暗闇を打ち破るもの
9時。
ちょうどぴったりに、町長が工事現場に到着した。
「お待ちしていました。こちらです」
採掘場の入り口から、電動トロッコに乗る。
ゆっくりと電動トロッコが動き出す。
「ジオパークにするときは、このトロッコはこのままじゃないんだろ?」
町長が聞く。
「もちろん。これは、工事用のトロッコです。ジオパークにする時はこのままでは使いません。ご安心を」
やがて、トロッコが止まり、そこから歩いて坑道を下る。
オレンジ色の工事用の電球が、坑道を薄暗く照らしている。
その途中から、急に湿ったにおいが鼻を突く。水に埋もれていた地面には応急措置の滑り止めが敷き詰められていた。
やがて、その先に広大な空間が見えてきた。
「ここが第2鉱区。採掘場としては3番目に広い空間です」
町長は、天井を見上げた。10以上の投光器で、黒っぽい岩肌が白い光で照らしだされている。
「3番目としてもかなり広いな」
町長は、空間の真ん中にできている水たまりの中を覗く。すると、黒っぽい水たまりの表面が青白く輝きだした。
「この光は何だ?イルミネーション用の光か?」
「いえ、違います。この水たまりには、何も光る物を設置していません」
「それでは、何なんだこれは?」
町長は、上を見上げた。
空中に浮いた透明なアブサイトミチヨライトが、回転しながら時折下からの青白い光を反射する。
「あそこに、何か浮いているぞ。これは・・・」
その時、水たまりからまばゆい光とともに、噴水のように大量の水が噴き出した。水は見る見るうちに、町長たちの足元を濡らしていく。
「まずい!町長、こちらです!」
膝下までたまり始めた水流に追い立てられるように、町長たちの一行は、第2鉱区の空間から逃げ出した。
太陽はかなり上まで登ってきた。
「何も起きないな」
「本当に今日なのか?」
生徒たちの間でざわめきが始まる。
「・・・・まずいな。みんなの気持ちが、ゆるんで来ている」
正臣が言う。
「でも、今は待つしかないわ。それがいつ起こるかは、スタードロップ次第なんだから」
と麻耶。
そのとき、2、3台の車が、生徒たちの背後に止まった。
「おい!お前ら、こんなところで何してるんだ!」
車から出てきたのは、鵬中の先生たちだった。
学年主任が、寺壕を見つけて駆け寄る。
「寺壕先生!なんで、連絡をよこさないんですか?呼水駅で、生徒たちが大勢電車に乗ったという情報があったから来てみたら・・・。どういうことか説明して下さい!」
「見て分かりませんか?これは、生徒たちの自己主張です。彼らは、自分たちが大事にしている合唱コンクールを大人たちの勝手な都合で変えられたことに抗議しているんです」
寺壕は、こともなげに学年主任に言った。
「合唱コンクールの場所は、別に確保してあるじゃないか」
「それは呼水町の勝手な都合だ。風中の生徒たちのことをまるっきり考えていない」
「風中?風中の生徒たちも不満があるっていうのか」
「その通りです」
「じゃあ、いったいどこに風中の生徒たちがいるんだ。ここにいるのは、みんな鵬中の生徒だけじゃないか。合唱コンクールにかこつけて授業をボイコットしているだけだ。これは問題だぞ!」
「風中がどうかしたんですか?僕たちならここにいますよ」
突然の声に、学年主任は振り向いた。
そこには、爽太の姿があった。
爽太の後ろには、牟誇崎台駅から歩いてくる風中生たちの列が続く。
爽太は、鵬中生徒の中に楓を見つけた。
「養生さん、連れてきたよ」
「天宮君・・・・」
「楓・・・・これ、どういうこと?」
楓の隣にいた麻耶が聞く。
「昨日、養生さんは僕に電話をかけてきたんだ。すべて聞いた。養生さんが今まで合唱コンクールに出なかった理由も、鵬中の生徒たちが、スタードロップの脅威に立ち向かうために、今日この場所に集合することも」
楓に代わって爽太が言う。
香織も、歩いてきた。
「時間がなかったけど、みんなに呼び掛けたらこれだけ集まってくれた。これだけ人数がいれば足りるかしら」
麻耶の目から涙がこぼれ落ちた。
「ありがとう、香織さん、ありがとう、天宮君、ありがとう、風中のみんな・・・」
麻耶は、楓に向き直った。
「ありがとう、楓」
その時、突然辺りの色が変わった。
正臣たちは、一斉に空を見上げた。
七色に輝いていたスタードロップが、毒々しい赤色に染まった。
その時、良太はみどりの言葉を聞いた。
これが、脳に直接呼びかける最後の言葉。
良太はみどりの言葉を、そのまま声にして叫んだ。
「始まるぞ!みんな、手をつなぐんだ!つないだ手を絶対離すな!暗闇に包まれて、上か下かもわからくなる!でも、この大地を感じている限り、握った手の暖かさを感じている限り、絶対にその時は来る!その時は・・・・」
良太の声は、途中で途切れた。
赤一色に染まった景色が、突然暗幕がおりたように漆黒の闇に変わった。
すべてが暗闇に包まれた。それと同時に、声が出なくなったのだ。
悲鳴も、叫び声さえも出なかった。
深い暗闇が、光も音も全てを飲みこんでしまう。
耳を澄ました。
人間は声を出せなくても、動物の声は聞こえるはずだ。
鳥のさえずり、虫の鳴き声、山中に響く獣たちの足音。
聞えない。
でも、自然の音は消すことはできないはずだ。
風が草原を吹き抜ける音、断壁に打ち寄せる波の音・・・。
それさえも聞えない。
起こるはずのないことが起こっていた。
沈黙という言葉は知っていても、本当の沈黙を体験した者は地球上に存在しなかった。
人類が知る沈黙は、人為的に作りだされたもの。それは、自然の音まで黙らせることなどできなかった。
だが、今その自然の音も沈黙した。
さっきまでの世界とは、完全に隔絶した世界に放りこまれた。
もう、元には戻れない。
生き物たちの息吹も、自然のざわめきも、この暗闇の中で探しだすことなんてできるはずない。
ポジティブな思考は、全て暗闇の中に吸い込まれた。
負のスパイラルが回り始める。ぐるぐると底なしに回りながら落ちて行く。
上に向かっているのか、下に向かっているのかさえ分からない。
自分は、この闇の中のどこをさ迷っているのか。自分の存在さえ信じられなくなってくる。
ぐるぐる回り続ける。
足の下に何かの感触を感じる。
この感触は何だ?
