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筆先に踊る白磁の死神  作者: 大須賀隼
共犯者の断罪
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共犯者の断罪

組合の中に、雨音だけが響いていた。カウンターの上に横たえられたセシリアの亡骸。


その首筋から滴る鮮血が、リリアンの愛用する帳簿を赤く染め、文字を滲ませていく。  


アリオスは、喉元に突きつけた剣を、一厘も揺らさなかった。


「お前が、……すべて、書いたんだな。リリアン」


低く、地這うような声。  


アリオスの脳内には、セシリアが遺した情報の改竄という真実が、鋭い楔となって打ち込まれていた。  


情報のハブである受付嬢。彼女がほんの少し「筆」を動かすだけで、現場の難易度は跳ね上がり、必要な対策は隠蔽される。


自分だけが死なないお守りの存在を知りながら、彼女は次々と女たちを自分の隣に送り込み、そして彼女たちが無惨に喰い破られる様子を、このカウンターの裏で楽しんでいたのだ。


「……お前のインクは、もう枯れた。……お前の物語も、ここで終わりだ」


リリアンは、喉元に食い込む刃の冷たさを、まるで恋人の愛撫であるかのように受け入れていた。


彼女の瞳には、恐怖など微塵もない。そこにあるのは、ついに自らの「最高傑作」が真実に辿り着いたことへの、深淵のような慈愛と恍惚だった。



「……枯れた、ですって? いいえ、アリオス様。……物語は今、ようやくあなたという『真実』を手に入れて、完成に近づいているのですよ」



リリアンが、静かに口を開く。


その声は、かつて三日三晩、アリオスの膿を出し続けた時と同じ、安らぎに満ちた調べだった。



「セシリア様は、確かに私の書いた情報の不足によって死んだのでしょう。……でも、アリオス様。他のあの子たちは? ……本当に、私一人のせいかしら?」



リリアンの問いかけに、アリオスの剣が微かに震える。リリアンはその震えを逃さず、獲物の心臓に言葉という名の針を刺していく。


「たとえば、フレイア様。毒虫の対策を『火炎属性のみ』と判断したのは、現場にいたアリオス様、あなた自身でしょう? 経験豊かなあなたが、もし他の可能性を疑ってさえいれば、彼女は焼かれずに済んだはず。……あなたが判断を誤り、彼女を死へ誘導したのではないですか?」


「それは……っ、お前が報告書にそう書いたからだ!」


「いいえ。あなたは私の情報を信じたかっただけ。……考えることを放棄して、私に身を委ねたかった。……幼き勇者の時もそう。再生の兆候を見た時点で、調査書にない情報だと判断し、引けばよかった。それをせず、十二歳の子供に判断を委ね、彼女の背中を押したのは……あなたでしょう?」


アリオスの足元が、崩れ始める。



リリアンは一歩、刃に自らの喉を押し付けるようにして踏み込んだ。



鮮血が白い肌を伝う。



「女戦士のパーティの時も。冒険中にも関わらず、深い眠りに落ちてしまったのは誰? 寝不足を言い訳に、仲間の命を背負う緊張感を捨てたのは……アリオス様、あなたではないですか。……そして、カイル様、ミリー様、ロルフ様。……あなたが、自分の力を誇示するために独りで先行しなければ。少なくとも、誰か一人は生き残れたはずなのに」



アリオスの記憶が、濁流となって彼を襲う。



「死神」と呼ばれ、孤独を嘆いていた日々。


だがその実態は、無意識のうちにリリアンが用意した「安らぎ」に依存し、仲間を救うための最善を尽くさなかった自らの傲慢と怠惰の結果ではなかったか。






「……すべて、私と『あなた』のせいですよ」



リリアンが囁く。その言葉は、アリオスにとって何よりも残酷な真実だった。


彼女が脚本を書き、彼がそれを演じた。


リリアン一人が狂っていたのではない。アリオスもまた、彼女が用意した「悲劇のヒーロー」という役柄に酔い、彼女の元へ帰るための「言い訳」として、仲間たちの死を消費してきたのだ。


