聞こえた声
良太は、呼水町の総合病院で脳の精密検査を受けたが異常はなかった。異常はなかったものの、良太が心に受けた衝撃は大きかった。
良太は、柿崎に痛めつけられた翌日にも姿を現した学校を休んだ。
休み一日め。
正臣は、天体部の部員を連れて、良太の自宅に見舞いに行った。
その角を曲がれば、良太の家というところで、逆にその角を曲がってきた麻耶とばったり会った。麻耶も正臣たちに気付く。麻耶はバツ悪そうに下を向いて歩いてきた。
「・・・・良太の見舞い?」
黙ってすれ違おうとした麻耶に、正臣が声をかける。
麻耶は立ち止まって、うなづいた。
「様子、どうだった?」
麻耶が首を横に振る。
「会えなかった・・・・調子悪いんだって」
「調子が悪い?・・・・あの良太が?」
麻耶が元気なさげにうなづく。
「・・・・まあ、そんなこともあるさ。柿崎の時も学校休まなかったんだ。あいつ、天体部も皆勤賞だし、体使い過ぎ。こういう機会に一度ゆっくり休ませた方がいいんだ」
麻耶は、正臣に笑顔を見せた。
「たぶん、会えないと思うけど、行くの?」
「まあ、部員みんな引き連れてきたからこのまま帰るわけにはいかない」
「そう」
「もし、会えなかったら、良太の母さんに今麻耶に言ったこと伝えてもらうよ」
「それがいいと思うわ。じゃ」
麻耶はそう言うと、後ろ姿を見せて去っていった。
何となく複雑な気持ちの正臣。だが、部員たちを引率していたことを思い出し、良太の家へと足を踏み出した。
正臣が呼び鈴を鳴らすと、良太の母親がすぐに出て来てくれた。
「良太は今、体調が悪いんで会えないと思うけど、こんなに皆さん来てくれたから、良太の様子を見てきてみるわね。ちょっと待ってて」
扉が閉まり、待つ事2分。
再び、扉が開いた。
「三宅さんいる?」
「わたしですが・・・」
いきなり良太の母に苗字を呼ばれて、慌てて返答する正臣。
「・・・・他の皆さんはごめんなさい。三宅さんだけにお会いしたいって」
正臣は、部員たちを振り返った。
部員達がうなづく。
「悪い。みんなは先に学校に帰っていてくれ」
正臣は、良太の家に上がり、部屋のある2階へと向かった。
部屋に入ると、良太は起きていて、ベッドに腰掛けていた。
「・・・・大丈夫か?大分体調悪いみたいだけど」
「・・・・マサは、俺を探して採掘場に降りてくれたんだよな」
「あ、ああ」
「その時、俺はどんな所に倒れていたんだ?」
「えっ?」
「あの水のドームをどうやってくぐり抜けたんだ?」
「水のドーム?」
正臣は、オウム返しに良太に聞いた。
「俺は、良太が倒れていた場所は知らない。俺達は一度採掘場に降りたんだけど、途中から水没していたんで、採掘場の外で待っていたんだ」
正臣の言葉を聞いた途端に、良太は口をつぐんだ。
「なあ、水のドームって何なんだ?お前が天文台で言っていた、止めなくちゃならないあいつって、いったい何なんだ?」
正臣は、良太が急に口をつぐんだので、矢継ぎ早に聞きたかったことを並べ立てた。
「・・・・帰ってくれ」
「えっ?」
「いいから帰ってくれ!」
そう言うと、良太は立ち上がって正臣を部屋の外に押し出し、部屋の扉を閉めてしまった。
自分が倒れていた場所のかすかな記憶。
地下深く、暗闇のはずなのに、半球状にその空間を包む水の壁は、青白い光を放っていた。現実にはありえない幻想的な光景。
正臣も、あの現実ではありえない光景を見ているなら、信じがたい現実を共有しているなら、良太の見たもの、聞いたことを全て正臣に話そうと思っていた。
だが、正臣は見ていなかった。
それどころか、訳の分からない良太の言動を問いただそうとした。
全てを話したら、自分も病院送りにされる。
そう思った良太は、正臣を拒絶した。
休み二日目。
寺壕先生が、見舞いに来た。
「良太、寺壕先生よ」
母親は、良太の了解も得ずに寺壕先生を部屋に案内した。
寺壕先生は、母親に会釈すると、部屋の中に良太と2人きりにしてもらった。
「・・・・昨日、三宅達が見舞いに来たみたいだが、あまり突っ込んだ話はできなかったようだな」
寺壕先生は、ちょっと変わっているから、自分の話も真剣に聞いてくれるだろうか?いやいや、寺壕先生が少し変わっているからって、自分に病気の烙印を押さないとは限らない。良太は開きかけた口を閉じた。
「なんだか、みどりと話しているみたいだな」
寺壕先生は、良太の断りもなく、勉強机の椅子を引き寄せ、背もたれを前にして座った。
背もたれに両手を組むように置き、しばらく良太の様子を見る。
「なあ良太。お前、スタードロップ彗星の正体を見たんじゃないか?」
良太は、驚きの表情で寺壕先生を見た。
「図星のようだな。どうだ、先生にスタードロップ彗星の正体を教えてくれないか?」
言葉が喉元まで出て来ていた。
でも、結局言葉を発することはなかった。
怖かったのだ。
例え、他の皆が信じてくれなくても、寺壕先生なら自分のことを信じてくれる。寺壕先生は、最後の拠り所だった。
だから、もし、寺壕先生まで自分のことを信じてくれなかったら、寺壕先生に精神病の烙印を押されてしまったら、もう誰も信じられなくなってしまう。
誰からも信用されず、誰も信用しない。自分がそうなることを、良太は恐れていたのだ。
