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Now  作者: ツナ缶
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土曜日



 土曜日 朝


 夢を見た。過去の映像を再生するレコーダーのように、僕の脳味噌はつい数日前の出来事を高音質高画質で再生してくれた。いらんことしやがって。お陰で寝汗もひどいし、吐き気もする。

 起き上がり棚から取り出したコップに水を汲み、一気に飲み干す。その前に口内を濯ぐことを忘れていた。寝起き特有のぬめりがそのまま喉元を通り抜けていく。ひどく気分が悪い。もう手遅れだけど、気休めに口の中で水をかき回しておく。

 今日は土曜日。学校は休みだ。週休二日制になってからもう大分経った。今ではもう、土曜日に早起きして学校に行っていたことが遠い昔のように思えてしまう。今の子供は半ドンという言葉さえ耳にしないのだろうか。別に悪いことでもなんでもないけどね。水で洗った顔をタオルでぞんざいに拭う。

 テレビを点けると朝一番のニュースが放送されていた。地元のローカル放送のちっぽけなニュース番組だ。今朝採れた小松菜の青々しさをレポーターが大げさに褒め称えている。いや、今指差した箇所、少し枯れてなかった? 

 いやー、これまで何回どうでもいいこと思ったかね。朝っぱらから無駄に溢れております。

 横目でそのレポーターのから回りっぷりを眺めて、一頻り満足した僕は立ち上がり郵便受けに向かう。申し込んでおいてさほど読み込みもしない新聞だけど、今日だけは目を通しておかないと。

 僕の希望していた番組編成のまま、30分ほどでその番組は終了した。そして新聞も読み終わる。こっちも僕の希望通り。予想していた通りの紙面だった。

 普段はまったく使わない埃のかぶった受話器を手に取り、昨日聞いた番号を押していく。何度か無機質な呼び出し音の後、沈んだ声色で相手が出た。

『あの、もしもし……』

「おはよう、気分はどう?」

『……良いわけ、ないじゃないですか』

 一拍置いて返事がきた。

「そうだろうね。君は僕の言うとおり、昨日さっそく一人殺してくれた。さっきテレビで見たよ。新聞にも載ってる」

『っ……』

 向こうから息を呑む音が聞こえる。少しは罪悪感が沸くかと思ったけど、さほど心は痛まない。その事実の方が、心に傷を作った気がする。

「ほんとだよ。被害者は20代の女性。よくもまぁまたもやバラバラにしてくれたよね。そのせいで被害者の身元特定に時間がかかってるそうだよ」

 結那と同じように体をバラバラに解体され、彼女は森の中に袋に詰められて捨てられていたらしい。中には防腐剤と防虫剤のセットがいくつも乱雑に入れられていたという。第一発見者は朝早くから茸狩りに精を出していたご老人らしい。ご愁傷様ですと、顔も知らぬ誰かさんに向けて頭を下げておこう。気休めにもならないし、意味もないけど。

 ……いやほんと、意味がないなぁ。

 そういった内容を、淡々と渡来さんに伝えていく。電話口からは一切音がしない。一言も話す元気もないのか、単純に、言葉も出ないのか。どっちだっていい。

「君も読んだら? しっかりと一面に大きく載ってるよ。やったね、紙面デビューだ。それどころかテレビにも出てるよ。テレビを点けて見てごらんよ」

『い、いやです。見たく、読みたくないです』

 うん、そうしてくれると助かるよ。今だけは君のその臆病を褒めてあげる。口にはせずに心の中で。なんという自己満足。

「とにかく、ご苦労様。良い働きをしてくれたよ。でも、本当にやるとは思わなかったなぁ」

『ち、違うっ。私じゃないです!』

「またまたご謙遜を。あんな見事なバラバラ殺人、君にしかできないよ」

『違うんですっ! 私じゃありませんっ、私じゃっ』

 必死の自己弁護の声が耳に突き刺さる。うるさいし、不快だ。まぁ、やめろだなんて言う権利も義務も気概もないから黙って聞いておくけど。

『私じゃないっ、私じゃないんですよっ! 私は結那さんを殺してしまっただけで、昨日は何もっ! けど結那さんだって本当は私じゃ……!』

「まぁそんなことどっちでもいいよ。誰が誰を殺したのかなんて関係ないんだ」

 大事なのは、誰かが殺されたということ。それだけでいい。それだけを、君が知っていればいい。

「それじゃ、今日もよろしくね」

 まだ何か言いたいことがあることはわかっていたけど、気にせず通話を切る。

 だからさ、頑張るしかないんだって。君も辛いだろうけど、僕も辛いんだからさ。

 ……うん、ごめん。今心にもないこと思った。



・土曜日 昼


 少し遠出すればある程度の町並みというものはある。一軒家がいくつか建ち並ぶ住宅街の一角の前に立ち、一度深呼吸しておく。ガラにもなく緊張しているのだろうか。今更? けっ、とやさぐれたように空気を吐き出してみる。土曜の昼間だというのに辺りには人気がない。まぁそれも当たり前か。バラバラ殺人が起こった街中を好き好んで歩き回る人はいないだろう。いるとしたら、僕ぐらいか。というより、僕だからこそ歩き回れるのか。

 時間をかけてもしょうがない。何かを吹っ切るかのようにため息を吐いておいて、目の前のインターホンを押した。ピンポーンと間の抜けた音が響く。二階建ての質素な色使いの、特に特徴も無い一軒家から足音が聞こえてきた、ドア一つ挟んで、人の気配がする。

「どちらさまですか」

 警戒を前面に押し出した詰問の声。何らおかしなところはない。そうあるべきだ、それで正しいと、無意味に自分の中で評価を下す。何の権限があって、そんなことを思い浮かべられるのか。

「お久しぶりです。結那さんとお付き合いさせていただいた者です」



 洋風の雰囲気に彩られた室内で、僕は一人四角いテーブルについていた。

 卓の上には白い陶器に入れられた紅茶が芳しい香りを放っている。目の前のテーブルに並ぶお茶菓子に手を伸ばすか否かを悩んでると、結那の父親を呼びに行った結那の母親(ややこしいけど他にどう呼べば良いか。名前知らないし)がダイニングに戻ってきた。お茶菓子への雑念を振り払い、体ごとご両親に向けて深く頭を下げる。

「ああいいんだ。楽にしてくれ」

 片手を上げ手のひらを僕に向け、結那の父親は僕に言った。よく耳にする言葉だけど、楽にしてくれって言われてもどうすればいいのだろう。文字通り楽にしてしまっていいのだろうか。体をだらーんとだらしなく椅子にかけたりしていいのだろうか。いや、良くないんだろうな。

 うーん、日本語って難しい。額面どおりに受け取るとロクなことにならない。……それは、日本語に限らず、か。

「良く顔を見せてくれた。心配していたんだよ。君が、結那のことで深く沈んでいるんじゃないかとね」

 一瞬、僕に対する壮大な皮肉かと思ったけど、冷静に考えてそれはない、と判断する。彼らの人柄は良く知ってる。家族仲がよく、その家族が信じた人間は無条件で信じる。そういう今時珍しい人種だ。だからこそ、結那のような人間が育ったのだろう。だから今の言葉は、もっと単純に僕を気遣ったものなんだ。無意味に動悸を激しくするんじゃない僕の心臓。

「いえ。まだ、完全に吹っ切れたわけではないけど。大丈夫です」

 そう、大丈夫だ。何も吹っ切れてないし、まだ何にも終わっちゃいないけど。

 大丈夫。僕自身の心の平穏という意味でなら、これ以上ないほど大丈夫だ。

 いつだって、乾燥している。

「そうか、それならよかった」

 安堵の吐息を二人揃って漏らし、ご両親は二人揃って小さな笑顔を浮かべた。

 大人は強いな。娘を殺されて、しかも殺され方があんなにも残虐性に富んだもので。それさえも受け入れて、耐えて笑う。年の功というやつだろうか。内に秘めた怒りも悲しみも隠すのがうまいだけかもしれない。どちらにしろ、心は僕たち子供の何倍も強い。

