第13話
「それで……どういうことでございましょうか?」
丁寧な口調のまま、小声でリゼが問いかけた。
帰りのクインズヒルの馬車は、行きとは違い、サリアも加わって計5人。
御者台にはフィーネが座り、キャビンの中ではリゼが、すまし顔のサリアを横目に、ディランへ疑問をぶつけていた。
「サリアさんとね。結婚することになったんだ」
「ええと……それもよく分かりませんが、承知いたしました。ですが、どうしてサリア王女殿下がこちらの馬車にご同席されていらっしゃるのでしょうか?」
どれほど声を潜めても、狭い馬車では会話が筒抜けだ。
サリアの耳にも、もちろん届いている。
「うふふ。城を出るときに言ったでしょう? 結婚するんですもの、一緒に住むのは当たり前よ」
「ほら、サリアさんもこう言ってる」
「いや……えっと……。王族同士の結婚というのは、もう少し段階を踏むと申しますか……一緒に暮らすまでに色々手順があるのでは、ございませんか? カノア王女殿下?」
「ええ、普通はそうでしょうね。でもね、興味が湧いたの。クインズヒル王陛下に」
そう言ってサリアはにっこり微笑む。
「それと、クインズヒル王陛下? 私はあなたの妻になるのですから、どうぞ“サリア”と呼び捨てになさって」
「あっそう? じゃあ君も僕をディランと呼んでいいよ」
「うふふ、承知いたしました」
リゼの頭の中は混沌としていたが、ランは冷静だった。
「国王陛下、ご所望の品を買ってまいりましたが、こちらはどうされますか?」
ケーキの箱を持ち上げて問う。
「ああ、そうだったね。せっかくだし、みんなで食べようよ」
「承知いたしました」
ランが箱を開ける。
「あ、それと。ランとリゼ、普通の喋り方に戻していいよ。ずっと敬語だと疲れるでしょ?」
――普通の喋り方?
サリアがきょとんと二人の侍女を見る。
リゼとランは一瞬ためらい、サリアの顔色をうかがった。
「これから家族になるんだから、大丈夫だよね、サリア?」
何のことやら分からなかったが、サリアは「ええ、もちろん」と笑顔で答える。
その瞬間、ディランの隣にいたリゼが大きく息を吐いた。
「なら、普通に戻すけどよぉ」 見た目からは想像できない荒い口調に変わる。
「お前さぁ、なんでいっつも突然決めんだよ。こっちにだって心の準備ってもんがあんだぞ?」
「リゼの言う通り。カノアの王女様と結婚するなんて聞いてない」
ランまで遠慮のない口調になり、その変化にサリアも驚きを隠せなかった。
「僕だって突然カノアの王様に言われたんだよ」
「一旦持ち帰って考えればいいだろ? 即決するか、普通?」
「それともディランの作戦なの? そう?」
サリアは改めて二人の侍女をじっと見つめた。
これまで気に留めていなかったが――
――強いわね。
それは闘技場で“ライザ”として戦った経験則からくる直感だった。
二人の立ち居振る舞い、漂う気配、細身ながら鍛えられた筋肉。
ただの使用人ではない。訓練を積んだ傭兵のようだ。
――なるほど、さすが凶王の傍に並ぶだけある。
きっと近衛兵との戦いにも加わったに違いない。
だからあれほどの人数を制圧できたのだ。
……実際に兵を殺めたのは二人であって、ディランは戦闘に加わっていない。
だがサリアは、二人はあくまで “ディランの補助” をしたと思っている。
ディランへ目を向けると、相変わらずへらへらと笑っているが――やはり油断ならない男だ、とサリアは改めて思った。
「まあまあ、それよりケーキ食べようよ」
「……いま食うのかよ?」
「生ものだからね。早く食べないと悪くなるし。……リゼも甘いもの好きでしょ?」
「そりゃ好きだけどよ。王女様はいいのか? ほら、お行儀とかうるさいんだろ?」
不意に話を振られ、サリアはわずかにたじろいだが、「いえいえ、かまわないわ。嫁ぐ身ですもの、クインズヒルの作法に従うわ」と笑って答えた。
王族である自分に、こんな荒っぽい口調で話しかけてくる者などまずいない。
だが、闘技場で“ライザ”として過ごした日々を思えば、リゼの言葉など可愛いものだ。
試合相手のほとんどは、彼女の比ではないほど粗野で、力任せな連中ばかりだった。
「クインズヒルの作法っつうか……たぶんディランが意地汚いだけだと思うけどな」
リゼがディランへ視線を送るが、当の本人は全く気にしていない。
「僕はどれにしようかな……この赤いソースが乗ってるのもいいね。……サリアはどれにする?」
「あ、じゃあ……こちらをいただきます」
「こっちはフィーネに残しておこうかな。リゼとランは?」
「私はさっき食べた。二個」
「ええー? ずるい! リゼも?」
「リゼは三個食べた。城でディランを待ってるときに」
「う、うるせーよ! 内緒だって言ったろ?」
「しょうがないなぁ。まあ、ふたりが買ってきてくれたんだし。お駄賃ってことにしようかな」
「お子様かよ!」
三人が遠慮なく言い合う様子は、まるで仲の良い家族のようだった。
サリアは、その光景に少し驚く。
凶王とは、もっと冷たく狡猾な人物だと思っていたのに……いや、これは“表の顔”なのだ。
まだ彼の本当の素顔は見えていない。
――嫁ぐからにはディランを籠絡し、書院を巡る恩恵をカノアにもたらさなければ。
そのためには、軽率にならず慎重に彼の本心を探ること。
そう自分に言い聞かせた時――
「ああ、それと」
手づかみでケーキを食べるディランに、リゼが紙束を差し出した。
「頼まれてた情報、持ってきたぜ」
「ありがとう」
笑顔で受け取るディランだが、
――はて、情報?
