3-9 独白:反撃の論理(ロジック)と、黎明の遠吠え
深夜のエリュシオン。
港を見下ろすログハウスのテラスで、俺は一人、寄せては返す波音を聴きながら思考の深淵に沈んでいた。
かつて世界樹の深層で記述の海に溺れていた時と同じ、あるいはそれ以上に深い、自己への問いかけ。
(……俺は、ただ逃げることに精一杯で、周囲の情報を無視しすぎていたのではないか?)
今にして思えば、前師団長の急逝もあまりに不自然だった。
当時の自分はそれを、淡々と受け入れていたが、もしあれが作為的な仕業だったとしたら。
他の師団員たちと対話し、情報の共有を図っていれば、シグルドの独走を未然に防げたのではないか。
結局のところ、自分は世界樹という安全な巣に籠もり、完璧なコードを綴る自己満足に浸っていただけではなかったか。
考えれば考えるほど、自責の念が澱のように心に溜まっていく。
傍らに置かれた琥珀色の蜂蜜酒は、一口もつけられないまま、ぬるくなっていた。
◆
リーフは、そんな俺の背中を、室内の影から静かに見守っていた。
(根を詰めすぎなければいいのだけれど……。
あんなに思い詰める必要なんてないのに。
世界を背負いすぎるのは、彼の悪い癖ね)
リーフは、自身の一部でもある母……世界樹ユグドラシルの大系へ、密かにアクセスを試みた。
彼女だけが知る、監視を掻い潜るための特別回線。
そこで視た王都の現状は、俺の懸念を裏付けるように混迷を極めていた。
シグルドは相変わらず、無能な統治と的外れな指示を撒き散らしている。
だが、事態はさらに深刻だった。
魔導師団の副団長と騎士団長が密約を交わし、愚鈍な王さえもその権力闘争に加担している。
内部で膨れ上がるシグルドへの憎悪。
そして外では、見捨てられた特務一個師団の生き残りが、シグルドの息の掛かっていない辺境の街で、王都の腐敗を喧伝し、反旗を翻す同志を募り始めている。
(……あと、一息。
ピースを揃えるには、三つの「欠陥」を修正しなければならない)
一、前魔導師団長の不審死、その原因の特定。
二、現魔導師団の離反者と、外にいる特務部隊一個師団との回線接続(連携)。
三、歪められた公式発表を上書きする、各町や村への正しい情報共有。
リーフは冷徹な確率計算を走らせた。
(もし今、ルシが旗印となって反撃の狼煙を上げたら……成功確率は、まだ低いわね。
王都に近いほど、シグルドの偽情報が支配している。
点と線が、まだ繋がっていない)
歯がゆさを覚えながらも、リーフはテラスへ歩み寄り、俺の隣に立った。
そして、今視たばかりの三つの懸念点を、淡々と、だが力強く告げた。
◆
リーフから告げられた三つの病巣。
俺はそれを頭の中で論理構造図へと変換した。
前師団長の死の証明は、現場の痕跡が消された今となっては困難だ。
だが、二つ目の内と外の連携は、アイリスという特務の生き残りがここにいる以上、不可能ではない。
最大の難問は三つ目――王都の支配下にある街々への、真実の伝達。
俺は窓から、夜明けを待つ静かなエリュシオンを見下ろした。
このまま、この街の安寧に甘え、隠者として朽ちていくのか。
それとも、茨の道を選び、世界そのものを書き換えに行くのか。
答えは、最初から決まっていた。
俺は懐から魔導通信石を取り出し、メギストス師父へと呼びかけた。
「……師父。 隠居は、まだ先になりそうです。
この街の歪みを正すついでに、王都の理を、少しばかり書き換えてこようと思います」
『ルシよ……。 その先にあるのは、安息などない茨の道じゃぞ。
分かっておるのか?』
通信石から響く師父の声は、弟子の覚悟を試すように重かった。
「ええ、重々承知しています。 まずは、俺にできる『間違いの修正』から始めますよ」
『……ふっ、覚悟は決まったようじゃな。 やってみるがよい。
後ろには、わしらが付いておる。 ……世界に、誰が真の管理者かを知らしめてこい』
「ありがとうございます、師父」
◆
翌朝。
ログハウスの作戦卓には、俺、リーフ、メギストス、バナード、そしてアイリスの五人が顔を揃えていた。
俺は卓上に広げた魔導地図の一点――王都ユグドラシルを指差した。
「作戦を伝えます。
まずは、この港町から王都へ向けて、逆探知不可能な『巨大な魔力干渉』を叩き込みます。
シグルドの目の前で、王都を覆う全防御陣を、一時的に沈黙させる」
その大胆不敵な案に、アイリスが息を呑んだ。
「……そんなことが可能なのですの?
王都の結界は、建国以来一度も破られたことがないはずですわ」
「理屈は簡単です。 俺が作った結界ですから。 ……目的は、俺の健在を王都に示すこと。
そして、世界樹の深層回路を経由して、特務の生き残りたちとの『秘匿通信路』を強制的に確立することです」
内憂外患に喘ぐシグルドに対し、これ以上の追い打ちはない。
俺は続ける。
「通信路が繋がれば、城内の魔術師団と、城外の特務部隊が直接連携できるはずだ。
そこから組織を切り崩す。 ……どうかな、リーフ?」
リーフは目を閉じ、数瞬の沈黙の後に答えた。
「……成功確率は、数パーセント上昇。 何もしないよりは、ずっとマシな賭けね」
「やりましょう、ルシ!」
アイリスが身を乗り出し、俺の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「私も、私の持てるすべてを賭けるますわ。
特務部隊の通信石……これを使って、必ず散り散りになった仲間たちへ真実を届けてみせます。
成功させてくださいまし、ルシ!」
「ああ。 作戦はこのログハウスで行う。 ここには世界樹の枝(端末)がある。
廃村や古い中継塔を中継点として利用すれば、シグルドの眼を盗んで世界樹の核へアクセスできるはずだ」
俺の指先が、地図上に新たな理の道を描き出していく。
それは、世界を救うための戦いであると同時に、一人の魔導師が自らの過去という負債を清算するための、最初の一歩だった。
黎明の光が、五人の決意を静かに照らし始めた。
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