 強いくせに、何もできなかったのか。そう思うのは、些か酷か。そもそも僕がそう思う権利もないくせに。むしろ僕の方こそ、責められてもおかしくないのに。

 子供が自分の意思で隠し通したものを、知らなかったというだけで、この人たちを責めることはできない。

 いやまぁ、したいけど。めっちゃ糾弾したいけど。その辺りの憤慨は心の隅に放り込んどく。どうせ、今更だし。

 それからは三人で他愛のない話をした。その大半の会話の内容はやっぱり、生きていた頃の結那のことだった。田んぼの中を転げ周り、泥だらけで帰ってきたこと。その時に捕まえたヤゴがトンボに至るまで育て上げたこと。そのトンボが飛んでいく様を見る結那の、寂しいような、誇らしいような表情のこと。夏祭りには必ず、浴衣を着ることを恥ずかしがって嫌がったこと。農場探検で遊びに行った農場で、牛の乳絞りがクラスで一番うまくて得意気になっていたこと。

 最後の日、兄の誕生日を祝った時の笑顔のこと。

「どうして、あの子はあの日。夜遅くに外に出たのでしょうか……」

 うつむいて、過ぎ去った出来事を悔やむように、結那の母親は呟いた。

 ……ここで、「ああ、実は結那を呼んだのは僕なんですよ」なんて明るくカミングアウトをするのは空気が読めてない行動だろうか。いやぁ、考えるまでもないね。言えるか。

「今更悔やんでも仕方が無いだろう」

 そう諭す声も、苦渋に満ちている。相変わらず、良い家族だ。何度見てもそう思う。

 それから僕は一言二言。お茶菓子の礼と謝罪と今までの感謝を3・2・5ぐらいの比率に織り交ぜた甘言を並べて後席を立ち、本来の目的に移ることにした。歩きながらもう一度ご両親に頭を下げ、リビングから出る。

 愛娘を失った家はやはり雰囲気が重く、暗い。日の光をふんだんに取り入れる設計された家も意味を成してない。掃除もどこかおざなりで、その日の光に反射して浮かぶ埃が輝いてしまっている。二階へ上がる階段を登り、一つのドアの前に立ちコンコンとノックした。

「入りますよ、結磨さん」

 返事が無いので、僕は一言断っておいてから結那の兄、新井山結磨さんの部屋のドアを開けた。

「まだ返事をしていないぞ」

 案の定、突き放すような声色で歓迎される。結磨さんはベットがあるのにも関わらず部屋のカーペットの上に寝転がっていた。仰向けで、煙草を加えている。自他共に認めるヘビーモーカーの彼はいつであろうと煙草を手放さない。銘柄は毎日変わり、こだわりはないようだ。換気扇もない部屋で窓も開けず閉め切ったままだから煙が部屋中に充満してひどく煙たい。視界も少し白っぽくなってしまっている。

「窓、開けないんですか?」

「開けたら出て行くだろうが」

「何がですか?」

「結那の香りだよ」

 はい本日の変態ワード一つ目いただきましたー。手元にトランペットでもあったら軽いファンファーレでも吹いておきたいところだ。技術も無いから吹けないけど。

「あいつは死んで、もうあいつの香りも、姿も見えない。けど写真は何枚も残ってるし、姿を忘れることはない。だけどあいつの香りだけは消えてしまいそうになる。思い出そうとすればするほど、記憶から薄れてしまう。だから部屋を閉め切って、出て行かないようにしてるんだ」

「……煙草の匂いしかしないんですけど」

 目が痛くなるほど濃厚にね。普段は薄くすぐに消えてしまうほど頼りない物体でも、留めればここまで僕を甚振れるか。いや別に、目に見えていないものでも散々甚振られてるか。いーまーさーらー。

「煙草の匂いはいつも嗅いでる。だから大丈夫だ」

 話が繋がってない上に意味も通ってないことを口にして、結磨さんはまた加えた煙草の先の赤い光を強く灯らせた。

「忘れないでいられると、思ってるんですか?」

「忘れないと思っていれば、忘れない」

 ある意味、当たり前の真理だなと関心してしまう。そりゃまぁ、そうだよな。一生忘れないと勘違いをし続ければ、それは忘れてないことを同意かもしれない。例えそれが、自分のみに働く事象であろうと。思い込めば、それがその人の真実で、真理だ。人間の構造というのは良く出来ている。幸か不幸か。どんなに不様に壊れようとも、壊れたなりの生き方を模索出来てしまう。

 そして壊れたなりの生き方のまま、まだ壊れてない人たちへと関わって生きていく。社会に組み込まれている限り、その組み込まれた社会の中で生きるしかない。そして、何らかの弊害が起きる。

 平々凡々の生き方を目指す僕たちの最大の障害。うん、語弊しかない。いくつも間違いがあって探す必要もないくらいだ。

「おまえは忘れるのか」

「忘れたくないとは思ってますよ」

 今更ね。当然のように頭に浮かんだフレーズだから、危うく口に出してしまいそうになった。

「けどたぶん、忘れたくないと思っていても忘れられないと思います。結那との日々は、簡単に忘れられるほど安っぽくは」

「俺の知らない結那のことを口にするな」

 僕の精一杯の言い訳を遮ってくださった結磨さん。嘘塗れなことが丸わかりなことを口にするなってことでしょうか。……あ、違うや。ただの変態ワード二つ目だ。パフーパフー。

 結磨さんの体は大きい。それも日本人としては平均以上の身長で肩幅もある。学生時代は何らかの格闘技で様々な大会で成績を残したそうだ。今はその肉体を生かして何をしているかは知らないけど。結那も教えてくれなかったし、ということは、ご両親にも聞けない。

 のっそりと立ち上がった結磨さんが僕を見てあからさまな舌打ちをした。

「どうしておまえなんかが結那の彼氏になったんだよ、なぁ」

「さぁ、どうしてでしょうか。顔ですかね」

 はいまた心にもないこと言いましたよ、っと。

「生きてる内に結那から聞けばよかったじゃないですか」

 瞬間。首筋にひんやりとした感触と、体が吹き飛ぶような浮遊感を感じた。

「……いきなり何ですか」

 背中には壁。胸に置かれた硬い肘。そして首筋には刃渡り十分なナイフ。わぁ素敵な展開過ぎて寒気がするというか急にいったい全体なんだっていうんだ?

