第17話
クインズヒル王城の地下。
カチャン、と重々しい金属音が響き、分厚い扉が内側へ開いていく。
ディランは書院の権限を更新するため、サリアを連れ「王権書院」の入口へとやってきていた。
「あそこが最初のカギだよ」
隣に立つサリアに向かってディランが微笑む。
開かれた扉の先には、無機質な壁に複雑な魔法陣が描かれていた。
「最初のカギ?」 とサリアが問い返す。
「そう。カギは全部で三つあってね、奥へ行くほど頑丈になってる」
ディランが壁に手を触れると、魔法陣が明滅し、そこにあった壁がすっと消える。
そして数十メートル先には再び魔法陣の描かれた壁が道を塞いでいた。
――よほど大事なものが眠っているのね。
サリアが胸の内でつぶやく。
魔法カギが施された扉は、権限を持つ者以外には決して開けられない。
鍵穴は存在せず、分厚い壁に強力な防御障壁が張られているのみ。それが三つも。
徹底した拒絶の意思を感じさせた。
「この仕掛けは、旧帝国時代に作られたものなの?」
第二のカギが解錠されるのを待ちながら、サリアが尋ねた。
「ううん、もっと古いみたいだよ」ディランは何気ない口調で答える。
「……つまり、帝国が誕生する前から、この城の地下に書院があったということ?」
「書院というより、元は何かの保管庫だったらしいね。クインズヒルの一族は、代々この土地で“何か”を守ってきたんだって。そのための頑丈な場所に皇帝が目を付けて、国の重要資料をここに集めるようになった、ってのが真相らしいよ」
「元々守っていたものって?」
「さあ? 記録にないんだ。何しろ、ずいぶん昔の話だから」
話しながら、ディランが第三のカギを開ける。
その先には、淡い光を放つ魔法紋が刻まれた薄い膜が、行く手を阻んでいた。
「さて、ここからは僕が許可した人しか入れない」
ディランはそう言うと、くるりとサリアの方へ向き直った。
「な、なに?」
不意に真正面から見つめられ、サリアの心臓が小さく跳ねる。
「悪いんだけど、僕の手を握ってくれる?」
「手を? ……どうして?」
「そういう儀式が必要なんだ。理由は僕にも分からないけど」
困ったように笑うディランに、サリアは「……わかったわ」と頷き、差し出された手をそっと握った。
ディランは目を閉じ、静かに言葉を紡ぐ。
「僕はこの地の主、ディラン・クインズヒル。僕の名において、サリア……。あれ……君の本名ってなんだっけ?」
「……サリア・フィル・カノアよ」
「ありがとう。僕の名において、サリア・フィル・カノアの入室を許可する」
その言葉に応えるように、背後の魔法紋がひときわ強く輝き、やがて光の粒子となって霧散した。
「これでオッケー」
ディランが軽い足取りで中へ進む。
サリアも、導かれるようにその後に続いた。
そして、彼女は息をのんだ。
目の前に広がっていたのは、およそ城の地下とは思えぬ、巨大で、あまりにも異質な空間。
見上げた先に広がっていたのは、無数の星屑が鏤められた天井だった。
夜空と呼ぶにはあまりに眩しく、そしてあまりに神秘的な光景。
ここは地下のはずなのに、まるで神々の住まう天界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
「どうして……ここに夜空があるの?」
サリアが呆然と呟くと、隣を歩くディランがこともなげに答えた。
「不思議だよね。両親が言うには、あれは宇宙なんだって」
「宇宙……?」
「そう。僕らが住むこの大地を飛び立って、空をずーっと昇っていくと辿り着く場所。そこでは星が生まれたり死んだり、それを永遠に繰り返しているらしい」
まるで壮大な神話を語るような言葉に、サリアは感嘆の息を漏らした。
彼女は天から地上へと視線を戻し、改めて周囲を見渡す。
そこは、円形状に広がる巨大な空間だった。
壁という壁を埋め尽くすのは、おびただしい数の書物。
数百はあろうかという巨大な書架が、まるで闘技場の客席のように空間をぐるりと取り囲んでいる。
これが、帝国が築き上げてきた知の結晶。
大陸中の国々が渇望してやまない巨大な叡智。
サリアは息を呑み、その荘厳な光景にただただ圧倒された。
そんな彼女をよそに、ディランは慣れた様子で空間の中央へと歩を進めていく。
気圧されていたサリアも、慌ててその背中を追った。
中央には、人の背丈ほどもある巨大な球体が静かに浮かんでいた。
それ自体が光源であるかのように、まばゆい光を煌々と放っている。
「これは……?」
目を細めながらサリアが尋ねる。
「詳しいことは僕も知らないんだ。けど、この球体のおかげでこの場所が維持されてるらしい。古代の立体魔法陣で、数千年前からこのままなんだって」
