彗星への攻撃、その顛末
テレビが、それを報道したとき、スタードロップ彗星は、肉眼でも見える距離まで迫っていた。
人々に隠されていたことが一挙に公になる。
彗星にあるまじき急カーブの軌道、その軌道上にあったダイモスの消失、地球衝突の可能性。これを公表したのは、攻撃衛星によるスタードロップ彗星破壊が現実化したため。弾道ミサイルによる彗星攻撃は、これを人々に隠したまま実行に移すことは不可能だった。
そもそも、攻撃衛星は1967年の宇宙条約で大気圏外の核兵器の使用が制限されているため、存在していないはずであった。だが現実に、核弾頭を積んだ攻撃衛星が、スペースデブリ(宇宙空間に浮遊するゴミ)に混じって、地球の周りを飛んでいたのだ。
次々に暴露される隠ぺい情報。だが、スタードロップ彗星の脅威を前にして、それを隠し続け、手をこまねくほど、人類は馬鹿ではなかった。非難の矛先は、各国のトップの首をも危うくしたが、それでも、各国は協調し、スタードロップ彗星に対する対応は実行に移された。
その一方、世界中で、情報隠ぺいに対する非難が叫ばれるのと同時に、各地でパニックが起こった。
人々は、静と動に分かれた。
宗教を越えて静かに神に祈りを捧げるものもいれば、民族やイデオロギーの対立が激化し、血で血を洗う抗争に身を投じるものもいた。その地域は、虐殺のるつぼと化した。
だが、それも、スタードロップ彗星が月の大きさより大きくなるまでだった。
その日、敵国衛星に向いていた弾道ミサイルは、迫りくるスタードロップ彗星に向いていた。
数十以上ある攻撃衛星から百発以上の弾道ミサイルが発射された。しかし、宇宙空間に浮遊する衛星から発射されたミサイルのほとんどは、宇宙空間のあらぬ方へと飛び去り、実際にスタードロップ彗星に着弾したのは、わずか十八発。
だが、世界各国の天文台は、ミサイルの爆発を観測することはできなかった。
寺壕の予想どおり、ミサイルは消えてしまったのだ。
スタードロップ彗星は、地球を守る防衛ラインを軽々乗り越えてきた。もう彗星を止めるものは何も残っていなかった。
昨日まで争い合っていた人々も、空を見上げて立ちつくした。絶望という新しい敵に抗う術は、誰も持ち合わせていなかった。その瞬間を、ただ黙って受け入れるしか人類に残った手段はなかった。
だが、ここで予想だにしないことが起こった。
スタードロップ彗星は、地球に衝突することなく、まばゆい光を放ちながら空を大きく横切っていったのだ。
鵬中は自由登校となっていたが、半分以上の生徒が登校していた。いつもと変わらぬ生活を送ること。それが、絶望に抗う唯一の手段だった。
そして、正臣たちは、中学の校舎から西から東へと横切る巨大な光体を青空の中に見た。
東に消えて行った彗星は、世界中で観測されながら、ふたたび西からその姿を現した。
スタードロップ彗星は、地球の周りを何周もしながら減速していき、やがて地球から六万キロにある軌道にのった。
そして、コマに隠されていた球形の姿を、人々の前に現わした。
大災害は免れた。
見上げると、月が2つあった。
一つは白い月。
エンフォニウムペテラの遺骸だ。
もう一つの月は、その表面を水たまりに浮いた油のようなマーブル状の模様に覆われて、白い月の数十倍もの大きさでその隣に浮いている。
今も生きているエンフォニウムペテラの姿だ。
しかし、そのことを知っているのは、良太だけ。
良太以外の人々には、それはまだスタードロップと呼ばれていた。
スタードロップの脅威は、人々の本性を露わにした。
この混乱で、亡くならなくてもいい命が何十万も失われた。
世界中の混乱が収まるまでは、1カ月以上かかったが、世界中の人々のおぞましい記憶は、リセットされつつあった。
スタードロップは、第二の月として、地球と共存を始めた。
誰もがそう思っていた。
そうではないことを、エンフォニウムペテラの脅威はこれからであることを知っているのは、良太だけだった。
世界中のどこからでも、2つの月は見ることができた。
そして、ここにも2つの月を見ている男女が2人。
寺壕と由美だ。
そこは、風応駅のホーム。
屋根の途切れたホームの端から2人は空を見上げていた。
「まさか、急に呼び戻されるなんてな。これだからでかい組織は嫌いだ」
寺壕が空を見上げたまま言う。
「これで、左遷じゃなかったってことがわかったでしょう?」
「スタードロップ彗星が月の隣におさまって1カ月。もう、これ以上監視を続けることはないと判断されたわけだ。戻ればJAXAの重要ポストが用意されているんだろ」