「うるせぇよ」

「いやいや、こんな顔近かったらそりゃ声も大きく聞こえるでしょ」

「うるせぇって言ってんだ」

「はい」

 大人しくしないと命の保障はしないぜ。なんて言われてるわけではないけど、目は口ほどにものを言うとはこのことですね。たった今、体で学んでいます。

「いやでも、どうしてこんな状況になってるのか説明ぐらいは求めてもいいんじゃないでしょうか」

「おまえがやったんじゃないのか」

「は?」

「おまえが結那を殺したんじゃないのか」

「……何を根拠に」

 声、震えてないよな。体も、心も。一切震えてなんかない、よな? 仮に震えていようとも、それは武者ぶるいだ。嘘でも誇張でもなく。

 嘘でもないけど、この状況は正しくはない。

 ああ、ちくしょう。なんて、もったいない。

「根拠なんかねぇよ。ただ一番怪しいだけだ」

「怪しいか怪しくないかで言ったら、そりゃ怪しいでしょうね。ダントツで」

 それに関しては自信がある。いや、あってどうする。

「結那は、よほどのことがなけりゃ夜中に外出なんかしない。誰に呼ばれようとだ。仮に出かけることになろうとも、俺たち家族に一言も言わずにいなくなるなんてことはありえない」

 頚動脈の位置の冷たい感触が強くなる。薄く伸ばされた金属の輝きが僕に明確な殺意の具現として向けられている。この輝きが皮膚を破り、血管を裂けば僕は死ぬのだろうか。死ねるのだろうか。

 まだ、死ぬ気はないけど。少し、心が揺れた。

「こんな立派なナイフ、どこで買ったんですか?」

「どうでもいいことだろ、そんなこと」

 そう、どうでもいい。

 けど、そうなると僕が口にする全てのことはどうでもいいんですよ。どうでもいい僕が放つ言葉なんて全てが戯言だ。全部、今更で、意味がないと結論付けてしまえるほどの。

「……もし仮に、僕が結那を殺したとしたら、どうするんですか?」

 答えがわかりきってる問いをもう一度する。

「今この場で殺す」

 明確な殺意を行動と眼差しでぶつけてくる。未だ首筋に触れているナイフよりも鋭く冷たい。愛する妹を失った故の憎しみが、瞳の中でぐちゃぐちゃに入り混じっている。相変わらず、狂ってる。羨ましいほど。惚れ惚れするほど。

「僕じゃないですよ」

 残念ながら。ご期待に添えず申し訳ない。僕は人の期待を裏切ってばかりだ。

 そのくせ、人には期待を押しつけて生きているのだから。勝手な生き物だよ。ほんとに。

 まぁ、みんな同じか。多かれ少なかれ。大小様々だけど。

「証拠はあるのか」

「ありません。だけど僕が犯人だという証拠もないでしょう」

「関係ねぇ」

 ええー、じゃあなんで聞いたの? なにこれ、魔女裁判?

「誰が殺したのかなんて知らねぇよ。誰だっていい。誰であろうと殺してやる。結那を殺しやがってふざけんな、クソが、殺してやる絶対ぶっ殺してやる」

 こんな間近でそんなあからさまな呪詛らしきものを吐かないで欲しい。唾が顔に飛んでくるけど避けることすら出来ないんだから。まずナイフをどけて僕から遠く離れてから好き勝手ほざいてくれ。口にしたら一瞬で首が裂けて血が吹き出るから言わないけど。言えないけど。

 さっきも思ったけど、僕にはこんなところで死ぬつもりは毛頭ない。志半ばにも程があるし、何より意味が無い。

 意味が無いことは、嫌いだ。嫌いで、怖い。

 いつまでも殺してやると呟くだけで実行に移さない嘘吐きのナイフを持っている手を掴み、力一杯捻り上げる。触れた感触の後、首筋に熱が走る。かまわない。傷ぐらいどうってことない。死ななければいい。命がある限り、傷は治る。テロメアの限界まで、傷を治し続ける。

 結磨さんの肘から受けていた圧力を体を逸らすことで受け流す。硬い肘の骨が僕の胸骨をゴリッと音を立てて外に滑る。その痛みを我慢し、肩からぶつかった。結磨さんの厚い胸板に飛び込む可愛い女の子をイメージしながら。すみません冗談です。

「がっ」

 すぐさま体勢を立て直し、僕は結磨さんの傾いた体の支点である足を払う。支えを失った体は重力に従い床へ落下。その際タンスの角に頭をぶつけそうにだったので、掴んでいた手を引いて少し修正を図る。タンスの角に小指はまだしも、頭は死活問題だろう。しかも後頭部。普通に死ねる。

 人間って、簡単に死ねる。

 下がカーぺットでよかった。おかげで結磨さんの意味もなく大きな体が背中から落ちても、一階に物音はあまり響かないで済んだ。

「気をつけてくださいね」

 落ちたナイフをうまいことベットの下に蹴り飛ばす。こんな危険物がある空間で朗らかな会話なんて出来ないもんね。なくても出来ないけど。しないけど。

「殺してやるだなんて、軽々しく口にしない方がいいですよ。すればする程、安っぽくなる。それにあなたは覚悟が足りない。殺すっていうことは、終わらせるってことですよ? 命を、人生を、その人の可能性を。そんな権利もないのに、全てを奪うってことですよ?」

 もしかしたら、その人は生きていれば幸せになれたかもしれない。誰かを幸せに出来たかもしれない。誰かの幸せを創ることが出来たかもしれない。その全てを奪う。身勝手に、未来に繋がる可能性を根こそぎ奪い、0にする。

「殺したいなら、覚悟を決めてください。奪う決意と、自分が同じことをされてもかまわないという覚悟を。そしてもちろん、相手の了承をとって、ね」

 最後が一番大事だから覚えておくように。覚えて、身の内で噛み締め、悟れ。それが覚悟だ。

 首元に湿りを感じる。さすが首。少し切っただけでも驚きの出血量だ。

「ああそれと、一応もう一度言っておきますけど。犯人は僕じゃないですから。家に押しかけたりしないでください。警察がいますからね」

 通報しなくてもいる。ここがポイント。

 獣染みたうめき声を上げて立ち上がろうとする結磨さんの、支点となっていた手を足で払う。支えを失った巨体は重力に導かれ再度落ちる。なんだか繰り返しになりそうな予感がしたので、無防備な後頭部を思い切り踏んでみた。

「落ち着いてくださいよ。違うって言ってんだから歯向かうなよめんどくさい」

 徐々に体重をかけながら、乾燥し切っていたと思っていた心に沸々と怒りが湧いてくる。この人がいなければ、何もかも始まらなかった。結那と僕が出会うことも。

 それはつまり、結那が死ぬことはなかったということと、同義。

「結那、あんたの誕生日を祝えたんだな。ほんと、良い娘だよ。笑って、おめでとうなんて言えるなんてさ。あんた、それを失ったんだよ」

「あ、あ、がっ……」

「おっと」

 いつのまにか、全体重を結磨さんの後頭部に捧げてしまっていた。危ない危ない。怒りに我を失うなんて経験、慣れるほどしてないからさ。加減を間違えてしまった。

「じゃ、さようなら」

 相当痛かったのか、呻くだけで返事がない。まぁいいや。結那がいない今、もうこの人と話すことなんてなかったし。ここに来たのは確認をとりたかっただけだ。僕の中で新井山結磨という人間にはもう意味が無い。勝手に生きて、勝手に死んでくれ。もちろん、僕に関わりなく。

 手のひらで赤く染まった襟元を隠しながら、僕はご両親におざなりな挨拶をして新井山家を出た。

 ……一応、防犯意識は高めておこうかな。何しでかすかわからない人に喧嘩売ったわけだし。

 ここで殺されるのは、まだ早くて。取り返しがつかないほど、遅くもある。

 つまりは、今更なわけでして。




・土曜日 夕


 一度家に戻り、首筋に出来た切傷の治療と証拠隠滅と言えなくもない着替えを済ませる。いくら人通りの少ない田舎だからといって、襟元だけを不揃いな赤色で染め上げる奇抜なファッションで練り歩くのは気が進まない。それにこれから晩御飯の買出しに行くわけだし、人目を気にするべきではあるだろう。今更と、口にしてみて軽い自虐を図る。意味はなかった。

 僕が住んでいるアパートから15分程黙々と歩くと、駅前の商店街に出る。さすがに駅前とあってか、建ち並ぶ店舗にも活気と人気が多い。実際にはたいした人数がいるわけではないんだろうけど、今までの閑散とした道と人気のなさからのギャップで相当数の人間が狭い道にひしめき合ってるように見える。単純に、行くところがないからこの商店街に集まるわけだ、この町の人間は。

