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桃源郷?

結構長い距離を転がってきたとは思うのだが、その道行は溶岩のような硬い岩ではなくて絹のような細かい砂のような感触だったので全身が切り傷だらけになることは免れた。

その代わり、どこかに掴まる事もできずにひたすら転がり落ちたのである。

どれほど転がったのかわからないほど転がると、不意に空中に放り出された感覚があり、地面に折り重なるように落ちてきた。

落ちた距離は数メートルもないくらいだったし、下にはすでにタケヒビが落っこちていたので後から落ちてきた俺たちにはタケヒビがいいクッションになってくれたわけで、大した怪我もなく立ち上がることができたのである。

タケヒビは可哀想に、みんなに踏み潰された感じできゅうと伸びていた。

幸い、骨折などの大怪我はなかったみたいだが、鍛え上げた筋肉が無ければ危険だったかもしれない。


一体ここはどこなんだ。

側には綺麗な小川が流れていて、少し向こうには桃の木らしい木が数本あり、太陽の輝きを受けてキラキラ輝いている。遠くには小屋のような家も数軒あり、川べりでは女の子らしき人影が何やらやっている。

どう見ても平和な山村の昼下がりと言った感じである。


俺は咲耶に「ここはどこだかわかる?」と聞いた。

当たってほしくない予想だったが、咲耶は力無く首を横に振った。

「こういう場所は少なくとも学校の近くにはないわ。」

次に俺はルシーダに治療されて一心地ついていたらしいタケヒビにも同じ質問をした。

タケヒビも首を横に振るだけだった。

健斗とその嫁たちは「わあ、蝶々だ」なんて言いながら蝶々と戯れていたので俺はもう視界から奴らを消すことにしたのである。


「ということは手がかりはあの向こうの小屋ということになるのかな。」

俺がルシーダにいうと、ルシーダは「そうね。それしかないでしょうね。」という。

ルシーダは俺を覗き込むようにしていった。

「でも可愛い女の子だからって鼻の下を伸ばさないように。私はタケヒビさんの治療があるけれど、ちゃんとあなたのことも見てるからね。」

俺はキャシーのところで訓練している新米の米兵のように背筋を伸ばして気をつけの姿勢を取ると、「イエス、マム」と最敬礼をして答えるしかなかった。

ルシーダは呆れた顔をして「あなたのそういうところは理解できないわ」と白けたように言った。


俺は傷ついた心を押し隠しながらゆっくりと川のそばにいる女性に近づいていった。

女性は15〜6歳くらいの小柄な女性で、頭は手拭いのようなもので被り物をしていて、服は色褪せた紺色の模様が入った着物を着て袴みたいなものを履いていた。まるで日本昔ばなしに出てきそうな出立ちである。

着物の裾は邪魔にならないように襷で縛ってあった。

女性の傍には籠に大量の布があり、彼女はその布を木の板で擦り、あるいは叩きつけて一生懸命その布を洗っている様子だった。


少し待ってみたが、彼女は一心に布を洗っているようでこちらには気がつこうともしない。

それで、こちらから声をかけることにした。

「あの、すみません。」

俺の声に女の子は飛び上がるほど驚いたみたいだ。


「おまん、どこのどなたずら?」

「俺は布留那勝太郎だ。」

「はあ、勝太郎さんずらか。またけったいななりをしてるずらなあ。」

「ほいでなんしにここにきたずらか?」

「あ、いえ、穴に落ちたらここにきたのです。」

「はー、ほんだらおまんさんはまれびとずらか?」


この辺りくらいからスキルが働いてきたのか少女の言葉が普通に聞き取れるようになってきた。

「まれびとってなに?」

「ええ、旅をしてここに辿り着いた人のことですよ。まれびとならば歓待しましょう。私の父が村長をやっていますから呼んできましょう。」


『言語理解』のスキルは方言も標準語に変換してくれるようである。

俺は少し目から鱗が落ちたような気分でその少女の後について行ったのである。


彼女に連れてゆかれたのは草葺きの小屋に見えた建物でも少し大きな建物で、外側に縁側の廊下のようなスペースと、奥に障子だろうか、白い紙が貼られた木組みの格子のあるおそらくは引き戸があった。彼女はそれをぐるっと回って反対側に出た。そこは少し立派な門が立ってあり、板戸を引くとおそらくは泥を固めたのだろう、黒光りする地面が剥き出しになっており、そこに牛が繋がれていた。奥の方には少し盛り上がったところに鍋がかけてあり、煮立っているのか湯気を吹き出している。竈かもしれない。

