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救出

 ロープの先は、ほつれたようになって切れていた。

「親父!」

 剛志が、水に飛び込もうとする。

 3人が慌てて止める。

「バカ、お前までおぼれたらどうする!」

 と光吉。

「じゃ、どうするんだよ?」

「俺、潜水得意だから、残ったロープを体に巻いて行ってみる」

 と譲吉。

「いやだめだ。外に助けを求めに行った方がいい」

 と正臣。

「そんなことしてたら、親父が死んじまう!」

 剛志が正臣に食ってかかる。

 と、そのとき、

「そこにいるのは誰じゃ!」

 坑道に野太い声が響いた。その声に驚き、4人の動きが止まる。強烈な光が、4人を映す。

「ここは立ち入り禁止じゃ!遊びに来る所じゃないぞ!」

 光が少しずれて、声の主が見えた。

 年齢は60を超えているだろうか。口髭を蓄えた、痩せぎすではあるが背の高い男がそこに立っていた。

「助けて下さい。この水たまりの向こうに友達がいるんです」

 正臣が老人に助けを求める。

「なんじゃと?」

「体にロープを巻いて友達を助けに行こうとしたら、そのロープが切れてしまって、助けに行った人もこの水たまりの向こうに・・・」

「この先は事故で完全に水没している。なぜ、そんなとこに友達がいる?」

「この先に、水のない空間があるはずなんです」

「この先に水のない空間があるとなぜ分かる」

「それは・・・」

 正臣は口ごもった。

「まあいい、お前たちは上に行って助けを求めるんだ。ここは、わしが何とかする」

「手伝います!」

 剛志が叫ぶ。

「余計な手間は要らん!一刻を争うんだ!早くゆかんか!」

 老人の怒声は、4人を縮みあがらせた。

 譲吉が上に向かって走り出す。他の3人もそれに従った。

 ここはわしが何とかするって、あんな老人にいったい何ができるんだ?

 最後を走っていた正臣は、途中で後ろを振り返った。

 老人の姿が、水たまりに沈んでいくところだった。

 その後ろ姿は、まるでそこに水たまりなどないかのように、ゆっくり遠ざかりながら水の中へと入っていく。

 正臣は思わず立ち止った。

「おい!マサ、何してんだよ!早く来いよ」

 剛志の声に、正臣は後方を気にしながらも、剛志たちの後を追った。

 階段を駆け上がり、外には出てみたものの、辺りは真っ暗闇。閉鎖扉の向こうに、剛志の父親が乗せて来てくれた車が止まっているだけだ。

「車がないと、街まで降りるのにどれくらいかかるだろう」

 光吉が言う。

「誰か、携帯持ってないか?」

 と譲吉。

「親父の携帯が車の中に」

 剛志が、閉鎖扉を飛び越えて、車に駆け寄る。

 ドアハンドルを掴んだが、鍵がかかっていて開かない。

「キーは?」

 追いついた正臣が聞く。

「・・・親父だ」

 4人は途方に暮れた。

「・・・・俺、知らなかったんだけど、剛志の親父さんて、事故の時から何も話せなくなってたってホントなのか?」

 不意に、正臣が聞いた。

「ホントだよ。昨日まで、誰とも一言も話さなかった。家族同士のあいさつさえしなかった。それが今日になって突然しゃべりだしたんだ。最初は何かにとり憑かれたのかと気味悪かった。でも、そうじゃないって分かった。救わなくちゃならない命があるって言うんだ。だから、たとえ狂っていると言われようと、誰かに話す必要があった。行動する必要があった。他の家族の誰でもない。最初に、この俺を信じて話してくれたんだ。だから、俺も親父を信じた。それなのに・・・・こんなところで親父を失ってたまるか」