「まぁでも、君もいるとは思ってなかったよ」

 後ろからポンと、肩に手を置く。相手は威嚇する野生動物のように飛び上がり、振り向きながら僕の手を払い距離を置いた。自身の間合いに外敵が入られた小動物のようだ。

「お買い物かい? 渡来雫さん」

「ミ、ミケさん……?」

「やぁ、こんにちは」

 僕の方はにこやかかつ朗らかな会話をいつも心がけているんだけど、最近僕の周りにはまともにその心意気に応じてくれる人がいない気がする。おじさんしかり結磨さんしかりこの渡来雫しかり別の渡来雫しかり。いや、別に今までそんな会話とかできたことないかもしれないけど。結那とは、どうだったかなぁ……。

 それさえも記憶にないかもしれない。覚えてないというより、思い出せないのだろう。

 記憶の取捨選択を出来たら、もっと生きやすいのになぁ。でも、良い思い出だけに包まれた人生は、都合が良すぎて気味が悪い。そう思う感性も、捨て去ることが出来るのなら問題はないけどね。

「ど、どうしてここに……」

「それはこっちの台詞だよ。巷を騒がすバラバラ殺人者がこんな人が多いところにいていいの?」

「やっ、やめてください!」

「むぐ」

 口をちっこい手のひらで塞がれてしまう。傍から見ればカップルの他愛もなくも苛立ちを覚えてしまうじゃれ合いに見えなくもないんだろうけど、実際はただの口封じだよね。文字通りの。

「こんな人の多いところで、言わないでください」

 渡来さんの顔は青白く、明らかに病人然と勘違いされてしまう程気分が悪そうだった。いやー良い気味だなぁなんて思える程に人格破綻者じゃないですよほんとほんと。

「じゃあこんな人の多いところに来なければいいのに」と声帯を震わせ言の葉に乗せて 伝えようとしたんだけど、口を塞がれているため「もごご」としか言えない。もごーっ、と解放宣言を如実に表し切れてない、よくわからない空気の振動も余裕でスルーされてしまい、伝わらなさ故のもどかしい気持ちを胸に抱いてしまう。これはこれで楽しさを見出すことも出来なくはないけど、次第に注目を浴びてきていることにこの子は気づいてないのかね。

 仕方なく指先を伸ばして視線誘導を図る。恋人同士の朗らかな語らい(虚構)を微笑ましげに眺めながら歩き去る通行人の存在に気づいたのか、頬に急速的に血液を集めて僕の口から手を離した。殺人者のくせに、一丁前に照れるんだな。余分じゃないか、その機能。捨ててしまえ。もしくは僕にくれ。

「あー、空気がうまい」

 肺一杯に吸い込まれる大気に対して無駄に感動しつつ、似つかわしくない照れ笑いを浮かべる彼女に視線を向ける。

「笑うなよ。人殺し」

 彼女にとってのどうしようもない現実ってやつを突きつけてみる。効果の程はいか程? とワクワクしてみる……なんてことはなく、ただ淡々と一瞬で青ざめた渡来さんの頬からいなくなった血液に思いを馳せてみる。集まったり散らばったり忙しいな赤血球。意味も意義もないのですぐさま思考を切り替えるけど。

「人を二人殺しておいて一丁前に人間面をするなよ。何様だ、君は」

 意図的に厳しく、辛い言葉と現実をぶつける。ずっと意識していないと。人を殺したという事実を、そして失われた自身の価値を。たとえ、僕自身には何の意味もなくとも。僕以外の誰かには、そうしていてもらわないと困るわけだし。

「冗談だよ、冗談。そんな今にも泣きそうな顔しないでよ」

 僕がいじめてるみたいじゃないか。まぁ、うん。間違いのない事実だけど。

「ほら、そこのメンチカツ奢るからさ。泣き止んで。ね?」

 商店街の一角に店を構える精肉店。この店のメンチカツは僕の好物だ。いや、ほんとは肉料理であれば何でも好物だけど。意味もなく自分の中でメンチカツのグレードを上げてみた。

「おっ、ミケじゃないか」

 精肉店の主人が僕に活気溢れる笑顔を振りまく。……というか、ここでも僕は本名で呼ばれないのか。別に嫌なわけではないけど、心中複雑の極みだよ。

 しかし、さすが田舎。たいして足を運んだわけでもない客の顔を覚えられるか。客の総数が少ないからな。……ああいや、もっと単純に、僕だから覚えてるんだろうけど。この町では僕も有名だからな、色々な意味で。最近では主に結那的な意味で。

「すいません、メンチカツを二つください」

「あいよ」

 結那の件に関して知らないのか、それとも知っていて知らぬ存ぜぬを貫いているのか、人生経験の少ない僕には判断がつかないけど、ついたところで意味がないことに気づく。他人の心配りの機微って奴は多種多様過ぎて個人には手が負えない。自分の両手は自分のことだけで手一杯だ。少なくとも、僕は。

 熱々のメンチカツが二つ小さな紙袋に入れられて渡される。薄い紙越しに伝わる熱。紙袋とカリカリに揚げられた衣が擦れる音がする。その一つを渡来さんに手渡す。

 袋から半分出して一口齧る、と中から肉汁がぶわっと溢れてくる。結那と食べていた頃、その熱々の肉汁で結那が唇を赤くしていたことを思い出す。涙目で熱い熱いと大げさに痛がる様が脳裏に焼きついていたのか、すぐに思考の範囲へ飛び込んできた。僕はその様を見て笑ったんだっけ、心配したんだっけ。覚えているのは結那のことだけで、その時の僕が何を感じ、何をしたのかを覚えてない。思い出せないのか、思い出さないのか。まぁ、どっちでもいいけど。

 どっちであろうと、大して差はない。結果も今も変わらない。つまりは、意味がない。今更。

「ん? もしかして使う肉を変えました?」

「よく気づいたなミケ。そうなんだよ。いつも入荷してるところが今週は休みでな。なんでも夫婦揃って旅行に行ったらしい」

 肉の違いに気づくほどに味だけは覚えてるのかよ、僕は。食い意地張ってるな。

 商店街の往来でお食事というわけにもいかないので、僕たちは二人揃って場所を移動する。近くに小さな公園があるのでそこのベンチに座りながら食べることにした。いや、さすがに結那がバラバラになった公園ではないですよ。そこまでデリカシーというか常識のない人間ではないです。誰に対しての言い訳なんだか。

 渡来さんはいつまでもメンチカツを手に持ち見るだけで食べようとはしない。さすがに食いついた途端肉汁ではなく血液が溢れ出てくるなんてスプラッターな展開を想像して敬遠してるってわけでもないだろうし。

「肉は食べられない?」

「……朝起きると、クローゼットの中に血だらけの鋸があるんです」

 急にホラーな出来事を語り出す。

「……へぇ」

 ネタを知ってるホラーはただの悲劇か喜劇のどちらかに成り果てる。

 この場合は、どっちだろうね。

「私にはまったく覚えが無いんです。だけど、実際に血だらけの鋸はあるし、玄関にある靴は土で汚れてるんです。両親だって、私が夜に出かけてることを知っていました。私と話しをして、ちょっとコンビニに行ってくるって言葉に許しを出して、私を送り出してるんです。けど私は、それを全部覚えていなくて」