少女は草履を脱ぐと板敷きの床に上がってゆく。

襖を開けて奥に行くと、白髪の爺さんが薄い座布団の上に座っていた。

「お父さん、まれびとが来たよ。」


老人はゆっくりと目を開けると「おう、朝顔か。何用じゃ。」とゆっくりと話し始めた。

朝顔というのかこの子は。

「お父さん、まれびとがきたんだよ。ほら、おかしな格好してるでしょ。」

確かに俺はダンジョン探索用に革鎧を着ているからおかしな格好と言えばそうなんだが、ちょっとこの子は失礼すぎないだろうか。

果たして、老人は「そのような失礼を言うなら向こうに行ってらっしゃい。」と朝顔を追い払ってしまった。


老人は俺の方に向き直り、「私は先の相武国造さがむのくにのみやつこであった漆部ぬりべの熊鰐と申します。」と言う。

俺も「布留那一刀流継嗣の布留那勝太郎です。」と挨拶を返した。

俺はとにかく聞きたかったことを聞こうとして言った。

「俺たちは穴を通ってここにきたのですが、ここはどこですか?」

漆部の熊鰐は悠然と答えた。

「ここは相武の国です。」

俺の記憶に「相武」なんて言う場所はない。

「そう言う場所を俺は知らないのです。」

老人はニコニコしながら言った。

「そういうこともありましょう。ついこの間来たまれびとの武田信濃守太郎殿も似たようなことを言うてござった。信濃守殿は棒道という抜け道を作ろうとしてここに来られたと言うておったな。」

棒道といえば武田信玄の作った秘密の抜け道である。

朝顔はこの武田信濃守と村の娘との子どもらしい。

ということは朝顔は少なくとも400年前に生まれた可能性がある。


「信濃守殿はどうやってここを出てゆかれたのですか?」

俺がそう聞くと漆部の熊鰐は少なからず不機嫌そうな顔になっていった。

「我らはかの日本武尊を野原で焼き殺そうとした罰でここに追放されたのです。なので試練を乗り越えねばここから出ることはできませぬ。」

「でも武田信濃守は乗り越えたということですね。」

「我らには無事に乗り越えられたのかを知る術はありません。」

それでもここを脱出する手がかりはありそうである。

俺が他にも連れがいることを熊鰐に言うと、空き家を一軒貸してくれることになった。


朝顔に案内されて他のみんながいるところに戻ってきた。

若い女の子と二人できたことでルシーダの機嫌は最悪に悪くなっている。

いや、この子は400歳だよと言おうとしてルシーダがエルフだったことに気がついた。エルフならば400歳は普通の年齢だった。きっとルシーダは俺が言いたいことを全く理解してくれないだろう。

言う前に気がついてよかった。


貸してくれた空き家は思ったより快適だった。

どうしてこんな家が空き家なのか朝顔に聞いてみた。

朝顔はちょっと言いにくそうに「この家の主人は試練に行ったきり帰ってこなかったの。」と言う。

最近、試練が強くなったみたいでそれまでは命からがら帰ってきていた人たちが帰ってこなくなってきたそうであった。

「みんな、試練を乗り越えてくれていればいいんだけれどね。」と朝顔は淋しそうに笑った。

こんな時代錯誤の衣装を着た人が現代社会に出てくればきっとニュースになっていただろうから、そんなニュースがなかったことはおそらく彼らは試練に打ち勝つことができなかったのだろう。

俺もそんなことは言いたくなかったので黙ることにした。

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