終章
トウマ国中が魔王滅亡の喜びに湧き上る中、第四十四代国王メージェ五世の崩御が伝えられた。
国王軍勝利の報を伝えるために参上した親衛隊の一人が、王宮の謁見の間、玉座の隅でメージェ五世がお倒れになっているのを発見した。発見時、既に息はなかった。確認した医師の診断によると死因はショック死だという。元々心臓が壮健でなかったとのことで、異形のモノとの戦いによる極度の緊張が原因と推定されるが、真相は定かではない。トウマ国民は喜びと悲しみを同時に味わう日となった。
アス宰相は直ちに臨時の閣議を開き、当時外国を周遊していたメージェ五世の第一王子で王位継承序列一位でもあるヒスマルク王子の新国王就任を発表した。メージェ五世崩御の報を聞いたヒスマルク王子もすぐに周遊を中止し帰国の途についた。
しかし、ここで驚天動地の事件が発生する。
異形のモノとの会戦には、建国物語に登場し今なおトウマ国国民が崇拝する英雄ペルの子孫であるチェド=フェヒナーが参戦していた。チェド少年は英雄の再来として国民の期待を一身に受けていたが、決戦の最中に行方不明となっていた。姿を消した理由は王政府発表では、まだ少年であったチェドはその重圧に耐えきれず敵前逃亡した、とのことだった。
しかし何者かが王政府の発表は虚偽であると暴露した。魔王を滅ぼしたのは王政府の発表によると国王親衛隊となっているが、暴露情報によると、魔王を倒したのはチェド少年であり、少年は英雄の活躍を妬んだ国王と側近らによって暗殺された、とのことだった。
この暴露情報は英雄チェドを崇拝していた一部の国民達を激高させた。
彼らはヒスマルク王子の国王就任の延期を訴えるデモを起こしたのだ。王政府が真実を認めるまで、国王就任に反対する、と。
国王就任延期のデモはすぐさま国中各地に広まり、丁度ヒスマルク王子が目指していた国境の街にまで飛び火した。王子はそこで足止めされ王都帰還が不可能となってしまった。
デモの波はますます広がり一部は暴徒化、国王軍が出動するまでに至った。
しかし事件は奇妙な展開を見せる。
国王軍の一部がデモ側に寝返ったのだ。
更にデモはトウマ国からの独立を訴えていた属州の活動家達とも結びついた。
デモと離反した国王軍と属州独立運動が一つとなり、いつしか王家打倒新政府樹立をスローガンとした革命軍へと様変わりしていた。
こうしてトウマ国は国王派と革命派との間で内戦に突入した。
革命派は次々と国王派を打ち破り、遂に王都を陥落させるに至った。国王派の一部は国外へ逃亡したがほとんどは革命派に捕縛された。こうして千年の歴史を誇るトウマ王国は終焉を迎えた。
王都を陥落させた革命軍は臨時政府を樹立、その代表には元国王軍士官で、革命軍を指揮したローレン氏が就任した。臨時政府は新しい議会と憲法制定のため国民投票を実施することを約束した。
新しいトウマ国が始まろうとしている。
ウルドは積み重なった報告書を脇にどける。そして大きなため息をついた。
結局どう転んでもあのペテン師の筋書き通りじゃねえか。そう思うと無性に腹立たしかった。
ウルドは今、トウマ国から遠く離れた浜辺の街にいた。昼下がりの暖かい日差しがウルドの座っているテーブルにまで差し込み、心地良かった。
ウルドの元へ給仕がやってきて、酒の入ったジョッキを手渡した。ウルドは一口飲む。
——旨い、旨過ぎる。やっぱり酒は最高だ。特に真っ昼間から飲む酒は一種背徳的であり、それ故に格別の喜びを感じる。
心地良い気分になったウルドは、目を瞑って決戦の日を振り返る。
