風穴
翌日から合宿が始まった。
最初は肩慣らしとして青木ヶ原樹海のお散歩である。
青木ヶ原樹海は磁石が使えない原生林として有名で、時々は首吊りした自殺者の死体と出会うこともあるそうである。
田中校長は「こういう場所を踏破してこそ淑女しての体力や精神力が鍛えられるのです。」
と胸を張る。
俺は富士乃下高校の生徒会の書記であるらしい鈴木くんに「おい、おたくのところの校長って淑女教育のことしか語らないけれどこの学校って共学になって随分経つんだよなあ?」って聞いてしまわずにはいられなかった。
彼は少し俯いて、ややあって「うん」小さく答えたのである。
「あの校長は淑女教育をするために生きているようなものだからね。実際、彼女は共学化した時に男子トイレの設置を忘れていたからね。僕たちは随分長い間、トイレには職員室横の職員用の男子トイレを使うしかなかったんだ。」
「………」
校長の言動を見るにあり得ない話ではなさそうだったが、現実に生徒からそんなに生々しい話を聞くとは思わなかった。
樹海と言っても所詮はただの森歩きなので朝のトレーニングに比べても楽すぎる。そう思って周りを見渡すとうちの生徒も向こうの生徒も結構辛そうで息を乱している者が多い様子だった。
そんな時、ふと横から「あなたたち、ここ程度じゃ平気そうね。上級コースに行きましょう。」という声がした。
咲耶がそこにいた。
「ああ、いいよ。」
俺は軽く答えたが、横では鈴木くんが首をふるふるさせている。
「ふ、布留那君だけですよね。ぼ、僕はこちらの方が…」
けれども咲耶は容赦がなかった。
「生徒会役員ともあろうものが何を言っているんですか?」
そう言って鈴木君の首根っこを掴むようにして連れてゆくのである。
そういえば咲耶って男性恐怖症だったけれど改善したのかな。
俺はそんなことを思いながら二人の後をついて行ったのである。
その先には既に健斗や清子、瑠美ちゃんと仲間達、タケヒビにルシーダといういつもの面々と生徒会役員達がいた。
咲耶は「大体揃ったわね。じゃあ行きましょう。」というと鈴木君の首根っこを捕まえたまま早足で歩き始めた。
別の生徒会役員に聞くと、風穴の方に上級者用のトレーニングコースがあるという。
既に咲耶の速さは陸上選手が全力疾走しているくらいの速さになっており、鈴木君は「い、行きますからそろそろ離してください。」と咲耶に懇願していた。
とは言っても昨夜のスピードに首根っこを掴まれながら普通について行っているのだから鈴木君も並の男ではなさそうである。
樹海を出たあたりで鈴木君は解放された様子で、ホッとした表情である。
さすがに観光客が大勢通るルートは使わずに獣道のような山道を進んでゆくと、溶岩のゴツゴツした感じが足の裏を通して伝わってくる。富士山は火山であり、その流れ出た溶岩が残っているということであろう。溶岩にできた洞窟が風穴である。今でも風穴を吹く風が涼しいことを利用して観光名所になっている風穴もある。
けれども、我々が行くのは風穴の中ではなくその上の原生林であるらしい。
もはや道なき道を進んでいる感じである。瑠美ちゃんの仲間達は少しひいひい言っている。さすがに高一ではこのコースは少し厳しいのであろう。
瑠美ちゃんが他の二人を励ましているし、その二人は「清子先輩に恥ずかしいところは見せられないわ。頑張らなくては。」と言い合ってなんとかついてきている。
他は俺たちも生徒会の連中も全く息も乱さずに進んでいっている。
と、その時、急に咲耶が足を止めた。
「どうしたんだい?」
俺が咲耶に聞くと、咲耶は「しっ、誰かいるわ。」という。
確かに向こうから何人もの近づいてくる気配がする。
俺たちが待っていると、程なくして向こうから音が聞こえてきた。何人もの人が走っている音である。けれども疲労しているのかそのリズムは乱れがちである。
「来たっ」
向こうから人影が来るのが見えた。先頭に小柄な女の子がいてその後ろに何人もの屈強そうな男達が続いている。ただし、その足音は疲労を湛えている。
健斗が呑気に声をかけた。
「おい、キャシーじゃない。何してんの?」
すると先頭にいた女の子、もちろんキャシーだが、は「きゃー旦那様!こんなところで出会うなんて運命だわ!」と叫ぶなり、彼女だけは一切の疲れも見せずに健斗の胸に飛び込んでいった。
キャシーは「旦那様、キスして!」と完全に周りを無視して健斗にせがんでいるが、その背中をむんずと掴んだ清子は「お前、合宿に来て何しとんじゃい」とどこでそんな言葉を覚えたんだというようなセリフを吐くと遠慮のかけらもなくキャシーを健斗からバリバリと引き剥がして行った。
