しく輝いている。
チェドはウルドに背を向けたまま平野を見渡した。国王軍と異形のモノ達が戦っている様子が見える。
「あそこにもいっぱいいるじゃねえか。次に俺の剣の餌食になるのはどいつだ? 全員まとめて叩き潰してやる。ヘヘへ……」
チェドは気味の悪い笑い声をあげる。その声にウルドは震えが止まらない。
チェドがバルコニーから地上へ飛び降りようとしたその時、
「おっ」と、小さく驚きの声を漏らした。
それと同時に血まみれの手から剣が滑り落ちた。
……!
その瞬間、ウルドは呪縛から解かれたかのように体が軽くなったように感じた。
チェドは辺りをここはどこだ? といった風にキョロキョロと見渡していた。
先ほどまでの殺気立った雰囲気はなくなっていた。
ここでようやくウルドはチェドへ一歩近づくことができた。しかしまだ心臓の鼓動が速い。緊張していた。
チェドは異形のモノの血で真っ黒になった自身の両手を凝視していた。ウルドは恐る恐るチェドの肩に手を置く。チェドの肩がびくりと震えた。そしてウルドの方を向いた。その目は涙に濡れていた。
チェドはその場に倒れた。