 その時、何かに気付いて譲吉が採掘場の入口を見た。

「おい」

 他の3人も一斉に入口の方を向く。

 そこに、良太を背負い、さっきの老人が立っていた。

 老人の隣には、びっこを引いて老人の肩を借りている剛志の父親の姿もある。

 4人が、老人に駆け寄る。

「親父!大丈夫か?」

 剛志は、父親の方に声をかけた。

「ああ。水を抜けたところで、急に落下してな。足をくじいた揚句、途中につきだした岩でロープも切っちまった。心配掛けて済まん」

「いいんだよ、無事なら。ほら、俺の肩つかめよ」

 剛志は、老人の肩を借りていた父親に自分の肩を貸した。

「お爺さん、良太を」

 一番体格のいい譲吉が背中を貸す。

「ああ、すまんな」

 正臣と光吉が手伝い、良太を老人の背中から譲吉の背中に移す。

「良太をすぐ病院に」

「寝ているだけだ。わしの家がすぐ近くにある。そこでまず、休ませるんじゃ」

 剛志の父親が、何とか車を運転し、近くにある老人の家に良太を運び込んだ。

 老人のベットに良太を横たえる。

 殴られてパンパンに腫れていたはずの良太の顔は、綺麗に元に戻っていた。鼻血のあとがかすかに残っているくらい。

 正臣たちは、良太を寝かすと、老人から熱い飲み物をもらった。

 それを飲んでいるその部屋は、難しそうな本に囲まれ、ガラスケースに様々な岩や石の標本が置いてある。

 正臣は、立ち上がると、飲みながら標本を眺めて歩いた。そこへ、老人が帰ってくる。

「今、お前たちの知っている人を呼んだ。その人が来るまでここでゆっくりと休んでいるがいい」

「俺達が知っている人って誰ですか?」

 光吉が聞く。

「来れば分かる」

 正臣は気付いた。

 剛志の父親は、全身ずぶ濡れで、借りたタオルを肩からかけていたが、老人の衣服は濡れていなかった。会った時から着替えていないのにもかかわらずだ。

 聞こうと思ったが、老人には、余計な事を聞いたら噛みついてきそうな雰囲気があった。今ここで聞くことじゃないなと正臣は考え直した。

「この標本て、お爺さんが集めたものですか?」

「まあ、そうだな。中には外国で購入した物もあるが」

「お爺さんて、こういうものの研究を?」

「そういうことだ。あの採掘場には、興味深い物がいろいろあってな。何年か前からここに住み着いておる」

 その時、玄関のベルを押す音が聞えた。

「おっ、早いな」

 老人が、来訪者を迎えに行く。

 部屋に入っていた来訪者を見て、正臣は思わずその名を呼んでしまった。

「佐藤先生・・・」

 老人に連れられて部屋に入ってきたのは、音楽の佐藤先生だった。

「三宅君、それに、九十九君と市瓦君まで。みんな、林君を探していてくれたの?」

 佐藤先生のやさしい響きの声を聞くと、さっきまでの緊張感が一挙にほぐれて行く。

「林君は?」

「隣の部屋のベットで寝ておる」

 老人の言葉で、佐藤先生は、まるで勝手知ったる我が家のように、隣の部屋に姿を消す。正臣たちも、隣の部屋に入った。

 佐藤先生は、バッグからハンカチを取り出すと、良太の顔にこびりついた血を拭きとった。そして、額から右頬にかけてやさしく手でなでる。まるで、それが目覚めの合図だったかのように、良太が目を覚ました。

「・・・・佐藤先生・・・・」

「もう、大丈夫。大変だったわね」

 良太は、顔を傾けた。

「マサ、・・・それにジョーとミツも・・・」

「色々話したいことがある。でも、それはみんな元気になってからな」

 正臣が言う。

「・・・俺、柿崎と変なチンピラに山で袋叩きにされて・・・逃げたんだ・・・逃げているうちに、足を滑らせて水の流れに・・・そのあと、真っ暗な穴に落ちて・・・。それなのに、体のどこも痛くない。目も開けられる。・・・・なんだか気分もいいや」

「もうひと眠りした方がいい。わざわざ病院に連れて行くまでもないだろう」

 老人が言う。

「ご家族には、わたしから連絡しておくわね」

 佐藤先生が言う。

「ありがとうございます。先生・・・」

「これだけしっかり話せれば安心だ」

 光吉が言う。

 それを聞いた良太はにっこり笑うと、再び眠りに誘われ、ゆっくり目を閉じた。

 正臣たちは元の部屋に戻った。

「森村さん、お電話借りるわよ」

 佐藤先生が老人に言う。

「ああ、電話のある場所は知っているよな」

 佐藤先生はにっこり笑うと、部屋を出て行った。

「あの・・・佐藤先生とはどういう関係なんですか?」

 光吉は聞いた。

「美千代は、わしの親友の妻だ。何年になるかな。あいつがわしに彼女を紹介してからの付き合いだから、三十・・・いや四十年近いか」

「佐藤先生の旦那さんて・・・」

「優秀な地質学者だった。佐藤幹夫と言えば、それなりの人は今でも名前を覚えているだろう。世界に出て行ける実力の持ち主だったが、突然こんな田舎に引っ込んで、古い言い伝えを調べる伝承学者になってしまった」

