保健室
健斗は赤ちゃんと遊ぶのが楽しいらしく、毎日学校にはきているが、授業が終わるとすっ飛んで帰っている。
ローラ姫はさすがに育児のために休学みたいな扱いで学校に来ていない。
清子は瑠美ちゃんやその仲間、一学年下の女の子たちを鍛えることに生きがいを見出したらしい。女の子同士で仲良く訓練をやっているみたいだ。
キャシーは米軍人をしごいているらしい。
俺は相変わらずタケヒビと模擬戦をやっている。
タケヒビ親衛隊の女子たちの黄色い声援(もちろん目当てはタケヒビである。)にももう慣れた。
最初は気になっていたのか俺とタケヒビの様子を見に来ていたルシーダもタケヒビ親衛隊の女の子たちが俺の方を見向きもせずにひたすら推しのタケヒビに愛を振り撒いているのを見て安心したのか、最近はこちらに寄ってこようともしない。
女子から大人気のタケヒビを見ていると少し情けなくなった気分がした。多分そのために気持ちが散漫になっていたのかもしれない。タケヒビの突きをモロに喰らってしまい、受け身を取る拍子に左足をひねってしまった。
「あっ、いてて。」
「勝太郎さん、大丈夫ですか?」
タケヒビが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「あ、ああ。ちょっと油断した。大したことないだろうけど、念の為に保健室に行ってくるよ。」
「ば、僕もついていきましょうか?」
「あっ、いいよ。一人で行ける。」
タケヒビは少し不安そうな顔をする。
俺がいなくなって一人になったタケヒビはタケヒビ親衛隊の女子たちから猛アタックを受けることであろう。
俺は「タケヒビと模擬戦をする」ということで彼女たちがタケヒビに近づいて来ないようにする女避けの役割もこなしていたのである。
俺の足は大して痛くもなかったのでさっさと保健室のある校舎に向かった。俺は決して振り返らなかったが、後ろからは「タケヒビ様、お暇ならお話ししてください!」とか「なんで素晴らしい筋肉!タケヒビ様、触らせてもらっていいですか?」とかいう女子の黄色い叫びが聞こえてきたし、タケヒビが「あ、うわあっ」という悲鳴をあげているのも聞こえたのだが、いい気味である。少しは苦しむといいというまるで自分が魔王にでもなった気分で俺は無視をすることに決めたのだった。
♢♢♢
保健室にはちょうど早川先生が一人だけ手持ち無沙汰に座っていて、他に生徒はいなかった。
「あら、布留那くんじゃない。あなたが保健室に来るなんて珍しいわね。」
先生は俺にそんなことを言った。
確かに俺はそれほど怪我をすることはないので保健室を利用することはない。でも保健室の先生だろう?「どうしたの?どこか痛いところがあるの?」とか聞いてくるのが普通じゃないのだろうか。
そんなことを考えてしまうというのはまだまだささくれだった感情が残っていたのかもしれない。
俺が足をひねったことを言うと先生はテキパキと「そう。じゃあこの椅子に座って。痛い方の足を出して。」と指示する。
俺が言われたように診察用の椅子に座ってひねった方の足を出すと、先生は近寄ってきて俺の足を見ると言った。
「そうね。ほんの少し赤くなっているだけね。骨折はしていないみたいね。アイシングだけでいいかな。じゃあ氷を持ってくるから冷やしてね。ちょっと待ってて。」
その時、俺は聖剣が微かに振動していることに気がついた。
聖剣は魔族や魔獣、邪悪な存在に近づくと振動して持ち主である俺にそのことを知らせてくれる。
例えば健斗は魔王なのでやはり近づくと振動するが、一応、健斗は人類であるのでその振動は微かである。
今回は健斗よりも大きめの振動だった。これはもしかすると。
保冷剤をタオルにくるんで持ってきてくれた早川先生は「ほら、これで痛いところをよく冷やしてね。」と言ってくれた。
俺は先生の顔をじっと見た。
「な、何?私の顔に何かついている?」
早川先生はとぼけたことを言っている。
「早川先生、もしかして魔族ですか?」
俺が単刀直入にそう聞くと先生は笑いながら言った。
「あはは、何か夢でも見ているの?ああ、迷宮探検する人だからロマンに溢れているのね。」
「いえ、先生、俺の聖剣が反応したんです。多分先生は魔族ですよね。」
早川先生はパッとファイティングポーズを取った。
「何、やるって言うの?ここは保健室なのよ。」
早川先生の顔はそのままだが、手は鋭い鉤爪を持つ人間らしからぬ姿に変わっている。
「いえ、たまたま聖剣が反応したからお聞きしただけですよ。俺だって足の治療をしてくれた先生と戦いたくはないですから。」
ふっと早川先生から戦気が消え、人間の姿の早川先生が見えた。
