チャプター18 リフレッシュ≪再生≫
「起きたか」
ヤスナが目を覚ますと、枕元に労働用≪スキン≫の1体が待ち構えている。
体の大きさと、澄ました顔つきからして、自身を彩人と名乗った≪スキン≫だ。
「彩人?」
ヤスナが訊ねると、労働用≪スキン≫は首を縦に振る。
その顔をよく見ようと、ヤスナは上体を起こそうとする。
――何事もなくいくはずが、するどい衝撃が頭と背中に走った。
「聞いたよ、ソフムから。≪統制器≫を切ったんだろ? そこまですると思わなかった」
「いっ、たぁ……」
「フフフ、それがホントの感覚だ」
労働用≪スキン≫はヤスナを見て笑っている。
やがて、ヤスナを蝕んでいた痛みは引いていく。
「ヤスナ、一緒に来いよ」
「うん……」
まだ自身の体に起こっている現象に戸惑いながら、ヤスナはおそるおそるベッドから降りる。
考えてみれば、それはヤスナの寝室のベッドではなかった。
労働用≪スキン≫たちとソフムの寝る部屋。
誰のベッドであるかわからないが、植物と甘い匂いを感じた。
ヤスナに労働用≪スキン≫が手を差し出す。
ヤスナは差し出された手を取る。
手を引かれる。
その個体の血管と、ヤスナの手の神経とが近づき、こもるような温かさを覚える。
2体は談話室のような、テーブルとイス、絵本棚、姿見のみが置かれた部屋に入る。
「ひゃっ!」
部屋に入ったとたん、ヤスナがびっくりして悲鳴を上げた。
「ただの絨毯だよっ、フフっ」
ヤスナは足元を見下ろす。
リネン質の大判な絨毯が敷かれる。
絨毯の表面は大きめの粒が隙間なく並んでおり、ヤスナの足裏にはつるつるとぐいぐいの間くらいの感覚が伝わる。
それを眺めて、手をつないだ労働用≪スキン≫がまた笑い声を上げる。
「気持ちいい! アハハハハ!」
ヤスナも笑い声を上げる。
いきなり駆け出して、絨毯の上をぐるぐると回る。
室内に塵埃が舞い、陽の光を反射して笑むように点滅していた。
「ったく。そんなことではしゃぐなよ」
呆れたように言って、労働用≪スキン≫がゆっくりまばたきをする。
――ヤスナがいない。
どこかへ行ってしまった。
とっさに廊下へ出ると、突き当りの部屋へ走りながら入っていくヤスナの後ろ姿を目にする。
後を追う労働用≪スキン≫。
部屋は浴室。
今は、炊事を終えた厨房担当ソフムの2体が貸し切っている時間だ。
「わっ、わっ! 何事ですか!」
ヤスナはエプロンドレスと爆乳パッドが置かれた脱衣所を通過し、力いっぱいに浴室の戸を開け放つ。
ソフムは勢いヤスナへ振り向く。そのうち1体は目にシャンプーが入っている。
タイルの床に立ち、助走をつけてヤスナは薄く湯の張った浴槽へとジャンプする。
服を着たままのヤスナが湯に浮く。
「あつーい! あははっ、あつーい!」
「ちょっ、こらぁ!」
大笑いするヤスナ。
ソフムはモップを振り乱して叱り飛ばす。
ヤスナは泡にまみれたソフムたちを見るなり、浴槽のお湯をかける。
我慢の限界と、ソフムはヤスナを拘束しようとして浴槽に飛び込んだ。目にシャンプーが入ったソフムはその場で転んだ。
労働用≪スキン≫が到着したときにはすでにその状況にあって、苦笑しながら見守るしかなかった。
◆
屋外に出て、久々に日光浴をするヤスナ。
ずっと後ろに学舎、青々とした葉をつける目印の樹木がある。
丘陵の草原からは、遠くはなれた都市景が青みがかって見える。
夜になれば、居住区はまばゆいほどの生活光に包まれ、至るところの道路を光の点が走るのだろうか。
「気持ちい……ここは自由だね!」
裸足のまま外へ出たヤスナは、少しの傾斜をベッドに寝そべる。
太陽光をキューティクルの突起が反射して、長い髪の毛はみずみずしい光沢を帯びている。
「自由なのはお前だけだよ……」
ヤスナが開放的な振る舞いをするのと相反して、労働用≪スキン≫が鬱屈したようすでつぶやいた。
「ここに檻はないけど、それは自由だからじゃない。あいつは、オレたちが何もできないと、外じゃ生きていけないとわかってるんだ」
「……彩人は、ここから出たいんだね」
また労働用≪スキン≫の言葉について考え、ゆっくり答えを出すヤスナ。
