テツ&アマ その12
谷瑞とアマが話をしているのを、遠目で見ることが増えた。
文化祭の準備について。
話しているのだろう―――。
学校行事の運営に関しては、アマの方が向いていた。
そう、気が付けば、俺が谷瑞に支えられている間に、アマはアマで、男子の側を進めていた。
あれはあれで生真面目な奴なので、計画にのっとっているようだった。
まああれで生真面目なところもあるから仕事も丁寧なのか―――全部を知っているわけじゃないし、むしろ、見ないようにしていたけれど。
仕切りが上手いところがあるんだろう。
羨ましい、とまでは思わなかった。
ほほえましいとは思った。
頑張ってほしいと。
それと同時に、嫌な感情もあったかもしれない。
―――なんで、あいつだけなんだろう。
俺、だって頑張って我慢しているけれど、なんであいつの方が楽しそうなんだろう。
お前、そんな感じだったっけ?
そういう奴だったっけ。
俺の方がクラスで目立っている、と最初は思っていた。
あれは勘違いだったのかな。
勘違いじゃあなかったと思う、あれは事実で、俺の方が上で、そしてこれからは、そうじゃない。
昔はそうだったというだけ。
幸せな人間が、クラスにいること、そしてそれが友達であること。
それは素晴らしいことだ、と思うけど―――今の俺には、眩し過ぎた。
涙が出そうになる時があった。
何をどうしようが、俺はこのクラスから去る―――。
あそこにはいられない。
毎日アマを見ることが、嫌になったのはこの頃からかもしれない。
まあ、元々谷瑞と仲良く話すことは、言うほど得意ではなかった。
アイツも基本は、女子同士でつるんでいるはずだから。
だから知っている仲というほどではない。
俺は女子のことが得意なのか、というとそうではなかった。
虚勢は張っていたが。
女子の笑顔。
ああ―――女子の笑顔。
俺は女子の笑顔が怖い。
女が、俺を見て、笑う。
複数の女が。
何事かを話しながら。
ああ―――俺は馬鹿にされている。
そうとしか思えないのだ。
そこに可愛いなとか、嬉しいなどという感情が、出てこない。
ああ―――人の眼が多い。
複数の眼だ。
という恐怖が、先行する。
彼女らは、決して極悪人ではない―――しかし、どう思われているかわかったものではない。
引っ越しのことを―――知っているのは本当に近所の奴らだけのはずだ、だがバレていない保証はない、そのことを噂されている?
じいちゃんのことを?
小学生の時の俺のことを………?
些細なことを考え出すと止まらない。
直視できず、目を逸らす俺。
そんな俺に、女どもは笑う。
決して、俺の方が弱いなどということはないはずなのに。
彼女らは、俺に近づいてくる。
しかし、ずっと一緒にはいない。
どうだったのだろう。
俺は、好かれていたのかな。
俺は―――苦手だった。
女子を。
得意になろう、ならなければ大人になれない、とは思っていた。
決めつけていた。
多くの女子の中でも、谷瑞は安心できる子だった。
彼女は文化祭の―――あくまで事務的な話を俺とするので、俺の眼を覗き込みはしないので、そういうところが―――安心できた。
あとは。
山田か。
彼女は―――美人ではあって、だから緊張はするはずだけど、不思議とそんな記憶はない。
どうしてだろう。
あんなに見ていたのに、一度も。
そういえば………彼女は、俺と目が合うことは、無かったのではないか。
でも、それが心地よいと感じもした。
おそらく、教育では―――公の場では、人の目を見て話しなさい、と。
そう教わることの方が多い、と思う。
よそ見して話せとか、地面を見て話せとか、そう教わるわけはない。
一応、覚えている。
言われたことはある、誰かに。
でも、冗談じゃない。
無理だよ。
特に、今は。
人の目を見て話せだと?