「・・・・まだ、早かったかな。良太、自分に自信を持て。俺は待つ。俺を信じられるようになったら、いつでも言って来い。いくらでも、どんな話でも聞いてやる」
寺壕先生はそう言うと、椅子を元に戻し、立ち上がった。
「どうしてもお前自身に自信が持てなくなったら、俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ。いいな」
出て行き際、寺壕先生は、後ろ向きのままそう告げて扉を閉めた。
寺壕が、中学生の頃、夢中になったアニメの名言だった。
翌日、良太は学校に登校した。
「やっと来たな。心配したんだぜ」
正臣が、すぐに良太の席のところにやってきた。
「ああ。この間は悪かったな。部屋まで呼んでおいて、いきなり帰れ、なんて」
良太は、当たり障りない話題を自分から振った。
「俺も悪いんだ。まだ、体調が戻っていなかったのに、あれやこれや無茶して聞いたりしたから」
正臣の言葉に、良太が口をつぐむ。
「ああ、いや、どうでもいいんだ。良太が言いたくなるまで何も言わなくていい。何か嫌なもの抱えてるんだったら、早いとこ吐きだしちまった方が楽になるかなと思っただけなんだ。うん、それだけ・・・」
正臣は、ぎこちなく自分の席に戻った。
今の俺に話かけるのは、触ると痛い腫れ物に触るみたいなものだ。それでも、正臣は話しかけて来てくれた。
俺に痛がられるだけだと知っていながら。
自分自身が痛い目に遭うだけと知っていながら。
その気持ちに応えるには、いつもの口調で話せばいいだけだ。何を?あのことを話してどうする?正臣は、目を丸くするだけで、今度こそ俺から遠ざかって行ってしまうぞ。
前向きに進もうとするたびに、最後は怖れが打ち勝つ。
自分が、どんどん弱くなっていく。
小さな存在になっていく。
一度廻り出した負のスパイラルはどんどん加速する。
自分自身が無限螺旋の中で、ぐるぐる回転してるようで目を開けられなくなった。
誰か止めてくれ。
良太はいつも自分の内からあふれてくる不思議な暖かい感覚を待った。
どうしたんだ。
出て来てくれ。
いつもの暖かさで俺を包んでくれ。
「良太さん」
その声は、無限のスパイラルから良太の意識を現実に引き戻した。
「良太さん、自分が怖れることを弱さだと感じないで。怖れる自分が小さくなったと感じないで。その怖れこそあなたの純粋さの象徴。その怖れが、あなたをまたみんなのところに必ず引き戻すから」
いつも聞いていたような、懐かしく、清らかで、やわらかい声。
でも、誰の声だっけ?
良太は、後ろを振り返った。
誰もいない。
周りを見渡す。
斜め前のみどりと一瞬目があった。
みどりは、視線が合った瞬間に前を向いてしまった。
「今のは・・・」
みどりに声をかけたつもりだったが、みどりは背を向けたままだ。
良太は立ち上がって、みどりの前に行った。
みどりは、良太と顔を合わせないように斜め横を向いている。
「林君、邪魔」
いつも、みどりと一緒に家庭科室に行く女子2人が、みどりの席の前から良太をどかす。
「お前たち、今・・・」
「何?」
「聞えなかった?」
「何が?」
良太は、みどりの声と言おうとして、ぐっと飲み込んだ。
「・・・・いや、何でもない」
みどりは、ちらりと良太を見た後、2人について教室を出て行った。
教室にはまだ何人か残っていたが、いつもと同じように平然としている。
みどりが声を発しても、皆の反応はこんなもんなのか?
いや、それとも・・・・。
その日、良太はみどりを観察し続けたが、再び声を発することはなかった。
もう一度、みどりと話したい。
あれが、幻なら俺は本当に病気ってことになっちまう。
みどりの声は俺以外には聞えていなかった。人がいるところでまたみどりに話しかけたら、変だと思われるに決まっている。2人だけになる瞬間があったら、そこでもう一度話しかけてみよう。
放課後、良太はみどりの後をつけてみることにした。
みどりの家がどこにあるのか、良太は知らない。
みどりは、町の中心部から反対の方向に歩いて行く。
呼水町は、彌絡山のふもとに広がる町。少し山側に進むと、路面の傾斜はきつくなり、鬱蒼とした緑が住宅地に迫る。彌絡山は、霊峰の一つに数えられ、修験者などが山に籠り修業をした跡がそこかしこにある。小さな祠や鎮守の杜が町のところどころに散在する。
住宅と住宅の間の細い路地を進むと、石段に続く。石段を登り始めると、その両側は見る見る木々に覆われ、緑の壁と化す。石段を登った先にあるお稲荷様の横を抜け、みどりは、舗装されていない山道をさらに奥へと歩いて行く。
この先に、家なんかあったろうか。
まさか、みどりは狐が化けた物の怪じゃないよな。
もう、周りには人っ子ひとりいない。話しかけるなら、早い方がいい。
「おい」
良太は、みどりを呼び止めた。
「なあ、みどり」
みどりが立ち止まる。
「さっき・・・、俺に話しかけてくれたよな」
みどりはゆっくり振り向いた。
「あなたは、わたしが本当に声を出せないって最後まで信じてくれました。だから、わたしはあなたに全てを話します」
懐かしく、清らかで、やわらかい声が、良太の脳の中心に響いた。




