二つ白浪の隠し顔(二)
夜、米問屋の越後屋。
雲が陰り、ささやかな月の光も今はすでに闇の中。
その中をうごめく怪しい影。同心たちの走る中、火の用心の鳴る中を掻い潜り、誰にも気づかれずに二つの影は、越後屋の屋根を踏むことができた。
中に入ったとき、物音は何も聞こえぬ。
奉公人も主人も、誰も動いている様子はない。
用心棒が一人いたが、なぜか座ったまま眠っており、とても気づく素振りを見せるようには見えない。
越後屋の寝所前までまんまと入りおおせた二人組。短刀を構えて、その戸を開けたその時⋯⋯、
「やはり来たか霞の大五郎の一味!」
「斬りまではせぬゆえ神妙に縛につけ!」
本来寝所であった部屋がねずみ捕りに変わってしまっていた。
十手を持った同心たちが手ぐすね引いてこの二人を待っていたようだが、少なくともこの盗人たちの方はこのことをまったく知らないはずなのだ。
何もできぬと逃げ出し、たちまち一人は同心二人に取り押さえられ、もう一人の方も驚きと恐怖のあまり得物を捨て突き当りまで一目散に走ってゆく。
しかし越後屋の裏口まで走ってきたとき、その戸を開けた瞬間のことであった。
「ああッ!⋯⋯!」
開けたのと同じく、寸分も狂わず腹に光るものが突き刺さっていた。その光るものに血がゆっくりと流れていく。それはおよそ盗人たちの得物より長く、間違いなく侍のそれだと分かる。
そしてその得物を持っていた侍は、同心たちより貧相で髪は月代。近所で名の知らぬものはない浪人の中山兵十郎であった。
さらにその後ろでは鶴屋三十郎が扇を振りながらこの始末を楽しんで見物しているが、この盗人が見たのはこれが最後の光景であったという。
「おかし、ら⋯⋯と、だ⋯⋯、の、嘘つき⋯⋯」
最後に妙な言葉を残して目を閉じ、その体はゆっくりと折り倒れていった。
鶴屋三十郎はこれを見届け、同心たちが盗人を連行する前に消え失せた。連行の際、裏口が使われたが中山兵十郎もいなかった。
・・・
「ええい吐け!吐かぬか!?」
「死んだ仲間と越後屋で何をやっておったのだ!」
翌朝早々、吟味方による厳しい尋問が行われた。捕まった盗人の名は清助というが、その清助、鍛えられたかその口をいっこうに開けようとせぬ。
あまり厳しく詮議だてして万が一死なれては霞の大五郎一味を一網打尽せしむるための準備から一切を仕損じかねない。しかし、ああいう手合いの者は恐らく懐柔も通用しまい。
このままでは、またみすみす大盗賊を江戸の外へ逃がしてしまう。さらに向島に同じような顔の男がいるとはいえ、それが霞の大五郎である根拠が微塵もない。捜査はまだ始まったばかりだ。
「ううむ、そうなのか⋯⋯」
吟味方与力の長井主馬は呻いた。やはりと言われればそうなのであるが、盗賊なる人種というものはその業の深きゆえにそう簡単には口を割らぬ。仮に一味のすべてを知り、それを話したとして、奉行所や火付盗賊改が身元を保証しても世間がそうであるはずがなく、むしろ裏切りを恨む同業者に地獄に行くまで追われ続けるはめになるのであるから、特に家族のある者は話せるわけがない。
そう思えば、長井はいっそのこと火盗改に引き渡してしまえばあの男も楽になるのではないかと考え始めた。
「はい。清助のやつ、老い先短い母親に隠してあんなことをやらかしているんですから、とてもとても⋯⋯」
「なおさら吐けぬし、吐こうが吐くまいが老母の命が縮まるのみとな⋯⋯」
「はっ」
別に罪人であるから厳しく処するべきであるとの考えを改める気など毛頭ないが、これは霞の大五郎一味を撃滅する絶好の機会。その最初で最後の手がかり足がかりになるやもしれぬ男をむやみに死なせてはそれこそ奉行所の恥。いかように話をさせればよいのかもはや思案のつかなくなったそのときである。
同じ吟味方の同心がかなり駆け足で知らせに来た。
「も、申し上げます!ただちに申し上げねば首が飛びそうなことであります!」
「なんじゃ、そんなに急いで」
