1-5 その頃、王都では 残響:王都の機能不全(万象の不協和音)
ルシ=ファーレンという特異点が放逐されてから、一ヶ月。
かつて大陸随一の繁栄を誇った王都の心臓部、王立魔導師団の主執務室は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「報告します! 第八居住区の魔導竈が全域で異常加熱、暴走しています!
結界維持用の魔力が逆流して、各家庭の厨房から火の手が上がっている模様!」
「こっちもだ! 噴水広場の水流制御が完全に沈黙した!
逆流した水が排水路を破壊、このままでは王都の低地が水没するぞ!
術式が……理の記述が、糸屑のように絡まりすぎて、誰も、誰も解読できない……!」
エリートを自称していた魔導師たちが、血走った目で、警鐘が鳴り止まない世界樹の端末を叩く。
だが、水晶の盤面には無慈悲な刻印が浮かび上がるのみだ。
『致命的なエラー:未定義の記述式が呼び出されました。
魔力の蓄積が限界を超えています』
「ええい、無能どもめ! どけ、私がやる!」
苛立ちを隠さず現れたのは、ルシを追い出し、その功績を奪い取った師団長シグルド=アイズベルクだった。
彼はルシがいなくなった後、空いた予算を私腹に肥やし、「あのガキがいなくても、世界は慣性で回る」と吹聴していたのだ。
「ルシがやっていたのは、ただの雑事だ。
この私にかかれば、こんな不協和音なぞ――ひぃっ!?」
シグルドが自身の魔導鍵を差し込んだ瞬間。
巨大な警告魔法陣が、網膜を焼くような深紅に燃え上がった。
『警告:不正な干渉を検知。 管理権限が消失しています。
これより……段階的崩壊を開始します』
「な、なんだこれは!? 私の権限が拒絶されただと!? 何が起きている!」
「師団長! ルシは、我々が気づかぬ世界の裏側で、瞬きほどの間に四〇〇回もの微細調律を繰り返していたのです! 彼は……彼は単なる魔導師じゃない。
この国を動かす万象の歯車そのものだったんですよ!」
絶望に顔を歪めた若手魔導師が叫ぶ。
世界樹ユグドラシルは、ルシという超天才が、設計の欠陥を自らの魔力と演算能力で無理やり補完して動かしていた歪な怪物だった。
彼という唯一の脳を失った巨体は、今や膨大すぎる自重に耐えきれず、自壊を始めていた。
「そ、そんなはずはない! あいつはただの子供だったはずだ!
おい、今すぐ連れ戻せ! どこにいる!?」
「わかりません!
彼は西の果て、魔獣が巣食う荒野へ向かったきり足取りが途絶えて……」
シグルドの顔が、真っ青から土気色へと変わる。
窓の外では、王都を照らしていた魔力灯がひとつ、またひとつと音を立てて消え、文明の光が闇に呑み込まれていく。
「……探し出せ。 何としてもだ! 謝罪でも何でもしてやる!
あいつがいないと……この国は明日をも保たんぞ!」
◆
「シグルド師団長。 陛下がお呼びです。 至急、王の間へ」
背後からかけられた声に、シグルドは心臓が跳ね上がるのを感じた。
やってきたのは王の近習だ。
王の間へ続く長い回廊を歩きながら、シグルドは必死に弁明の構築を試みていた。
ルシを追放したのは自分だ。
今更、あの子供がいないせいで国が滅びかけているなどと認めるわけにはいかない。
それは魔導師団長としての死を意味する。
(もしルシが魔獣に喰われでもしていたら。
……いや、奴のことだ、しぶとく生きているに違いない。
あのメギストスから姓を継いだ男だ。
魔物くらい、論理の隙を突いて追い払っているだろう)
そう自分に言い聞かせなければ、足の震えが止まらなかった。
とりあえず、すべての不具合はルシが去り際に仕込んだ悪質な呪いということにしよう。
そう決めると、彼は氷の貴公子と呼ばれた頃の冷徹な仮面を貼り直した。
「シグルド=アイズベルク、参りました」
重厚な扉が開くと、そこには各省の大臣、そして彼を敵視する騎士団長と魔導師副団長が列をなしていた。
玉座に座る国王の視線は、絶対零度の鋭さで彼を射抜く。
「副団長から話は聞いているぞ。
一人の子供が平然と管理していた世界樹を、師団総出でかかって、一ヶ月経っても成果ゼロ。
……これは一体どういう喜劇だ?」
「……ルシ=ファーレンが去り際に残した、悪質な記述エラーの対応に追われているだけです。
すぐに復旧させてみせます」
「そのルシは、魔獣が巣食う荒野へ向かったそうだが?
死人にすべての責を被せ、保身を図ろうとしているのではあるまいな?」
王は鼻で笑った。
「ならば早急に事態を鎮静化したまえ。
子供にできていたことが大人の貴公らにできぬなど、あってはならんことだ。
それとも何か?
貴公らは子供一人にすべてを押し付けて、自分たちは優雅に遊んでいたのかね?」
周囲の大臣たちから失笑が漏れる。
シグルドは羞恥で顔を真っ赤に染めながら、絞り出すように答えた。
◆
シグルドが去った後、ゼノス副団長は王の前に一歩進み出た。
「陛下。 ……先ほどの陛下の仰せ、事実でございます。
魔導師団の連中、とりわけシグルド団長は同門であるルシを激しく嫉妬し、その不老の体質を悪用して酷使し続けていたのです」
王は深い溜息をついた。
「ふん、化けの皮が剥がれたな。
大人げない嫉妬で国宝級の鍵を捨てたか。
……バルトス、引き続き師団の内情を報告しろ」
「はっ。 御意に」
バルトスが退室すると、王は横に控えていた騎士団長に視線を移した。
「騎士団長。 ルシ=ファーレンの足跡を辿れ。
もし生存しているならば、最優先で確保しろ。
謝罪でも、爵位でも、金でも何でもいい。
あれを連れ戻さねば、この国に明日の朝日は昇らん」
「はっ。 ただちに特務部隊一個師団を派遣いたします」
こうして、王都はたった一人の子供を失った代償として、未曾有の混迷へと突き進んでいくこととなった。
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