第21話
「窮屈で申し訳ありません。馬が一頭しかいないものですから」
背後のディランに向けて、ライザが抑揚の無い声で言った。
「いやぁ、平気だよ。馬に二人乗りなんて、久しぶりで新鮮だね」
ディランが笑って答える。
森小屋を出たあと、ふたりは揃って馬にまたがり、クインズヒル城へ向かっていた。
男たちが乗ってきた荷馬車もあるが、あれは後で死体を運ぶために使う。
だからライザは、自分の愛馬にディランを乗せ、二人乗りすることを選んだ。
背中に伝わるディランの体温。
だがライザはそれを、馬の規則正しい揺れと同じ、ただの物理的な感触として処理した。
城までは、もう大した距離ではない。
◇◇
その頃、長閑な田園風景が広がるクインズヒルの道を、一頭の馬が静かに駆けていた。
騎手の名はクリュード。
クレヴァス王国に仕える騎士である。
彼の主君ピアナ・グリーンホローは、クインズヒル王との婚約祝いを名目に、敵国情勢の調査に乗り込もうとしていた。
クリュードはその露払いとして、単身この地の下見に訪れたのだ。
彼自身は、元々クレヴァスの人間ではない。
北の地で「蛮族」と呼ばれた一族の出身。
紛争で国を失い孤児となったところを、ピアナに拾われたという過去を持つ。
彼の血管を流れるのは、武こそが全ての価値基準となる、竜の祖を持つ戦闘民族の血だ。
幼い頃から剣の修行に明け暮れ、その才能は早くから開花していた。
父は一族の幹部。
その期待に応えるべく鍛錬を重ね、少年期にはすでに大人を凌駕するほどの腕前を誇った。
ピアナに拾われた後も、彼の鍛錬が終わることはなかった。
今やクレヴァスで彼に並ぶ者はなく、その実力は、主君の護衛という鎖に繋がれていなければ、かの剣聖にすら匹敵すると噂されるほどだった。
クリュードにとって、ピアナは命の恩人であり、絶対の忠誠を誓うべき主君。
だからこそ、彼女が『凶王』などと揶揄される男と直接会うことには、懸念を抱いていた。
ならばまずは密偵として潜入し、城と王の様子を探る――
主君には内密でクインズヒルへやってきたのは、そのためである。
そろそろ城が見えるはずだ。
クリュードが馬を操り、あぜ道を曲がった、その瞬間だった。
示し合わせたかのように、別の道から現れた一頭の馬と正面から鉢合わせた。
馬には男女が二人乗りで、親密そうに寄り添っている。
恋人同士だろうと、目を伏せて道を譲ろうとした瞬間――
ぞくり、と背筋を氷の指がなぞった。
殺気ではない。
だが、研ぎ澄まされた刃のように鋭く、底知れない練達の“気”。
その源は、手綱を握る女から発せられていた。
女は背中に大剣を負い、その佇まいには一切の隙がない。
正面を見据えたまま、こちらの存在など意に介さない素振りだが、その意識の端が鋭利な刃物のように自分を捉えているのを、クリュードは肌で感じていた。
――何者だ?
切れ長の目を細め、次に女の背後にいる男に視線を移したクリュードは、息を呑んだ。
その横顔には、はっきりと見覚えがあった。
この国の先代王が生きていた頃、外交の場で何度か目にした顔。
――クインズヒル王……!?
こんなところで出会うなど、偶然にしては出来過ぎている。
だが、好都合だ。わざわざ城まで乗り込む手間が省けた。
……この場で王の首を獲り、ピアナに献上すれば、全ては終わる。
自分はそこらの刺客とは違う。
相手がどれほど『凶王』と恐れられていようと、敗れるはずなどない。
主君の懸念も、これで完全に断ち切れる。
だが、問題は女。
クリュードの視線は、再び手綱を握る女へと吸い寄せられた。
その時、主君の言葉が脳裏をよぎる。
クインズヒルに嫁ぐカノアの第三王女は、剣聖の弟子だ、と。
――なるほど。つまりこれは、夫婦水入らずの散策というわけか。
まさか女が剣聖本人であり、ディランと知り合ったばかりなどとは夢にも思わなかった。
親密に馬に同乗するなど、恋仲の男女くらいのものだから。
竜の血がざわめく。
王の暗殺よりも先に、この女と戦いたい――。
剣聖の弟子、その剣をこの身で味わいたい。
欲望が疼いた。
その時、ライザの馬が急に立ち止まる。
向けられる視線が、単なる好奇心から明確な『殺気』へと変質したのを悟り、もはや無視できなくなった。
彼女はゆっくりと振り返り、冷めた声で男に問うた。
「……何か、ご用でしょうか?」
クリュードはライザの目を真っ直ぐに射抜き、答える。
「失礼。そちらはクインズヒル王陛下に相違ないか?」
念の為の確認だ。
男がクインズヒル王なら、女がカノア第三王女……つまり剣聖の弟子で間違いないと思ったからだ。
ライザはディランを窺う。
「陛下。この方をご存知で?」
「さあ? どこかで会ったかな?」
ディランは不思議そうに首をかしげた。
――王の知り合いではない。つまり……刺客か。
ライザは即座に判断する。
ならば、自分が出る幕ではない。男同士で勝手にやりあえば済むことだ。
結果、クインズヒル王が死ねば、それはそれで好都合。
だが、男の目はディランではなく、ライザを射抜いたままだった。
「俺が何者かなど些事。……あなたに、手合わせを願いたい」
「私……ですか」
ライザは内心で深くため息をついた。
自分の正体を知ってか知らずか、腕試しを挑んでくる者は後を絶たない。
いちいち相手をするのも億劫なのに、今は先を急いでいるのだ。
「あいにくですが、この方をお送りする途中ですので」
わずかな苛立ちを声に乗せて断る。
だが、クリュードは意に介さず、ひらりと馬から降り立つと、腰の剣を抜き放った。
「戦う意志がないならば結構。……二人揃って、ここで果てるがいい」
剣を構えた男から放たれる、本物の殺気。
「……煩わしい蠅ね」
ライザは今度こそ苛立ちを隠すことなく顔を歪め、氷のような声で吐き捨てると、静かに馬から降りた。
残されたディランは、ただ不思議そうに眉を上げて二人を見守った。