「それはそれは」

 不思議なことだ。それが事実であろうがなかろうが、不思議なことには変わりない。

「夢遊病なんだって?」

「……誰から聞いたんですか?」

「頑張って察して」

 誰からも何も、僕と君の間にかかる橋になるような人間なんて一人しかいなかっただろうに。

「結那さんも、同じ病院に通ってました。学校も同じで、私にも良くしてくれました」

 もう知っている情報ではあるけれど、黙って耳に入れて再度脳に刻む心意気で聞く。さて、どこまで差異が出るか。

「本当に、よくしてもらっていました。私みたいな異常者にも、笑って、接してくれて。本当に、良い人で。どうして、精神病院に通っていたのかわからないほど。けれど私は、そんな人を、殺して……」

 ……うーん、すごいな。今の一連の言葉の中にツッコミ所がいくつもある。

 ほんと、思い込みの塊みたいな人だ。

「……私には夜の記憶がないんです。一度眠った後、その後自分が何をしていたかまったく思い出せないんです」

「それは誰でもそうじゃない?」

 自分が眠りについてる時間の内容まで覚えていたら大変だ。眠っている時は脳が休憩をとっている時間なのに。それじゃ少しも休めてないことになる。

「普通に眠りについてるだけならいいんです。けど私は、朝起きたら別の場所にいる。両親と会話し、外に出て何かをして帰ってくる。これは、少しも普通じゃないですよ」

「まぁ、確かにね。それを普通にしてしまったら大変なことになる」

「だから通院して、何とか治そうとしていたんです。私の知らない私が、何かをしでかす前に」

「結局、それも間に合わなかったわけだ。すでにこの町では二人の人間が君の知らない君の手によって殺されている」

「だからっ」

 渡来さんの目じりが上がり、瞳に鋭い光が灯る。伸びた両手が僕の服の襟元を強く掴まれる。少し首が絞まり、軽い呻きに似た吐息が漏れた。

「だからあなたに自白したんじゃないですか!!」

 襟元を掴んだ両手に更に力が加わる。痛いし苦しいからやめて欲しいんだけど、喉が見事に絞められて声が出ない。

「あなたがっ、私を止めてくれたらっ、殺してでも止めてくれたらよかったのに! そうすれば私は、私はっ……!」

 ギリギリと締め上げられる襟元。女の子の力とは思えないほどしっかりとした握力は僕の服の繊維を苛め抜く。そして僕のことも。酸欠には至らないけど、息苦しいことには変わりない。さっき拵えた傷口が痛みを思い出してきた。これぐらいは受けて然るべき苦難かなとは思っていたけど、あまりにも一方的な言い分に少し反論が浮かび上がる。

「い、言いたいことはそれだけ?」

 狭まった喉から漏れ出る声色はどこまでも情けなく聞こえる。それでも、年が一つ上なりの威厳と、先達者としての自信を込める。情けなくとも、苦しかろうとも。自身が得た経験と知識は他者に伝えてこそ意味を残せるものだ。

「仮に、君の心意気を汲んで僕が君を殺したとして何になる。君が犯した罪は無くならないし、結那は帰ってこない。勝手なことばかり言うなよ。無意味な償いに僕を巻き込むな」

 真偽はともかくとして。人を一人殺した時点で、まともな人生を期待するほうが間違いだ。人一人の人生を無くしておいて、のうのうと生を謳歌するのが正しいわけがないじゃないか。

 誰かを殺すということは、誰かに殺されてもいいと言外に叫ぶようなことなのに。

「教わらなかった? 自分がされて嫌なことは人にもするなって。一人目で、君の人生はもう終わったようなものだ。今更僕に泣き言を言うなよ」

 ここ最近、僕の口がどんどん悪くなってきている気がする。けどまぁ、そういう役回りを担ってしまったわけだし、仕方ないから割り切ってやるしかないんだけどね。それといい加減襟元から手を離してもらいたい。そんなに力強く掴まれると傷口が開ききってしまいそうです。

「私が、憎くないんですか? 結那さんを、あなたの彼女を殺したんですよ?」

「憎いよ。現在進行で憎い。君が今目の前にいることすら吐き気がするほど不快だ」

 まるで、鏡に映った自分を見ているようで。

「だからって、君にこの怒りをぶつけるつもりはないよ。晴らしようがないからね。何度も言うけど、結那はもう二度と帰ってこない。なら、何の意味があると? 君に僕が何をしようと、今は変わらないのに」

 全部、今更だというのに。

 これ以上過去を望んで、いったい何の意味があるというのか。

「けど、けど……! 私が、いや……違う……私だけど、私じゃ……!」

「関係ないよ。それだって、君から生まれたものだ」

 君から生まれたものは全部、君に決まってるじゃないか。自分が仕出かしたことは、自分で始末をつけないといけない。

 まぁ、ただの勘違いの賜物なんだけど。

 段々と力が抜けてきた彼女の手を掴み、強引に払う。何とか先ほど拵えた傷口が開ききる前で済んだ。血を洗うのって結構大変なんだから勘弁してくれないかな。そんなこと、君が一番よくわかってるだろうに。

「確かに僕は君に人を殺すように言った。けどそれが何? 別にやらなきゃいけない理由なんてないじゃないか」

「だって、許してくれるって言ったじゃないですか。だからもう一人の私が勝手に……」

「僕が許して何か変わるの?」

 当然のことを当然のように言ってみただけなんだけど、どうしてこの子は驚いているんだろうか。

「僕が許したから何? 何も変わらないでしょ、普通。僕に許されたからって君の全てが許されるわけではないでしょ?」

 少し考えてみればすぐわかるだろうに。そこまで余裕なかったのかな。

「だ、騙したの……?」

 思わず噴出しそうになる。憤怒と、後悔が入り混じったような表情で、瞳を涙で滲ませながら僕を睨みつけている渡来さん。済んでのところで口を無理矢理噤み息が出ないように努めた。

 いや、騙すも何も。

「騙してなんかないよ。君が勝手に勘違いして、勝手に人を殺し続けてるだけだ。かなーり猟奇的な方法を用いてね」

 彼女の表情から怒りの感情が萎められていく。自分でも置かれている状況がどうしようもないことが理解できたのだろうか。こうして一人の女の子の勘違いと心労は増えていくのだけど、意味はあることだし仕方ないよね。

「僕が君に人を殺して欲しいと頼んだのは、その方が僕にとって都合がいいからなんだ。まぁでも、目的は半分果たしたようなものだし、もう今日からはいいよ。誰も殺さなくっていい。って言っても、もう一人の君が勝手に人を殺すんだろうけど」

 俯いて、手をダランと下げている渡来さんを見ると、少しだけ、本当に少しだけだけど。申し訳ない気持ちになってしまう。そんな感傷さえ、覚えていい身分でもないくせに。

 僕も彼女も、都合が悪いことは目を伏せて生きていけばいいのに。良い意味でも悪い意味でも素直だから、こうして溺れるように生きていかなきゃいけなくなる。それは決して悪いことではないんだけど、人によってはひどく惨めに映る。正しかろうと、間違っていようと。それは変わらない。

 事実、少なくとも目の前の彼女は間違いなく加害者で、けれど正しくは被害者だ。矛盾しているようで、どこもおかしくはない。どこも、普通ではないけど。

 僕も、そうあるべきなのに。こんな風に、自分の不幸を素直に嘆けたら、きっともう少し、うまく生きてこれたのかもしれない。

 ……ここ最近一番の今更だな、これ。

 沈み続ける渡来さんを置いて公園を出る。一瞬、強い風が僕の髪と服を揺らして過ぎ去っていく。

 本当に、揺らしたのはそれだけだろうか。

 それさえも結局は、どうでもいいことなのかもしれない。

 まだ残っているメンチカツを一口で食べる。サクサクとした食感に、ジュワっとにじみ出る温かい肉汁。

 生きていた命をこねくり回して作り上げた、命の成れの果て。

「あー、命っておいしいなぁ」

 こんな僕でも、生きるために他の命を消費しないといけないのか。

 どんな皮肉だ。











 結那の家までの道のりを歩く。落ちていく太陽の光が僕たちの影を作る。二つ、長い長い影が伸びる。線が交わることのない黒い線。かろうじて人の形を保っているそれを、ぼんやりと眺めながら歩を進める。

