表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダイヤモンドは壊れない  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/4

第1話 愛されるより、値がつく女



男はよく勘違いする。

高いシャンパンを入れた夜、自分は特別だったって顔をする。

女の子が笑って、グラスを合わせて、少しだけ長く目を見た。それだけで、自分だけは違う場所まで来られたと思い込む。


べつにそれはそれでいい。

勘違いは、夜の街では通貨みたいなものだから。


私は一条愛里。

六本木でキャバ嬢をして、昼間はモデルの仕事もする。

それとは別に、食事だけのパパ活もするし、しない日もある。

言い方なんて何でもいい。

会いたい人がいて、払いたい人がいて、私がその時間に値段をつける。それだけの話だ。


「愛里ちゃん、今日も同伴のあとラストまでいける?」


ヘアメイクの女の子が、私の巻いた髪を指先で整えながら鏡越しに聞いてきた。


「いけるよ。今日の客、機嫌いいから」

「また太い人?」

「太いっていうか、寂しい人」

「同じじゃん」

「違うよ。寂しい人のほうが長いから」


私は口紅を引き直して、鏡の中の自分を見た。

白すぎない肌。作り込みすぎると古いから、ベースは薄い。目元だけ少し強くする。唇は“ちゃんとキスを知ってそう”なくらいで止める。やりすぎると下品になるし、清楚すぎると金にならない。


大事なのは、完璧に見せることじゃない。

この子、俺がいないと少し危なそうだなって思わせること。

でも実際には、いなくても一ミリも困らないこと。


それが一番売れる。


店に入る前、スマホを見た。

昼の撮影現場のグループチャットが動いている。明日のアパレル案件の香盤表、修正。集合時間が朝七時半に早まっていた。


最悪、と思ったけど顔には出さない。

夜の仕事をしてる女にとって、朝七時半は人権のない時間だ。でもモデルの仕事は、夜の仕事みたいにその場で値段を吊り上げられない。代わりはいくらでもいる世界で、遅刻はそのまま死ぬ。


「愛里ちゃん、入店五分前です」


黒服に声をかけられて、私はスマホを伏せた。

画面には、別の通知も来ていた。


――今夜、少しだけ会えない?

