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ルーベル村のレオン

 ルーベル村の朝は、鶏の鳴き声より少しだけ早い。


 まだ夜と朝の境目が曖昧な時間。


 空には薄く星が残り、東の空だけがかすかに白み始めている。


 村を囲む森には朝靄が漂い、畑には露が降りていた。


 遠くで牛が鳴く。


 風が麦を揺らす。


 そんな、どこにでもある田舎の朝だった。


 レオンは夢を見ていた。


 何の夢だったかは覚えていない。


 ただ暖かい夢だった気がする。


 だから。


「レオーーーン!!」


 その夢をぶち壊した声の主を、少しだけ恨んだ。


 布団を頭まで引き上げる。


 聞こえないふりをする。


「レオーーーン!!」


 聞こえない。


「レオーーーン!!」


 うるさい。


 非常にうるさい。


 だが無視だ。


 まだ寝る。


 今日はまだ眠い。


 そう決めた。


 すると。


 ドタドタドタドタ。


 階段を駆け上がる音。


 レオンは目を閉じたまま、深いため息を吐いた。


 嫌な予感しかしない。


 そして。


 予感は裏切られなかった。


 勢いよく扉が開く。


「起きろぉぉぉぉ!!」


 次の瞬間。


 布団が消えた。


「うおっ!?」


 冷気が一気に流れ込んでくる。


 レオンは飛び起きた。


 目の前には、腹を抱えて笑っている少年。


「ははははは!」


「トム!!」


「起きた!」


「起きたじゃねぇ!」


「今日は特別だから!」


「何がだ!」


「誕生日!」


 本人は胸を張っていた。


 どうやらそれだけで全てが許されると思っているらしい。


 残念ながら許されない。


 レオンは弟の頭を掴んだ。


「いたたたたた!」


「朝から何してんだ」


「だって今日誕生日だぞ!」


「知ってる」


「十歳だぞ!」


「知ってる」


「大人だぞ!」


「違う」


「なんで!?」


 トムは本気で驚いていた。


 階段を下りる。


 焼きたてのパンの匂いがした。


 レオンはこの匂いが好きだった。


 母が朝早くから起きて焼いてくれるパン。


 都会の人間が食べたら笑うかもしれない。


 形も不格好だし、少し焦げている時もある。


 でも、レオンはこのパンより美味いものを知らなかった。


「おはよう」


 母が振り返る。


 柔らかく笑う。


 レオンも自然と笑った。


「おはよう」


「ちゃんと起きられた?」


「起こされた」


「私じゃないぞ!」


 トムが主張した。


 誰も聞いていなかった。


 父は既に席についていた。


 大柄な男だった。


 日に焼けた肌。


 太い腕。


 畑仕事で鍛えられた身体。


 村では頼りにされている。


 けれど家では。


「トム」


「なに?」


「十歳になったんだから今日から畑仕事二倍な」


「嫌だ!」


 こんな感じだった。


 レオンは吹き出した。


 母も笑う。


 父も笑った。


 食卓を囲む。


 いつもの四人。


 父。


 母。


 レオン。


 トム。


 当たり前の光景。


 だがレオンは、この時間が好きだった。


 誰かに言ったことはない。


 父にも。


 母にも。


 トムにも。


 言ったことはない。


 けれど好きだった。


 朝食を食べながらくだらない話をする時間が。


 家族が笑っている時間が。


「そういえば」


 父がパンをちぎりながら言った。


「トム」


「ん?」


「将来何になるんだ」


 トムは即答した。


「レオン!」


 一瞬静寂。


 そして。


 父が吹き出した。


 母も吹き出した。


 レオンも思わず笑ってしまう。


「職業じゃねぇよ」


「じゃあレオンみたいな人!」


 真っ直ぐな目だった。


 少しだけ気恥ずかしくなる。


 レオンはパンを齧った。


「やめろ」


「なんで?」


「恥ずかしい」


「なんで?」


「なんでもだ」


 トムは納得していなかった。


 朝食後。


 父とレオンは畑へ向かう。


 トムも付いてくる。


 働くためではない。


 邪魔をするためだ。


 村の道を歩く。


 見知った顔ばかりだった。


「おうレオン」


「おはようございます」


「トム坊主、誕生日だってな」


「そう!」


「じゃあ働けよ」


「なんで!?」


 今日だけで何回聞いただろう。


 周囲から笑いが起きた。


 ルーベル村はそういう村だった。


 皆がお互いを知っている。


 誰がどこの家の子供か知っている。


 どこで生まれたか知っている。


 何が好きかも知っている。


 時々面倒だ。


 だが悪くない。


 畑に着く。


 朝露が葉の上で輝いている。


 父は慣れた手付きで作業を始めた。


 レオンも続く。


 トムも。


 一応続く。


 三分後には虫を追いかけていた。


「トム」


「なに?」


「働け」


「今やる!」


 やらない。


 しばらくして。


 レオンは気付いた。


 トムがいない。


「またか」


 父が笑う。


「探してくる」


「頼む」


 完全に常習犯だった。


 村外れの大樹。


 案の定。


 トムは枝の上にいた。


 寝転がって空を見ている。


「何してる」


「休憩」


「働いてないだろ」


「そのうち働く」


「母さんが探してたぞ」


「怒ってる?」


「めちゃくちゃ」


 トムは真顔になった。


 そして慌てて木から降りた。


 降りる途中で落ちた。


「いたっ」


 レオンは頭を抱えた。


 けれど。


 そんな弟を見ながら。


 少しだけ笑った。


 昔。


 トムは森で牙ウサギに襲われたことがある。


 まだ六歳だった。


 泣きながら逃げていた。


 レオンは今でも覚えている。


 あの日の恐怖を。


 あの日の安堵を。


 守れたことを。


 だから今も剣を振る。


 もっと強くなりたい。


 村を守れるように。


 家族を守れるように。


 トムを守れるように。


 それは特別な夢じゃない。


 ただの当たり前だった。


 レオンはその時。


 未来に何が待っているのか。


 まだ何も知らなかった。


 ただ。


 青く広がる空の下で。


 弟の背中を見ながら。


 穏やかな一日が続いていくものだと。


 そう信じていた。

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