その感触を感じた途端、回転が止まった。
それは、暗闇で失われた感覚を蘇らせる。
それは、踏みつけると強く押し返してくる。
すべてを投げ出しても、それを受け止めてくれる。
すべてをゆだねても、それを支えてくれる。
俺は、暗闇に放りだされているわけじゃない。
俺は、地球という大地の上に立っているのだ。
この大地が、俺を支えてくれる限り、俺は暗闇の中をさ迷うことはない。
大地が、今俺がここに立っていることを示してくれている。
負のスパイラルは止まった。
手のひらから、熱を感じる。
握り合った手と手。
そこから伝わってくる暖かさを感じる。
俺は一人じゃない。
大地が支えているのは俺一人だけじゃない。
大地は、俺たち全員を支えてくれているんだ。
良太は、握っている左右の手に力を込めた。
気付け。
この暗闇はまやかしだ。
真実は、ここにある。
良太の手は握り返された。
俺たちが、大地の上に立っていること、互いの手を握り合い、互いの存在を信じあえていること、それが真実なのだ。
みどりは、必ず声を発する。
世界中の人々は、決して希望を捨てない。
待つんだ、その時を。
エンフォニウムペテラが侵入する時を。
だが、それはいつだ?
1時間後か?
それとも、何日もあとなのか?
その間、俺達はずっと闇の中なのか?
再び回り始める負のスパイラル。
時間の経過は、信じようとする気持ちを疲弊させていく。
良太は、必死になって負のスパイラルを止めようとした。
だが、今度は、最初の回転を上回る渦が良太を巻きこんだ。
良太は足を踏みしめた。
大地の感覚を再び取り戻そうとした。
だが、回転は終わらない。
暗黒のもたらす底なしの虚無感は、良太の想像を超えていた。
これまでか?
もう、これ以上は無理なのか?
良太の両手から握る力が失われていく。
その時、良太の耳に何かが聞えた。
それは、澄んだ、清らかな歌声だった。
誰の歌声?
みどりだ。
みどりの歌声だ。
それは、みどりの勇気が恐怖を打ち破った瞬間だった。
その歌は、良太も覚えていた。
大地讃頌。
そう、みどりは、いつもじっとみんなの練習を聞いていた大地讃頌でその時を告げたのだ。
エンフォニウムペテラ侵入の瞬間を。
その声に続くんだ。
だが、口を開いてみるものの、声が出せない。
良太の声帯は、からからに乾き切った堅い石と化した。
暗闇の虚無感は、歌声を出すことを許さなかった。
みどりの歌声だけが暗闇に消えて行く。
その時もう一つの歌声が重なった。
楓の歌声だった。
澄んだ、清らかな声のみどりに対して、楓の歌声は、力強く暗闇に響き渡った。
それに、男性の声が重なる。
爽太の歌声だった。
爽太の歌声は、暗闇の中を突き抜ける嵐のごとく、野太く響き渡った。
さらにいつも聞きなれていた、麻耶の歌声、それに正臣や香織たちの声も重なる。
歌声は見る見るうちに広がった。
そのハーモニーは、良太の声帯を石化の魔法から解き放った。
良太も、歌声の洪水の中に加わった。
暗闇の中に響き渡る大地讃頌。
やがて、そのメロディは暗闇の虚空の彼方に消えて行った。
暗闇は、そのメロディを飲み込むと、そのまやかしの幕を引きずり降ろされた。
暗闇は濃紺に変わり、やがて藍色へと様相を変える。
光は、藍色を柔らかく抱きしめながら、太陽のまぶしさを、青く澄んだ空の輝きを再び世界にもたらした。
暗闇の冷たさは去った。
そして、そこには、七色ではなく、黄色に輝き、雷のような稲妻をその表面に走らせるエンフォニウムペテラの姿があった。
「スタードロップは活動を停止したぞ!俺達が勝ったんだ!」
生徒たちの間から、歓声が上がった。
隣にいる仲間と手を握り合い、周りにいる仲間たちと手と手を取り合って喜びを分かち合った。




