水のドーム
水の中に入る瞬間は、思わず深呼吸して息をとめたが、体のどこにも水が触れている感覚はなく、普通に呼吸もできた。全身を潜水服で覆われている感じだ。そう、空気の潜水服だ。最初はドキドキしたものの、すぐにその感覚に慣れた。やがて、前方に青っぽい光が見えてきた。
「あれが水のドームへの入り口じゃ」
周りに空気の層があるので、そこを伝わって森村の声が聞えた。
暗い水のトンネルをくぐり抜け、正臣たちは水のドーム内に入った。
ドームは予想より遥かに大きかった。高さは20メートルはあろうか。直径50メートルくらいの半円形のドームがそこには存在した。その空間の中央には水がたまっていて、そこから青い光が放たれている。半円形の水の壁は、この光を反射して青く輝いていたのだ。
その水の壁をよく見ていると、青い光の中を無数の白い光が飛び交っている。
「きれい・・・。まるで、プラネタリウムを見ているみたい」
麻耶が言った。
正臣は、水たまりの中を見たが、光のまぶしさで、アブサイトミチヨライトを見つけることは出来なかった。
「マサ、見ろよ」
光吉が、水たまりの上を見上げる。
さっきは全く気付かなかったが、ドームの壁の光の加減で、時折、何もないはずの空間が七色の光を反射している。その場所に、透明なアブサイトミチヨライトが浮かんでいるのだ。
「アブサイトミチヨライトは、その純度で効果に差がある。この水の中にある結晶は、実は1メートル以上あるが、純度は極めて低い。だが、透明でほとんど見えないだろうが、空中に浮いているのは、純度が50%以上。この2つのおかげでこれだけ広い空間が確保されているのじゃ」
「あれ?なんだこれ?」
譲吉が腕をまくる。
「どうした?」
正臣が近寄る。
「この間試合で作ったでかい擦りキズが・・・・なくなってる」
たしかに、譲吉が腕をまくった所は綺麗になっていて、擦りキズがあったとは思えない。
「アブサイトミチヨライトの効能じゃ。傷があれば、細胞を活性化させ、あっという間に修復してしまう。傷だけではない。結核菌やHIV、癌などに冒された体を細胞レベルで、元通りに修復する」
「それって、アブサイトミチヨライトを薬にして飲むってことですか?」
と光吉。
「アブサイトミチヨライトは、それに触れる物すべてにその効果を及ぼす」
「触れているだけで、ウイルスや癌まで治してしまうっていうんですか?」
「そうじゃ」
「でも、アブサイトミチヨライトって誰にも知られていないはずですよね。どうして、癌なんかが治るって分かるんですか?」
「ここに実例がおる」
「ここに?」
森村は、佐藤先生の方を見た。
「佐藤先生・・・?」
麻耶が佐藤先生を見る。
「佐藤先生は昔大病を患ったって・・・」
光吉が思い出したように言う。
「じゃあ、その大病を治したのは、アブサイトミチヨライトだったってこと?」
譲吉が光吉に向かって言う。
佐藤先生自身が、驚いて目を丸くしている。
「幹夫さんは、わたしの末期癌は、新薬のおかげで治ったって・・・」
「それは、美千代にアブサイトミチヨライトのことを悟られないために、佐藤がついた嘘だ」
「でも、わたしは、そんなものどこにも・・・・」
麻耶は、その時気付いた。
「先生、指輪・・・・」
佐藤先生は左手にはめた指輪を見た。
「佐藤が、アブサイトミチヨライトを発見した時、わしは、これを学会で発表すべきだと奴に迫った。だが、佐藤は自分の意志を曲げず、頑としてわしのいうことを聞かなかった。それがもとで、わしと佐藤は一時期絶縁状態になった。じゃが、美千代が末期癌で、余命わずかと言われたとき、十数年ぶりに奴と再会した。その時、奴は全てをわしに話してくれたのじゃ」
「全てを・・・森村さんに?それは・・・」
佐藤先生の動揺ぶりをひしひしと感じながら、森村は言葉を続けた。
