時間を訴えたスイスの時計職人
スイスの小さな町に、時間を何よりも大切にする時計職人がいました。
ところがある日、時計は正確なのに、時間そのものがおかしくなり始めます。
時計職人フリードリヒは、誰も思いつかなかった方法で問題を解決しようとします。時間を裁判に訴えるのです。
スイスの小さな町に、フリードリヒという時計職人が住んでいた。
山と、教会の鐘と、鉄道の時刻表に囲まれた町だった。
フリードリヒは、たいへん正確な人だった。
毎朝、目覚まし時計が鳴る一分前に目を覚ました。
寝坊が怖かったからではない。
目覚ましが静けさを破る前に、自分で止めるのが好きだったのだ。
フリードリヒの時計店は、きっかり八時に開いた。
七時五十九分ではない。
八時一分でもない。
あるとき、観光客が聞いた。
「もし遅れたら、どうなるんです?」
フリードリヒは真顔でその人を見た。
「それは永遠にわかりません」
彼は、どんな時計でも直した。
懐中時計。
腕時計。
壁掛け時計。
塔時計。
それから、とても古い鳩時計が一つ。
その中に住む鳩はなかなか難しい性格で、自分が芸術的に必要だと思ったときにしか、小さな木の家から出てこなかった。
フリードリヒは、それを職業意識に欠ける態度だと思っていた。
鳩のほうは、フリードリヒを細かすぎる男だと思っていた。
全体としては、たいへんうまくやっていた。
フリードリヒの店では、いたるところから時計の音がした。
壁から。
引き出しの中から。
長い作業台の上から。
何年も開けていない小さな木箱の中からさえ。
その箱を開けないのは、まず、なぜ中で音がしているのかを理解してからにしたかったからだった。
どの時計にも、それぞれの声があった。
フリードリヒには全部聞き分けられた。
疲れている時計。
急いでいる時計。
遅れている時計。
そして、動いているふりだけしている時計。
ところが、ある朝。
少し気になることが起きた。
時間が遅れ始めた。
最初は、ほんの数秒だった。
たぶん、フリードリヒでなければ誰も気づかなかっただろう。
ほかの人なら、知らないほうが気楽なことまで見つけるのが、彼の仕事だった。
パン屋のハインリヒは、ちょうどいい時刻にパンを窯から出した。
それなのに、パンはもう昨日のものになっていた。
朝の列車は時刻表どおりに到着した。
ところが乗客は、なぜかすでに出発していた。
議会は十時に始まり、九時五十五分に終わった。
何人かの議員は最初、それを重要な行政改革として歓迎した。
そのあとで、町の人たちは心配し始めた。
年老いたペーターだけは喜んだ。
「やっと年金が老後より先に来るようになった」
フリードリヒは店にある時計を全部調べた。
どれも正しかった。
役場の時計も調べた。
正しかった。
教会の塔に登り、時計の機構をばらした。
歯車を一つずつ。
歯を一つずつ。
ばねを一つずつ。
どこにも異常はなかった。
十二時になると、鐘は正しい時刻に十二回鳴った。
ただし、正午そのものは少し遅れてやってきた。
フリードリヒは広場へ出て、太陽を調べた。
太陽は書面での保証を拒んだ。
だが、見たところ無実だった。
グスタフはいつもの時刻にパン屋へ飛んできて、ハインリヒがまだ焼いていないパンのくずを見つけた。
グスタフは構わず食べた。
時間の前後関係は、彼の担当ではなかった。
その晩、フリードリヒは店へ戻った。
片目に時計職人用のルーペをはめた。
自分の懐中時計を作業台に置いた。
そして考えた。
時計が正しいのなら、故障しているのは時計ではない。
では、故障しているのは時間だ。
翌朝、フリードリヒは一番いいスーツを着た。
帽子を持った。
そして役場へ行った。
そこで、時間を相手取って訴えを起こした。
裁判官は訴状を二度読んだ。
二度目は、少しゆっくり読んだ。
それから顔を上げた。
「被告は、時間?」
「はい」
「氏名は?」
「不明です」
裁判官は書き留めた。
「住所は?」
「どこにでも」
それも書いた。
「職業は?」
「過ぎることです」
裁判官のペンが止まった。
「それは職業というより、動作では?」
「大昔からずっと続けています」
裁判官は考えた。
そして、それも書いた。
「年齢は?」
「不詳です」
「被告は公判に出席しますか?」
フリードリヒは懐中時計を取り出した。
「もう出席しています。それにまた、こちらの仕事時間を使っています」
