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フレッシュ  作者: 石鬼 輪たつ
第1章 Fresh Mate/rial flow Organization
3/5

        スキン≪受肉体≫(2/2)

「いやあ、まだ着慣れてないうちに、新しい制服に(そで)を通すことになるとはね……」

「一回おうち帰ったなら、制服着てこればよかったのにぃ」


 水鈴(みすず)の私室になごやかな会話と衣擦(きぬず)れの音が満ちる。

 自宅で家族に着せられたスウェット姿のまま、第一に水鈴(みすず)のもとへと駆けつけたしずり。≪学園≫が指定した制服を持参しているはずもなかった。


 水鈴(みすず)は少しの使用感が出始めたものと首元にシルクスカーフを、一方しずりは水鈴(みすず)の予備にそれぞれ着替える。

 一度、下着姿になったしずりの全身を、水鈴(みすず)が眺める。

 『生まれたて』の意味する、床につかんばかりの長さの頭髪は既知(きち)のこと。

 打撲(だぼく)痕や擦過(さっか)傷、切創、欠損、(かん)没、屈折……水鈴(みすず)が思いつく限りの事故のきずあとは、ほんの小さなものすら見出すことはできなかった。


「しずりん、キレイになったよね」


 水鈴(みすず)は、半ば無意識に語りかける。

 現実離れした長髪と、(たま)の肌をもつ人物は、水鈴(みすず)の言葉を聞くと、ゆっくり絵画的に振り向く。


「キレイかぁ……それもどうにかしないと」


 制服姿に替わった2人はそろって一階のリビングに向かう。


「あらぁ! おはよう、水鈴(みすず)。朝ごはんできてるからっ。しずりさんも、食べていくでしょ?」


 制服に着替えた水鈴(みすず)を見て、ショッキングピンクのエプロンをつけた≪スキン≫――水鈴(みすず)の母親を演じている――が満面の笑みで出迎える。

 あまりに(はな)やいだようすを前に、しずりも「ごちそうになりまぁす」と遠慮もなく返事した。


 そして、水鈴(みすず)としずり、水鈴(みすず)の両親が食卓に集まる。

 テーブルには、しずりの死により気落ちした水鈴(みすず)を元気づけられないかと、水鈴(みすず)の母親が用意した薄桃色の瀟洒(しょうしゃ)なクロスがひかれている。その上にはチューベローズの造花、鮮やかな種々(くさぐさ)の色の野菜を使ったサラダやスープ、小鉢料理が並ぶ。


「すごい量……水鈴(みすず)のため?」


 感心する水鈴(みすず)。その(ほう)けた表情をのぞく3人が、顔を見合わせてにやにやと笑みを返す。


「それではっ」


 すばやく(ことわ)りを入れると、()()()()()()()を差し置き、しずりがテーブルの上の料理に手を伸ばす。

 しずりは好きなものだけ自身の手前にかき集めると、みぞおちに及ぶ長さの髪の束を小刻みに揺らしながら次々口へ放り込んでいく。

 それに負けじと水鈴(みすず)も、ハサミの()(すじ)の上で頭髪を跳ねさせ、両親と親友の手料理を(じか)(はし)で取ってはほおばる。


「2人ともいい食べっぷり! うーん、試作品だけど、せっかくだから出しちゃおっかな」


 水鈴(みすず)の母親は台所にスキップで向かう。

 まもなく、小皿の乗った盆をもってもどってくる。小皿には(フレッシュミート)のフリッターと、青トウガラシのディップソースが乗る。


「味の感想きかせてね?」


「やった! お母さんありがとう!」


 水鈴(みすず)は笑顔を浮かべ、母親から差し出された小皿を受けとると(かん)(はつ)をいれずパクついた。


「からーい! 青くさーい! おいしー!」


「へー。じゃあぼくも」


 水鈴(みすず)のようすに感化される、食い意地の張ったしずり。

 盆の上の小皿をすぐにも(おのれ)の陣地へ招き入れると、小粒のフリッターを一欠(ひとかけ)摘まみ上げ、勢いよくついばむ。

 そのとき、しずりは喉と声帯をいっせいに引きずり出されたかのように、「ぶおええ」と大きな摩擦音を上げると、テーブルにフリッターを吐き落とした。


「ぐふぉえ」


 ばちゃっ、ばちゃっ、しずりの吐しゃ物が音を立ててテーブルを(いろど)りはじめる。

 ()しゃ(ぶつ)を頭からかぶった青トウガラシのディップソースは、光沢の深緑色に胃液のあやしい照りを帯び、新たなトッピングを得てすっかりサルサソースの様相(ようそう)(てい)する。