そんな恐ろしいこと、出来るわけがない。
出来るわけないじゃないか。
俺は人の目を見ず、口先だけで乗り切ることはできる。
俺はそれに慣れていて、おそらく、得意で。
ただ―――楽だった。
安全地帯を維持できるような気がしていて。
………悪いことをしているわけじゃあ、無いはずだった。
俺は―――何がしたかったのかわからなかったが、今までのようにサッカー部にいる雰囲気にならなかった。
なんとなく、何も考えていない子供では、なくなった。
色んな事を―――考えて。
考えて過ごすようになった。
何が楽しいのかわからなかったが、冷静さ、思慮深さのようなものを、覚えようとした。
動けないから。
この学校で、俺は身動きが取れなくなったから。
しかし考えても考えても、わからないのだ。
人の気持ちが。
愛が、恋が。
人として持っていて当然と社会で大っぴらに公言されるものが―――心の底を探してもわからないのだ。
文化祭が目前になるにつれ、俺は小さくなっていった。
魂が、気力が、すり減って、小さくなる。
しかし―――人の気持ちさえわかれば―――大人になれる。
わからなければ人として失格だ。
そう思っていた。
少し安心できるときはあった。
自分より下の人間を見ているときだ。
見つけた時だ。
………俺は性格が悪い。
だが、この時の俺は消耗しきっていて、それくらいしか胸がすく想いがしなかった。
下の人間。
あの、俺のじいちゃんを馬鹿にしたクズ。
何も知らない人間。
うわべだけしか知らない人間。
あれからも度々、俺に話しかけて―――来たことがあった。
いや、あれは話だったのだろうか。
俺は、人と話をするのが嫌いになった。
嫌い?
いや、気が進まない、というべきだ。
少なくとも、あのクラスでは。
そもそも当時の俺はあのクラスから去ることが目的であり。
幸せになる気がなかったのだから、自業自得といえばそれまでだが。
で。
奴が、何だったか、詳しいことは風の噂だから、知っているが間違っている恐れもある。
だが事実として、他の生徒と揉めて停学だか退学だかに、なったらしい。
罰を、しかるべき罰を、受けたらしい。
………まあ、時間の問題だった。
どんな理由があるにしろ、失礼な奴は排除されるか、少なくとも嫌われる。
というか何がしたかったのだろう、あいつは。
何しろ、俺の視界から消えた。
―――あんな奴、ほっとけよ。
どうしようもない奴だ。
と、言う人間は、小学校のころからの友達の中に、いた。
それは極めて正しい―――本当に、それをお勧めする。
多くの人には。
だが少数派の俺は―――少しだけ、思うことがあるのだ。
停学になったことについて。
俺だって、学校を休みたい日は多かったのだ。
羨ましい―――と、少しだけ思う自分がいた。
………いや、あいつを、助けたいという気持ちはあった。
何しろ中学生だ。
性格が曲がっていても、更生の余地はあるだろう、みたいな。
場面は変わり。
それは図書館での話だった。
図書館で一人で勉強しているところなど、クラスの人間に見られたくないのだが、当時の俺はその自習室で勉強していた。
受験前ならまだしも、中学二年生の時に相当の努力家か、もしくは見栄っ張りである。
まぁ。
理由は色々とあるが―――。
クラスの連中と話す時間が苦痛になったのと、
どんな顔をしてあいつらと一緒にいればいいのか。
サッカー部の連中とも、付き合いが悪くなった。
どんな顔をしてパスを出せばいいかわからなくなった。
ああ、ちゃんと笑顔は作ったよ。
いつも笑顔でいたつもりだ。
そんなこんなで、俺は問題集に取り掛かる。
難しいものではなかった―――はずだった。
平常時の精神で問題を見れば、解ける問題が多かった。
だが、気が進まない。
字が荒れた。
「………俺が決めたことじゃないのに、畜生、なんでこんなことをやらされるんだよ」
呟く。
勉強は何のためにやるのだろう。
そんな―――しょうもないことを考えたりもした。
答えなんてありそうもないことを。
進路なんて言うものは、結局、親の一声で全部決まってしまうものである。
俺の家もそうだし。
俺と同じような奴は―――たくさんいるだろうに。
気が付くと、問題から意識がそれている。
………いやいや、雑念だ。
今は、出来ることをやるんだ。
「ああ、くそ―――解けない、なんでだ、何がいけない。わるいことやってるわけじゃないのに」
俺は、悪いことをしていない―――善良な、健全な、しかも―――ちゃんとした被害者なのに。
男子生徒が、俺のすぐ近くに立っているのに気付いた。
その生徒がなかなか離れないので、見上げると、アマがいた。
「やっぱり、テツじゃん」
「は、はぁ………?」
なんでお前がここにいるんだ?