あの日、魔王を倒し国王親衛隊達に銃口を向けられた時、さすがにウルドは死を覚悟した。
しかし親衛隊達の銃から弾は発射されなかった。
雨で火薬が湿気っていたのだ。
雨天時に銃を使用するには特別な注意が必要だ、と前にローレンに教えてもらったが、銃の扱いに慣れてない親衛隊のおかげで一命を取り留めた。
慌てふためく親衛隊を尻目に、ウルドはチェドを連れて逃げ出した。彼らは慌てて追いかけてきた。親衛隊達は目を血走らせ、必死の形相で剣を振りかざしていた。しばらく追いかけっこが続いた。銃で狙われるわ、馬で追いかけられるわ、訳が分からなかった。しかし捕まってはいけない、それだけは直感的に分かった。だから無我夢中に必死で逃げた。
しかし、あちらは馬、こちらは足。追いつかれるのは時間の問題だった。彼らはどんどん近づいてきた。親衛隊達に取り囲まれようとした時、今度は空から大きな影が降りてきた。
ウルド達を救ってくれたのは、ホイリヨ村の一件で出会った竜オムレイドだった。
竜は上空から颯爽と地上に降り立ち、近づきつつある親衛隊達に向けて巨大な牙を見せつけ威嚇した。親衛隊は突然の竜の乱入に驚き、そして悲鳴を上げながら逃げていった。
また戻ってくるかもしれない、今はとにかく遠くへ逃げよう、ウルド達はオムレイドにしがみつき、空を飛んで戦場を脱出した。そしてこの浜辺の街にやってきた。今はオムレイドも海岸でのんびりと酒を飲んでいることだろう。
オムレイド曰く、異形のモノの大群が現れたので気になってやってきたら、チェドが変な奴らに追われているではないか。追っているのはどう見ても人間だったが危なそうだったので助けにきた。あくまで英雄の末裔様を助けるために来ただけであって、ウルドを助けるつもりは全くなかった、と言われた。——なんて薄情な竜だ。あの時薬を分けてやったのは俺だぞ。……まあ斬り殺そうとしたのも俺だが。
一方、チェドに対しては借りが返せて良かった、これで父にも顔向けできる、などと恭しく言っていた。ウルドに対する態度とはずいぶん違った。オムレイドの話によると、昔英雄ペルが窮地に陥った時、ペルに世話になった父ゲドレイドはペルを助けることができなかった。今回はその分も含めて恩に報いることができた、そう言っていた。
ともあれ、竜のおかげで命拾いしたのは確かだ。人(竜?)を助けることは回り回って自分を助けることになる、なんて格言があった気もするが、見事にそれが体現されたわけだ。チェドがあの時、竜を助けていなかったら……、と思うと冷や汗が出た。更に言えば、あの時ホイリヨ村に寄っていなかったら……。ウルドの脳裏に灰色の三角帽を冠った自称魔法使いの顔が浮かぶ。……どこまでが偶然でどこまでが仕組まれていたことなのか。分からない。
ウルドはふと山盛りの報告書に紛れ混んでいた資料に目を留めた。そこには「建国物語と異形のモノに関する研究成果を、王立アカデミーのヘレーネ氏とイェニー氏が発表。学会だけにとどまらずトウマ国の歴史を覆す大発見!」と書かれていた。
イェニーとヘレーネはウルド達が無事だということをまだ知らない。さて彼らにどうやって自身の無事を伝えるべきか、と考えていると、ウルドのテーブルに向かってチェドが走り寄ってきた。
「ウルドさん。手紙だよ」
そう言って、チェドはウルドに手紙を渡した。この街に辿り着いて以来、手紙が来ることは初めてだった。誰もウルドがこの街にいることなど知らないはず。果たして誰からだろうか?
