【第二十六話】墓にはなんて書けばいい?(2)
【腐食亡者の大司祭】
特異な生溶肉の影響を受け変異した亡者。
強い呪いに魂を縛られた彼女は生前高名な僧侶だった為、その術を死後も使わせようと亡者にさせられた。しかし彼女本来の肉体は既に消滅しており、現在では遺骨の一部が意識の核として残っているのみである。
敬虔な信徒よ、貴女は聖女になれません。万一その道を選ぶのであれば、人の道からは外れるでしょう。
では、私は聖母となります。異形の母として、忌子達に添います。
「奴だ! 奴の死霊術で我々はッ―!」
そう叫ぶプラガハの声が途中で聞こえなくなった。
ふと想像してしまったから、その素早さを知って考えてしまったから、怖気てしまったんだ。
残虐な死を。
穢れた肉塊の一片として醜い異形に取り込まれる未来を。
足が竦んだ。頭は足を止めてしまったんだろう。しかし、それを指令した僕の頭は単調だったらしくて助かった。止まったのは足だけで、腕は問題なく、迷いもなく動いて即座に持っていた雷炎瓶を投げつけた。図らずも不定形に蠢く得体の掴めない奴相手には俺が取れる最適な手段だった。
「おいおい…」
その声の主は当然判るが、それでも声の方を向く。
フルトー・アダリオン。俺達唯一のちゃんとした戦闘要員は早くもプラガハの刺さる松明を放り投げ、大斧を構えていた。
「決断早いな。早けりゃいいってもんじゃないぞ?」
彼の構えは一撃に重きを置き、深く踏み込んだ全体重をかけたものではなく、可能な限り最速で重心の移動をさせる速攻をするような構えだった。片手に大斧、もう片方の手で儀剣も持てるので、二連撃でもするつもりなんだろう。
彼が求めている攻撃のタイミングは、俺も直感で判る。奴が防御しないだろう確実な瞬間―「俺達を攻撃する時」だ!
その時に俺がいても邪魔だろうから、俺は投げられたプラガハを拾いつつ後方に撤退した。
司祭は雷炎瓶による炎でその身を焼かれ、鞭のような触手を周囲の壁が切り裂かれるほどに存分に振るっている。だが燃やされて激昂したからそうしているのではなく、寧ろ冷静そのもの。適当に見えて、その実かなり回避し辛いようなわざと隙を作って攻撃を誘導し、そこを的確に狩るような動きをしている。
腐食した体でやっているとは思えないように見えたその動きも、時間が経つと次第に急激に鈍りが見えてきた。触手を動かす筋肉が焦げて固まったのかと都合のいい解釈をしようとしたが、勿論現実はそんな理由じゃなかった。奴の高性能センサーのように的確に動きを逃さない眼球の中の一つ ―人体を知らない人物がリストアップされた必要事項を埋めるように、適当に配置されたその体の中でも唯一違和感のないような位置にある"左目の眼球"。それが青白い光を帯び、イルミネーションが点灯するように全身の乱雑な眼球たちにまで拡散する。
全身にまで広がったかと思えば、その光の輪郭をなぞるように文字が浮き出る。勿論俺がその文字を解読できるわけもないので、なんと書いてあるかは理解できない。だが何が書いてあるかは理解はできる。
輪郭の文字の隙間にバチバチと火花が散る、プラズマのように飛び回る自由な光は、だがどこまでも規則的で一定の動きをループしているだけだ。そりゃそうだ。きっとこれは力を暴走させての光じゃない、その逆の、力を制御できるからこその光―とどのつまり、『魔法』だ。
攻撃するならここしかない! いや、ここ以外どこにもない!
