11.戦場のような
「君は、失敗したのか」
店主は背筋を伸ばし、セリスをじっと見た。その声音には、どこか責めるような響きがあった。
セリスは深く息を吸い、うなずく。悔しさと落胆を混ぜた低い声で言った。
「はい。失敗しました。……逃げられました。行方はまだ分かっていません。人を出して探させていますが、手がかりがありません」
彼方は眉をひそめた。
(これは、少し深刻かもしれない)
この数日、彼はわざわざ調べたのだ。ブリン・ケイリ、そしてクアーリ鉱業について。
もともとこの会社の名は、耳にしたことがあった。ロズモアでアイアンベイの資源開発を一手に握る大企業で、その系列には副業の看板も並んでいる。鉱物開発から派生した宝飾と化粧品、生物開発から生まれた食品。生産網も工場も、桁違いに大きい。
調べて分かったのは、この会社がロズモア中央の上層と切っても切れない関係にあるということだった。背景は厚い。アイアンベイの資源開発を独占するだけでなく、アイアンベイの住人を雇う資格を、この地区で唯一持っている。
それ以外の者がアイアンベイの住人に触れれば、即、違法。重ければ終身刑。しかも家族まで、サン・コルヴォ教会の信徒によって追われる。
クアーリ鉱業という会社の、特異な立場がうかがえる。
そしてブリン・ケイリの一人娘であるセリスは、疑いなく高貴で冷たい令嬢だ。
財産も地位も高く、求める者も数えきれないはずの女性が、ここまで酷い男に引っかかった。しかも彼女は、弱くていいように扱われる類の人間には見えない。
(なら、相手が一枚も二枚も上手だったということだ)
しかも、最初から狙っての犯行。あるいは、組織的な犯罪。だからこそ、セリスの報復は失敗し、行方も掴めない。
そう――犯罪だ。
彼方の目には、金も女も騙す男は、紛れもない詐欺師だ。しかも、普通の詐欺より質が悪い。
彼は表情を緩め、茶を注いで差し出した。
「落ち着いてください。まず、ここ数日、相手に何をしたのかを話してください」
相手は明らかに挫けている。焦り、自分を疑っている。こういうときは、前回のように厳しく強く出るべきではない。
前回は、少し「迫る」感じがあってよかった。復讐の決意を、素早く立てさせるためだ。
今回は、まず心を落ち着けさせる。
相手が逃げたということは、つまりセリスの報復はすでに動き、十分な成果を上げたということだ。最後に、取り逃がしただけ。
ただ、その不徹底さが、無理に立てた決意をぐらつかせている。
だが、心配には及ばない。あの家の勢力なら、人一人見つけられないはずがない。今の状態は、明らかに一時的なものだ。
セリスがまた相談に来たのは、藁にもすがる思いだろう。
だが、それ自体は悪いことではない。前回の言葉を信頼したからこそ、また来たのだ。
(もう一度きちんと手当てすれば、この客は確実に定着する)
今の彼方の狙いは、相手に自分で思い出させ、語らせることだ。報復の日々を反芻させる。取り逃がした悔しさから離し、自分の強さを思い出させる。自信を呼び覚まし、落ち込みから引き上げる。
セリスは、店主が眉をひそめたのを見て、胸が縮んだ。
(まさか、今回の行動に失望したのでは)
(別の誰かに代えるつもりでは)
恐怖が、一気に胸を覆う。ブライスの逃亡を知ったときより、ずっと強い不安だった。
だが幸い、彼方はすぐにいつもの微笑みを戻し、前回と同じように茶を注いだ。
セリスは思わず息を吐く。
(認めて、許してくれたのだ)
(私の行動を報告させ、反省と自省を求めているのだ)
セリスはカップを受け取り、水面を見つめて言った。
「彼との争いは、実質、二日だけでした。向こうが優位にありましたが、ご指導のあと、私も力をつけていました。彼は、ほぼ退く一方でした」
「昨日、五時間の激しい攻防のすえ、こちらも少なくない代償を払いましたが、彼の本拠を潰すことができました……」
「ですが、そのとき分かったのです。彼は、自分が敵わないと早くから知っていて、協力者を捨てて逃げていたのだと。私が軽く見すぎていた。これほど順調に進むこと自体が、おかしな前触れだったんです」
彼女は恥じるように顔を上げた。
「すみません、神谷さん。私が、いい気になっていました」
「いいえ、構いません。あなたのせいじゃない」
彼方は微笑みを保ちながら、内心で口の端を引きつらせ、茶を一口飲んで隠した。
(……なんだか、妙だな)
だが、世間では言う。恋は商い、商いは戦場。
なら、置き換えれば――恋は戦場だ。
この令嬢は、商売の言葉に慣れているのだろう。だから、物の言い方が妙になる……のだろう。
(はは。ははは)
しかも、さっきローリーという男が、彼女を「頭」と呼んでいた。この令嬢は、中二病の黒幕気取りの類か。大家の子には、ありがちな病気だ。
うん、そう考えれば、辻褄は合う。
つまり彼女の話はこうだ。その男と三日間、駆け引きをした。言葉のこともあれば、法のこともあり、多少血なまぐさかったこともあるだろう。
男には協力者がいた。腰巾着か、その程度の友人だ。それを使って彼女を騙したが、今は同じ側に立ち、報復に手も足も出なくなっている。
だが最後になって、彼女は気づいた。狡猾な男は、最初から逃げ道を用意していた。
――切り捨てたのだ。仲間を囮に残して、自分だけ逃げた。
「なるほど……」
彼方はうなずき、落ち着いた自信のある声で咳払いをした。
「それなら、分かりました。すべて理解しましたよ」
セリスは内心で喜び、表情を抑えて慎重に訊いた。
「何か、お考えが」
――二人が話すあいだ。
ローリーは傍らに立ち、手持ちぶさたに、習慣で店内を眺めていた。
これが、彼の職業病だ。
もとは情報の売人だった。狩人になってからは、霜牙の頭領ブライス・モイランに情報を提供してきた。戦いは得意ではない。だが、情報にかけては、オルデル協会にすら人脈と目を持っている専門家だ。
武力に屈し、小者らしく媚びへつらってはいても、内心には自分の誇りがある。
ロズモアで、彼の知らないことはほとんどない。
彼の手には、まだごく狭い範囲にしか流れていない情報すらある――「黒面の蛇」コルム・グリムが、今、このロズモアの市街にいる。
それなのに。
この女は、いったい何をしているんだ。