「佐藤のもともとの専攻は原子力じゃった。じゃが、その実験中に浴びた放射線で白血病を発症し、地質学に転向。佐藤は、自ら発見したアブサイトミチヨライトの治癒力で白血病を治そうと、アブサイトミチヨライトの結晶発掘に没頭した。じゃが、発見する結晶は純度が低く、傷くらいしか治せない。佐藤は、地質学会から姿を消し、伝承学者としてこの地に移住した。そこで、純度100%の結晶が過去に存在したことを知ったのじゃ。それは、遥か昔、室伏湖にあったとされる神殿の宝物殿から盗まれ、呼水町に持ち込まれた。佐藤は、そこで途切れた結晶の行方を追い求め、ついにそれを発見した」
「それが、この指輪・・・・」
「佐藤は、その指輪を自分のために使うつもりでおった。じゃが、その目的は途中で変わった」
「・・・・佐藤先生の癌治療のために・・・・」
「アブサイトミチヨライトのことを美千代に知られたくなかったのは、それもある。どんな病気にも効能があるものなら、美千代は自分より、佐藤の白血病を治そうとしたに違いないからじゃ」
佐藤先生は初めて知る真実に、衝撃を隠しきれずにいた。
「奴は、わしに言った。自分はもうそんなに長くない。自分亡き後、美千代のこと、それにアブサイトミチヨライトを世間から隠しとおすことをわしに託すと」
「森村さんに・・・?」
佐藤先生が聞き返す。
「佐藤は言った。自分は、美千代との結婚後間もなく、白血病を発症。地質学転向の遅れを取り戻そうと、家庭も顧みず研究に没頭する毎日。そして、地質学分野で名声を得るほどの大発見をしながら、自らの信念でこれを封印。地質学分野でも名を上げられないまま、不遇のうちに伝承学者としてこのような田舎に引っ込んでしまった。その間、美千代は、不満の一つも漏らさず、自分を支えてくれた。そのやさしさで、すさんでいく佐藤の心をいつも癒してくれた。自分には、それに応えられるものは何もない。だから、自分の代わりに、新たな命を送ると」
佐藤先生の目から涙がこぼれ落ちた。
「アブサイトミチヨライトは、正式な学術名ではない。じゃが、将来、この鉱物が公にされた時に第一発見者としての命名権は佐藤にある。佐藤は、この学術名に美千代への想いを託した」
「アブサイトミチヨライト・・・・学術名の中に先生の名前が、美千代という名前が入っている」
「佐藤は、末期癌を超えた先の命と、永遠に語り継がれる学術名の中に、美千代への愛情と感謝の全てを込めたのじゃ」
あふれ出る涙を止められない佐藤先生の肩に、麻耶が手をかける。
「佐藤先生、わたし、先生の生徒でよかった。だって、先生の生徒じゃなかったら、こんな素敵な話聞けなかったもん」
佐藤先生は、涙でうるうるしている麻耶の目を見て笑顔になった。
「ありがとう、鳳さん」
麻耶、お前ってやっぱり最高だな。
正臣は、鼻をすすりながら、心の中でつぶやいた。
「・・・・でも、採掘場がジオパークになったら、この場所もみんなにばれてしまう。そうすれば、アブサイトミチヨライトのことも隠しきれなくなってしまうんじゃ」
正臣は言った。
「佐藤は言った。アブサイトミチヨライトの効能は、安定化や修復力だけではない。我々の知らない未知の力を秘めている。その力は意志を持つと」
「鉱物が意志を持つ?」
「水は蓋だ。力の意志に関わらず、水はその効能を内側に封じ込める。ただ、その蓋を開けることができるのも、またアブサイトミチヨライトの力だと」
「水・・・・意志の力・・・・。もしかすると、地下水の噴出事故は、採掘工事で自らの存在が露わになるのを避けるために、アブサイトミチヨライトの意志の力が引き起こしたんじゃないですか?」
「確信はない。じゃが、その可能性は高いとわしは思う。だからこそ、ジオパーク化のための水抜き工事はさせてはならんのじゃ。アブサイトミチヨライトの意志の力が、再び予期せぬ事故を引き起こすかも知れぬのだから」




