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2-3 半人間・半端末:非互換の存在

 北の険しい山脈を目指す道中、俺を待っていたのは魔法という名の奇跡ではなく、貴族としてのマナーという名の、息の詰まるような規律の習得だった。


「姿勢が悪い。 食事の際、背筋を曲げるな。 フォークの角度は記述の角度と同じだ。

 一つでも乱れれば、それは魔導師としての『美しさ』を損なう不具合となる」


 兄弟子シグルドの指導は、指導というよりは矯正に近かった。


 彼は俺に、魔法の基礎を一切教えようとはしなかった。


 まるで、自分が苦労して手に入れた権限を、出所不明の野良に触れさせたくないと言わんばかりの拒絶。


 岩壁を穿って作られた、複雑な魔導回路が壁を這う隠れ家に辿り着いてからも、その態度は変わらなかった。


「まずは礼儀作法を完璧に覚えろ。

 野蛮な平民のままでは、魔力の循環サイクルすら、おぼつかんからな」


 そう吐き捨てるシグルドを、師父メギストスは「成程のう」と短く呟いて眺めるだけだった。


 師父はシグルドを止めることも、俺に肩入れすることもしない。


 ただ、冷徹な観察者の視線を保ち続けていた。


 ◆


 午後は、師父による診察という名の解析作業が始まる。


 メギストスが展開する診断用の魔術式は、シグルドが道中で見せた生活魔法などとは比較にならないほど、高度に最適化された美しい魔術式だった。


(……あそこが、生体情報の読み取り。 あっちが、精神汚染の走査スキャン……)


 俺は診察台に横たわりながら、網膜に焼き付く術式の構成を瞬時に分解し、自分の記憶領域へと取り込んでいった。


 一度見た記述は、もはや忘れることのない静的なデータとして俺の血肉となっていく。


 そんなある日のことだった。


 隠れ家の修練場で、シグルドがついに一つの到達点を見せた。


「――『凍てつけ』ッ!」


 彼は、長い詠唱を極限まで短縮する『詠唱破棄カット』を使い、絶対零度の冷気を呼び覚ました。


 目の前の空間に、分厚く堅牢な氷の壁が瞬時に構築される。


 本来なら数秒を要する大魔術を、わずか一言のトリガーで発動させたのだ。


 シグルドは額に汗を浮かべながらも、誇らしげに俺を振り返った。


 だが、俺の目には、その氷の壁が穴だらけの不完全な構築に見えてしまった。


 詠唱を省いた代償として、術式の強度が著しく低下している。


 冷却の効率が悪く、エネルギーが外部に漏れ出している。


(……もっと、こうすれば。 宣言すら必要ない)


 俺は無意識に、右手を突き出した。


 詠唱はない。


 トリガーとなる言葉すらない。


 ただ、脳内の記述を実行する。


 ――無詠唱。


 瞬間、シグルドの放った冷気を遥かに凌駕する、白銀の閃光が走った。


 俺が放った『氷の槍』は、絶対零度のまま空間の密度を固定し、シグルドが誇らしげに作り上げた氷壁を、まるで薄いガラス細工のように粉々に撃ち砕いた。


「なっ……あ、……」


 シグルドは絶句した。


 口を金魚のようにパクパクとさせ、顔がみるみるうちに屈辱の赤に染まっていく。


 詠唱破棄は、速度を優先して威力を犠牲にする手法だ。


 対して、俺の無詠唱は、世界樹と直結した脳が直接世界を書き換えるネイティブ実行。


 威力が落ちるどころか、純度は100%に達する。


「……化け物が」


 シグルドの口から漏れたのは、震えるような罵倒だった。


 その一言が、鋭いナイフとなって五歳の俺の心を深く抉った。


 それ以来、魔法の実技は師父が直々に教えることになり、シグルドはマナーを教える教育係へと降格させられた。


 二人の間に横たわる溝は、もはや修復不可能なほどに深く、暗いものへと変わっていった。


 ◆


 数ヶ月に及ぶ解析の果て。


 冬の気配が隠れ家を包み始めた頃、師父メギストスが重い口を開いた。


「ルシよ。 結論が出た。

 ……主の肉体は、もはや純粋な人間のものではない。

 半分は人、半分は世界樹ユグドラシルの外付け端末として再構築されておる」


 診察の結果を聞いたシグルドが、部屋の隅で冷笑を浮かべる。


「人外というわけか。 ……なら納得だ。

 お前は、人間に似せて作られただけの、精巧な人形なのだからな。 やはり化け物だ」


「シグルド、黙れ」


 メギストスが制止するが、その眼差しもどこか遠い。


「ルシ、主がシグルドの魔術を即座に模倣し、さらにその最適解を導き出せるのも、その端末としての演算能力ゆえじゃ。

 主にとって、世界はもはや現象ではなく記述として処理されておる」


「……ぼくは、もう、人間に戻れないんですか?」


 俺の震える問いに、師父は答えなかった。


 代わりに、彼はもっと残酷な事実を告げた。


「……端末化の代償がある。

 ルシ、主の時間は、世界樹の核と同期したあの瞬間で固定された。

 ……主の肉体は、これ以上、一分一秒たりとも成長せぬ。

 死ぬまで、五歳の姿のままであり続けるのじゃ」


 愕然とした。


 俺は自分の小さな、白すぎる手を見つめた。


 どれだけ時間が経っても。


 どれだけ学び、どれだけ強くなっても。


 俺は、この不完全な子供という器の中に、永遠に閉じ込められる。


 それは、世界で最も全能に近い力を手に入れた代償として課された、あまりに孤独な不変という名の呪縛だった。

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