「立体魔法陣……」
目が慣れてくると、球体の表面に見たこともない文字や記号が、まるで生きているかのように明滅を繰り返しているのが見えた。
現代でも、魔石を使った魔導機構を組み立てる際に魔法陣を用いることはある。
だが、それ自体が立体として物理的に存在するなど聞いたことがない。
ましてや、数千年もの間その効果を維持し続ける魔法とは。
帝国の知識以上に、この場所には何か重大な秘密が隠されているのではないか。
サリアの胸にそんな予感がよぎる。
「直接この球体に触れることで、正式に権限が君に付与される」
ディランがそう言って、球体に触れるよう促す。
「……触っても、大丈夫なの?」
「うん。熱くないし、吸い込まれたりもしないよ」
おそるおそる、サリアは白く細い指先をそっと球体に伸ばす。
ディランの言う通り、熱さは感じない。
それどころか、まるでそこに何も存在しないかのように、指先はなんの感触も捉えなかった。
だが次の瞬間、サリアの指先を感知したのか、球体のきらめきがひときわ強く脈打つ。
光の波紋が指先から同心円状に広がり、球体全体が何度か呼吸するように点滅を繰り返した後、再び元の穏やかな輝きへと戻っていった。
「ええと……これで、おしまい?」
「うん。バッチリ」
ディランが満足げに微笑む。
「これでサリアも正式に書院の管理者だ。これからはいつでも好きな時に入れるよ」
サリアの中に、途方もなく重い、歴史の一端を担った実感が湧いてくる。
連綿とこの場所を守り続けてきた先人たちの意思は、決して安易に継いで良いものではなかった。
書院を手に入れるという目的で始まった結婚だったが、この数日でサリアの気持ちは大きく変わっていた。
「ここから……始めるのね。私たちの、新しい世界を」
荘厳な空気に背中を押され、サリアは新帝国の始まりを強く、確かに意識する。
バラバラになった大陸を、今一度ひとつに。
この場所に満ちる不思議な力を感じていると、もはや不可能なことなど何もないように思えた。
「そうだね」
ディランは穏やかに同意した。
――この地で、ささやかでも2人の世界を築いていこう。
そのためにも、まず使用人を確保しないと王城として格好がつかないなぁ。
またフィーネに頼んで、雇えそうな人を探してもらわないと。
二人は同じ場所に立ちながら、まったく違う未来を頭に描いていた。
* * *
書院を出て城へと戻ると、窓から見える空はいつの間にか茜色に染まっていた。
書架に収められた本の背表紙をざっと眺めていただけのつもりだったが、思いのほか長居してしまったらしい。
「おっせーよ!」
食堂に入るなり、リゼが肉を頬張りながら叫んだ。
「うん、ごめんね。……僕らの分って、まだある?」
テーブルの脇には、空になった大皿が見事に積み上がっている。
「すみませんディラン様、サリア様。お戻りが遅くなるかと思い、先にお食事をいただいておりました。もちろん、お二人の分はこちらに」
フィーネが湯気の立つ料理を運んできた。
「ありがとう、フィーネ! 美味しそうだねぇ」
ディランはそう言うと、さっそくスープの中の肉にフォークを突き刺す。
サリアもすっかりこの場の雰囲気に慣れたのか、「ええ、グリムドルの料理は本当に最高ね」と微笑みながら、次々と料理を口に運んだ。
二人が食事を終え、満足感に浸っていた、その穏やかな空気を破るように、フィーネが居住まいを正した。
「ところで、お二人にご報告が……」
その神妙な様子に、ディランが眉を上げる。
「……どうしたの?」
サリアも黙ってフィーネの次の言葉を待つ。
「本日、クレヴァスより書状が届きました」
「クレヴァスかぁ……。また使者を送ってくる気なの?」
ディランがうんざりしたように言う。
「それが……。詳しくはこちらに」
フィーネは手早く食器を片付けると、テーブルの上に封蝋で厳重に封をされた羊皮紙を広げた。
「……『婚約を祝うため、クインズヒルに訪問したい』とあるわね」
サリアが書かれた文字を読みながら、首を傾げた。
「もう僕らのことを知ってるんだね。でも今回は断ろっかな。また襲われたらたまらないし」
ディランがため息をついた、その時だった。
文末に記された署名に気づいたサリアが、息を呑む。
「あー……。それは……ちょっと、無理みたいよ」
「え?」
「こちらへ来訪するのは、どうやら、クレヴァス国王……ご本人ですって……」
食堂に、一瞬の沈黙が落ちる。
それを破ったのは、ディランの心底うんざりしたような呟きだった。
「…………本当に、迷惑な人たちだなぁ」