「私たちが、彼女たちを殺したの。……ねえ、アリオス様。私たちは、もう二人きり。……この世で唯一、罪を共有できる、魂の片割れなのです」



アリオスの瞳から、光が消えた。


怒りも、悲しみも、もはや残っていない。自分が死神であったのは、運命のせいでも、リリアンの呪いのせいでもない。自分と彼女が、共鳴し合い、作り上げた地獄。それがこの村の正体だった。



(……ああ。そうだ。俺もお前も、生まれてくるべきではなかったんだ)



アリオスは、自らの内にあった人間としての尊厳が、最後の一滴まで枯れ果てるのを感じた。  


「……ああ、そうだ。……お前の言う通りだ、リリアン」


アリオスは、虚ろな笑みを浮かべた。リリアンが、勝利を確信して目を細める。彼女が腕を伸ばし、最愛の人形を抱きしめようとした、その瞬間。



アリオスは、喉元に突きつけていた剣をゆっくりと下ろした。


復讐など、もはや生ぬるい。彼は自らの腰から、一振りの短剣を引き抜いた。



「……お前の書き上げた物語に、俺は付き合わない」



アリオスは自らの頸動脈をめがけて、渾身の力で短剣を突き立てた。



――だが。



カラン



乾いた硬質な音が響くと同時に、アリオスの手から短剣が消えた。




「……っ!?」




数メートル先の床に、音を立てて短剣が転がっている。



アリオスが首を切り裂く寸前、短剣だけが「転移」させられたのだ。



驚愕に目を見開き、自らの喉を触る。



わずかに刃が掠めたはずの傷跡は、見る間に白磁の肌へと吸い込まれ、一滴の血さえ残さず完治していた。




「あ……ああ……」



アリオスは、胸元で淡く輝く「お守り」を握りしめた。 セシリアの最期の治癒魔法。



そして、幼き勇者が遺した転移の守護。 彼女たちがアリオスに授けたのは、救いなどではなかった。



「アリオスに危害を及ぼす全てを拒絶し、死を許さない」



という、あまりに純粋で残酷な、勇者たちの祈りだった。




死神は、自分自身を殺すことさえ許されない。 永遠に磨き抜かれた白磁の器のまま、この地獄を歩き続けろというのか。


アリオスはその場に崩れ落ち、子供のように、情けなく、声を上げて泣き出した。



その慟哭を、リリアンは陶酔しきった瞳で見下ろしていた。 彼女は、血に濡れた床を這い寄り、震えるアリオスの頭を優しくその膝に抱き寄せた。



「……私を殺しますか? アリオス様」


リリアンの声は、かつてないほど甘く、慈愛に満ちていた。


「それとも、私に縋りますか? この広い世界で、あなたの罪を知り、あなたの消えない傷を愛し、あなたに役割を与えられるのは……もう、私しかいないのですよ」


アリオスは、彼女の衣服を汚す自分の血に塗れた手を見つめた。


逃げ場はない。死という出口さえ、アリオスを愛した女たちによって塞がれた。



彼は絶望の重圧に屈し、リリアンの細い腰に腕を回して、その体温に顔を埋めた。


リリアンは満足げに、彼の漆黒の髪を撫でる。




「……書け」




アリオスの掠れた声が、雨音に混じった。



「書け、リリアン。……お前の気が済むまで。俺の身体を、人生を、……好きに汚せ」


リリアンは花が綻ぶように微笑み、アリオスの額に、誓いの口づけを落とした。



「ええ。……最高の物語を執筆いたしましょう。アリオス様」



数刻後。



村の門から、二つの影が静かに出ていった。



一人は、返り血を浴びながらも神々しい美しさを保ったまま、死んだ目で前を見据える青年。



もう一人は、その傍らで、新しい白紙の台帳を大切そうに抱え、弾むような足取りで歩く女性。



組合の廃墟には、もう誰もいない。 ただ、真っ赤に染まったカウンターの上に、役目を終えた一本の羽ペンが、主の帰りを待つように転がっているだけだった。





――筆先に踊る白磁の死神。 これは、終わりなき地獄を往く、二人の「共犯者」の旅立ちの記録である。

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