裁判官は壁の大時計を見た。
次にフリードリヒを見た。
それから、その訴状を至急案件の書類のいちばん上に置いた。
公判は月曜日に決まった。
月曜日、役場の大広間は満員になった。
ハインリヒが来た。
羊飼いのヨーゼフは機関士の隣に座った。
学校の先生は一番いい靴を履いてきた。
ペーターは最前列に座った。
証人として来たのか、ただいつもの癖で前に座ったのかは、誰にもわからなかった。
グスタフは窓枠の高いところに席を見つけた。
フリードリヒの店からは、あの古い鳩時計も証拠品として運び込まれていた。
鳩には証言してもらう予定だった。
きっかり十時。
裁判官が入ってきた。
フリードリヒは懐中時計を見た。
三秒遅れていた。
その件は別の訴訟に取っておくことにした。
全員が立った。
裁判官が座り、書類を開いた。
「これより、『フリードリヒ対時間』の審理を始めます」
室内が静かになった。
裁判官は、被告のために用意された空席を見た。
「被告・時間。起立してください」
誰も立たなかった。
ただ、一分が過ぎた。
壁の時計の秒針が一周した。
最後列にいた子どもが、一分だけ年を取った。
ハインリヒのパンが少し冷めた。
フリードリヒは書記官のほうへ身を寄せた。
「被告が裁判所の命令に従わなかったことを、記録してください」
書記官は書き留めた。
最初の証人はハインリヒだった。
彼は証言台へ進んだ。
聖書が見つからなかったので、代わりに料理本へ手を置いた。
ハインリヒは、良い料理本に手を置いて嘘をつくのも、同じくらい許されないと主張した。
「私のパンは、売る前に冷めてしまうんです」
「パンとは、そういうものでは?」と裁判官が言った。
「ここまで早くはありません」
「どれくらい早い?」
「焼き上がる前に冷めることもあります」
裁判官は何か書いた。
次にヨーゼフが呼ばれた。
「うちの牛は、ときどき牧草地へ出る前に帰ってきます」
裁判官が彼を見た。
「本当に同じ牛ですか?」
ヨーゼフは気分を害した。
「自分の牛なら全部わかる」
「何で見分けるんです?」
ヨーゼフは裁判官を見つめた。
「全部で」
裁判官は、それ以上聞かないことにした。
次は学校の先生だった。
「子どもたちが時間の不具合を利用して、宿題を昨日提出するようになりました」
「昨日?」
「はい」
「宿題はできていたんですか?」
「残念ながら、いいえ。明日にはもうできていた、と言っています」
裁判官は額をこすった。
最後に、鳩時計が証言台の上に置かれた。
裁判官は身を乗り出した。
「最近、時間が正しく進んでいたかどうか、裁判所に答えてください」
何も起きなかった。
裁判官が待った。
フリードリヒも待った。
みんな待った。
やがて、小さな木の扉が開いた。
鳩が顔を出した。
そして十一回鳴いた。
裁判官は壁の時計を見た。
「今は十時四十七分です」
鳩は首を傾けた。
「私は芸術家です。そう感じました」
そして家の中へ戻った。
フリードリヒがうなずいた。
「以上です」
審理は続いた。
途中、時間を法律上、人として扱うべきか、自然現象として扱うべきか、それとも公共サービスとして扱うべきかについて、裁判所はほぼ一時間を費やした。
もちろん、その一時間そのものを信用していいのなら、だが。
やがて裁判官が立ち上がった。
書類をそろえた。
咳払いをした。
そして判決を読み上げた。
「裁判所は、時間がその職務を適切に遂行しなかったものと認める。
今後、時間は一定の速度で進み、不必要に急がず、誰も遅らせず、昨日、今日、明日という一般に認められた順序を守るものとする」
広間に拍手が起きた。
ハインリヒは小麦粉のついた手で拍手した。
ヨーゼフは満足そうにうなずいた。
学校の先生は、子どもたちが前日に紛失してしまわないうちに、判決を書き写した。
フリードリヒだけは真面目な顔のままだった。
「刑は?」
裁判官が彼を見た。
「判決は十分明確でしょう」
「刑のない判決は、ただの勧告です」
裁判官は、自分の判決が勧告に見えるのを好まなかった。
考え込んだ。
フリードリヒから見れば、かなり長い時間だった。
やがて裁判官は片手を上げた。
「裁判所は、時間を終身刑に処する」
壁の大時計が止まった。
時計の音が消えた。
振り子が途中で止まった。
ろうそくの炎が芯の上で動かなくなった。
蠅が空中に浮いたまま止まった。