富士乃下高校の生徒会の人は心なしか頬を赤く染めて「関西の人は積極的なんですねえ。」なんて囁きあっている。
いや、俺も清子も生まれは東京なんだが。
清子は「いいえ、このキャシーが特別なだけですっ」とキャシーを捕まえながら断言している。
キャシーはなぜか「ニャー」と猫の鳴き真似をしている。
ちょっと居た堪れなくなって目を逸らすと残された米兵達、彼らは多分舞鶴でキャシーにトレーニングされていた連中である、が目に入った。
副長らしいアダン君が「さあ、隊長はここで御用のようですから我々は予定のトレーニングルートを進みましょう。」と言って俺たちに軽く一礼すると部隊を率いてランニングを再開して去って行ってしまった。
俺はキャシーに「みんな行っちゃったぞ。」と言ってみたがキャシーは「うーん、でもダーリンの方が大事だし。」と再び健斗の方に抱きつきに行こうとした。とは言っても清子がしっかりと捕まえているから動けやしないんだけれど。
そんなドタバタ劇をゴミでも見るような目で冷たくみていた咲耶は居住まいを正すと言った。
「皆さん、ここが岩永さんが最後に確認された場所です。皆さん、岩永さんの捜索に協力をお願いします。」
健斗が「うぇっ?」というような変な声をあげた。
俺も「もともとそのつもりでここに呼んだの?」と言ってしまった。
咲耶は悪びれることもなく「先に事情を説明して大騒ぎになると学校の名誉にも関わります
ので。何卒ご了解ください。」と答えた。
何か間違っていると思うがもうここまで来てしまったのである。文句は喉の奥に飲み込んで黙ることにした。
清子が「装備して集まれっていうのはそういうことだったのね。」と言う。
そうなのである。俺たちは装備して参加したので今すぐにでもダンジョンアタックが可能である。
「食料はないけどな。」
健斗がボソリと言った。
咲耶は「もとより短期決戦の予定です。さあグズグズせずに捜索を開始しましょう。」言う。
ここまで来て嫌とはいえないので俺たちは動き出した。一応食料は十日分ほどはある。けれどもわざわざそれを言うこともないだろう。
とは言ってもそもそも人の気配はない。
それでも近くを手分けして探していると、誰かが落ちていた携帯電話を見つけたようである。もう数日経っているので電池は切れているみたいでボタンを押しても起動はしない。
咲耶は「この携帯には見覚えがあるわ。間違いなく岩永さんの携帯よ。この携帯の位置情報が手掛かりだったのだけれど。」とやや困惑気味に言う。
携帯電話を発見した女子生徒にその場所を案内してもらったが、特に血の跡もなく襲われた様子は見当たらない。
「ここでクマなどに襲われたと言うわけでもなさそうだね。」
俺がそう言うと、咲耶は「どうしましょう。手がかりがなくなってしまったわ。」と頭を抱えている。
「そんなの里に降りて警察なり消防団なりの協力を得て山探しするのが当然でしょう。」と俺が言うと、咲耶は「それは無理なの。校長が大事な淑女をむくつけき男どもに触らせるわけにはいかないと拒否しているのよ。」と嘆くように言う。
あのバカ校長め思ってもここではどうしようもない。
「じゃあ少し範囲を広げて捜索しよう。」
健斗がトランシーバーを取り出し、使い方を説明した。
それで範囲を決めて捜索することにした。迷ったと思えばトランシーバーで連絡すればいいわけである。
そうして数人づつの班に分かれて岩永さんの捜索を開始した。
定期的に連絡を取り合って無事を確認した。
けれども1時間探しても他の手がかりは全く見つからない。
再度、みんなは岩永さんの携帯が落ちていた場所に集まることにした。
「どうする?」
そう言っても良い案は浮かばない。
「やっぱり一度帰って大人の協力も得て出直した方が…」
俺がそう言いかけた時、タケヒビが「白鹿がいる。」と呟いた。
堂々とした角を持つ白い鹿が確かに向こうに立っている。
俺たちがみんなで鹿の方を向くと、鹿はゆっくりと身を翻して走り出した。
タケヒビは「鹿だ」と譫言のように呟きながら鹿を追いかけ始めた。
「タケヒビ、おい、ちょっと待て!」
俺たちもやむなく鹿を追いかける形になった。
鹿は本当に俺たちを誘うようにスピードを調整して逃げてゆくようでなかなか捕まらない
と、その時、急に先頭を走っていたタケヒビの姿が消えた。
あっと思う間もなく、地面に開いていた穴があったのだろう。俺たちも皆、ごろごろと穴の奥に落っこちてしまった。




