第16話
――大帝国ゼノアス。
かつて大陸に君臨したその国は、一人の王とその配下たちによって急速に膨張し、群立していた数多の国家を貪欲に呑み込みながら、わずか一代で巨大帝国へと成り上がった。
建国者は類まれなる知謀と武力を備えていたが、それでも一代で大陸を平定できたのは、彼が古代文明の遺物を手中に収めていたからだと言われている。
――9つの『アーク』。
建国者たちが纏ったとされるその魔装具は、数百の国を滅ぼし、数百万の命を途絶えさせた。
版図を広げ終えた帝国は、次に大陸中のあらゆる叡智を一箇所へ集約した。
貴重な歴史書や遺物、古代魔法の原典、禁じられた呪具の製法、失われた魔導文明の技術、そして国家機密の数々。
現在人々に知られる知識など積み上げられた歴史の一割にも満たず、残るすべての真実が帝国の奥底に秘匿されたという。
「王権書院」と呼ばれるその巨大な叡智の保管庫は、数百年にわたり所在不明の謎とされてきた。
しかし最近になり、大陸外から持ち込まれた文献によって、それが「クインズヒル王城」の地下深くに眠っていることが白日のもとに晒された。
もちろん、クインズヒル王家はこの事実を把握していた。
だが、あまりに危険すぎる知識――禁忌の魔導具、非人道的な古代魔法、歴史から抹消された帝国の闇――が戦乱の再燃を招くことを恐れ、歴代の王族たちは脈々と事実を秘匿し続けてきた。
しかし、存在と場所が露見した以上、他国が指をくわえて静観するはずもない。
そこに眠る情報さえ手に入れれば、経済、産業、軍事のすべてにおいて世界を支配できるのだから。
列強各国はクインズヒルの王――ディランの父に対し、書院の開示を強く迫った。
だがクインズヒルは拒絶の意志を示して門を閉ざし続け、しびれを切らした国々は、ついに武力介入という直接手段へと踏みきる。
――そして、現在。
前国王と王妃が没し、揺れる王国を残されたのは、弱冠十六歳のディランであった。
彼はクインズヒル最後の王として、過酷な時代の渦中へ放り出されたのだ。
* * *
静寂を切り裂くように、硬質なヒールの音が通路に響く。
カツン、カツン……。
ゆっくりとしたその音は、やがて重厚な扉の前で途絶えた。
扉が開くと、気だるげな声が迎える。
「よぉ」
カウンターに身を預けていたのは、銀髪に褐色の肌を持つ美青年。
女は音もなく扉を閉めると、再びヒールの音を響かせながらカウンターへと歩み寄る。
「8番目のアークを確保しました……」
感情の乗らない声で、女が告げた。
「へえ?」
男――ダリオは、楽しげに肩をすくめる。
そして彼の視線は、カウンターに無造作に置かれた魔装具へと注がれた。
「さすがはグルセナだ。情報があったとはいえ、厄介だったろ? コイツの持ち主を始末するのは」
ダリオはそう言って、朱色に妖しく煌めく腕輪をつまみ上げる。
9つ存在するアークのうちの8番目、炎の神フレイルの名を冠する至宝だ。
「問題ありません。正統な後継者でなければ、本来の力は引き出せぬ代物ですから」
グルセナは表情一つ変えずに答える。
「それでも半分程度の力は引き出せたはずだ。手傷の一つもないってか?」
ダリオは探るような視線で、改めて女を観察した。
肩で結んだ黒髪、漆黒のドレスに映える白い肌。
真紅の口紅が冷たい唇を縁取り、伏し目がちな瞳には金の光がちらつく。
外傷は見えなかったが、背に負った大剣にはわずかに返り血が残っていた。
「剣が少し汚れてるな。手入れしてやろうか?」
親切心のつもりだったが、グルセナは「おかまいなく」と冷ややかに返す。
「ところで……」
片眼鏡をつけ、腕輪の検分を始めたダリオに、グルセナが静かに問いかける。
「妙な噂を耳にしました」
「ほう? どんな噂だ?」
