38-さらば、アメリカ(終)
陽の光を遮る高層ビルと重層構造の高架路に囲まれた『ロウワー・ティア』にあって、そこは唯一、まっすぐな朝の光が降り注ぐ特別な場所だった。
大西洋へと開けた港湾エリア。
波間に反射する朝の眩しさを突き破り、岸壁に繋がれた貨物船からカン、カンと重厚な船鐘の音が響き渡り、新しい朝の始まりを告げている。
「厶……みんなは……?」
「途中で酷い渋滞に巻き込まれたらしくてな。『あと十分ほど遅れる』ってさ。どうせ出航まであと二時間もあるんだ。先に船に乗り込んでおこうぜ」
隣に立つサイモンの軽妙な声に、アマディオは静かに頷いた。
脳神経に深い傷を負った身体はおぼつかないが、サイモンが自然な仕草でその肩をしっかりと支えてくれる。二人は一段ずつ踏みしめるようにタラップを登り、甲板へと足を踏み入れた。
二人の隙間を、どこからともなく飛来した一羽の青い蝶がふわりと通り抜けていく。
「……ニッポンに着いたら、あんたはどこへ行きたいんだ?」
甲板の手すりに寄りかかり、サイモンが水平線を見つめながら尋ねた。アマディオは少し首を傾げ、遠い東の国の知っている地名をひとつずつ手繰り寄せる。
「……東京……か。大阪もいいな……あとは熱海……京都、なんかも……」
「ははっ、なんだそりゃ。じゃあ、全部行くか?」
「……サイモン。東京には……雪は降るのか?」
「降るらしいぞ」
「……雪は、好きだ。東京がいい」
二人が乗った貨物船の向こうに、果てしない大西洋の水平線が広がっていた。
アマディオはポケットから最後の煙草を取り出し、口に咥えようとした――だが、強張った指先から滑り落ちた一本の煙草は、朝焼けの海へと静かに落ちていった。
アマディオの肩が、自嘲気味に細かく震える。
「最後の……一本だったのにな」
「そうだぞアマディオ、最後だ。ほら、せっかくだ。何か……言いたいことでもあるんだろ?」
サイモンに促され、アマディオは大西洋の冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに深呼吸した。
そして、去り行く悲劇の過去と、かつて愛した過酷な街へ向けて、静かに声を響かせた。
「……じゃあな、アメリカ――待ってろよ、ニッポン」
アマディオはジャケットの内ポケットに手を差し入れ、一版の写真をそっと取り出した。
かつてパッチの仲間たちがいつの間にか隠し撮りしていた写真――そこには、不器用に佇むアマディオと、その隣で穏やかに微笑むリサの姿が収められていた。
朝日の光にかざされたその写真を、アマディオは愛おしむように見つめた。
「お待たせ、アマディオ! サイモン!」
タラップを登る賑やかな足音とともに、甲板へセッカ、サマラ、そしてミオラが上がってきた。
「……ライルは、来ないんだな」
そこに姿のない男の顔を思い浮かべ、アマディオは彼らしいな、と可笑しそうに笑った。
ミオラが肩をすくめ、大きなため息を吐く。
「ワタシはフィクサー連合に所属するわるい人間ダガ……兄者はCIAの人間ダ。アメリカを離れるわけにはいかないのダロウ。特に、エシュロンを倒して国土を再建する仕事が山積みとなれば、余計ニナ」
そう言いながら、ミオラはポケットから小さな箱を取り出した。
「コレ。兄者から、渡してやってくれッテ言われたモノダ」
それは、アマディオが好む銘柄の煙草のボックスだった。
「……ありがとな」
アマディオは受け取った箱を大切にポケットへ収めると、甲板の縁に止まっていた青い蝶へ、ゆっくりと大きな手を伸ばした。
青い蝶は拒むことなく、アマディオの手のひらの上に静かに羽を休めた。
そして次の瞬間、優しく風に乗って、朝焼けの空へと高く高く飛び立っていった。
アマディオは少し目を見開いた。だがすぐに穏やかに目を閉じると、愛おしそうに口元を綻ばせた。
ライルから贈られた箱から一本を取り出し、口に咥えて火をつける。
紫煙が朝空へと優しく立ち上り、消えていく。
やがて貨物船の雄大な汽笛が大西洋の港中に響き渡り、巨大な船体が波を押し分けてゆっくりと動進し始めた。
過ぎ去りし、血と硝煙の日々に別れを告げて。
大切な人々の温もりと、リサが残した慈しみの心を胸に。
アマディオたちは、新たなる故郷、新たなる未来の光が待つ、東の空へ向かって進んでいく。
(後書き)
完結までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
ヴィジラントは『コテコテのなろう小説作品のコンセプト』で『ハードコアなSFジャンルをやってみたい』という意欲作でした。
この創作を始めてから経過した時間はわずか一年間ですが、それでも毎日この作品に向き合ってきました。なろう小説に掲載した『エンハンスド決定版』は、ぼくの創作者としての思想、性癖、技術、筆力、誇りの全てを詰め込んだ、集大成と言える小説作品になっていると思います。
あらためて最終回まで読んでいただいて感謝です。ありがとうございます。また次回作もよろしくお願いします。
(告知)
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(完結記念 読者からのQ&A)
Q:完結した今、作者ご自身にとって『ヴィジラント』はどのような作品になりましたか?
―A:処女作にして『マスターピース』です。きっとこの先、より洗練された小説作品を書くことはあるでしょう。しかしけっして消えない『熱』がこのヴィジラントに宿っています。
Q:物語の結末は、執筆開始時点から決まっていたのでしょうか?