「伝承学者?」

「民話や昔話を紐解いて民俗学や歴史学に結び付ける学問だ。わしはよく知らんが、この地に残る昔話は、他の土地に残るものとは大分違うらしい。幹夫の受け売りじゃがな」

「何の話をしているの?」

 電話を終えた佐藤先生が戻ってきた。

「先生の旦那さんの話です」

 光吉が言う。

 佐藤先生の表情が固まる。

「そう・・・」

「先生の旦那さんて、有名な学者だったんですか?」

 譲吉も聞く。

 佐藤先生は困ったような顔をして、いたずらっぽく老人の方を睨んだ。

「そこにいる森村さんの方がはるかに有名よ。優秀な地質学者に贈られるウォラストン賞を受賞したこともあるんだから」

「ウォ…?」

 譲吉が聞き返す。

「昔の話じゃ。この子たちに賞の名前を言っても、何のことやらわからんだろう。その学問を真に人類に生かそうとするなら、賞をとることがすべてではない。時に公にしないことが、明るい未来につながることもある。ノーベルを見るがいい。彼の開発したダイナマイトは、我々の生活を飛躍的に向上させたが、兵器への応用は戦争における大量殺りくの引き金になった。ある者には希望を、だがある者には絶望しか与えなかった。果たしてわしの受賞した賞が人類すべての希望となり得たか、それは誰にも分からん」

「そういう難しい話は、学者さん同士でしてくださいな」

 森村と呼ばれた老人は、苦笑いした。その視線が、佐藤先生の左手で止まる。

「まだしておるんじゃな。その指輪を」

 佐藤先生は、恥ずかしさを紛らわすかのような笑顔を作って左手を森村から遠ざけた。

「もう、夜も遅いわ。三宅君達を自宅まで送ります。そちらの子はどなたかしら」

 佐藤先生は、剛志を見て行った。

「風中の泉剛志と言います。三宅君達とは小学校の時同級生でした」

「風中?じゃ、自宅は風応町?」

「はい」

「そんな遠くから・・・。あなたも送ります。自宅を教えてもらえれば」

 その時、口をつぐんでいた剛志の父親が立ち上がった。

「お気持ちありがとうございます。わたしは、剛志の父親なんです。わたしの車がありますので、心配は無用です」

 佐藤先生は意外そうな顔をしたが、

「そうですか。じゃ、大丈夫ですね。それでは、三宅君、九十九君、市瓦君行きましよう。自宅まで送ります。森村さん、林君の両親がこちらに伺うと思うのでお願いします」

「分かった。では少し、この辺を掃除しておこう」

「掃除しなくても十分綺麗よ」

 正臣、譲吉、光吉の3人は剛志と別れ、佐藤先生の車で自宅に送ってもらった。

「佐藤先生と、森村さんてなんだか兄妹みたいですね」

 車の中で、正臣が言った。

「そう?そうね、年は7つくらい上だから、そう言われても不思議じゃないわ」

「もう、四十年来の知り合いだって」

「やあね。森村さん、そんなことまで言ってたの?」

「旦那さんが佐藤先生を紹介してからの付き合いだって言ってましたよ」

「・・・・それは少し違うわ」

「えっ?」

「森村さんと幹夫さんは、地質学上の対立で絶縁状態だった時期があったの」

「それって何年くらい?」

「10年以上」

「そんなに・・・・。でも、今はこんなに仲がいいじゃないですか」

「2人が十数年ぶりで顔を会わせたのは、わたしが大病を患った時。考えてみると不思議ね。あの時は、病気の苦しみで、全く未来なんて考えられなかった。それなのに、それをきっかけに2人の交流が再び始まり、今でもこうして暖かい付き合いができている。人生何が不幸で、何が幸せにつながるか分からないものね」

 佐藤先生は、さっきと違って自分のことを色々話した。わざと良太の話題は避けていた。

 結局、自宅に帰り着いた時は夜中の1時を回っていた。

 自転車は、翌日コンビニまで取りに行く羽目になった。 


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