第17話
見上げた先に広がっていたのは、無数の星屑が鏤められた天井だった。
夜空と呼ぶにはあまりに眩しく、そしてあまりに神秘的な光景。
ここは地下のはずなのに、まるで神々の住まう天界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
「どうして……ここに空があるの?」
サリアが呆然と呟くと、隣を歩くディランがこともなげに答えた。
「不思議だよね。両親が言うには、あれは本物の宇宙の景色なんだって」
「宇宙……?」
「そう。僕らが住むこの大地を飛び立って、空をずーっと昇っていくと辿り着く場所。そこでは星が生まれたり死んだり、それを永遠に繰り返しているらしい」
まるで壮大な神話を語るような言葉に、サリアは感嘆の息を漏らした。
彼女は天から地上へと視線を戻し、改めて周囲を見渡す。
そこは、円形状に広がる巨大な空間だった。
壁という壁を埋め尽くすのは、おびただしい数の書物。
数百はあろうかという巨大な書架が、まるで古代の円形闘技場のように空間をぐるりと取り囲んでいる。
これが、帝国が築き上げてきた知の結晶。
大陸中の国々が渇望してやまない、歴史そのものが紡いだ巨大な叡智。
サリアは息を呑み、その荘厳な光景にただただ圧倒された。
そんな彼女をよそに、ディランは慣れた様子で空間の中央へと歩を進めていく。
気圧されていたサリアも、慌ててその背中を追った。
中央には、人の背丈ほどもある巨大な球体が静かに浮かんでいた。
それ自体が光源であるかのように、まばゆい光を煌々と放っている。
「これは……?」
目を細めながらサリアが尋ねる。
「詳しいことは僕も知らないんだ。けど、この球体のおかげでこの場所が維持されてるらしい。古代の立体魔法陣で、数千年前からこのままなんだって」
「立体魔法陣……」
目が慣れてくると、球体の表面に見たこともない文字や記号が、まるで生きているかのように明滅を繰り返しているのが見えた。
現代でも、魔石を使った魔導機構を組み立てる際に魔法陣を用いることはある。
だが、それ自体が立体として物理的に存在するなど聞いたことがない。
ましてや、数千年もの間その効果を維持し続ける魔法とは。
帝国の知識以上に、この場所には何か重大な秘密が隠されているのではないか。
サリアの胸にそんな予感がよぎる。
だからこそ、クインズヒル家はこの場所を代々秘匿し続けてきたのかもしれない。
「君と僕が結婚の約束をした時点で、この書院の管理権限は自動的に君にも与えられてる。でも、それだけじゃ不完全なんだ。直接この球体に触れることで、最後の認証がクリアされる仕組みになってる」
ディランがそう言って、球体に触れるよう促す。
「……触っても、大丈夫なの?」
「うん。熱くないし、吸い込まれたりもしないよ」
おそるおそる、サリアは白く細い指先をそっと球体に伸ばす。
ディランの言う通り、熱さは感じない。
それどころか、まるでそこに何も存在しないかのように、指先はなんの感触も捉えなかった。
だが次の瞬間、サリアの指先を感知したのか、球体のきらめきがひときわ強く脈打つ。
光の波紋が指先から同心円状に広がり、球体全体が何度か呼吸するように点滅を繰り返した後、再び元の穏やかな輝きへと戻っていった。
「ええと……これで、おしまい?」
「うん。バッチリ」
ディランが満足げに微笑む。
「これでサリアも正式に書院の管理者だ。これからはいつでも好きな時に入れるよ。ただし、カノアにいる君の家族は、君の許可がないと入れない。権限はクインズヒルの一族しか持てない決まりだから」
サリアの中に、途方もなく重い、歴史の一端を担った実感が湧いてくる。
連綿とこの場所を守り続けてきた先人たちの意思は、決して安易に継いで良いものではなかった。
書院を手に入れるという目的で始まった結婚だったが、この数日でサリアの気持ちは大きく変わっていた。
「ここから……始めるのね。私たちの、新しい世界を」
荘厳な空気に背中を押され、サリアは新帝国の始まりを強く、確かに意識する。
バラバラになった大陸を、今一度ひとつに。
この場所に満ちる不思議な力を感じていると、もはや不可能なことなど何もないように思えた。
「そうだね。ここから始めよう」
ディランは穏やかに同意した。
――この地で、ささやかな平和を築いていこう。
そのためにも、まず使用人を確保しないと王城として格好がつかないなぁ。
またフィーネに頼んで、雇えそうな人を探してもらわないと。
二人は同じ場所に立ちながら、まったく違う未来を頭に描いていた。
書院を出て城へと戻ると、窓から見える空はいつの間にか茜色に染まっていた。
書架に収められた本の背表紙をざっと眺めていただけのつもりだったが、思いのほか長居してしまったらしい。
「おっせーよ!」
食堂に入るなり、リゼが肉を頬張りながら叫んだ。
「うん、ごめんね。……僕らの分って、まだある?」
テーブルの脇には、空になった大皿が見事に積み上がっている。
「すみませんディラン様、サリア様。お戻りが遅くなるかと思い、先にお食事をいただいておりました。もちろん、お二人の分はこちらに」
完璧なタイミングで、フィーネが湯気の立つ料理を運んできた。
「ありがとう、フィーネ! 美味しそうだねぇ」
ディランはそう言うと、さっそくスープの中の肉にフォークを突き刺す。
サリアもすっかりこの場の雰囲気に慣れたのか、「ええ、グリムドルの料理は本当に最高ね」と微笑みながら、次々と料理を口に運んだ。
二人が食事を終え、満足感に浸っていた、その穏やかな空気を破るように、フィーネが居住まいを正した。
「ところで、お二人にご報告が……」
その神妙な様子に、ディランが眉を上げる。
「……どうしたの?」
サリアも黙ってフィーネの次の言葉を待つ。
「本日、クレヴァスより書状が届きました」
「クレヴァスかぁ……。また律儀に使者を送ってくる気なの?」
ディランがうんざりしたように言う。
「それが……。詳しくはこちらに」
フィーネは手早く食器を片付けると、テーブルの上に封蝋で厳重に封をされた羊皮紙を広げた。
「……『婚約を祝うため、クインズヒルに訪問したい』とあるわね」
サリアが書かれた文字を読みながら、首を傾げた。
「もう僕らのことを知ってるんだね。でも今回は断ろっかな。また襲われたらたまらないし」
ディランがため息をついた、その時だった。
文末に記された署名に気づいたサリアが、息を呑む。
「あー……。それは……ちょっと、無理みたいよ」
「え?」
「こちらへ来訪するのは、どうやら、クレヴァス国王……ご本人ですって……」
食堂に、一瞬の沈黙が落ちる。
それを破ったのは、ディランの心底うんざりしたような呟きだった。
「…………本当に、迷惑な人たちだなぁ」




