第7話
「ったくよぉ、なんであたいらが皿洗いなんてしなくちゃなんねーんだよ」
リゼが不満げに唇を尖らせる。
「これも仕事のうち」
澄ました顔でランが答えた。
「クッソめんどくせーな……」
そう悪態をつきながらも、リゼは食器を一枚ずつ丁寧に流し台に重ねていく。
「それが済んだら、こっちで芋の皮を剥いてくれんかのう」
大鍋の前で木べらを動かしていたドワーフの料理人・グリムドルが、振り向きざまに声をかけた。
「ったく、あたいはいつから料理人の下働きになったんだ? 記憶が確かなら、メイドって肩書きで雇われたはずだよな」
「人手が足りないからしょうがない。というか、グチグチうるさい」
「……ちっ」
城に来て、今日で三日目。フィーネの指導で、ふたりはひと通りの仕事を任されていた。
掃除、洗濯、部屋の整理整頓。そして時々、ディランの話し相手。
いずれも難しい作業ではないが、いわゆる「メイド」の仕事にしては、範囲が広い。
なにせこの城には、ディランとフィーネ、グリムドルの三人しかいなかったのだ。
人手が増えたとはいえ、業務量が一気に減るわけでもない。
それでもふたりは口にするほど不満があるわけじゃなかった。
提示された給金も悪くなかったし、無一文だと伝えたら前払いにも応じてくれた。
暗殺者として闇に生きてきたせいで戸惑いもあるが、今の環境はとても「まとも」だった。
だから、リゼがいちいち文句を垂れるのは、そういう性分なのだ。
何かに噛みついていないと、落ち着かない。それだけだった。
「ほらよ、じいさん。次は何だ?」
芋の皮を手際よく剥き終えたリゼが、ボウルをグリムドルに差し出す。
「ほう……手際がえらくいいの。どうしてそんなにナイフの扱いが上手いんじゃ?」
目を丸くするグリムドルに、リゼは鼻を鳴らす。
「そりゃあ、生まれてこの方、いろんなモン切ってきたからな。……つうか、そんな褒めんなよ。むず痒ぃ」
「リゼは褒め言葉に慣れてない」
「お前もだろ」
そんなやり取りの最中、軽い足音がして、ディランとフィーネが厨房に入ってきた。
「やあ、ふたりとも。仕事は慣れた?」
ディランがいつもの調子で笑いかけた。
「慣れるも何も、まだ三日目だっつーの。ま、でもやることは単純だからな。問題ないさ」
「それは良かったよ」
「で、何の用だ? それだけ言いに来たのか?」
ディランは厨房の隅に置かれた長テーブルに腰を下ろし、椅子をきしませた。
「ううん、夜ご飯を食べに来た」
「……はあ?」
「コホン……」 フィーネが咳払いしつつ、補足する。 「この城には使用人が限られておりますので、わざわざ晩餐室に料理を運ばせるより、厨房でみなさんと一緒に食べる方が効率的、というディラン様のご提案です」
「なるほど。合理的」
ランが淡々と相槌を打つ。
「でしょ? それに一人で食べてもつまんないしねー」
「王様が厨房に出入りって、聞いたことねぇけどな……。まあ、あたいらの手間が省けるなら文句はないけど」
ぶつぶつ言いながらも、リゼは出来上がった料理の一部をディランの前へどさっと置いた。
「坊っちゃん、あとはこの肉スープを煮込めば完成じゃ」
グリムドルが芋を大鍋に流し入れ、木べらでゆっくりとかき回す。
「それは楽しみだなぁ。あ、デザートもある?」
「木苺のタルトを冷やしてあるぞ?」
「けっ、お子様かよ」
「リゼだって甘いもの好き」
「うるせーな」
「リゼとは気が合いそうだね。フィーネが作るアイスクリームも絶品だよ?」
「それは絶対食うよ。コイツの作ったもんなら、ゴミでも食うな」
「コイツ、ではありませんし、私の料理はゴミでもありません……」
「よーし、みんな座ろうか」
ディランが手を鳴らしたところへ、グリムドルが大鍋を運んできた。
「ご注文通り、肉たっぷりで仕上げてあるぞ。冷めないうちに食いな」
皆でテーブルにつき、食事を囲む。
「やっぱ、うめーな」
リゼが舌鼓を打つ。
「激しく同意」
ランが続ける。
グリムドルの料理は絶品だ。
火の扱いに長けているだけでなく、香辛料の使い所も絶妙なのだ。