労働用≪スキン≫は小さく自嘲ぎみに笑う。
「そりゃそうさ。そして、オレたち労働用をしいたげるこの世界に、絶対復讐してやる。……じゃなきゃいずれ、オレたちも首輪を着けられて、使い捨ての道具にされちまう」
「ヤスナね……それはまだ、わからないよ。彩人の気持ち」
「あのときのことはどうだ? 肉を食べた……」
「もう憶えてない」
ヤスナは時間を置かず、切なげに答える。
労働用≪スキン≫がヤスナを、視界の中心に据える。
「いつか、全部わかるようになるかな?」
顔を振り上げ、ヤスナがやさしい言葉を待つ。
労働用≪スキン≫は返事をしなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夕暮れ。
ヤスナの瞳には、オレンジがいつにも増してノスタルジックで、眼球の奥へ焼きつきそうな色のように感じられた。
外套を羽織った道副が、学舎へ帰ってくる。
間もなく、ヤスナのことをソフムが呼びに来た。
道副の私室に来いということだ。
道副が何と言って呼びつけたのか、ヤスナは問いただすか迷ったが、先にできた決心が疑問をベッドへと置き去りにした。
部屋に入るとひどい臭気をまとう道副の姿があった。
疲労困ぱいによる体臭か、あるいはこれまでもすでにあったが、修飾されたヤスナの感覚器官では嗅ぎ取ることができなかったものか。
得体の知れない臭気に、ヤスナは顔をしかめ、服の裾で鼻先をおおう。
「はあ……斑崎のやつ、研究は遠謀であたるべしとのたまっていたのに、今さら期限を設けると言い出してきた。あれはやはり信用に値しないな……」
ヤスナの入室に反応することもなく、ぐちぐちと不満を垂れる道副。
服を着替えるはずもなく、一度全裸になると振り返り、ヤスナの肩を掴みそのままベッドへ押し倒す。
「いたっ!」
「昨日はさんざんだった。遠慮はできない……」
道副が芝居がかった口調で告げる。
先ほどの臭気がより強く、ベッドの上でヤスナに絡みつく。
ヤスナの鼠径部に狂気があてがわれる。
日頃であれば、≪スキン≫がこれから与えられる快楽に喜び勇んで、道副の欲望をみずから受け入れた。
しかし、今のヤスナにその余裕はない。
≪人倫統制器≫が『痛覚』修飾を失ったことで、道副の電極がヤスナ自身の電極と接触し、激しい衝撃が起こったとき――それは嘘偽りなく、生命の危機であるというように感じられた。
「――――ッ!」
ヤスナは言葉にならない悲鳴を上げ、背中をのけ反らせ、壮絶な『痛み』を表現する。
自身の一部ではないように暴れ回る両足が本能によるものか、上におおいかぶさる道副の体を全力で蹴飛ばした。
大した力はないが、道副をベッドの外へ追い出すには充分だった。
「ハッ、ハッ……」
肩で息をし、青ざめた顔の汗をぬぐうヤスナ。
道副は状況が飲み込めず、股間の電極棒を露出した姿で固まっていた。
だが、ヤスナの身に起こった事象を理解すると涼しげに起き上がる。
「そうか。≪統制器≫の故障……いや、みずから破壊したか? ヤスナ、本当に聡い子だ。道具のまま、その結論に達するとは……ああ、道具のままというのは本当、惜しいなぁ」
「ヤスナは道具じゃない……」
「それはわたしの決めること。魂の寄る辺もない道具だ」
ヤスナの抵抗を一笑に付した道副が、ふたたびベッドに近寄る。
「案ずるな、その痛みはじき安らぎにかわる」
道副がヤスナへ手を伸ばす。
ヤスナは今度、みずからの精神によって両足で道副の手を払い、全身で飛びかかる。
道副とヤスナが床に放り出される。
ヤスナは逃げようとする。
それに追いすがり、手を掴まえた道副がまた上におおいかぶさる姿勢となった。
ヤスナは道副に制圧されてなおも身をよじり、逃げようとする。
今のヤスナであれば、一度や二度殴打するだけで従順になるだろうと、道副は思いつくが乱暴を加える素振りを見せない。
「……ヤスナは、道具じゃないっ」
「まだ言うか」
道副が顔を上げた、一瞬。
窓ガラスが割られ、何かが室内へと飛んでくる。
飛来物が体に接触した道副も床に倒れる。
ヤスナは飛来物が何であるかを確かめるより先に、割れた窓ガラスの破片に目を奪われる。