まったく身に覚えがなかった。
思わず反射的に紙束を受け取ったものの、頼んだのはケーキだけのはずだ……。
「ふーん」
紙束をパラパラとめくる。
――なになに、遺物に関する情報。全部で9つあり……。
気のない調子で目を通していたディランは、ある記述で手を止めた。
『あらゆる攻撃を寄せ付けぬ、黒い円環』
『エンリルの力により、継承者はすべての攻撃を無効化できるが、具体的な作用は判明していない――』
――へえ。まるで僕が持ってる腕輪みたい。似たような魔装具って、意外とあるんだねぇ。
興味はそこで途切れ、ふと顔を上げると、サリアがじっと紙束を見つめていた。
「読んでみなよ」
軽く言って、それを渡す。
深い意味はなかった。サリアが興味あるならと、差し出しただけだ。
「……良いのですか?」
真剣な面持ちで受け取るサリア。
わざわざ手に入れた情報を、初対面の自分に渡してしまっていいのだろうか――そう思いながら紙をめくる。
「! これは……アークに関する記述……!?」
手が震えた。
アーク――古代魔導文明が残した遺物。
王族の教養として帝国史は学んでいるが、その初代皇帝と側近たちが、建国に際し9つの遺物を身に纏わせていた、とする逸話はあまりに有名だ。
それらの遺物は歴史に消え、今では存在すら疑われているが……もし本当に実在し、9つのうち1つでも手にすることができたなら、世界の覇権をも握れると語られてきた。
手元の資料には、各アークの名である――オルディア、ラグナ、ミスティル、アルザ、エンリル……。
一部のアークには、発見された地名、保有していた者の名、そして固有スキルまで明記されていた。
カノアでもアーク探索は王命の一つだったが、信憑性の低さから優先度は高くなかった。
それでも数十年単位で調査団を置くほどには重要視されている。
その情報が、今、サリアの手にある。
――信じがたい事実だった。
「あの……どうしてこれを私に?」
「ん? サリアが興味ありそうだったから」
ディランが何気ない調子で答える。
確かに興味はある。
いや、この価値を知る者なら誰だって興味を持つだろう。
アークの在処や機能を記した資料など、大陸中の為政者や研究者が喉から手が出るほど欲しがる代物。
サリアは質問の仕方を変えた。
「……私に、どうして欲しいのですか?」
これを見せるには、何か意図があるはず。
情報を知った以上、相応の働きを求められるに違いないと思った。
しかもそれは、王妃となる自分だからこそ可能なことでなのでは――そう推測する。
「? そうだなぁ」
ディランは顎に手を当て、少し考える。
して欲しいことなど特には無いが…、強いて言うならば
「ふたりの世界を作ろう」
何気なく答える。
サリアの問いが、夫婦となったあと何をしたいか尋ねるものだと思ったのだ。
かつての両親を思い出す。
城の中庭を手入れするのが趣味だった2人は、時間を作っては草木を整え、小池のまわりに美しい花々を咲かせていた。
そして簡素なベンチに2人並んで座り、「この庭は、2人で作った僕らだけの世界なんだよ」と、子どもだったディランに笑いながら教えてくれた。
淡い記憶だったが、幼心にも2人が微笑み合う姿は夫婦として理想の姿に思えた。
だが両親が死んだあと、中庭は荒れ放題になっている。
庭師職人もいないし、ディランもまた植物を手入れするやり方など知らなかったからだ。
せっかくなら、そこを両親のように2人で整えようかと思ったのだ。
今は亡き両親の変わりに、今度はサリアとふたりで、あの小さな世界を作り直そうと。
サリアはわずかに眉をひそめる。
「世界を……作る……ですか?」
ディランとサリア、ふたりが「世界」という言葉から連想する景色には大きな乖離があった。
ディランは、城の小さな中庭を「世界」と呼んだ。
王族という立場上、両親が本当の意味で心安らげる世界は、あの中庭だけだったから。
しかしサリアは、「世界」という言葉に、大陸全体の地図を思い描く。
「今の世界が、……気に入らないのですか?」
ディランの真意を確かめるべく、慎重に問いかける。
「ま、だいぶ荒れてるよね?」
草木が伸び切った中庭を思い浮かべるディラン。
かたやサリアは、国家間の勢力図をなぞる。
確かに大陸の国々は今、荒れている。
クインズヒル王国に存在が確認された“書院”のおかげで、表面上は目立った争いは無い。
しかしそれもいつまで続くか分からない。
かつての大帝国崩壊後、様々な国家が乱立したものの、国境は毎年のように書き変わっており、小さな火種はあちこちでくすぶったままだ。
それを作り変えるということ?
