5
随分前からおかしな夢を見る。
何か怖いものに追われて逃げて、そして最後は奈落へと落ちていく。
赤色が好きなはずなのに夢の中にある赤色はどれも怖くて、吞まれないように必死に逃げる。
体が重力に従って落ちていく中で私は直前まで聞こえた会話を思い出した。
「だから、押すなって、」
「はは、冗談に決まってるだろ、冗談に」
そして、背中への衝撃と共に私の体は宙に投げ出された。
ああ、私は今、階段で背中を押されたんだ。また、あの人たちに。
微かな浮遊感の直後に襲ってくる沈んでいく感覚。...このまま落ちたら、全てが終わってくれるのかもしれない。私はそんな期待を込めて目を閉じた。
「遥稀!大丈夫!?」
なおの声に目を開けると私は階段に座り込む形になっていた。手首に微かな痛みを感じて視線を上に動かすと、手すりを掴んで少しだけ捻ったみたいだ。落下する直前で咄嗟に掴んだらしい。
体勢的に多少ムリがあったみたいだ。痛む手首を抑える。
「あぶな、落ちてくるのかと思った。本当にどんくさい」
「ちょっと、さくら、そんな言い方、」
私を押した2人は既にいなくなっていた。なおやさくらの口ぶりから察するに私は勝手に躓いて落ちそうになったという風に見えるらしい。2人は私が落ちかけたところから目撃していなさそうだし、「押された」といっても大して信じてくれないだろう。言うだけきっと無駄だ。
「あ、遥稀、」
「なお、放っときなよ。機嫌悪そうだし。あ、いつもか。本当にわがままで困る」
さくらの言うことになんて今は構っている暇なんてない。
一刻も早くこの場所を離れたい。
手すり側にいてよかった。そうでなければ考えたくもないけどきっと、今頃...。
ここまで考えてふと思った。終わりたいと考えていたはずなのに、終わるのが怖いと感じている自分がいる。
その事実に頭がおかしくなりそうだ。ふらふらと教室に戻り、自分の席に着く。心臓はまだ早く脈打っていて。落ち着かない。
「おーい、大丈夫か?」
「あ、う、うん、だい、じょうぶ」
急に肩に触れられて思ったよりも驚いてしまった。蒼とこの前の席替えで同じ班になったサトさんが心配そうな顔をしている。
「遥稀さん、顔色悪いっすよ?」
「ああ、寝不足だから、かも」
「あれ、手首抑えてるけどさっきの体育で怪我でもした・」
「あ、まあ、そんなところ。そこまで痛まないから平気」
普通に痛みはあるけど問題ないだろう。一応後で念のために保健室には行っておこう。
「ノートとか、取りづらかったら後で借りるか?」
「うん、取り切れなかったらよろしく」
蒼ならさっきの出来事を信じてくれるだろうけど黙っておくことにした。大きなけがもなかったし、何より目撃者もいない。
だから、思い出したくもない。
4限目が終わるとまた憂鬱な時間がやってくる。給食の時間だ。
「これ、プレゼントな」
「やっぱ、チビには必要だよな」
ニヤニヤと笑いながら私の机の上には牛乳が3本置かれた。
明らかな嫌がらせ。前の方にもっていってもまた机に戻される。それどころか「好き嫌いするから大きくなれないんでちゅよ」と馬鹿にしたように言ってくる。思わず舌打ちをしたくなった。
でも、ここで何か反応をすれば思うつぼだ。隙はできるだけ与えたくない。かといって3本も飲めない。
「あ、俺喉乾いてるから1本貰ってもいい?祐樹、牛乳余ってるけど、」
「まじ?貰うわって、遥稀ん所かよ」
「あ、うん、これ、」
「サンキューってか、優弥がカードゲームの話しててさ、」
「わかった、兄ちゃんに言っとく」
「おーよろしくな」
祐樹が嬉しそうに牛乳を持って行って2人は面白くなさそうに席に戻っていった。
「蒼、ありがとう」
本当に蒼には助けられてばかりだ。思考するばかりで動けない私よりも先に最善の答えにたどり着いて実行する。すごいことだと思う。
「コーチにも飲めって言われてるからさ。ってか、祐樹といとこなのに弟の優弥の方が仲いいよな?」
「優弥と私はインドア派だから。祐樹はゴリゴリの体育会系だし」
「なるほど?でも、祐樹のあの筋肉、羨ましいよな」
「わかるっす!男の憧れっすよね!」
あの筋肉の良さがよくわからない。
蒼もサトさんも細身だから羨ましく映るのだろうか?優弥はマスハラ、マッスルハラスメントされるから腹立つって言ってたけど。
とはいえ、祐樹にも助けられたな。最近は全く喋っていないけど。