図書館なんかに来るんだ………カツアキとか、友達とかと一緒にいろよ。
「なんだよ、勉強熱心ってやつ?」
好奇心むき出しの表情で、俺の手元を覗き込む。
俺は混乱の中で、奴の眼を見た。
その焦点は俺ではなく問題集らしい。
「―――悪いかよ」
「………悪くはねえよ!いいじゃないか」
アマは嬉しそうだが、違うんだ。
違うんだ………この勉強は。
「試験範囲がわかっているなら、あとはそこを繰り返すだけだよ、そしたらどこで失敗しやすいかわかるし―――あれ?」
俺はとっさにそれを隠す。
カバンに入れる。
「………今のところ、テスト範囲じゃないよな」
あいつは感情を込めずに言った。
俺は、苦笑いでこたえる。
「帰れ………」
「な、なにそれ、今の、なにかふざけてんの?」
「いや、帰れよ、文化祭、あるだろお前」
「………?」
納得がいかない表情のアマ。
気持ちはわかるが引き下がれ、まったく笑いどころがないものなんだ。
ああ、本当に―――笑えない。
「いや、勉強の邪魔はしねえよ」
アマが言うが、その平坦な口調になぜか腹が立った。
表情は半笑いだ。
「なんだよ、手伝うぜ」
「………」
タイミングが悪すぎる。
「勉強が、できればいいのか」
「うん?………まあ勉強すればいいよ」
「勉強ができれば、何でもうまくいくのか?」
「ま、まあたいてい」
「たいてい?」
俺はアマをにらんだ。
アマを憎たらしく思ったわけではない、ただーーー会話を終わらせたかった。
「いやぁ、」
俺が怒っていることには、少し困惑するアマ。
だが、引き下がるそぶりはないらしい。
別に悪いことじゃないし―――と、色々と、早口で付け足すアマ。
「あの、テツ、ちょっと待て、何かを頑張ることはいいことだって言っただけで、まあ―――」
ガンバレバ―――ウマクイク?
「がんばればうまくいくのか?」
「そうだよ、勉強もそうだし、努力次第で………」
それからはなんとも言い難い、それこそ小学校低学年の子供でも言いそうな正論が、つづいた。
俺は―――馬鹿にされているんだなと、だけ思った。
わかりあえないなと知り、下を向いていた。
「範囲から間違っていたらどうしようもないよ、出るところがわかってるんならそこだけやればいいんだから、何回も繰り返せば―――」
「範囲なら、合ってるんだよ」
小さく言った。
言いたくないことを、小さく言った。
思いのほか、聞き取りやすい―――正確な、響きになった。
「え?」
「なんでもできるんだな?勉強すれば」
「え?いや、何でもってわけじゃあないけど、でも―――」
おいテツ、なんで怒ってるんだ―――と、奴は言った。
狼狽えていた。
「もういい」
俺はカバンを持って、背中をアマに向けた。
ああ、ここに来たのは失敗だったみたいだ。
ここもか。
ここにも、いてはいけない。
その問題集は、クラスメイトには見られたくないものだった。
テスト範囲は中間試験でも期末試験でもない。
この学校のどのテストとも違う。
『向こうの中学』―――引っ越し先への転入試験だった。