「布留那くん、あのねえ。私はこの学校で特に何もしていないでしょう?この学校の一教師として特に問題も起こさずに過ごしているだけよ。」
早川先生はため息をつきながら喋った。
「それに、昔は勇者と魔王が戦ったけれども、今回は勇者と魔王が組むのでしょう?別に敵同士というわけではないのよ。」
「そういえばキャシーがよく保健室に入り浸っていたのもあなたが魔族だからなんですか?」
俺はこの時とばかりに質問してみた。
「まあ、さすがは勇者ね。魔族への尋問の仕方を心得ているってことかな?」
早川先生は呆れたように返事をした。
「そうね。もう隠しても意味がないでしょうが、私達は魔王軍よ。本来魔王様の麾下として活動するのが仕事なの。キャシーは同じ魔王軍の一味ってわけ。」
「米軍も魔王軍だってことですか?」
「正確にいえば米軍の背景にある軍産複合体が魔王軍の技術に興味を示して介入しているということなのでしょうね。米軍と魔王軍は親和性が高いわ。」
「それでその目的はなんなのですか?」
「あら、あなたってもっと理解力があると思ったのに。やはり高校生ね。」
早川先生は艶然と笑う。確かに魔族である。普通の高校生男子ならばこの微笑みだけでコロっと堕ちてしまうかもしれない。
「つまり、魔王、健斗の役に立つために動いていると?今は健斗って子供が産まれてパパになっているけれど。」
「そうよ。そういう時こそ魔王軍がしっかりと動いて魔王の役に立つことが立身出世のためには重要なのよ。」
「もしかして魔王四天王ですか。」
「そうよ。キャシーは頑張れば四天王を張れる逸材だわ。今は先行投資ね。」
「それで軍産複合体も同じだと。」
「あれは諸刃の剣なの。多分本音は魔王軍の技術を獲得してより凄い兵器を作って儲けたいということなのでしょう。でも、魔王軍だって兵器がなければ戦えないのも事実。ギブアンドテイクでうまく取引できればいいわね。」
「邪魔だけはしないでくださいね。」
「うふふ。そりゃあなた方、勇者勝太郎と魔王健斗は我々のエースストライカーよ。今回の私たち魔王軍の任務はあなた方の支援なのだから邪魔はしないわ。」
「それはよかった。」
いつの間にか保冷剤は完全に溶けてぐにゃぐにゃになってしまっていた。
(そういえばタケヒビなことをすっかり忘れていた)
俺は保健室を出ると模擬戦をしていた修練場に向かった。
タケヒビは親衛隊の女子に取り囲まれていた。すでに完全におもちゃにされている様子でフニャッとなって目を回してしまっている。
親衛隊の女子たちは「さあ、今からタケヒビ様に私たちの愛の印であるキスマークをつけましょう!」と言って口紅を塗り直しているところであった。
もう完全な悪ノリである。
一瞬、全身がキスマークだらけになったタケヒビを想像してしまったが、流石にそれはダメだろうと思い直して親衛隊に囲まれているタケヒビの救出に向かった。
親衛隊の女子たちも薄々は悪ノリが過ぎていると思っていたのかもしれない。思いのほか素直に説得に応じてタケヒビを解放してくれた。
タケヒビは俺が肩を貸してやっと歩けるという感じで「きゅうーん」ってなってしまっていた。
タケヒビの部屋に着くと彼をベッドに放り込み、何かスープでも作ってやろうかと部屋を見回したが生活感の全くない部屋で、食材のありかすらわからない。
「何か食べたいものがあるか?」と聞いてみたが、微かな返事からはお神酒とお雑煮としか聞こえなかった。
さすがに高校生に飲酒は不適切なので(無論、タケヒビの実年齢はわからない)お神酒については聞かなかったことにして、ルシーダに連絡してお雑煮の材料を持ってきてもらうことにした。
ルシーダは俺の家で白味噌の雑煮の作り方についてはすでに俺のお袋や家のお手伝いさんにしっかりと仕込まれているのである。
ルシーダも俺からの電話を聞いて少し驚いていたようだったが、結構すぐに雑煮の材料を持ってきてくれた。俺とルシーダの二人で野菜を切って雑煮を作り始めた。
タケヒビは眠っているようである。
野菜が煮えてくるといい匂いが漂い始めた。
出来上がったお雑煮を木の皿に入れてタケヒビのところに持って行ってやると、彼は目を覚ましていた。
「うん、雑煮の香りでずいぶん元気になったよ。」
タケヒビは能天気にいう。
「ついでだけれどお神酒も欲しいよね。」
「高校生が飲酒しちゃダメだよ。」
「ただお酒の匂いを嗅げばいいんだ。」
「それなら料理酒だけれど清酒を持ってきているわ。」
ルシーダは用意がいい。
料理酒用の清酒をお神酒徳利に入れて持っていくとタケヒビは「うん、いい香りだ」と喜んでくれた。
タケヒビはすっかり元気を取り戻した様子だったので、俺たちも安心して部屋を後にすることになった。




