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第14話


「サリアの荷物って、それだけ?」


馬車がクインズヒルに到着し、皆が降りる支度をしているとき、ディランが問いかけた。


「ここには当面の着替えなどが少し入っております。残りは後日、カノアから届くことになっていますわ」


旅行カバンに視線を落としながら、サリアが答える。


「なるほどね。じゃあ早速部屋に案内したいところだけど……」


そう言って、ディランはフィーネにちらりと目をやった。


「先代王妃様のお部屋が空いておりますが、そちらを使ってもらいますか?」


ディランの意図を察し、フィーネが応じる。


「ああ、そこが空いてたね。リゼ、ラン、帰ってすぐだけど、掃除を頼める?」


「承知した」「あいよ」


ふたりが先に城へ入っていく。


「じゃあ僕らも行こうか。片付けが済むまで、食堂でご飯にしよう」


ディランに促され、サリアも城の中へ。

あたりはすでに夕方。城からはグリムドルの作る料理の、香ばしい匂いが漂っていた。




――思ったより……狭いのね。


ディランの背中を追いながら、サリアは城の造りを眺めていた。

天井の高さも、廊下の幅も、カノアの王城とは比べ物にならない。

けれど、使用人がほとんどいないという話なら、この規模の方がかえって暮らしやすいのかもしれない。


「ご存知かもしれませんが……」


横を歩いていたフィーネが、サリアの表情を見て声をかける。


「ここは以前、帝国時代に宿泊施設として使われていた建物を王城に転用しておりまして……」


バツが悪そうに言い訳するフィーネに、サリアは首を振った。


「これくらいの方が過ごしやすくていいわ。カノアの城なんて広すぎて、自分の部屋に戻るだけで迷子になるくらいだったし、どこへ行っても侍女たちの視線があって息が詰まりそうだったもの」