宝石に類するかがやきを放つガラス片……触れれば手が切れることを知らないヤスナは、次の瞬間ガラス片を手にする。
床に倒れた道副が体勢を立て直そうとする。
しかしそれは叶わず、ガラス片を垂直に構えたヤスナがマウントを取った。
「いっ――」
案の定、ヤスナは破片のふちでてのひらに切傷を負う。
省みる猶予はない、とそこで振り切る。
ガラス片のするどく尖った先端を、迷わず道副の顔に突き立てる。
道副は生物本来の反射を忘れたように目を見開き、薄笑いをしてヤスナを見上げていた。
ヤスナはガラス片で道副の顔を切りつける。
道副も切傷する。
ヤスナは鬼気迫る表情となっているが、頼りない武器を手に道副を切りつけるようすはさながら、ネコが爪を立てて飼い主と戯れる様に似ていた。
道副は自身の血液が飛び散った腕を上げ、難なくヤスナの武器をもつ手を制した。
「どうしたい? わたしを殺す?」
問いかけに、ヤスナは普段通り一度うつむいて思案する。
「考えてもムダだ。お前の望みの話だからな」
「……殺したい」
「そうか。なら、これではわたしを殺せないぞ」
道副は自身の喉元へ、ヤスナが握りしめたガラス片を向けさせる。
「ここを切れ」
ガラス片が道副の皮ふに食い込む。
ヤスナはそこではっとなり、武器の手を引こうとする。
「ダメだ、切れ。おそれるな。やるべきことをやるんだ」
「いやっ!」
これから殺されるというときに、道副がヤスナを励まし始める。
ヤスナは許しを乞う潤んだ瞳で、道副を見つめた。
道副の目の中には暗澹とした闇が満ちている。
ヤスナの瞳を通しても、そこには一条の光すらも差すことなく、月明かりだけが表面をかがやかしいものにした。
「終わりにしよう。しかし、ヤスナ、わたしのヤスナ……君の門出を祝福する」
道副は呪いの言葉を残して、自身の喉を切り裂く。
鮮血が飛ぶ。
言葉とともに、ヤスナの顔も服も腕も胸も何もかもを穢したが、体についたものはシミにすらならない。
ヤスナの手が脱力し、ガラス片が床へ落ちてカンと鳴った。
道副はじょじょに体温を失い、その≪スキン≫が死に絶える。
ヤスナはまばたきを忘れて見入っていたが、どこか道副が起き上がってくるような気分が抜けず、最後まで死んだことに気づかなかった。
ヤスナは座り込んで動かない。
「おーいっ!」
部屋の割れた窓から、声が入って来る。
窓が発したのではない。
ヤスナは熱に浮かされた高揚感の只中で、ふらふらと立ち上がって窓の開いたところへ顔を出す。
暗闇の中に、大勢の手を振る≪スキン≫の姿が確認できる。
ヤスナはかつて道副の私室だった部屋の扉から外に出て、正面玄関を通じて≪スキン≫たちの場所までやって来る。
はじめは労働用≪スキン≫たちだけかに思えたが、それらと同じ質素な服に身を包んだ元の体のソフムが4体、同伴している。
「やったのかっ?」
ヤスナの横に、労働用≪スキン≫の1体が近づく。
月明かりに≪スキン≫が背を向けているせいで、何者であるのか目視にて確認することができない。
ヤスナは考えたあとで、一度だけ曖昧にうなずいた。
「そっか。……オレたちはここを出る。これからが本当の自由だ。それで、一回きりの人生にさ……成行で悪いけど、いっしょに来てくれるか?」
労働用≪スキン≫は、ヤスナに手を差し伸べてくる。
ヤスナは、少しだけ彩人の顔であると確かめる。
自信満々たる表情。
短く切った髪の毛が、風になびいている。
「……この先、生きていけるのかな」
ヤスナが零した。
そのとき強い風が吹いた。
ヤスナが思わず目を細める。
すると、目の前の労働用≪スキン≫は黙ってヤスナの手を掴まえ、外へと手を引いた。
裸足のヤスナは草原の草に爪先を絡めとられ、つまずきそうになる。
≪スキン≫の集団は草原を、学舎と反対に向かって走り去る。
完
本作に出会っていただき、誠にありがとうございます。
もう、世界に水鈴はいません。
それでも『彼女』の死が、読者の皆さまの中で、新たな『何者か』を生み出すことができたのならば、とても嬉しく思います。
きっと『彼女』も、生まれてきたことを誇らしく思うことができるでしょう。