フルトーさんは強い、確かに。多分本気で戦えるのならプラガハに襲われた時も撤退ではなく直接叩き潰す方向性で行けただろう。だがそれは一対一での話。他人の俺が言える話じゃないけど、多分数の暴力の前ではそうはならない。そういう予感がする、嫌なくらい外れそうもない変に確信する予感が―否定したいが緊張感の所為だろうか、背筋が冷たくなり、鳥肌が立ち、余計に不安を加速させる。
この予感は外れない、そしてきっとこう思うのは俺だけじゃない。
数百ある目玉全てから魔法を撃たれる前に、コンマの一秒でも速く攻撃して、殺す。そうするべきと思うのは、きっと俺だけじゃない。当然フルトーさんも思ってる…それもまた、外れそうもない確信だ。
フルトーさんはいつものように素早く…と形容するのも失礼なほどの速度で奴との距離を詰めた。まるで時間の流れが違う別世界に入り込んでいるように、全ての攻撃を避け尚且つ最小限で動き最短のルートを通っていった。
彼は奴から少し遠い位置から斧を投げて文字通りの上半身と下半身に分けると、左手で持った儀剣で心臓のあるだろう部分を突き刺す。そうすると彼は剣を離して奴に倒れるようにして身を傾けたかと思えば、首に相当する場所に手を突き刺した。そしてそれから数秒間が空いて頭を首から掬い上げるように腕に力を入れた。
…ふと、その時彼が何か奴に耳打ちをしたようにも見えたが、きっと気のせいだろう。
臓器が排便するように垂れ下がった奴にどこが急所だとかの常識は通じないと思っていたが、どうやらそれとは別の理屈で彼の攻撃は奴に通じたらしく、驚くべきことに一撃で無力化できた。
ある筈のない心臓がちゃんとそこに収まっていて腐り果てた体にも命があったように…或いは、未練が切れたように、異形の司祭は倒れた。奴は淡い光として肉がほどけながらふんわりと、視えない何者かにその身を委ねるように肉を動かす力が抜け、最後に残ったのは引き伸ばされた肉体などではなく、少し小さな頭蓋骨だけだった。
「…」
フルトーさんは頭蓋骨を持ち上げると彼は少し沈黙した。
十秒ほどしてやっと彼は近くにあった儀剣を拾った。
「…あっけないですね」
「一々達成感満々じゃ体もたねぇよ。物は補填できるが心の余裕は補填できねぇし、自分を気遣え」
そういうと彼は俺に儀剣を渡すと投げた大斧を拾いに行った。
一本道だからという必然性込みで―フルトーさんが拾いに行く方向には結局俺も進むことになるんだからと、プラガハのかかる松明を片手に彼に向かって歩き出した。
しかし、僕の歩き出した先は意外にも近かった。
「フルトーさん…?」
彼は拾おうと身を屈めていたが、動きはなく、不自然なまでに静かだった。何故だか彼は止まっていた。儀剣を拾った時から考えても、なにかがおかしい。それが単なる余計な不安の類ではないのは見ても明らかなことだった。
気のせいだろうか、大斧を拾おうと身を屈めた彼の姿は、まるでなにかに跪き、懺悔するかのようだった。
彼とは仮面越しなので全てが明確に判りはしないにしても、この数日の間で多少の心の機微は読み取れるようになった。そうした俺の感覚が示したのは、虚無感だった。心ここにあらず―瞳孔を開け、筋肉に力を入れ、姿勢などに気を使った警戒態勢のまま、彼は動きを止めていた。動作の途中から、あまりに唐突に体から心が抜けてしまったかのような有り様だった。
一応実験として、眼科で行われるように彼の目の前で指を前後や左右に動かしてみたところ、どうやら目で追ってはいるらしかった。…ますます訳が分からない。
「…あぁ、合点がいった」
「えっ?」
「…大丈夫。なんとかはしてみるさ」
突然、今度は口だけが動いたようだった。そうしている彼は…やはりというべきか、話は通じそうになかった。というか、彼も話が通じているとは思えなかった。ただ誰かからの言葉を一方的に受け取っているだけのような印象を受けたのだ。
しばらくすると彼はようやく幽鬼のように垂らしていた手を広げ、目の前の大斧の柄を持ち、立ち上がった。
「どうかしたか?」
あたかも何もなかったかのようにそうこちらに尋ねる彼―もう俺には自分の持つ疑問を口にしようとする気持ちは湧かなかった。ここで体験した様々なものと同じように、"そういうもの"として処理するのが最善だと頭が考えたのだろうと思って、自分の意気消沈ぶりの理由を探す気にもなれなかった。
訊いた方が良いと思う俺の直感に反し、俺の考えは物事に踏み込むことなく、無視しろと言っていた。この幽霊との交信のような出来事が、今後俺に訪れる脅威の前触れだったら? フルトーさんがもし自分に起きていたことを把握していなかったら? 不安も疑問も―立ち止まる理由はあったのに、しゃれこうべのランタンを持ちながら、俺は歩みを始めてしまった。
―もう止まれないのか?
俺はそう思ってしまった。なんとかしてその不安を掻き消そうと考えてみたが、考えの中で一番安牌に思えた選択肢は、当然であるかのように最悪の選択肢でもあった。
悪魔の囁きが、俺の耳元でしている。
悪魔は言う―「事故が起きればどんな車でも止まる」―
もっと最悪なのは、俺はそれを否定できなかったことだ。…或いは否定しなかっただけかもしれない。
「…行きましょう」
なにもかもを諦めたように、俺は退廃的な一歩を踏んだ。
【ひとこと】
引っ越して、wifi不通、如何にすれ。
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