「べっ! えっ!」


 (にご)った声。涙目で嘔吐(おうと)をし続けるしずり。

 他方、水鈴(みすず)は物も言えず、しずりの醜態に釘付けとなっている。なおも水鈴(みすず)の両親は食事を楽しんだ。


 ひとまず、しずりが胃の内容物をすべてポンプし終えた頃。

 嘔気(おうき)の余波に身体をびくびくと震わせるしずりは、何も出てこない口を(あえ)ぎとともに何度か開閉させている。

 嘔吐のやんだ頃、父親は落ち着きながらしずりに近寄り、少し大きめのハンカチを見せた。


「しずりさん、大丈夫かい? ごめんね。まだ、≪統制器≫がなじんでないのを忘れていたよ」


 水鈴(みすず)の父親から差し出されたハンカチと謝罪を、しずりは受け入れる。


「いや、あはは……大丈夫です。ぼくこそ吐いちゃってすみません」


「いいのよ。既製品ですもの」


「おばさんもありがとう。ナゲット、よかったっすよ、たぶん!」


 しずりは、水鈴(みすず)の両親に頭を下げると、ハンカチが雑巾になるまで、自身の顔と酸味の手、やや黄ばんだ制服、ぐっしょり濡れた太ももを拭き上げた。

 そして使い終わり、液体の染み込んだ布きれを水鈴(みすず)の母親に手渡しする。


「……お風呂入っていきなさいね?」

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 水鈴(みすず)の母親から脅迫めいた善意の言葉を(さず)かり、しずりが透見川(うおせ)家の浴室に入って、それなりの時間が経過した。

 水鈴(みすず)は脱衣所のようすを見に行く。

 しずりはまだ、すりガラスの向こうで鼻歌まじりにシャワーを浴びている。


「しずりん? もうそろそろ出ないと、最初の講義間に合わないよー」


 水鈴(みすず)がひと声かけたところ、しずりの返事はない。

 シャワーの噴水音にかき消えたのかと水鈴(みすず)が耳を澄ますが、噴水自体の反響はうすく、代わりに人体の柔らかさではなく撥水(はっすい)性の高い床材が水をはじく音がはっきりと聞こえる。

 しずりは足元の何かをシャワーで流しているのだ。


「しずりん、ちょっと開けるね――って、ねえ!」


 戸に手をかけ、室内のようすを見るや否や水鈴(みすず)は反対のあいた手で、しずりのバリカンを持つ手を根元から制しようとする。


「なんだなんだっ! どうしたの、みすぅ」


水鈴(みすず)がききたいよっ! なんで髪ぜんぶ、なくそうとするの!」


 先ほどまで、しずりのみぞおちに接する長さがあったみずみずしい髪の毛。

 その3分の1がすでにバリカンによって刈り取られている。2人の眼下に散乱した髪のクズが流水にただよい、(ウジ)かミミズのごとく()い回る。


「いや、だって……髪長いと(おんな)(ひと)みたいだし、『性表出だ!』って言われて、どーせ≪憲章(けんしょう)≫違反になっちゃうじゃん。それに時間ないし。剃っちゃう方が楽でしょ?」