ハインリヒの手は帽子の上で止まった。
ヨーゼフの口は半分開いたままだった。
裁判官自身も口を大きく開けたところで止まった。
あとで彼の妻なら、多少は改善されたと思ったかもしれない。
音がなくなった。
静けささえ、もう動いていないようだった。
動けるのはフリードリヒだけだった。
上着のポケットでは、自分の懐中時計だけが動き続けていた。
ずっと昔に、自分で作った時計だった。
歯車を一つずつ。
ばねを一つずつ。
ねじを一つずつ。
その時計は、フリードリヒ以外の誰にも従わなかった。
彼は時計を取り出した。
秒針は動いていた。
カチ。
コチ。
カチ。
ほんの一瞬、フリードリヒは深い満足を覚えた。
ついに。
すべてが正確になった。
誰も遅刻しない。
誰も早く帰らない。
誰も年を取らない。
金属は錆びない。
お茶は冷めない。
花はしおれない。
締め切りを過ぎることもない。
フリードリヒは、止まった広間をゆっくり歩いた。
すべてが、あるべき場所にあった。
そして永遠に、そこにあるはずだった。
外へ出た。
広場では、男が一歩踏み出した途中で止まっていた。
片足が宙に上がったままだった。
その足は、もう地面に着かない。
パン屋では、パンが窯の中にあった。
焦げなかった。
色もつかなかった。
だが、焼き上がりもしなかった。
開いた窓から、歌の最初の一音だけが聞こえていた。
二つ目の音は来なかった。
階段では、子どもが笑ったまま止まっていた。
口を開けて。
目を輝かせて。
けれど、その笑いは続くことも、終わることもできなかった。
噴水の上にはグスタフが浮かんでいた。
翼を広げたまま。
落ちない。
飛ばない。
フリードリヒはその下で足を止めた。
それから歩き続けた。
聞こえるのは、自分の時計だけだった。
カチ。
コチ。
カチ。
フリードリヒはずっと、何ひとつ間違いが起こらない一分こそ、完璧な一分だと思っていた。
今は、何ひとつ間違っていなかった。
そして、何ひとつ先へ進まなかった。
正確さは完璧だった。
その中では、生きることができなかった。
フリードリヒは法廷へ戻った。
判決文は裁判官の前の机に置かれていた。
インクはまだ乾いていなかった。
これから先も、ずっと乾かない。
フリードリヒは紙を手に取った。
もう一度読んだ。
そして、二つに破いた。
壁の時計が動いた。
振り子が残りのひと振りを終えた。
蠅は窓まで飛んだ。
ろうそくの炎が揺れた。
ハインリヒは手を下ろした。
ヨーゼフは口を閉じた。
裁判官は吸いかけていた息を最後まで吸った。
広場では、男の足が地面についた。
歌の二つ目の音が鳴った。
子どもは笑い終えた。
パンは焼き色をつけ始めた。
グスタフは翼のひと振りを終え、噴水に降りた。
時間はそのまま進んでいった。
何も説明しなかった。
控訴もしなかった。
ただ、先へ進んだ。
法廷が落ち着きを取り戻すと、ハンスがフリードリヒのところへ来た。
「それで?」
フリードリヒは懐中時計をポケットへ戻した。
「何が?」
「負けたのか?」
「いや」
「じゃあ、何があった?」
フリードリヒは袖口を整えた。
「和解した」
ハンスはうなずいた。
それなら、十分筋が通っているように聞こえた。
翌朝、フリードリヒはきっかり八時に店を開けた。
次の日も。
その次の日も。
彼は相変わらず、正確な人だった。
進みすぎる時計も。
遅れる時計も。
まったく職務を果たさなくなった時計も。
これまでどおり修理した。
ただ、ときどき。
朝の光がとりわけきれいに屋根へ落ちていると、フリードリヒは店の前でほんの少し立ち止まった。
鍵を錠に差し込む前に。
そして、ちょうどそのとき昔からの友人が通りかかれば、まず、その人と話した。
そんな朝には、店が八時一分に開くこともあった。
誰もそのことを口にしなかった。
フリードリヒなら、なおさらだった。
しばらくして、店の扉に小さな新しい札が掛かった。
そこには、こう書かれていた。
時計は、正確に進まなければならない。
人は、ときどき立ち止まってもいい。
時計は正確に時を刻むべきもの。でも、人間まで時計のように生きる必要はありません。
ときには立ち止まり、友人と話し、美しい朝の光を眺めることも大切です。
これで『小さなスイス』の最初の三つの物語をお届けしました。これからも、スイスの小さな奇跡と温かなユーモアをお楽しみください。