リゼとランは、先日グリムドルの料理を初めて食べて、あまりの美味しさに固まった。
食事など、生きるための糧でしかなかったし、温かい料理をゆっくりと味わうことも無かった。
それが、お腹だけでなく心まで満たす料理にありつけたのだ。
それだけでも、ここで雇われた甲斐があったと、ふたりは思った。
食後、片付けを終えれば今日のふたりの仕事はおしまいだ。
与えられた私室に戻り、寝支度を整えて、それぞれのベッドに横たわる。
「……楽だな」
リゼがぽつりと呟く。
「うん。楽」
ランが静かに応える。
安宿を転々とし、時には野宿、時には徹夜で標的を追っていた日々。
それに比べたら、この城の生活は天国のようだ。
決まった時間に眠り、朝になったら起きる。
それだけのことが、これほど快適に感じられるとは思わなかった。
「……けど油断はできねぇ。あの“凶王”が、何を考えてあたいらを雇ったのか、まだ何も聞かされてないからな」
「でもディラン、悪いやつに見えない」
「それが“表の顔”ってやつだろ。噂通りならな」
「いっぱい悪いやつ見てきた。ディランは、違う気がする」
「ばぁか、最初に会った日のこと、もう忘れたのかよ。あたいらの攻撃が一切通じなかったんだ。ありゃあ、まともに生きてきた奴の動きじゃないぜ?」
「それが不可解」
「けどいずれ、探りを入れてくるだろうな。……あたいらが組織に依頼されて“遺物”を探してたこと、凶王ならとっくに知ってるはずだから」
「どうして、まだ組織のこと何も聞いてこない?」
「さあ……泳がしてんのかも」
「でも、私たちも組織の正体、実はあんまり知らない」
「それが問題だよなぁ。情報を持ってないことがバレたら、クビか、あるいは――殺されるか」
「殺される前に逃げる?」
「どうだろ……。城の人手不足は本当みたいだし、そっちで役に立ってりゃ大丈夫なんじゃねーか?」
「それなら、明日から一生懸命働く」
「だな……暗殺よりは、ずっと楽だからな」
しばらくして、ふたりは静かに寝息を立てはじめた。
✣ ✤ ✣ ✤ ✣ ✤
カノア王国から正式な会見の申し入れが届いたのは、その翌日のことだった。
手紙を受け取ったフィーネは、どこか沈んだ顔でディランの書斎を訪れる。
「ディラン様……」
「やあ、フィーネ……どうしたの? 顔色、悪いよ?」
「これです……」 フィーネは小さな声で手紙を差し出した。
ディランが受け取り封筒を見ると、そこにはカノア王家の紋章がくっきりと刻まれていた。
「へえ、カノアの王様からじゃん」
手紙を開くと、『至急、意見交換の場を持ちたい』という文言が綴られている。
指定された日は、明後日。
「ずいぶん急だね。何かあったのかな?」
「“何かあった”じゃないですよ!」 フィーネが机越しに詰め寄る。 「絶対、この前のクレヴァスの死体の件じゃないですか……!」
すっかり取り乱した様子で、フィーネは半泣きだった。
「どうしてバレたんでしょう……顔は見られてないはずなのに……」
「そんなこともあったね。そういえば」
呑気なディランの口調に、フィーネはさらに頭を抱える。
「とりあえず直接会って話を聞くしかないんじゃない? 本当にその件かどうかも分からないし」
「……そう、ですね。普段なら理由をつけて断るところですけど……今回ばかりは応じた方が良さそうです」
文面にはクインズヒルでなく、カノア王城に来るようにとあった。
近頃は命を狙われることも多く、ディランが正式に他国へ訪問するのは避けていた。
しかし今回はそうもいかない。
状況的に、死体置き去りの件を疑われている可能性が高いのだ。
「そうだ。せっかくだし、あのふたりも連れて行こうかな」
「リゼとランですか? ……確かに護衛としては心強いですけど……」
元暗殺者という肩書きは伊達ではない。
途中で盗賊に出くわした程度なら、安心して任せられる。
「今度こそ、あの新しいケーキ屋に行きたいんだ。僕と同じ甘党のリゼもきっと喜ぶし」
「……それが同行させる理由なんですね?」
「うん」
――そうして……会見の日がやって来た。