送信者は、登録していない番号。


少しだけ、って言う男に限って長い。

しかも、そういう男はだいたい自分の話しかしない。


私は通知を消して、営業用の笑顔を作った。


店内はいつも通り、少し暗くて、少しだけ現実より綺麗だった。

照明は人を美しく見せるためじゃない。欠点を見えなくするためにある。

それは女だけじゃなくて、男も同じだ。

昼間ならただの疲れたおじさんでも、この照明の下なら“誰かの人生を動かせる男”みたいな顔になる。


だからみんな、この街に金を落とす。


「愛里ちゃーん!」


指名席につく前から、奥のボックスで手を振っている男が見えた。

四十代後半、外資コンサル、既婚。時計はいいものをしてるけど、靴に性格が出るタイプ。今日の靴は磨かれていたから、たぶん機嫌がいい。


「待った?」

「全然。愛里ちゃんのためなら」

「そういうの、他の子にも言ってるでしょ」

「愛里ちゃんには本気」

「うん、知ってる」


知ってる、は便利な言葉だ。

信じてなくても、会話が前に進む。


グラスを合わせて、相手のテンポに合わせて笑う。

仕事の話を聞く。奥さんの話はさせない。子どもの話はもっとさせない。男は自分が悪い人間だと思いながら遊ぶと、急にケチになる。だから罪悪感は刺激しない。

代わりに、“まだ終わってない男”でいさせる。


「愛里ちゃんってさ、なんでそんなに余裕あるの?」


酔いが回ってきた頃、男が私の手首に触れた。

軽い。所有のつもりもない、確認だけのタッチ。


「余裕あるように見える?」

「見えるよ。誰にも執着しなさそう」

「してるよ」

「何に?」

「自分の値段に」


男は一瞬黙って、それから笑った。

冗談だと思ったんだろうけど、私は本気だった。


夜の街で大事なのは、好かれることじゃない。

安くならないこと。

これをわかってない子から、順番に消耗していく。


二時間ほど席を回して、私はバックヤードに下がった。

喉を潤すためにミネラルウォーターを飲みながら、スマホを開く。さっきの知らない番号から、またメッセージが来ていた。


――仕事の話。悪いようにはしない。

――モデル案件。紹介したい人がいる。


私は少しだけ眉を上げた。

こういう誘いは珍しくない。でも“悪いようにはしない”って言葉を使う人間は、だいたい最初から悪いことをする気でいる。


返信はしなかった。


閉店後、店を出ると、夜の空気は思ったより冷たかった。

春って、昼間は優しい顔をしてるくせに、夜になると急に他人みたいになる。


タクシーを拾う前に、私はコンビニで炭酸水を買った。

ヒールの足を少し休めたくて、店の横のガラス壁にもたれかかる。

六本木の夜は、酔っ払いと成功者と、成功者のふりをした人間でできている。

たまに、本当に何者でもない顔をした人が混ざる。そういう人は逆に目立つ。


その男も、そうだった。


コンビニの前にしゃがみこんで、カメラバッグを足元に置いている。

黒いパーカーに、くたびれたスニーカー。髪は伸びかけ。顔は悪くないのに、金の匂いがしない。

この街では珍しい種類の男だった。


私は炭酸水のキャップを開けながら、その男を見た。

男もこっちを見た。目が合ったのに、逸らさない。


へえ、と思う。

普通は、私みたいな格好の女を見ると、男は二種類に分かれる。値踏みするか、気後れするか。

でもその男は、どっちでもなかった。

ただ見ていた。光の当たり方を確かめるみたいに。


「何?」


私が先に言うと、男は少しだけ首を傾げた。


「いや」

「いや、じゃわかんない」

「綺麗だなと思って」

「それ、ナンパ?」

「違う」

「じゃあ何」

「撮りたい顔だなって」


私は思わず笑った。

口説き文句としては下手すぎるし、職業病としては正直すぎる。


「カメラマン?」

「一応」

「一応って、売れてない人の言い方だよね」

「そうかも」

「否定しないんだ」

「売れてたら、こんな時間にコンビニ前でカップ麺食べてない」


見ると、男の横には本当にカップ麺が置いてあった。

しかもお湯を入れて三分待ってる最中らしい。

六本木の深夜に、こんなに夢がない絵面、逆に新鮮だった。


「名前は?」

「三宅拓巳」

「ふーん」


私はその名前を口の中で転がした。

軽くも重くもない、どこにでもいそうな名前。

でも、目だけは少し違った。

人を見る目じゃなくて、残そうとする目をしている。


「で、三宅くんは、撮りたい顔の女にコンビニ前で声かけるのが仕事なの?」

「今日は違う。たまたま」

「たまたまで女に話しかける男、信用しないんだけど」

「じゃあ信用しなくていい」

「強気」

「別に。知らない人を簡単に信用しないのは当たり前でしょ」


私は炭酸水を一口飲んだ。

炭酸が喉に刺さる。ちょっと気持ちいい。


「私のこと知ってる?」

「見たことはある」

「店?」

「広告」

「へえ」


それは少し意外だった。

夜の女としてじゃなく、昼の顔を先に見ていたらしい。


「でも実物のほうが全然いい」

「それ、褒めてる?」

「写真だと守ってるから」

「何を」

「自分を」


私は黙った。

こういうことを初対面で言う男は嫌いだ。

距離感を間違えてるか、勘がいいかのどっちかだから。

そしてたぶん、この三宅拓巳は後者だった。


「面倒くさいこと言うね」

「よく言われる」

「モテないでしょ」

「あなたほどは」

「当たり前じゃん」


拓巳は少し笑った。

愛想笑いじゃない。ちゃんと面白がってる笑い方だった。


そのとき、スマホが震えた。

また、さっきの知らない番号。


――今、近くにいる。五分だけでいい。

――君にしか頼めない。


私は画面を見て、ため息をついた。

“君にしか頼めない”は、男が女を安く使いたいときの常套句だ。


「彼氏?」

拓巳が聞く。

「違う。仕事したい男」

「仕事ならいいじゃん」

「よくないよ。仕事って言いながら、だいたい自分の都合しか持ってこないから」

「断れば」

「断るよ」


そう言った瞬間、通りの向こうに黒い車が滑り込んできた。

窓がゆっくり下がる。

中にいたのは、昼の業界で何度か見たことのある男だった。広告代理店の人間。名前はたしか、真鍋。


「一条さん」

男は車内から笑った。

「少しだけ話せる?」


私はその顔を見た瞬間、わかった。

この手の“少しだけ”は、ろくなことにならない。


でも、ろくでもない話ほど高く売れることもある。


「どうしようかな」


私がそう呟くと、隣で拓巳が無言のまま車を見た。

その目が、さっきまでと少しだけ変わっていた。

撮る目じゃない。警戒する目。


私は炭酸水の缶を握り直して、車の中の男に笑いかけた。


「五分なら」

「助かるよ」

「でも私、安くないですよ」


男は一瞬だけ目を細めた。

冗談だと思ったのか、本気だと気づいたのかはわからない。


ただ、その瞬間に私は確信した。

今夜はたぶん、少し面白くなる。


そして面白い夜は、たいてい誰かの人生を変える。


「あ、行く前にLINE交換しよ。

 現場で一緒になる機会ありそうだから、情報交換用ね。」

拓巳が言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