「JAXAじゃないわ」
「JAXAじゃない?」
「今回はNASAからの召集があったの」
「NASA?」
「寺壕君のおかげよ。寺壕君から聞いたことを分析したあたしの情報が評価されたの」
「ほう、そいつはおめでとう」
「NASAは、攻撃衛星の失敗を躍起になって取り戻そうとしている。その一つとして、スタードロップ彗星の脅威が去った事を全世界に宣言することを予定しているの」
「NASAとしては、ここで一旦、今回の汚点を幕引きしたいわけだ」
「その宣言のスピーチをあたしがすることになったの」
「由美が?」
「・・・あたしには向かないけど、JAXAからの命令でもあるから断ることはできなかった」
「いいんじゃないか?もう、俺の言葉に惑わされることはない。自分の言葉で安全宣言をすればいい」
「・・・・でも、本当にこれで終わったのかしら」
寺壕は、由美を見た。
由美も寺壕を見る。
「スタードロップ彗星が地球を狙ってきた目的。地球で起こっていた異変が何だったのか、まだ解明されていない」
「それは、俺の勝手な想像だ。由美が悩むことじゃない」
「でも・・・・」
不安そうな由美の表情。
寺壕は、由美の肩を掴んだ。
「本当に信念が揺らいだら俺に連絡して来い」
不安そうだった由美の表情に笑顔が戻る。
「その時は、わたしの信念をひっくり返してね」
ホームに電車が入ってきた。
由美が乗り込む。
「そうだ、諸田君にもよろしく伝えておいて」
振り向きざま、由美が言う。
「分かった。伝えておくよ。由美が全世界に安全宣言するからテレビを見ろってな」
「それはいい。あたし、写真写り悪いから」
「そんなことないって」
由美が、寺壕を見る。
「由美、お前は十分いい女だぜ」
電車の扉が閉まり、その言葉を由美が聞き取れたか寺壕には分からなかった。
「この間まで、今年も、文化祭ができるなんて全く思っていなかったよな」
天体部の3年が言う。
「そうだよな。つい1カ月前までは、スタードロップ彗星が第二の月になるなんて誰も思ってなかったもんな」
「それまでは、スタードロップ彗星の核心に迫った情報なんてなかったけど、今はいろんな情報があふれている。研究発表するには、ネタがありすぎるくらいだ。先生、そうですよね」
「ノーコメントだ。先生にネタ探しをさせる気か?」
寺壕先生は、理科室の片隅で部員たちの話す言葉に耳を傾けていたが、突然振られたので軽くいなした。
「・・・やはり、今年はスタードロップ彗星で行くのか?」
良太が、呟くように言う。
「良太はいやなのか?」
正臣が聞く。
「マサ達は怖くないのか?スタードロップ彗星は彼方に飛び去ったわけじゃない。まだ眼と鼻の先にいるんだ。あの表面をうねうねと動くマーブル模様。あれをじっと見ていると、なんだか気が狂いそうになっちまう」
「スタードロップ彗星は、月みたいに地球の重力にとらえられて周回軌道に乗ったんだ。怖がってどうする?また動き出すとでも言うつもりか?」
3年が言う。
「本当に動きだすことはないのか?誰がそれを証明してくれるんだ?」
「どうした?やけに突っかかってくるけど、スタードロップ彗星のことで何かあったのか?」
正臣が、間に割って入る。
「俺達が、文化祭の発表をスタードロップ彗星に決めた時は、まだ遥か宇宙の彼方を飛び続ける普通の彗星だった。でも、スタードロップ彗星は普通の彗星なんかじゃなかった。全世界が大混乱になった。それだけじゃない。その混乱で何人もの人たちが命を失っているんだ。そのことを、文化祭でどう発表するつもりなんだ」
正臣は言葉を失った。
確かに、スタードロップ彗星が来なければ亡くなるはずのなかった命を失った人たちがいた。俺達は、自分たちだけ助かって、安心しているが、脅威が去っても悲しみに打ちひしがれ、心の安定を得られない人々もいるのだ。
「そんなことまで調べていたら、文化祭の発表の時間じゃ間に合わなくなるぜ」
心もとない3年の一言に、良太が切れた。
良太は、そう言った3年に近づき、襟首を掴んだ。
正臣と、何人かが2人を引き離す。
「お前がもし命を失っていたら、お前の大事な人がもし命を失っていたら、それでもそんなこと言えるのか」
良太はそう言うと、正臣の手を振りほどき、理科室を出て行った。
正臣が後を追おうとした時、寺壕先生がそれを止めた。
「俺が行く。お前たちは、文化祭のことを進めてくれ。さっき良太に言われたことも含めてな」