腕輪から目を離さぬまま、ダリオが応じた。
「あなたが、アークの情報をクインズヒルに売った、と」
グルセナの瞳が、爛々と金色に輝きはじめる。
「ふむ」
ダリオは満足げに腕輪をカウンターに置き、口角を上げる。
「事実だ」
グルセナの指が、背の大剣の柄をなぞる。
「……裏切り、でしょうか?」
しかし、ダリオは動じない。
それどころか、不敵な笑みを深くした。
「まさか。俺は組織を裏切らない。知ってるだろ?」
「では、なぜ」
静かな問い。しかし空気は殺気で張り詰めた。
「その方が、面白いからさ」
刹那。
グルセナの背から大剣が消え、ダリオの喉元に冷たい鋼が突きつけられていた。
「アークはすべて、マハト様の下に集うべきもの。分不相応な輩からようやく回収できるというのに……それをクインズヒルに渡すのですか?」
「盲信もそこまでいくと見事だな」
ダリオは喉元の剣を意にも介さず、笑みを崩さない。
「クインズヒル王もまた、マハト様と同様、正統な後継者の一人だろ?」
「では、あなたはクインズヒル側につくと?」
「そうじゃない。ただ――俺は『予定調和』ってやつが嫌いなんだ」
「予定調和……?」
「そうさ。このままじゃ、何の障害もなくマハト様がすべてのアークを手に入れちまう」
「それの何が問題なのです?」
「アークは奪い合ってこそだろう? 建国の時代のように、後継者同士が競い、殺し合い、屍を礎に帝国が築かれる。……そうでなければ覇道じゃない。ライバルもなく手に入れた玉座など、マハト様が喜ぶと思うか?」
「……理解不能な考えです。労せずして得られるならば、それに越したことはないでしょう」
「分かってないな、グルセナ。それが……“ロマン”ってもんなんだ」
しばし視線がぶつかり合う。
やがてグルセナは大きく息を吐き、剣を背に戻した。
「男という生き物は、時にくだらぬ思想で非効率に甘んじると知ってはいましたが……これほどとは」
「お互いさまさ。俺にだって、女の考えが理解できんこともある」
グルセナはもはや興味を失ったように、虚空と視線を逃した。
「……まあ、いいでしょう。マハト様もこの件であなたを罰するおつもりはないようですから」
「だろうな」
「ですが、……あまり羽目を外しすぎれば、私があなたを処分しますので」
「おっかないねえ」
ダリオは大げさに肩をすくめてみせた。
「……8番目は確かにお渡ししました。これで残るアークは……」
「5番、7番、9番。だな?」
「ええ。いずれも強力ですが、在処は掴めています。時間はかからないでしょう」
「ん? 9番はまだだったろ。セバスとかいう男が持っていると思ったが、結局は見つからなかった」
「いえ……おそらくは……」
「何か掴んだか?」
グルセナは答えず、静かに首を横に振った。
「まだ確証がありませんので。直接、確かめてきます」
「……そうか。期待してるぜ」
「あなたの期待は不要です。私の行動は、すべてはマハト様のご期待に応えるためなので」
そう言って、用は済んだとばかりに踵を返す。
「じゃあな、幸運を祈ってるよ」
カウンターに両肘をつき、ダリオがひらひらと手を振った。
無言で歩き出したグルセナだったが、扉の前でふと足を止め、横顔だけを向ける。
「……ひとつ、言い忘れていました」
「なんだ?」
「グルセナの名は、今後しばらく使いません」
「ほう? じゃあ、なんて呼べばいい」
「“ライザ”……と呼んでください。この名を受け継いだ弟子が、先日、敗れましたので」
「……ああ、そういや聞いたな。お前が認めたっていうカノアの第三王女か。で、誰に負けたんだ?」
「それが、奇妙な話で」 グルセナ――ライザの唇に、暗い笑みが浮かぶ。
「あなたの雇った暗殺者が殺したはずの男――例のセバス・グウィナに、……だそうですよ」