チェドも目を大きく見開いて、興味深そうに手紙を凝視している。
チェドの朱色の瞳は午後の日差しを浴びて宝石のように輝いていた。命からがら戦場を抜け出し、浜辺の街に着いて以来、チェドは驚くほど元気になった。話し方こそたどたどしいが、剣を持っていた時のように、暗い表情も見せなければ、旅が始まった直後のように周りに怯える様子もなかった。最近はずっと海で遊んでいるが、その姿は年相応の普通の少年だった。
「誰から、誰から?」
チェドに促されてウルドは封筒を空け、手紙の差出人を確認した。
……送り主は、弟イェニーだった。
どうしてここが分かった! ウルドは目を丸くする。本当に何もかもが誰かの掌で踊らされているような気がした。
ウルドは手紙を読む。そこには短い文書で「俺達、来年の春になったら結婚する。それまでに戻って来い」と実に素っ気ない文章が殴り書きされていた。あと「結婚式にはチェド君も連れてきてね」と小さくて可愛らしい文字が添えられていた。
やれやれあちらは人生順風満帆なことで、ウルドは舌打ちしながら自身の足下を見た。右足が包帯でぐるぐる巻きにされている。異形のモノと決戦の時、知らない間に骨折していたらしい。全く気づかなかった。だいぶ良くなったが全快まではもう少しかかりそうだった。一方チェドは多少の擦り傷こそあったが、ほとんど外傷といえるものはなかった。チェドの方が地面に叩き付けられたりして、ダメージが大きかったはずなのに。これも魔法の剣ウエンリハトのなせる業か、それとも、年齢的な問題なのか……。
「どうしたの?」
ウルドの暗い表情を見て、チェドが顔をかしげた。
「いや、これからどうしようかなあと、思ってな」
イェニーは早く帰って来いと言っているが、状況的に当分トウマ国へは戻れないだろう、ということだけは分かっている。ではこれからどうしたものか。
「まず、怪我を治す」
チェドが厳しい口調で言う。ウルドがまだ十分動けないのでチェドが色々身の回りのことを世話してくれた。そのおかげで最近ウルドに対して諭すような口調になる時がある。
——急に大人ぶりやがって。
「分かってるよ。もちろん怪我が治ってからの話だ」
「じゃあウルドさん、どうしたい?」
質問しようとしていたことを先に質問されてしまった。ウルドはうーんと唸った。
——俺のしたいことか……。
「そうだなあ、もうしばらくここで酒でも飲みながらのんびりしたいな」
「自堕落生活?」
なんて酷い言い草だ! 休息だ! 療養だ! バカンスだ! 命の洗濯だ! いいじゃないか、これまで散々振り回されたんだし、少しぐらい休んだって。有給だってたっぷり残ってる、ってさすがにクビだよな、いや、そもそも親衛隊という組織が今も残っているとは思えない。……じゃあ退職金も無いのか?
ウルドは口を歪めて、ブドウ酒の入ったジョッキを手にしようとする。
「怪我の時、お酒逆効果」
チェドはそう言うとひょいとジョッキを持ち上げた。ウルドの手が空を掴む。
「おい、こら、返せ。怪我には酒が一番ってあの竜も言っているだろ」
そう言ったら、チェドに思いっきり睨まれた。
「……じゃあ、チェドこそお前はこれからどうしたいんだ?」
チェドが手にしたジョッキを未練がましく見つめたまま、同じ質問を返した。するとうーんとチェドも唸り声をあげた。しかしすぐにはっきりとした声で、
「旅がしたい。もっと世界を見たくなった」と、宣言した。
ウルドはジョッキからチェドへと視線を移す。チェドは真っすぐウルドを見ていた。
旅か……。いいかもしれない。今度はこいつと二人旅。本当は相方が適齢で綺麗な女性だったら言うことないのだが、だがまあ悪くない。……もちろんあっちの趣味はない、ということは何度でも強調しておこう。
戦場を離脱する時、竜の背中に乗って空を飛んだ。当然だが初めてのことだった。風を切って空を飛ぶ、気持ちよかった。チェドがうまくお願いすればまた乗せてくれるかもしれない。そうしたら色々面白いことが起こりそうだ。などと考えていたら、外から大きなくしゃみが聞こえてきた。
「いいな、俺も行くぞ」
「付いてきてくれるの?」
チェドが少し驚いた表情をする。——おいおい今更そんな態度かよ。
「ああ、どうせしばらく暇だしな。……それにお前も俺と行きたい」
その言葉にチェドは目を輝かせる。
「ありがとう」
そう言って、チェドは笑った。
ここまでたどり着いてくださったみなさま。叩けばいろいろボロが出てくる作品ですが、最後までお読みいただいてありがとうございました。