―A:このエンハンスド版の物語も、執筆開始時点では異なる結末でした。最後のシーンで『リサを救えなかった』と解釈したアマディオは、仲間たちと共にアメリカを去るのではなく、残りの余生をたった一人で戦い続けるという選択を取り、裏社会で登り詰めて行き、犯罪シンジケートのボスとなり、まるで自分が最も嫌悪していたエシュロンのような存在になってしまう……といった結末を考えていましたが、爽やかに終わらせたいと思い、変更しました。
Q:アマディオが本当の意味で変わったと感じるのは、どの場面ですか?
―A:ライバルの傭兵、セッカが無力化されているところに出くわした際、アマディオは彼女を殺害しない選択を取りました。まさにその場面です。アマディオがリサと離れ離れになったり、仲間の死を経験したことで、今まで自分が『仕事』で容易く命を奪ってきたこと、自分の価値観そのものに疑問を抱き始めたのです。
Q:リサがアマディオを生存の基盤に選んだ理由には、どのような感情があったのでしょうか?
―A:リサがアマディオの心にダイブした時、エシュロンに所属する企業兵や科学者とは違う『暖かさ』を感じ取ったからです。
Q:二人の関係を最も象徴する場面はどこですか?
―A:アマディオがリサと街にドライブに出る場面です。アマディオも昔は結婚をしていましたが、病気で死に別れました。孤児院で育ち、子供がすくすくと育つということがどんなにかけがえのないことかを知っていたので、自身の生殺与奪の権を掌握するリサという得体の知れない存在に対して冷酷になり切れないのです。
Q:セッカはアマディオをどのような人物として評価していたのでしょうか?
―A:最初は『悪運のいい標的』程度にしか見ていませんでしたが、自分の命を二度も救ったことで『この男は、この腐った社会には似合わないほど誠実な心の持ち主だ』と考えを改めました。
Q:サマラは二人を実験対象として見ていたのでしょうか。それとも個人的な愛着もあったのでしょうか?
―A:サマラは物語開始時点で、既に『実験』と『良心』がせめぎ合っていました。
彼の身体が本当に余命僅かと知った時、サマラは彼を助けられずには居られませんでした。
Q:ガレス・オブライエンがアマディオに関心を持った本当の理由は何ですか?
―A:かつての自分に似ている、というのが大きいです。ガレスもかつては、卑劣さを嫌悪する真っ直ぐな人間でしたが、戦争や『時代』を経験するごとに人を嫌うようになりました。アマディオは、ガレス自身が老いていく中で、自分の人生の全てである『ガン・フー』を継承してくれた教え子なので、無関心ではいられないのです。
Q:作者が考える「本当に強い人物」とは、どのような人物ですか?
―A:己の弱さを素直に認めることができ、そして逆境の中でも野心を捨てない人。尊敬する人や所属する組織といった他者や環境ではなく、自分自身の理想と信念に忠を尽くせる人。
Q:ネオ・フロンティアの世界観で、読者が見落としがちな重要設定はありますか?
―A:この作品世界はポスト・アポカリプス的な側面も強い、という点です。また、都市全体の何から何までもがネットワークに繋がれているから、プライバシーというものが存在しないということです。
Q:執筆中に追加したことで、物語全体の意味が変わった設定はありますか?
―A:CIAの本格的な介入によるアメリカ政府の存在です。本来の想定では、この事件の裏に何か黒幕がいるということを匂わせる程度の要素だったものが、一気に登場人物たちの根本的な『運命』に関わるものとなってきました。皆が『アメリカ』の上で戦っているのです。
Q:最終話の青い蝶には、どのような意味を込めていますか?
―A:青い蝶は、最終話以前にも度々登場します。これはアマディオの精神にダイブしているリサのメタファーです。また、最終話の青い蝶はユングの『フィレモン』や、ギリシャ語における『プシュケー』の解釈を意識しています。青い蝶は集合的無意識や人間の内面にある智恵を象徴し、またある時には輪廻転生を表すこともあります。
リサとアマディオの数奇な運命は『まだ終わっていない(The Best Is Yet To Come)』ということを表現したいのです。
一度目の青い蝶との出会いで、アマディオは手を伸ばしますが、掴み損ねてしまいます。
最終話では、ついにアマディオの手のひらの上で羽を休めた青い蝶が、しばらくして飛び立っていくのは、リサの天邪鬼な性格を表現しています。
Q:完結後のアマディオと仲間たちは、どのような人生を送るのでしょうか?
―A:東京に行ったアマディオは、もしかしたら、仲間たちに囲まれて幸せな余生を満喫したかもしれません。しかし、東京で新たな戦いに巻き込まれる可能性もあります。その戦いとは、アマディオが『壊す』ために銃を取るのではなく、『直す』ために銃を取るかもしれません。
Q:最後まで読んでくれた読者に、今伝えたいことは何でしょうか?
―A:読んでくれた人の中にも、色々な人がいると思います。夢中になれるものを探している人。興味本位で覗いてくれた人。自分も創作をしていて、何かアイデアを求めている人。
僕が伝えたいことは、何事も挑戦を恐れないで良いのです。ぼくの作品は野心的で、『好きな人には刺さるけど、人を選ぶ』というお言葉をよく頂きます。しかし、ぼくはそのことを恐れずに表現してみました。なぜなら、『ぼくが恐れずに小説を書ききった』ことで、じゃあ私も恐れずにこのジャンルのこのテーマの作品を描いてみようとか、じゃあ私も何か普段読まない作品を読んでみよう、というキッカケにしたかったからです。
理解できなくても構わないのです。本を手に取る時に限らず、恐れずに色々なものに触れて、様々な世界を見て聞いて、もっと人生を豊かに欲しいのです。