 しずりは水鈴(みすず)の心配を意に介さず、真面目ぶって答える。


「そう、だけど……もっと自分の体、大事にしてよぉ」


 水鈴(みすず)は、髪型だけが異なる自分とそっくりな親友にしがみつき、具体性のない切望を口にする。

 しずりは上方から水鈴(みすず)を見下ろす。

 しずりの肩をつたう水が、温度と速さを失って、水鈴(みすず)の着る制服にシミを作った。


「大丈夫だって。もうどこもワルくないし。みすぅは考えすぎ!」


 しずりがバリカンを浴槽のへりに置き、水鈴(みすず)の顔を両手でつつみ込む。視線が交差する。水鈴(みすず)は目を逃がしてしずりを直視しない。


「わかってる! でも……しずりんが傷ついたり、また急にいなくなったりするのも、怖いの」


「みすぅ。ここだよ、()()!」


 しずりは水鈴(みすず)から手を離して、一糸(まと)わぬ自身の平らな胸をぺっちぺっちと打ってみせる。

 ≪スキン≫の音が浴室内に反響する。(うつ)ろだった水鈴(みすず)の表情が、少しだけやわらかくなる。


「そうる……?」


「そう! まだぼくはここがある。だから、すぐみすぅに会いに来たんだよ。みすぅならわかってくれるってさ」


 しずりも、口にしなかっただけで死におびえ、初めての死に苦痛や戸惑いといった感情を抱いていたのかもしれない。水鈴(みすず)と同じように。

 死はいずれすべての≪スキン≫が通る道。

 ただし、道だ。終着点ではないことを、しずりは(ひと)足先に見てたしかめてきたように、輝いた(ひとみ)水鈴(みすず)へと向けていた。


「いなくならないから。ほら、安心したでしょ?」


「…………」

 

 溌剌(はつらつ)とした元気な姿で笑うしずりと、それを前に息つく水鈴(みすず)

 2人して浴室を出る。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 しずりのゲロで、新品だった水鈴(みすず)の制服は中古未満の何かになってしまった。浴室の床も、元凶のしずりの頭皮も、片づけなければならない。

 幸い制服のハーフパンツは無疵(むきず)のため、水鈴(みすず)は私服のなかで比較的地味なジャケットを、しずりに上から着せることで一時しのぎとする。

 中途半端に刈り上げられ、残った髪の毛はしずりがターバンのように頭へ巻きつけて遊んだ。


「ああっ! バスもう出ちゃってるよね……」


 リビングに顔を出して時計を確認する水鈴(みすず)。時刻は、普段の出発時刻を20分以上過ぎている。


「えっと、直近のバスは……あと2分! あと2分! 急いでみすぅ!」


「ええっ! 走るのやだよぉ……」


 (はば)(せま)い廊下を七転八倒、2人は玄関外へと飛び出す。

 水鈴(みすず)はしずりに引きずられる形でバスの停留所まで並走する。肩で息をしながら、ぎりぎりのところで乗り合いバスに間に合う。


 ≪学園≫の正門前。

 バスの中で整列し、おちらと降りていく乗客たち。

 全員が画一的な制服姿の愛玩用(ウイルガ型)≪スキン≫であるべきところに、1人だけ私服を着て髪ターバンを巻いたしずり、そしてそれと仲良く談笑するごくありふれた≪スキン≫の水鈴(みすず)がいる。


「しずりん?」


 水鈴(みすず)はバスから少し歩いたところで、しずりを見失う。

 あの格好なら目立つはずだからと、その場で立ち止まってみるが、しずりはいない。


 他のバスや、徒歩によってじょじょに正門前の愛玩用(ウイルガ型)≪スキン≫人口が増えていく。

 同じ顔、同じ制服、同じ背丈。タチの悪い間違い探しを()いられ、水鈴(みすず)は下くちびるがムズムズしてきて、噛んでしまう。

 そのとき、水鈴(みすず)は左肩をたたかれる。真顔で、髪ターバンを巻いたしずりが突っ立っている。


「ごめん、ちょっと(くつ)脱げちゃってて」

「あっ、うん。いいよ。行こっか」


 水鈴(みすず)は返事する。首筋の冷や汗を腕でぬぐう。

 純白のシルクスカーフの下で、≪人倫統制器≫が甲高い駆動音を鳴らしている。しずりを見失ってしまったことを、水鈴は伝えられなかった。

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