牟誇崎台の伝説
電車の車窓から見える風景は、見る人をその壮大な風景に一気に引き込む。
だが、ぼうっと外を見ている麻耶の心はそんな風景にもときめくことはなかった。
入谷大地を抜け、彌絡山を迂回する路線は、室伏湖の北側の比較的高い位置を走っていて、そこからみる室伏湖の壮観は、その地方路線の売り物の一つだった。呼水駅から風応駅までは約20分。間には、牟誇崎台駅が一つだけ。
「そんな顔して風中に行ったら、言いたいこともきちんと伝えられないわよ」
佐藤先生が、笑顔で語りかける。
「先生」
「なあに?」
「わたし、半分半分だったんです。リゾートホテル建設反対の気持ちと、呼水町が経済的に豊かになるのを邪魔しようと風中の人たちがわたしたちを騙しているなら悔しいという気持ちと。今でも、どっちなのか揺れているんです。生徒会の決定に従うと自分で決めていたはずなのに、それさえも揺らいでいる」
「自分に自信をなくしてしまったのね?」
佐藤先生の言葉に、麻耶はうなづいた。
「鵬中が、建設反対の署名をしないと決めたと知ったら、風中の生徒たちはどう思うんだろう」
いつになく弱気な言葉ばかり出てくる麻耶に、正臣は言った。
「言いだしっぺは、風中なんだ。それに乗るかどうかは、鵬中が決めることで、風中の生徒のことなんか考える必要ない。あのとき、向こうの女子も言ってたじゃないか。鵬中の生徒たちがどう考えるかは自由だって。それを麻耶が気にすることはないよ」
それを聞いて、麻耶は少し笑顔を見せた。
「そうよ。そうよね」
麻耶は、話題をそらそうとして、ふと佐藤先生の指に目が止まった。
「先生、まだ指輪していたんですね」
「あっ、ええ」
先日の森村さんの時と同じ質問をされて、佐藤先生は少しどぎまぎしていた。
「この間も同じ質問されていましたよね。先生」
正臣が畳みかける。
「同じ質問?」
「先生の旦那さんの親友って人んちで、その人から聞かれていたんだ」
「旦那さん・・・?」
麻耶はそう言ったきり口をつぐんだ。
「・・・・どうかした?」
麻耶のただならぬ雰囲気に、正臣は思わず聞いた。
麻耶がチラリと先生の方を向く。
「わたしの夫は、白血病で亡くなったの。もう10年になるかしら」
「えっ?」
正臣は思わず麻耶の方を見た。
麻耶の視線が痛い。
だって、知らなかったんだよ・・・。
「すみません。そうとは知らずに、旦那さん、旦那さんと何度も言ってしまって・・・」
正臣はあわてて言った。
「いいのよ、知らなかったんだから。隠していた私の方が悪い。もっと早く話すればよかったわね」
身近な人の死。
嫌な記憶を佐藤先生に思い出させてしまった。それも軽はずみな自分の発言が発端で。
何とか、もっと明るい話題に持って行かなくちゃ。
でも、全然関係ない話をするのもあからさまだし・・・。
そうだ、この指輪で違う話題に持って行こう。
「先生、その指輪不思議な形してますね。前から気になっていたんです」
麻耶は、佐藤先生に尋ねた。
その指輪は、普通の結婚指輪の中央に丸いガラス体がはめ込まれていた。ガラス体をみると、その中に液体が入っているようにも見える。
「これは、わたしが大病を患った時、幹夫さんがプレゼントしてくれたの。世界に一つだけの指輪だって。このガラス体の中には水が入ってるんですって」
「水?とてもそんな風には見えない。水だとすると、相当澄んでいなければ、こんな風に輝かないわ」
「私も最初は信じられなかった。幹夫さんは、教えてくれた。そのガラス体には不思議な力が宿っている。だから決して、指から外してはいけないと」
世界に一つしかないとはいえ、ダイヤの代わりにガラス玉に水を入れた物が埋め込まれた指輪の価値ってどんなもんなんだろう。そんな物を贈る方も贈る方だが、それをいつまでも離さない佐藤先生もいかがなものか。
そんな正臣の考えをよそに、女性2人は指輪からアクセサリーに話題を変えて話が盛り上がり、いつの間にか麻耶の表情からは先ほどまでの弱気な表情はなくなっていた。
風応駅に降り立った3人は、バスに乗り換えた。
風誇中学は町の西部、室伏湖に面した所にある。駅からは2、3キロ離れていて、歩くにはちょっとキツイ。
風応駅発呼水駅行き。このバスは、風応町の西部を抜け、室伏湖の南側を通る国道沿いに呼水町へと向かう。その途中のバス停で降りると、テルミンも近い。そのバスに揺られること10分。3人は風誇中学前でバスを降りた。
「じゃあ、先生は、職員室にあいさつに行っているね」
「はい」
鵬中、風中とも、生徒の自主性を重んじる風潮があり、両校で行き来がある場合、先生が学校までは引率するものの、学校に着いてしまえばその後は干渉しない。
ここから先は、先生なしで生徒同士。
窓から夕陽が射しこむ生徒会室。
