第16話
静寂を切り裂くように、硬質なヒールの音が通路に響く。
カツン、カツン……。
ゆっくりとしたその音は、やがて重厚な扉の前で途絶えた。
扉が開くと、気だるげな声が迎える。
「よぉ」
カウンターに身を預けていたのは、白髪に褐色の肌を持つ美青年。
女は音もなく扉を閉めると、再びヒールの音を響かせながらカウンターへと歩み寄る。
「8番目のアークを確保しました……」
感情の乗らない声で、女が告げた。
「へえ?」
男――ダリオは、楽しげに肩をすくめる。
そして彼の視線は、カウンターに無造作に置かれた魔装具へと注がれた。
「さすがはグルセナだ。情報があったとはいえ、厄介だったろ? コイツの持ち主を始末するのは」
ダリオはそう言って、朱色に妖しく煌めく腕輪をつまみ上げる。
9つ存在するアークのうちの8番目、炎の神フレイルの名を冠する至宝だ。
「問題ありません。後継者でなければ、本来の力は引き出せぬ代物ですから」
グルセナは表情一つ変えずに答える。
「それでも半分程度の力は引き出せたはずだ。手傷の一つもないってか?」
ダリオは探るような視線で、改めて女を観察した。
肩で結んだ黒髪、漆黒のドレスに映える白い肌。
真紅の口紅が冷たい唇を縁取り、伏し目がちな瞳には金の光がちらつく。
外傷は見えなかったが、背に負った大剣にはわずかに返り血が残っていた。
「剣が少し汚れてるな。手入れしてやろうか?」
親切心のつもりだったが、グルセナは「おかまいなく」と冷ややかに返す。
「ところで……」
片眼鏡をつけ、腕輪の検分を始めたダリオに、グルセナが静かに問いかける。
「妙な噂を耳にしました」
「ほう? どんな噂だ?」
腕輪から目を離さぬまま、ダリオが応じた。
「あなたが、アークの情報をクインズヒルに売った、と」
グルセナの瞳が、爛々と金色に輝きはじめる。
「ふむ」
ダリオは満足げに腕輪をカウンターに置き、口角を上げる。
「事実だ」
グルセナの指が、背の大剣の柄をなぞる。
「……裏切り、でしょうか?」
しかし、ダリオは動じない。
それどころか、不敵な笑みを深くした。
「まさか。俺は組織を裏切らない。知ってるだろ?」
「では、なぜ」
静かな問い。しかし空気は殺気で張り詰めた。
「その方が、面白いからさ」
刹那。
グルセナの背から大剣が消え、ダリオの喉元に冷たい鋼が突きつけられていた。
「アークはすべて、マハト様の下に集うべきもの。分不相応な輩からようやく回収できるというのに……それをクインズヒルに渡すのですか?」
「盲信もそこまでいくと見事だな」 ダリオは喉元の剣を意にも介さず、笑みを崩さない。
「クインズヒル王もまた、マハト様と同様、正統な後継者の一人だろ?」
「では、あなたはクインズヒル側につくと?」
「そうじゃない。ただ――俺は『予定調和』ってやつが嫌いなんだ」
「予定調和……」
「そうさ。このまんまじゃ、何の障害もなくマハト様がすべてのアークを手に入れちまう」
「それの何が問題なのです?」
「アークは奪い合ってこそだろう? 建国の時代のように、後継者同士が競い、殺し合い、屍を礎に帝国が築かれる。……そうでなければ覇道じゃない。ライバルもなく手に入れた玉座など、マハト様が喜ぶと思うか?」
「……理解不能な考えです。労せずして得られるならば、それに越したことはないでしょう」
「分かってないな、グルセナ。それが……“ロマン”ってもんなんだ」
しばし視線がぶつかり合う。
やがてグルセナは大きく息を吐き、剣を背に戻した。
「男という生き物は、時にくだらぬ思想で非効率に甘んじると知ってはいましたが……これほどとは」
「お互いさまさ。俺にだって、女の考えが理解できんこともある」
グルセナはもはや興味を失ったように、部屋の隅へと視線を逃した。
「……まあ、いいでしょう。マハト様も、この件であなたを罰するおつもりはないようですから」
「だろうな」
「ですが、……あまり羽目を外しすぎれば、私があなたを処分しますので」
「おっかないねえ」
ダリオは大げさに肩をすくめてみせた。
「……8番目は確かにお渡ししました。これで残るアークは……」
「5番、7番、9番。だな?」