「そうなんですか?」


「ええ。城というものは、大きければ良いというわけではないのよ。私はこのお城、好きだわ」


たとえ社交辞令であったとしても、その言葉はフィーネの心を温かくした。

先々代の王から長年仕えてきたこの城には、彼女自身も深い愛着がある。


フィーネの中で、目の前の新しい王妃に対する好感度が、ぐんと高まったのを感じた。





「荷物はそのへんに置いといて。サリアはここね」


厨房に着くと、ディランが長テーブルの椅子を一つ、サリアのために引いてくれた。

その気さくさに少し戸惑いながら、彼女は周囲を見回す。


「……クインズヒルの皆様は、いつもこちらでお食事を?」


王族が厨房で食事をするなど、サリアの常識では考えられないことだった。


「いつもじゃないけど、最近はね。見ての通り人数も少ないし、みんなで食べた方が早いから」


ディランの言う通り、給仕係らしき姿は見当たらない。

確かに、この方が合理的なのだろう。


「とても…家庭的なのですね、クインズヒルは」


椅子に腰かけながら呟くと、フィーネが「お恥ずかしい限りです」と頬を赤らめた。


そこへ、大皿に料理を山と盛ったグリムドルがやってきた。


「坊っちゃん。そちらのお嬢さんは、どちら様かな?」


料理を並べながら、グリムドルが尋ねた。


「ああ。彼女はサリア。今日から城に住むことになった、僕のお嫁さん」


その言葉に、グリムドルは手にしていた大皿を落としそうなほど目を丸くした。


「へぇ!? いつの間に結婚を? わしも祝言に呼んでほしかったのじゃが……」


どことなく寂しそうに呟く。


「今日急に決まったからね。結婚式はまだ先だよ。グリムドルにもちゃんと参加してもらうから」


「それはありがたい!」


途端に機嫌を直し、鼻歌交じりに残りの料理を運ぶ。


やがて掃除を終えたリゼとランも合流した。


「終わったぜ。とりあえず王女サマが住む分には問題ないだろ」


「衣装ダンスのドレスはそのままにしてあるけど、どうする? 捨てる?」


ランの言葉に、ディランがうーん、と首を傾げる。


「ドレスか……。捨てるのはもったいないけど、置いててもしょうがないしなぁ」


「もしよろしければ、私がいただいてもいいかしら? サイズが合えばですけど」


サリアの申し出に、ディランは意外そうに眉を上げた。


「……嫌じゃないの? うちの母親のお古だよ?」


「実は、わたくしあまりドレスを持っていないのです。ですから、いただけるのならとても嬉しいわ」


これまで『ライザ』として闘技場に明け暮れていたせいで、社交の場とは無縁だった。

たまに必要な時も姉のお古で済ませていたほど、着るものに頓着がなかったのだ。


「君がそう言ってくれるなら僕も嬉しいよ。じゃあ、明日にでも早速、袖を通してみて」


「はい、ありがとうございます」


そして賑やかな夕食が始まった。


カノアの宮廷料理のような洗練された豪華さはない。

しかし、しっかりとした味付けと豪快な盛り付けは、不思議と食欲をそそった。

骨付きチキンをかじりながら、上品で優雅な晩餐よりも、こんな食卓の方が自分には合っているのかもしれない、とサリアは思った。





「サリア様。お休みの前にお風呂はいかがでしょう?」


食後、グリムドルが鍋を洗う横で、フィーネが声をかけた。


「お風呂? このお城に、お風呂があるの?」


それは実に珍しいことだった。


周辺国家では、貴族であっても専用の公衆浴場を利用するのが一般的で、個人の邸宅に風呂を備えるのは稀なのだ。カノア王城でさえ、王族専用の浴場は宮殿の外にあった。


「はい。この城は、どういうわけか地下から温泉が湧き出るのです。その湯を目当てに、わざわざ宿泊施設が建てられたという謂れがあるほどでして」


フィーネは少し得意げに胸を張る。


「ああ、ここの風呂は最高だよな」


「うん。疲れが吹き飛ぶ」


リゼとランも会話に加わった。


「まあ、それは楽しみね。ぜひ、使わせていただくわ」





フィーネたちの言葉通り、久々に肩まで浸かる湯は格別だった。


水が貴重なカノアでは、王族といえども湯水を惜しみなく使うことは許されない。

湯量の心配などせず、たっぷりの湯に身を委ねるという体験に、サリアの心と体はゆったりとほぐれていった。


そして、あてがわれた自室へ。


先代王妃、つまりディランの母親が使っていたという部屋。

調度品は趣味の良いデザインで統一され、シンプルな壁紙と深い色の絨毯が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


ベッドに横たわると、ディランの声が耳の奥で蘇る。


――全部、壊せ。


それは、この大陸を縛り付ける全てのもの。国境、経済、旧弊なしきたり……。

常人が聞けば狂気の沙汰だと一笑に付すだろう。


けれど、サリアの心は燃えるような高揚感に満たされていた。

そのために、彼は私を――『ライザ・クラウディア』を求めたのだ。


そこで、ふと現実的な考えが頭をよぎる。


まだ婚約状態とはいえ、今日から一つ屋根の下で暮らすのだ。

夜伽は……どうなるのだろう。


ディランからは何も言われていないが、どうすべきか。


考え始めると居ても立ってもいられなくなり、サリアはベッドから起き上がると、ネグリジェ姿のままそっと扉に手をかけた。


ディランの部屋の場所は聞いていないが、この小さな城だ。見当はつく。


廊下の突き当たり、両開きの広い扉。

きっとあそこが彼の寝室だ。


吸い寄せられるように、冷たい床を素足で進む。

そして扉の前で立ち止まり、ふと何の気なしに扉に耳を寄せた。


すると中から、話し声が聞こえる。


「――ディラン様、本当によろしいのですか?」


フィーネと呼ばれていた侍女の声だ。


「サリア様を王家にお迎えするということは、書院の権限もお与えになるということですよね? ……あの方は、書院で得た知識をカノアへ横流しなさるおつもりでは?」


――当然、そう疑うわよね。


サリアは心の中で小さくため息をつく。


フィーネの懸念はもっともだ。

元々の目的は、まさにそれなのだから。


だが、ディランの野望を知った今、サリアの心境は変化していた。

大陸全土を巻き込む変革を起こそうとする彼の計画の前では、一国が書院の知識を得たところで、大した意味はないのではないか、と。


「いいんじゃない? 別に」


ディランの、まるで気にかけていないような声が聞こえた。


「でもクインズヒル家は、ずっと書院の知識が外に出ないよう守ってきたのですよ……?」


「ずっと隠し通せるものなんてないよ。クインズヒル家だって永遠じゃないし。書院の知識が公開されて、世の中が変わったとしても、それはそれだよ」


「もう……ディラン様」


ディランにとって、書院は両親を失う原因となった存在だ。

古びた知識を奪い合う各国の様子にうんざりしていたし、カノア王が管理を名乗り出たのは、むしろ好都合だった。


「それにサリアは大丈夫。彼女なら、もっと夢中になれるものを見つけたはずだから」


ディランは馬車の中での様子を思い出していた。


一緒に平和な世界を作ろう――。

そう言ったら、はじめは色々考え込んでいたようだが、最後には納得し、興奮していた。


――彼女も、僕と同じくらい平和主義者なんだろうなぁ。


だから、知識の横流しなんて面倒なことはしないだろう。そう安易に考えていた。


だがディランの考えとは裏腹に、扉の外でその言葉を聞いていたサリアの体には、静かな衝撃が走っていた。


――見透かされている。彼には、私の心が。


そう。フィーネが懸念するようなちっぽけな裏切りなど、今のサリアにはどうでも良かった。


――書院の知識?  祖国への義理? 

そんなものは、彼がこれから成し遂げようとしている世界の変革の前では、あまりに些細なこと。

私はもう夢中なのだ。「凶王」ディランと共に、古い世界が壊れる様を見届けられるという、抗いがたい喜びに。


「……まぁ、そうおっしゃるなら。私は、ディラン様を信じますけど」


「うん。ありがとう、フィーネ」


そう言って、ディランが軽くあくびする。


「そろそろ眠くなってきたよ。僕はもう寝よっかなぁ」


それで話は終わったようだ。


フィーネが出てくる前に、サリアは物陰にサッと身を隠す。


やがて扉が開き、フィーネが去っていく足音を聞き届けた後、サリアはディランの寝室の扉をしばらく見つめていた。


そして、小さくつぶやく。


「……今日は、そういうタイミングじゃないわね」


静かに踵を返し、サリアは自分の部屋へと戻っていった。


胸の内に、熱い興奮を宿したまま。



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