第19話
――どうしてこうなった?
ディランは、ごつごつと背中に当たる荷台の感触に顔をしかめた。
手足は縛られ、口には布が詰められている。
揺れる馬車から見えるのは、見慣れたクインズヒルの空だけだ。
つい数時間前まで、自分は城にいたはずだった。
◇◇
クインズヒル城は、来訪を控えたクレヴァス国王の対応で大わらわだった。
人手が足りないのは明らかだが、幸いサリアやフィーネは宮廷作法に明るく、リゼとランも潜入経験から貴族の礼儀作法を心得ている。
問題は――料理一筋のグリムドルと、礼儀などに一切関心のないディランである。
クレヴァスといえば、かつてディラン暗殺の刺客を送り込んできた国だ。
表向きは婚約の祝いなどと飾っているが、到底友好的とは言えない。
無下にもできず、かといって過剰な歓待もできない――。
サリアとフィーネはその加減に頭を悩ませ、リゼとランまで議論に加わって、ああでもないこうでもないとやっていた。
一方ディランはといえば、その輪の外であくび混じりに退屈していた。
主として参加すべきだと分かってはいる。
だが、命を狙われた相手からの婚約祝いなど、気持ちが乗るはずもない。
「社交辞令も大事なのですよ?」
母親のように諭すサリアの言葉も、ディランの心には響かない。
もてなす気持ちなど、欠片も湧いてこなかった。
ふっと気配を消して部屋を抜け出すと、ディランはそのまま城の外へふらりと散歩に出た。
のどかな丘陵と湖に、民家が点在するクインズヒルの風景。
両腕を頭の後ろで組み、遠くの雲を眺めながら、まばらな森の間を縫って歩く。
まさか一国の王が、こんな無防備に田舎道をぶらつくなんて、普通は考えないだろう。
――だが今日に限って、不運にも“普通ではない者たち”が潜み、ディランの動向をうかがっていた。
野盗くずれのような風体の男たち。
しかし、揃いの革鎧をまとい、その動きは明らかに訓練されている。
彼らは写し身の魔道具に映るクインズヒル王の顔と、のんきに歩くディランの顔が一致することを確認すると、静かに、そして迅速に行動を開始した。
その結果、ディランは今、行き先も分からぬ馬車の上で、不本意な外遊の真っ最中なのである。
◇◇
やがて馬車は、森の中にひっそりと佇む古びた石造りの家屋の前に停まった。
「おい、ここで合ってるのか?」
「ああ、地図通りだ。依頼通り、こいつを中に運ぶぞ」
男の一人が、縛られたディランを雑に担ぎ上げる。
「しかし、軽いな。こんな痩せっぽちが、あの“凶王”だって? 噂ってのは当てにならねぇもんだ」
言葉と共に、ディランは冷たい石の床に無造作に転がされた。
声にならないうめきが漏れる。
口元の布を剥ぎ取られ、男が顔を覗き込む。
「言っとくが、叫んでも無駄だ。ここには誰も来ねぇ。分かったか?」
「……だろうねぇ。ここって、クインズヒルの西にある森小屋だよね? 確かに、ここで叫んでも誰も来ないだろうなぁ……」
人ごとのように答えるディランに、男は驚き、そして呆れた。
「け……。泣いてわめくと思ったが、案外肝が座ってやがる」
ディランとて、別に不安や焦りがまったくないわけではない。
だが、それ以上に「ここで騒いでも無意味だ」という諦めが勝っていた。
不利な状況でじたばたしてもろくなことにはならない。
大人しくしていれば、そのうち何とかなるだろう。
そんな楽観的な思考が、彼の根底にはあった。
男は近くの椅子にどかりと腰を下ろし、他の者たちも思い思いの場所に腰を下ろした。
「ねえ、君たちは誰?」
退屈しのぎに、ディランは一番近くにいたリーダー格らしき男に話しかけた。
「ああん? 聞いてどうする」
「別に。君らは僕を知ってるのに、僕が君らを知らないのはフェアじゃないと思ってさ」
「フェアだと? ……まったく、自分の状況を理解できていないらしい」
男が肩をすくめる。
「お前に名乗るつもりなんてねぇよ。だが安心しな。別にお前さんを殺すためにさらったわけじゃねぇ」
「へえ。じゃあ、なんで?」
「組織の幹部様のご命令さ。俺たち下っ端は理由なんて聞いちゃいねぇ。お前をここに連れてくること。受けた命令はそれだけだ」
「組織って?」
「……そいつは言えねぇな」