「ねぇミケ。手を繋ごっか」

 結那が小さな歩幅のまま、僕の隣に並ぶように足を動かす。アスファルトを叩く軽い足音と、僕の結那に比べて重く響く足音。後ろには、僕の長い影と、結那の短めな影が伸びる。

「今更?」

「そう、今更」

 いつもの唐突に始まる言動だから、僕も露骨に辟易はしない。軽いため息を吐くだけで、表情は特に変わることもない。

「どうして?」

「どうしてって、どうして?」

 えらく自然に、質問が質問となって返ってきた。結那が僕の質問に対して素直に答えることは少ない。たいてい、聞くまでもなく答えがわかることばかりだからだ。今回も、別に聞かなくても答えはわかっていたけど、つい聞きたくなったから質問してしまった。

「意味なんてないよ。繋ぎたかったから。そんだけ」

 言い切って立ち止まり、彼女は左手を差し出す。女の子の中でも小さめの、白い手。夕日の明かりで、その白さを見出すことはできないけど。

「今更?」

「今更」

 断言されてしまう。断る理由も意味もなかったので、僕は右手で彼女の左手を掴み、握る。そうしてまた歩みを再開する。

 手のひらに次第に帯びる熱。少し力を込めると、同じぐらいの力で握り返されて。

 適度な力具合で、握り合う。

「思えば、恋人らしいことなんてしてなかったよね」

「……別に、する意味がなかったから」

 どっちが先に告白し、付き合うようになったのだろう。気持ちを吐露し、相手に受け入れてもらおうと懇願したのはどっちが先だったのだろう。どっちが先でも、結果は変わらなかっただろうけど。

「意味がなくてもいいじゃない」

「寒気がするようなことを言わないでくれ」

 当たる西日のおかげで体は温かいけど、心は寒風吹き荒ぶ冬の到来を予感する。僕の根源にある、潜在的な恐怖が胸を渦巻く。

 意味がないことは、嫌いだ。それ以上に、怖い。

 だからこそ、身の内にいくつも産み出していく。慣れるか、麻痺して何も感じなくなるまで。

「無理矢理ね、意味をつけようと思えばできなくはないけど」

 彼女の手のひらの感触が強くなる。力を込められたことに、遅れて気づいた。

「それはなんだか、悲しいじゃん」

 悲しい方がまだいい。怖いよりも、心が恐怖を覚えるよりも、ずっと。悲しいだけなら耐えられる。耐えてきたんだ。時間さえかければどんな悲しみでさえ風化してしまえる。

 でも、その気持ちを彼女に伝える気にはなれない。

 手を繋いだまま道を歩き続ける。二人とも一言も言葉を発さず、ただ互いの手のひらに感じる感触だけで対話をしてみる。内容の正解率は、驚くほど低いだろうけど。

「この道、懐かしいね」

「え? ああ、町内マラソンの道か」

 一年に一度、ここいらの道をコースとした小さなマラソン大会が開催される。参加したところで大したメリットはないけれど、僕は毎年おじさんの付き添いで選手として参加していた。

「初めてミケの姿を見たのって、ここなんだ。ここで、走ってるミケを見たの」

 田舎村の大会でも、見学者の数は多い。あぜ道の脇に何人も並んで僕たちが走る様を見て応援やら何やらをしていた。

「すっごい、やる気なさそうに走ってたよね。けど他の人をバンバン追い越して、追い越す時には必ず顔をしかめるの。僕、こんなにがんばってますよって見せかけるように」

「本気を出さないと、おじさんが機嫌悪くするんだよ。だから見せかけだけでも良くしておかないといけなかったんだ」

 そのくせ、僕が勝つとそれはそれで彼の心の琴線をかき乱すのだから手に負えない。町内マラソンごときでムキになれる大人がいるということは、それはそれで平和だということなのだろうか。

「ミケってさ。走ってる時、目がすごく動いてるよね。あれは、いったい何を見てるの?」

「……よく見てるね」

「すごく目立ってたし。それで、なんで?」

 言葉に詰まる。今言うべき言葉じゃないのに、それしか出てこないから。

「後で、話すよ」

「……うん、楽しみにしてる」

 そうしてまた、無言で歩を進める。歩幅が大きく違うから、僕がゆっくり一歩進める間に、結那は二歩進む。そうでもしないと僕たちの歩みは揃わない。

 ただ並んで歩くだけでも、僕たちは苦労をしないといけない。

「あったかいね」

「え? 何が?」

 何を指しての言葉なのか一瞬理解できず、思わず聞き返した。

「ミケの手、あったかいよね」

「一応、血が通ってますから」

 僕の体は生きようと活動を続ける。命が続く限り、血液は熱を持ち体を巡り続ける。たとえ、本人が望まなくとも。

 僕は僕を生かし続ける。

 なんて、余計なことをしてくれるのだろうか。

 止めろと言ったら、止めてくれればいいのに。

「血が通ってても、冷たい人っているじゃん」

「いや、だからなんなのさ」

「関係ないってこと。血が通ってようがなかろうが、ミケの手はあったかいの」

「錯覚だろ、それ」

「ほとんど錯覚の世の中で何を言ってるの」

 悟ったような口調の結那に僕は何も言えなくなる。その錯覚に、一番悩まされているのは誰だったか。

「錯覚でも勘違いでもなんでもいいよ。ミケの手はあったかい。それだけでいいの」

 繋いだ僕の手の甲を撫でる、結那の空いた側の手のひら。少し爪の長い指先が、離れる時に余韻を残すように引っかいていった。痛くもない、痒い程度の感覚を僕の痛覚は拾い上げる。

 それは決して、錯覚じゃない。意味はないかもしれないけど、必要がないわけじゃない。

 そういうものがあることを、ようやく知った。

「今更だけどね」

「ん? どうしたの?」

「なんでもない」

 話を区切るように、繋いだ手を強く握った。痛くはないように、そっと、ゆっくりと。

「え、えへへ」

 結那が照れたことをごまかすように、わざとらしい照れ方をする。それはそれで恥ずかしいと思うけど、言わないでおく。無粋な発言はよしておこう。

 最後の日ぐらい、いつもより笑顔が多くてもいいじゃないか。





・土曜日 夜


 金切り声を上げたくなる。特に意味はないけれど。無性に大声を上げて叫び出したくなる時があると思う。誰でもそうなのかはわからない。けど、共感できる人はいるんじゃなかろうか。いや、いたから何?って自分で自分の考えに茶々を入れて思考に一段落つける。

 寝転んだ布団は今さっき取り込んだばかりのものだ。日のぬくもりはとうになくなっているけど、中の綿は干す前に比べて格段に柔らかい。ああこれが母親のぬくもりなのかなぁとか無益かつ意味のないことを思考してみて再度欲望が生まれるに至る。叫び、上げてみるかなぁ。近所迷惑とかそういうのは度外視して、とにかく元気溌溂に。声帯を限界一杯まで震わせてみようか。

 まぁ、それこそ意味がないけれど。それでも、いつの日かしてしまいそうだ。

「さて、そろそろ時間だよな」

 叫ぶほどの声量ではないけれど、心なしか大きく独り言を口にする。それで少しは心に宿る欲望が鳴りを潜めるかと思ったけど、そもそもその欲望自体も思いつきもいいところなので最初から意味がなかった。この間に何回意味がないことをしているのだろうか、僕は。嫌よ嫌よも好きの内ってやつ? どうして日本人はそんな妙な理論を残してきたのだろう。いつ頃からこのツンデレ理論は生まれたのだろうか。いやどうでもいいって。さっきから思考が安定しない。いつものことだけど。