同心が次に言ったこと、これにより長井に与力になって以来の緊張が走った。
「つ、鶴屋三十郎殿が長井様に言伝をと⋯⋯長井様?」
「⋯⋯おい」
「は?」
「その言伝とはなんじゃ?内容いかんによってはわしの首がのうなってしまうわ」
「は、はい!鶴屋殿がこのような書状にそれをしたためておりました」
この奉行所には闇と繋がりのある腹に一物を抱える役人も大勢いる。長井もこの同心も残念ながらその一角で、特に鶴屋三十郎がいなければ真犯人が分からぬままという事件が多々あった。
その書状を見た途端、なぜか長井与力の顔は心からの微笑みを取り戻したという。
「さて清助さん、百叩きで済んでよかったですねぇ」
それから一日たった夜、鶴屋のある一室。叩かれた痣か、小さい傷が顔にいくつもできた清助は、目の前の鶴屋三十郎にもはや顔を上げることもできなかった。
「へ、へい!ありがとうございます!あっしはこのまま磔を待ってる身だと思っておりやした」
「いえいえ、こちらにできることを私はさせていただいただけのこと。ええ、たったそれだけの道楽でございますよ」
種も仕掛けもない。鶴屋の力で清吉の老母を保護したというだけのことだ。清助も一味の中で運び屋であること、証言を信じるならば殺し自体はただの一度もないこと、さらに今後南町の目明しになるのであればとの条件を受け入れたうえで、本来ならば獄門のところ百叩きで済んだというわけであった。
「さて、世間体のためもありますし、しばらくこの鶴屋にいていただきますよ。なあに、廊下なり昼過ぎの台所を清めてもらうだけでいいのです。母君のこともご心配なく、当方が持っている浪人さん方に守っていただきますから」
「お、お袋もか⋯⋯」
「ええ、間違いなく申し上げましたよ。なんなら同じ小石川だし、家をここのどこぞの綺麗な部屋にするのもよろしゅうございますが」
「そ、それはやめてくだせえと言いたいんでございますが、そこまでしていただけるなら⋯⋯」
清助がこのようにむせび泣いている中、三十郎は相槌を打ちながらたまに辺りを見回していた。主人が心配なのか、役目から戻った丈太郎が太刀を持ちながら戸を開けた。
「元締、二人くらいヤバい気を感じますが」
「ああ、⋯⋯清助さん、伏せなさい」
「へ、なんでござんすか?」
清助はまったく気がついていない。ここにいてはいけない者の気配が天井と畳の下にあることを。
立ち上がり丈太郎から太刀を受け取って、鞘から引き抜くと⋯⋯、
「丈太郎、清助さんに引っ付いて!」
「へい!」
自身の真下の畳に刀身を突き刺した。下から
「ぐえ⋯⋯」
と呻き声が聞こえて、やっと清助も畳に伏せ、丈太郎は懐から匕首を引き抜き清助のそばを片時も離れなかった。
すると天井から、しびれを切らしたのか匕首を持った黒頭巾の男が清助めがけて落下していく。畳から刀身を引き抜いた三十郎が振り返り、また丈太郎も匕首をその黒頭巾に向け、それぞれが黒頭巾の体を貫いたのは一瞬のことであった。
「ぐあっ!」
「清助さん、離れていいですよ」
促されて四つん這いになりながら退いた場所に、その骸を置いた。
向こうから女の声が聞こえた。妻のお美代だ。三十郎と同い年ということであるが、それよりも若いのではないかという肌の艶。すでに短刀を構えていたとみえる。
「あなた!いったい何があったんです?」
「ここに殺し屋が来たようだ。清助さんか私の命か⋯⋯」
丈太郎が黒頭巾の懐をまさぐると、なんと「霞」の字の紙が入っていたではないか。
「元締、これ!」
「ああ、今すぐ溝にでも捨ててこい!人をやるから今すぐにだ!」
「へ、へい!」
「畳は明日でいい」
丈太郎に始末を言いつけた三十郎、四つん這いのまままだ怯えている清助に一言、強い声音で問う。
「さて清助さん、私にもすべて話してくれますね?」
この後の清助にとって、殺されかけたことより今この時のほうが恐怖を覚えたという。




