3-2 導き:街灯の律動と、空虚なる玉座
噴水広場の中心で、メギストスが眉をひそめた。
彼が放った探知の旋律――真実を綴る魔力の波紋が、ある一点を境界にして急激にその性質を変容させたからだ。
本来であれば、障害物に当たり減衰していくはずの反響が、まるで吸い込まれるように、北の方角にある一軒の酒場へと収束していく。
「……なんじゃ、これは。 わしの術式が、編み直されておる?」
メギストスは杖を握る手に力を込めた。
彼が数十年の歳月をかけて練り上げた探知の深淵が、まるで見えない巨大な指先によって書き換えられている。
驚愕すべきは、その干渉の優雅さだ。
力任せの遮断ではなく、糸の端を優しく摘み、望む場所へと結び直すような、神域の精密さであった。
傍らで腕を組んでいたバナードが、空を見上げて鼻を鳴らした。
「おい、メギストス。 見ろ。 白昼堂々、妙なことが起きてるぜ」
バナードが指さした先では、石造りの街路を彩る魔導灯が、不自然なリズムを刻んでいた。
一拍おいて明滅し、一拍おいて消える。
その光の瞬きは、まるで意思を持った道標のように、街の奥へと続いている。
「探知の糸が指し示す先と、あの光の向かう先……一致しておるな」
「誘っておるわけか。 これほど手の込んだ真似をする奴に、心当たりはあるか?」
「……一人しかおらん。
そしてその一人が、わしの想像を遥かに超える階梯に立っておることも、認めざるを得んの」
二人の老兵は視線を交わし、不敵な笑みを浮かべた。
逃げ隠れする気がないのなら、その誘いに乗るのが礼儀というものだ。
二人は光の導きに従い、港町の石畳を力強く踏みしめた。
◆
一方、遠く離れた王都世界樹ユグドラシルの心臓部。
かつてルシが座っていた管理者の椅子には今、魔導師団長シグルドが腰掛けていた。
だが、その表情には余裕のかけらもない。
「……違う! その一文字ではないと言っているだろう!
術式の結合部を三層分、並列に繋ぎ直せ!
無能共め、私の指示が聞こえないのか!」
シグルドの怒号が、重厚な石造りの管制室に響き渡る。
彼の手元には、かつてルシが残した世界樹管理権限の残滓があるのみだ。
世界樹そのものへの直接アクセス権――理の根源に触れる資格を喪失した彼は、末端の術式に継ぎ接ぎの修正を当てることしかできない。
目の前に展開された膨大な理の記述は、赤く明滅し、崩壊の予兆を告げている。
一箇所を直せば別の箇所が弾け、一行を書き換えれば全体の均衡が崩れる。
「団長、無理です!
その結合部をいじれば、下層の循環が止まり、担当の魔導師が魔力逆流で死にます!」
「黙れ! 代わりの魔導師などいくらでもいる!
世界樹の安定こそが最優先だ。 死にたくなければ、根性で理を繋ぎ止めろ!」
シグルドは、自身が直接理を編めないもどかしさを、部下への罵倒で紛らわせていた。
階下で作業にあたる若き魔導師たちは、顔を青白くさせ、鼻血を流しながらも杖を握りしめている。
彼らの瞳には、恐怖を通り越した冷徹な殺意が宿り始めていた。
シグルドの指示は、現場の術理から乖離した的外れなものばかりだ。
ルシがいた頃は、一見複雑な不具合も、彼が「ここを一行、書き換えるだけでいい」と微笑むだけで、嘘のように鎮静化した。
だがシグルドは、ただ複雑な数式を積み上げることでしか問題を解決できない。
結果として、魔導師団の疲弊は限界に達し、彼らは一つの確信を共有していた。
(何故、こんな男が師団長になれたのだ?
ルシがいれば、こんな地獄は数秒で終わるというのに……)
皮肉にも、バラバラだった王都の魔導師団は、シグルドという無能な暴君への憎悪という一点において、かつてない結束を見せ始めていた。
◆
再び、エリュシオンの酒場『潮風亭』。
窓際の席に座るルシは、ピアノを弾くように、指先を微かに動かしていた。
彼の視界には、街全体の魔導網が回路図のように展開されている。
師匠たちが一歩進むごとに、次の街灯に微細なマナを流し、明滅の感覚を調整する。
それは、街全体の魔導出力を一手に掌握し、極めて繊細に、かつ誰にも気づかれぬよう制御する神域の技術であった。
一つずつ、点しては消し。
迷わぬよう、躓かぬよう、かつての師をエスコートする。
「……ふふ、バナード師匠。 そこで立ち止まると、次の光が点きませんよ」
俺の独り言に、隣で空き皿を片付けていたリーフが、呆れたようにため息をついた。
「……貴方って人は。
街全体の魔力系統を、ただの道案内のためだけに掌握するなんて。
王都の魔導師たちが聞いたら、あまりの階梯の差に絶望して杖を折るわよ」
「いいじゃないか、リーフ。 これは俺なりの親孝行のようなものだ。
師匠たちは、こういう手の込んだ演出が嫌いじゃないはずだよ」
俺は微笑みながら、最後の街灯――酒場『潮風亭』の看板を照らす灯を、ひときわ優しく、琥珀色に輝かせた。
「さあ、お出迎えだ。 世界で最も口うるさくて、最も信頼できる……俺の師匠たちのね」
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