 母のぬくもりを錯覚させる布団から体を起こし、身支度を整える。とはいっても財布と携帯をポケットに入れるだけだけどね。主要時間五秒。男の子の支度は早くていいね。個人差はあるだろうけど。

 玄関にて靴を履き、扉を開ける。途端に吹き抜けていく生ぬるい風に、顔をしかめる。湿気を多分に含んだ風は僕の1LDKに何をもたらしてくれるだろうか。カビと埃ぐらいか。外界が僕になすことは余計なお世話だらけだ。何一つ関わることなく生きていけたらどれだけ楽だろうと夢想しても、意味なんてないわけで。

 隙あらば入り込もうとする風にノーサンキューと返しておいてドアを閉め施錠をする。防犯意識の薄い村だけど、一応拒絶の意志を残しておく。あの国家権力にはどうせ意味はないだろうけどさ。

 昨日と同じ道のりを歩く。が、懐中電灯を忘れたことに田んぼ道に差し掛かったところで気づく。いっまさらぁ! とか大げさに心中で自分を自分でバカにしてみるけど、だからなんだというのだろうか。少しテンションが上がってしまったくらいだ。(なぜ?)

 まぁなんとかなるだろうと、楽観の姿勢をとってみる。光がどこまでも乏しいあぜ道を一歩一歩軽いテンポで歩いていく。二秒で足を滑らせ泥濘に靴を進呈してしまったが気にはしないでおこう。予想の範疇さ。とりあえず今後は慎重を胸に宿らせておく。

 日は落ちて完全な闇の中。夜の帳が下りる、なんて言葉があるけど、帳ってなんだろう。帰ったら辞書を引いてみようか。わからないことがあったらすぐに調べないと。知識は何もせずに頭の中に取り込まれていくような、そんな生易しいものじゃない。知ろうと思えないと、知れない。当たり前だけど。当たり前すぎて、あまり意識できない。きっと僕だけじゃないはずだ。知りたいことはたくさんあるくせに、知るのが怖くて敬遠する日々。そこまで具体的なよくわからない感覚が頭を占めてるような人間は、きっと少数だろうけどね。

 まぁとにかく、夜の帳とやらが下りた田舎というのは暗い。とにかく暗い。昨日も歩いた道だしそれこそ毎日歩いているような道でも恐怖を覚える。しっかりとコンクリートで塗装されているわけでもないから、トラクターなどの農業機械がむき出しの土や砂を踏み荒らしていくから日によって形が全然違う。それでも一定の形というのはあるけど、暗闇では少しの違いでさえ感覚を狂わせる。何も見えない暗闇の中を一言も話さずに歩き続ける。

 時折耳元で聞こえる羽虫の不快な羽音。不安定な足場。何も見えない故の恐怖。その全てを携え、表情には少しも出さずに歩く。素直に怯えたって、誰も見てやしないのに。日本人特有の見栄が僕にも備わっていたんだなぁ、と悲しいやら嬉しいやら。僕の持ち物によくわからない感情を追加しておいてまた一歩前に足を出す。

 目的地は、昨日と同じ。

「やあ」

「消え失せろ」

「辛辣すぎない!?」

 同じなのは目的地だけでした。彼女の態度が昨日よりも輪をかけて悪化してる。僕を見る目つきも心なしか尖りが増してる気がする。良い砥石でも見つかったのかね。僕にもくれないかな。よく目つきに覇気が足りないとか言われるから少しエッジを利かせたいんだけど。軽く猟奇的な思考だな、やめやめ。

「あとその、気味も出来も悪い笑顔はやめてください」

「うーん、これでもうまくなった方だと思うんだけどなぁ」

「わかりました。それなら笑うか死ぬかのどっちかにしてください」

「なにその極端な二択」

 そんな選択肢なら、笑うしかないじゃないか。いや、社会なんてそんなものなのかもしれない。

 ……無駄に深いなぁ。

「そんな冷たい態度をとらないでよ。僕たちは同じ志を持つ者。言わば同志じゃないか」

「寒気がすることを言わないで」

 うん、僕も後悔してる。

「まぁでもさ、目的は似たり寄ったりだろ。少しは友好性を見せてくれてもいいじゃないか」

「それ、意味はあるんですか?」

 ……もう、まぁた寒気がするようなこと言ってぇ。あ、僕だけがね。

「この話はやめようか。一言ごとに鳥肌を立てる会話なんて疲れるだけだよ」

「それもそうですね」

 同志相対し初めての同意を得ました。うん、少しも嬉しくない。

「……もうやってきたの?」

 目線は彼女の持つ物に向けている。白い布に包まれた何か。昨日とは違い、その布は心なしか赤い。

「ええ。済ませてきました」

「相変わらず仕事早いね」

「単純作業ですから」

 確かにね、と言葉にはせず口内だけで呟く。見つからないよう、素早く。作業だけを見たら、ただそれだけのことだ。

「昨日は伝え忘れてたからまとめて言いますけど。昨日も今日も、特に変化はなかったです」

「……ふーん」

 昨日に引き続いて、今日も何もない平穏な日々を送るとは。臆病なのか、それとも豪胆なのか。たった一人で満足したのか、今更事の重大性に気づいたか。

 どちらにしろ僕の目指す未来への進路は間違っていない。

 いや、間違えた末の今なのだから、今更正しくても意味はないけど。

「今のところは順調、なのかな」

「怖いくらいに。このまま何事もなかったら、逆に不安です」

「僕もそう思うよ」

 道中に波乱が転がり落ちてることを望むわけではないけど。少しぐらい、困難がその片鱗を見せ付けてくることはあるべきだろう。その程度の苦難なくして、僕らの目的は達成されるべきではない。

 少なくとも、すでに何人かの人生を狂わせてきているのだから。

「雫」

 名前を呼ぶと彼女は一瞥くれるだけで、それ以上の反応を寄こさない。無愛想と無遠慮はいつものことなので僕も気にせず言葉を続ける。

「僕たちのやってることは、正しいと思う?」

「少なくとも私は、自分の行いが正しいと思ってます。あなたのは、知りません。どうでもいい」

「辛辣だねぇ」

 だからこそ、優しいのか。

 僕たちが待ち合わせ、顔を合わせることにはさほど大した意味はない。「ああ、今日もお互い生きてるか」なんて落胆と安堵が入り混じったような感情が体内にあることを再確認するだけだ。

 意味があるなんて思いたくもないけど、意味は、あるんだよなぁ。

 そうこうしていると、雫の持っている物から一滴の雫が(ダジャレじゃないよ。ほんと)落ちた。ひどく鮮やかな赤色のそれは地面にすぐに馴染みコンビニの蛍光灯だけが唯一の光源の視界では見えなくなる。

「垂れてきてるけど、平気?」

「平気です。今日はちょっと、頑張りすぎただけ」

「早く持って帰った方がいいよ。白い布が真っ赤になる前に」

 まだほんの数箇所にしか浮かび上がらない赤い点が、真っ白い布を染め上げる前に。その物的証拠を持ち帰り、彼女に見せ付けるべきだろう。

 それが、どのような結果を生もうとも。

 それこそ、産んだ本人が負うべき責だ。

「ご忠告通り、帰らせていただきます」

 わざとらしく嫌味ったらしく。雫は令嬢のように恭しくお辞儀をする。これがまた様になってるから困る。中身は真逆だろうに。

「ああ、そうそう」

 それならと、僕も一つ嫌味を返すことにしようか。

「ねぇ雫。それって、本当に人の血?」

 切りかかられました。いや、真理を突かれたからってそんな怒らなくても。




土曜日 深夜


 今日も今日とて、これっぽっちも意味のない一日でした。

 日記を付けるとしたらこの一行で済んでしまいそうだ。僕自身が何をしたかぐらいは書き足した方がいいかもしれないけど。気概が湧かない。それに日記だなんて、そんなあからさまな証拠を残して置くのは得策ではないだろう。まぁ、書かないけど。めんどくさい。例え僕の日々が充実していようと、残すほどの価値があるとは思えない。