凶王の真の野望は……世界そのものの変革?
「……ですが、今ある世界はどうなるのですか? そこに暮らす命はどうなるのです?」
世界を作り変えるなど、簡単なことではない。
国ごとに根付いた文化があるし、そこに暮らす人々にも生活がある。ひとたび戦争が起きれば、何万人もの命が犠牲になるだろう。
「サリアは優しいね? でも、必要なら全部まっさらにするしかないかな」
中庭には確かに多くの命がいる。蝶やバッタ、カミキリムシやイモムシ。
なんならそこにある植物だって命だ。でも……あれを全部整え直すのはだいぶ骨が折れる。必要ならいちど雑草も木も引き抜いて、更地にしてから植物を植え直した方がいいだろうと考えた。
「必要なら全部……まっさらに……」
ディランの言葉を反芻する。
国々も、人々の営みも、すべて破壊する……必要があれば。
並大抵の覚悟では、そんなこと口には出来ない。
――でも……そうか。
「……すべて壊してから……新たに作り直す」
――不思議と腑に落ちる感覚があった。
サリアの心に、闘技場で“ライザ”として戦ったときの血が騒ぐ感覚が蘇る。
圧倒的な暴力で、相手の野望も思想もすべて打ち砕いた瞬間の昂ぶりを。
――だが、すべて壊した先に凶王が作るものって?
彼は「世界」という言葉を使った。つまり大陸をまるごと作り変えようとしている……。
クインズヒルの凶王が為そうとすることの片鱗が、サリアに少しずつ見えてきた。
――この男は、かつての帝国を復活させようとしている? 自らが皇帝となって?
飛躍した考えだ、と頭をふる。
しかし、それ以外の答えが見つからない。
淡々と兵士を屠り、その亡骸を王に突き返すような男だ。
きっとそれくらいのことは平然と考えているはず。
しかしそれでも、世界を作り変えるには途方もない時間を要するだろう。
それこそ一代では到底……
そこでハッと手元の紙束に目をやる。
だからか。
この男は武力によって大陸中の国家を一掃し、そのうえに新たな国を築く。
そのために、アークを揃えようとしているのだ。
だが――なぜそれを自分に教えた?
「ふたりで世界を作る」と彼は言った。
ひとりではなく“ふたり”で。
凶王ならば一人でも成し遂げられそうに思えた。
しかしそれでもあえて自分が必要とされる理由は?
その答えを、記憶の中にある帝国史の一部に見つける。
かつて帝国を建国した初代皇帝には、優れた妻がいたと言われる。
文武に秀で、夫の覇道を表からも影からも支えた第一夫人。
自らも戦場を駆け、人々から戦いの女神と称された美しき女傑。
その名は――初代ライザ・クラウディア。
サリアの中ですべての線が繋がった。
――……だから、だから彼は闘技場で私を試したのか。
ライザに縁する自分を見極め、覇道を共に歩めるかを確かめるために。
そして自分は――彼の目にかなった。
震えるほどの高揚感が胸に湧く。
血が騒ぎ、今にも剣を振りたい衝動に駆られる。
「ディラン!」
思わず両手で彼の手を握る。
「え? な、なに?」
「あなたの覇道……私がどこまでもお供します!! ともに、世界を作り変えましょう!!」
「……え? ああ、うん。君が乗り気になってくれて良かったよ」
ディランの言葉など、もう耳に届いていなかった。
凶王に選ばれた自負、そして新たな帝国を築くという、初代ライザと重なる重要な役割――その感覚に、サリアの心は幸福と好奇心で満たされていた。
そう……サリアは、見た目と違って、わりと脳筋だったのだ。
“書院の鍵”を手にする使命も、今や頭の片隅に追いやられている。
サリアは、アークの資料を抱えたまま、瞳をメラメラと燃やしながらディランの手を握りしめていた。