男はしゃべりすぎたとばかりに口をつぐんだ。
これ以上は無駄か、とディランも質問をやめる。
しばらくぼんやりと天井を眺めていると、不意に別の男が声を上げた。
「なぁ。コイツ、あの“でっかい書庫”を管理してるクインズヒル王なんだよな?」
「急にどうした、グルーズ」
リーダー格の男が、訝しげに眉をひそめる。
「コイツを組織に渡したって、はした金しか入らねぇ。…けどよぉ、コイツの首を欲しがってる国にでも売りつければ、たんまり儲かるんじゃねぇか?」
グルーズと呼ばれた男が、下卑た笑みを浮かべた。
「馬鹿言え。今回の命令は、あの“剣聖サマ”から直々だぞ。裏切りがバレたら八つ裂きじゃ済まねぇ」
「馬鹿はどっちだよ! コイツを売り飛ばして大陸の端っこにでも高飛びすりゃ、組織に追えるわけがねぇだろうが!」
そう言って他の面々を見渡す。
「 おい、お前らもそう思わねぇか!? 俺たちは雇われたばかりで顔も割れてねぇ! 安い金でいつまでもこき使われてていいのかよ!」
グルーズの扇動に、他の男たちがざわつき始めた。
「静かにしろ!」
リーダーの男が怒鳴った。
「お前らは幹部の恐ろしさを知らねぇから、そんなくだらねぇことが言えるんだ! いいから黙って命令に…」
その言葉は、カチャリ、という無機質な音にかき消された。
グルーズが、リーダーの男のこめかみに魔石銃の銃口を突きつけていたのだ。
「いい銃だろ? 前に組織からくすねておいたのさ」
「…俺を脅す気か?」
「脅しじゃねぇ。あんたはただ、俺たちより長く組織にいるだけのビビリ野郎だ。そんなやつに指図されるのはもうウンザリなんだよ」
グルーズが引き金に指をかけた瞬間、リーダーの男が素早く体をひねらせた。
腰の剣が抜き放たれ、グルーズの体を逆袈裟に斬る。
「くっ…てめぇ!!」
だが皮一枚でそれをかわしたグルーズは、半狂乱で魔石銃を乱射した。
放たれた魔力の弾丸は石壁に当たって跳弾し、あらぬ方向へ飛び交う。
そのうちの数発が、仲間たちの頭を偶然にも撃ち抜いた。
「グルーズッ! てめぇ、何をしたか分かってんのか!!」
激昂したリーダーが再び剣を振りかぶる。
だが、その背中に、別の男が音もなく短剣を突き立てた。
「ごほぁっ…!」
血を吐きながら、リーダーは振り返りざまに剣を薙ぐ。
短剣を握っていた男の首が、胴体から離れて宙を舞った。
それは、グルーズを組織に誘った悪友だった。
悪友の無残な姿に、グルーズの理性のタガが外れる。
「うおおおおおおっ!!」
魔石の力を使い切る勢いで、彼は引き金を絞り続けた。
狭い小屋の中を、死の弾丸が嵐のように吹き荒れる。
しばらく続いた銃声と怒号が途絶えた時、そこには完全な静寂だけが残されていた。
跳弾は、リーダー格の男をはじめ、そこにいた人間を容赦なく撃ち殺した。
しかも最後には、グルーズ自身も己が放った弾丸にその命を奪われていた。
◇◇
その一部始終を、床に転がったまま、体を縮こませて見ていた者――ディランだけが、無傷で生き残っていた。
しかもうまい具合に、跳ね返った弾丸の一つが、ディランの手を縛っていた手錠だけをきれいに破壊していたのだ。
「……よく分かんないけど、助かった、のかな?」
上体を起こし、ディランは呟いた。
足のロープはまだ繋がったままだ。
リーダー格の男の死体まで這っていくと、その手から剣を抜き取り、ロープを断ち切る。
ようやく自由の身となり、立ち上がって辺りを見渡した。
目の前に広がるのは、凄惨な死体の山。
「あーあ…。どうしよう、この人たち」
またもや大量の死体を前に途方に暮れていると、グルーズの手元で鈍く光る魔石銃が目に留まった。
ディランは、ふらふらとそれに引き寄せられる。
――さっき見てたけど、なんか、かっこいいよねぇ……。
そんな場違いなことを考えながら、ディランは銃を手に取った。
右手に剣、左手に銃。
血の海の中心に立つその姿は、奇妙に絵になっていた。
その時――
ギィィ…、と、小屋の扉が軋みながら開く。
ディランが振り向くと、そこに一人の女が立っていた。
漆黒のドレスに、背には身の丈ほどもある黒い大剣。
雪のように白い肌と、伏せがちに光る金色の瞳。
まるで死神のように美しい女と、静かに目が合った。