「……寝るか」

 別に眠くとも何ともないけど。ずっと起きているのは、辛い。もう部屋の中にはあの芳しい香りは残っていない。結局、僕の思い込みではなかったようだ。時間が経てば消えてしまう、確かな質量を持ったものであっただけで。

 惜しいと考えてしまうのは、もう二度と手に入らないからだろうか。明日、ちょっとぐらい無茶をすればもう一回ぐらい味わえそうだけど、どうしようか。

 テレビをつけてニュースを放映しているチャンネルに合わせる。そして郵便受けに投函されていた夕刊に目を通す。

 ……何も、変わっていない。これならもっと、好き勝手出来たじゃないか。今日で最後だというのに。部屋に充満していたあの芳しい香りは次第に薄れてしまっている。もっと嗅ぎたい、足りない。けれど、もう時間はないかもしれない。

 無茶をしたところで、結那以上の幸せは得られる保証はない。それに、こんな田舎村だとしても、易々と二人目を許すほど警察は甘くないだろう。今更捕まるかもしれないリスクを考える辺り、中途半端なのか、まともなのか。

「あー、早く明後日になれー」

 そう、明後日まで耐えればいいだけだ。それまで耐えれば、僕はまだまともでいられるかもしれない。いや、一度実行している時点でまともも何もないけど。

 壊れてはいるけど、まだ普通の生活に羨望を抱くとは。

「……結局、中途半端なだけか」

 鴨がネギを背負って現れたら、実行しようか。なんてありえない期待をしながら、僕は目を閉じる。

 まだ、ほんの少しでも残っているかもしれない香りを嗅ぎ分けるように、鼻呼吸をメインにして眠りにつこう。

 期待はいつだって持っていないと、ねぇ。



・日曜日 明け方


 首が痒い。傷口は然程深くもないくせに、痛みは断続的に僕の痛覚を刺激する。

「まぁ、これぐらいは、受けてしかるべきだけど」

 痛みのない人生なんてない、なーんて綺麗事が脳裏に浮かぶ。きっと、そんなことはない。何億何万と人が生きて、そしてその何倍もの人がすでに死に絶えてきたこの世の中なんだ。一つぐらい、何の痛みもなく幸せに生きた人生を送ったなんて人がいても不思議じゃない。ずっと幸せで、幸せのまま死んでいった人が絶対いるのに。たまたまそんな人を見たことがないだけだ。

 それに、産まれてすぐに死んだ場合も痛みのない人生だよねぇ。今の僕には、それさえも幸せな人生なのかもしれないだなんて思えてしまう。言外にはしないけどね。殴られても殺されても文句は言えない。

 それはそれで、望むところなのかもしれないけど。

 しかし、本当に首が痒い。掻き毟ってしまおうか。傷が開ききってしまうけど、いっそ爽快かもしれない。僕って嗜虐趣味はあるけど、自虐趣味はあるのかな。どっちも本質は似たものだから、有していてもおかしくないけど。

 数少ないチャンスは大切にしないといけないのに、僕はいつも逃してばかりだ。

 だから、もう出し惜しみはしない。出来ること、やりたいことは全てやってのける。

 今日には、何もかも終わらせよう。

 そうと決まれば、もう一度眠りに就いておこう。寝足りないわけではないけど、休息はしっかりとっておかないと。

 一歩間違えれば、今日が僕の命日になりかねないし。












「どうして、私って生きてるんだと思う?」

 そんな自己存在意義を人に尋ねないで欲しかった。

「さぁ、なんでだろうね」

「彼氏ならビシッと即答してくださいよー」

「急に彼女から哲学的な問いをされた彼氏の身にもなってくださいよー」

 高校生のカップルがする会話の内容じゃないだろうに。成熟してるのか、枯れてるのか。判断が難しいところだ。

 まぁでも、誰だって一度は考えることだろう。人によって時期は様々多種多様だろうけど。それでも、一度は。まともな思考回路や生活を送ってきたような人はね。

 学校からの帰り道はいつも人気が無い道を選ぶ。いやまぁ別に、選ばなくても自然に人気なんて失せていくんですけどね。田舎の道の多さと各住宅のバラけっぷり舐めんな。誰に対して憤りの感じたのだろうか。

「いいかい結那。そういうのは人に聞くものではなく、自分で見つけるものなんだよ」

 なーんてどっかの別次元の誰かが紙面で偉そうに語っていた気がする。薄っぺらい紙の中で生きてる人物の薄っぺらい言葉だ。薄くて喜ばれるのは保護フィルムと携帯電話と避妊具ぐらいじゃなかろうか。僕にはどれもさほど関係ないけど。

「じゃあ、見つからなかったら死んでもいいの?」

「……それは、どうだろうねぇ」

 別次元彼らは、運よく、悪く言えば予定調和で「自分の生きる意味」なんてものを見つけたから。迷わずに生きていけるんだろう。

 けど、それが見つからなかった人はどうすればいいんだ? 見つかるまで生きろと? 当てもないのに?

 自分がどうして生きているのかもわからずに日々を過ごしていけ、と。

 よく皆、そんなことできるよなぁ。

「どっかに落ちてないかなぁ。生きる意味」

 金欠の少年が道端に落ちた金銭を望むように、彼女がそう呟く。どこかに自分が生きる意味が無造作に転がっていることを望む。

「落ちてたらいいねぇ……」

 もちろん、僕だって。

「ね、明日デートしようよ」

「今までの会話の流れを一気にぶった切ったね」

 もし意図的なら大したものだ。意図的じゃないとしても、大したものだけど。

「いいじゃんいいじゃん。しようよ、デート」

 彼女が僕の右手を抱きかかえてピョンピョン跳ねながらおねだりしてくる。君はいったい今年でいくつになったとご自分ではお考えですかね。様になってて大層可愛らしいから止めないけど。いやぁ、眼福眼福。

「いいけど、何するのさ」

「デートだからね。ちょっと遠出して、買い物してー、映画見たりするの。お兄ちゃんの誕生日パーティがあるから、長いことは一緒にいれないけど」

 結磨さんの話が挙がる度に、少々複雑な気持ちになる。あの人のシスコンっぷりは常軌を逸しすぎて逆に笑えるぐらいだからな。でも彼がいなかったら、結那と付き合うこともなかっただろうし。

 けど、もし僕とのデートで自分の誕生日パーティに結那が遅れたら……うっわぁ笑えないよ。

「だからね、明日をタイムリミットにしようと思います」

 より一層、笑えない話題が耳に入る。

「明日の夜、また会おう。そこで私の生きる意味を、ミケが見つけてくれなかったら。終わりにしよ」

 ああ、そういえばそうだった。僕には僕の、君には君の目的があって。

 だから、僕たちは付き合いだした。

 どこまでもギブ&テイクな関係。悲しいほどに。悔しいほどに。嬉しいほどに。笑えるほどに。

 どこまでも、利己的な関係で。

「最初の目的通り、ミケが私の生きる意味を見つけてくれなかったら」

 無様に自己を見失っていた僕に向けて、結那がもう一度宣言をくれる。

「約束どおり、私を殺して」



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