部屋は暖かな夕陽の灯りに照らされていたが、その場の空気は暖かいとは言えなかった。
「そうですか・・・」
香織がつぶやく。
あきらめなのか、それとも鵬中を説得できなかった正臣たちを責めているのか、その言葉からはうかがい知れない。
「わざわざ、鵬中まで来てくれたのに、いい返事ができなくてごめんなさい。でも、これはわたしたちだけで勝手に進められることじゃないから」
麻耶が謝る。
別に麻耶が謝ることはないだろ。
正臣はそう言いたかったが、爽太たちの手前、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「・・・・鳳さんは、やはり牟誇崎台で合唱をした方がいいと今でも思ってる?」
爽太が麻耶に聞く。
「えっ?」
「もし、本当にそう思っていれば、みんなを説得することは出来なかったのかな」
「鵬中には、鵬中なりの考え方がある。生徒一人だけの考えでどうなるものじゃない」
それでなくても落ち込んでいる麻耶にとどめの一撃をくらわした爽太に、正臣は強い口調で反論した。
「鵬中の考え方って?」
「それは・・・・」
お前たち、呼水町がリゾートホテル建設で風応町より豊かになるのを止めたいだけだろ。
さすがに、それを言うことは憚られた。
「いろいろと・・・」
とりあえず濁す。
「いろいろって?」
突っ込まれた正臣は、口をつぐんだ。
爽太は、ゆっくり窓際のほうに歩いて行った。
「鳳さん、三宅君、ちょっとここから外を見てみて」
爽太に呼ばれた2人は、生徒会室の窓の方に歩いて行った。
外を見ると、そこには、2人が今まで見たことのない風景が広がっていた。
その窓からは、室伏湖とその先にそびえる彌絡山が一望できる。彌絡山には、2つの峰があり、その間は少し低くなって谷状に落ち込んでいる。夕陽の影で黒いシルエットになったその谷から射しこむ夕陽は、室伏湖にその光を反射させ、牟誇崎台を赤く染め上げる。船の舳先のように室伏湖に突き出したその姿は、荒々しさと神々しさに満ちて、遥か彼方にあるはずなのに、その壮麗さを間近に感じることができる。
「僕は、ここから見る牟誇崎台が一番好きなんだ」
爽太がため息交じりに言う。
「富牟ン挫の話を?」
「富牟ン挫?」
正臣は聞き返した。
「呼水町では聞かないのかな。富牟ン挫は、実り豊かで平和だったこの地の富を奪おうと襲ってきた月の大軍を蹴散らした英雄の名前だ」
「・・・・そんな話聞いたことないな」
「室伏湖には、富牟ン挫を祀る神殿が作られ、彌絡山は霊峰とされた。だけど、神殿の宝物を盗んだ者がいて、神の怒りは雷となって神殿を破壊。その破壊された神殿の跡が牟誇崎台と言われているんだ」
「それは、風応町には、昔から伝わる話なの?」
麻耶が聞く。
うなづく爽太。
「牟誇崎台は呼水町にあるのに、なぜ呼水町にはその話が伝わっていないんだろう?」
正臣がつぶやく。
「伝説によると宝物を盗んだのは、呼水町の人間なんだ。その宝物のおかげで、呼水町は周りが飢饉のときも人々が飢えることはなかったと言われている。それが本当だとすると、呼水町は盗人のおかげで栄えたことになる。あまり、広めたい話じゃなかったのかもしれない」
「そんな話・・・初めて聞いた」
爽太は牟誇崎台の方を見た。
「ここから見る牟誇崎台の壮観は、風応町の人たちにとっては神様からの贈り物なんだ。呼水町からは決して見られない光景だと思う。天文台が来るまで、何の産業もないさびれた町だった風応町にとって、牟誇崎台は信仰の対象だったんだ。牟誇崎台こそ富牟ン挫の象徴。それに祈りを捧げることで、いつか必ず豊かさを得ることができると信じてきた。だから、豊かになった今でも、その場所に人の手が入ることは、風応町の人たちにとって耐えられないことなんだ」
なぜ、隣町の中学の生徒が、8割もリゾートホテル建設に反対したのか、その理由がわかった。
「呼水町と風応町って、こんなに近いのに昔から相入れることがなかったのね」
麻耶が言う。
「そんなことはないわ。わたしたちが、これからもっと歩み寄ればいいのよ」
香織が言う。
「僕達は、リゾートホテルが建つ事で呼水町が豊かになるのを悔しがって反対していたわけじゃないぜ」
爽太が真顔で言う。
正臣も麻耶もどきっとした。
途端に、爽太の顔が破顔する。
「それは冗談。まさかそんなことで、鵬中が協力してくれないなんてことあるはずないからな」
「これで場所が変更になったら、合唱コンクールをボイコットすると言っている生徒たちもいるの。それだけは避けなくちゃ」
と香織。
「僕達にとって、牟誇崎台で歌うことは、富牟ン挫への感謝でもあるんだ。なんとしても、牟誇崎台で合唱コンクールが開けるよう、僕達は僕たちなりに頑張ってみるよ」