「ええ。いずれも強力ですが、在処は掴めています。時間はかからないでしょう」
「ん? 9番はまだだったろ。王権騎士のセバスとかいう男が持っていると思ったが、見つからなかった。他の騎士の誰かが隠していると踏んでいたが……」
「いえ……おそらくは……」
「何か掴んだか?」
グルセナは答えず、静かに首を横に振った。
「まだ確証がありませんので。直接、確かめてきます」
「……そうか。期待してるぜ」
「あなたの期待は不要です。私の行動は、すべてはマハト様のご期待に応えるためなので」
そう言って、用は済んだとばかりに踵を返す。
「はいはい。じゃあな、幸運を祈ってる」
カウンターに両肘をつき、ダリオがひらひらと手を振った。
無言で歩き出したグルセナだったが、扉の前でふと足を止め、横顔だけを向ける。
「……ひとつ、言い忘れていました」
「なんだ?」
「グルセナの名は、今後しばらく使いません」
「ほう? じゃあ、なんて呼べばいい」
「“ライザ”……と呼んでください。この名を受け継いだ弟子が、先日、敗れましたので」
「……ああ、そういや聞いたな。お前が認めたっていうカノアの第三王女か。で、誰に負けたんだ?」
「それが、奇妙な話で」 グルセナ――ライザの唇に、暗い笑みが浮かぶ。
「あなたの雇った暗殺者が殺したはずの男――例のセバス・グウィナに、……だそうですよ」
* * *
カチャン、と重々しい金属音が響き、分厚い扉が内側へ開いていく。
ここはクインズヒル王城の地下。
王権書院につながる入口に、ディランとサリアの二人が立っていた。
「ここが最初の鍵だよ」
ディランが扉から手を離し、微笑んだ。
「最初の?」 とサリアが問い返す。
「うん。鍵のかかった扉は三つある。どれも特殊な魔法鍵でね、奥へ行くほど頑丈になってる」
ディランの言葉通り、開いた扉のすぐ向こうに、寸分違わぬ第二の扉が待ち構えていた。
――よほど大事なものが眠っているのね。
サリアが胸の内でつぶやく。
魔法鍵で施錠された扉は、権限を持つ者以外には決して開けられない。
鍵穴は存在せず、扉そのものにも強力な防御障壁が張られている。それが三つも。
徹底した拒絶の意思を感じさせた。
「この扉は、旧帝国時代に作られたものなの?」
第二の扉が解錠されるのを待ちながら、サリアが尋ねた。
「ううん、もっと古いみたいだよ」ディランは何気ない口調で答える。
「……つまり、帝国が誕生する前から、この城の地下に書庫があったということ?」
「書庫というより、元は何かの保管庫だったらしいね。クインズヒルの一族は、代々この土地で“何か”を守ってきたんだって。そのための頑丈な場所に皇帝が目を付けて、国の重要資料をここに集めるようになった、ってのが真相らしいよ」
「元々守っていたものって?」
「さあ? それが何なのか、記録にないんだ。何しろ、ずいぶん昔の話だからね」
話しながら、ディランが第三の扉を開く。
その先には、淡い光を放つ魔法紋が刻まれた薄い膜が、行く手を阻んでいた。
「さて、ここからは僕が許可した人しか入れない」
ディランはそう言うと、くるりとサリアの方へ向き直った。
「な、なに?」
不意に真正面から見つめられ、サリアの心臓が小さく跳ねる。
「悪いんだけど、僕の手を握ってくれる?」
「手を? ……どうして?」
「そういう儀式が必要なんだ。理由は僕にも分からないけど」
困ったように笑うディランに、サリアは「……わかったわ」と頷き、差し出された手をそっと握った。
ディランは目を閉じ、静かに言葉を紡ぐ。
「僕はこの地の主、ディラン・クインズヒル。僕の名において、サリア・クインズヒルの入室を許可する」
その言葉に応えるように、背後の魔法紋がひときわ強く輝き、やがて光の粒子となって霧散した。
「これでオッケー」
ディランが軽い足取りで中へ進む。
サリアも、導かれるようにその後に続いた。
そして、彼女は息をのんだ。
目の前に広がっていたのは、およそ城の地下とは思えぬ、巨大で、あまりにも異質な空間。
サリアはただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。




