冬
ある寒い日の朝、家の中からばあちゃんの気配が消えた。
オレがばあちゃんの部屋に着くと、同室のミドリが隣で眠っているばあちゃんを布団に座って静かに見ていた。
それより少し遅れて父さんと母さんが部屋に来た。いつもはもっと起きる時間は遅いのに。何か予感があったのだろうか。母さんはばあちゃんに呼びかけながらゆっくり近付いて傍らに座った。
ひどく緊張しているのがわかった。口元に顔を近付ける。その後、ばあちゃんの胸に手を置いた。そして、後ろにいる父さんを振り返った。父さんの顔が哀しそうに歪んだ。母さんの顔はこちらから見えないが、多分父さんと同じようなものなのだろう。父さんは母さんの肩に手を置いた後、「電話をしてくる」と言って部屋から出た。
残されたミドリと母さんは、しばらく動かなかった。
そこに、軽やかな声と足音がとどいた。
「何やってるの?」
ドアからアオイの顔がのぞく。オレと隣の母さんは、はじかれたように顔を上げた。ミドリもゆっくりとアオイの方を向く。アオイは最初不思議そうにオレ達を見ていたが、眠っているばあちゃんに目を止めると、徐々に顔が険しくなった。こちらの方に近付きながらアオイは言う。
「ちょっと…まさか…ばあちゃん…?」
その後はてんやわんやだった。オレもこういう事に関してはわからないので、目まぐるしく動く事態を見ているしかない。それはミドリもそうだった。オレの傍でじっと周りが動くのを見ている。
中心になっているのは父さん。母さんとアオイはらしくもなく沈んでいて、特にアオイはしょっちゅうめそめそしていた。もちろんオレも沈んではいたが、悲しみよりも何だかとても不思議な気がした。
本当に昨日までそこで話をしていたばあちゃんが、もう二度と現れる事はないのだ。続きは明日と言って土に差してあったシャベルも、ばあちゃんの手で使われることはない。オレはミドリと何となく庭を歩きながら思う。
ふと、隣を見た。横にいるミドリからは悲しみは感じ取れない。もしかしたらよくわかっていないのかもしれない。母さんが以前言った通り、ミドリは何もない子ではない。けれどやっぱり子供で一番年下のミドリには、まだ理解できないのかもしれない。オレもらしくなく黙って考え込んでしまった。
そんな風に考えている間に、いつのまにかさまざまな儀式は済み、気付くと三日が経っていた。オレは自分が思っている以上に動揺していたらしい。結局オレは何も出来なかったな。
そうして、久しぶりに皆が集まった夕食。誕生日席の空いたテーブルで、沈黙を破ったのはミドリだった。
「おばあちゃん、どこ行ったの?」
今まで自分の事で手いっぱいだったようなアオイは、はっとしたようにミドリの方を向いた。母さんもミドリのことに今思い至ったようだ。少しの哀れみと自己嫌悪の様子が見て取れた。だが父さんは少し違った。言われるのを覚悟していたのかもしれない。
こう言ってはおかしいのかもしれないが、父さんとばあちゃんは血縁ではないので、多少冷静に見られるのだと思う。オレと同様に。だがミドリはそうじゃない。見た目は冷静に、涙一つ今は見せていなくても。
父さんは母さんが何か言いかけるのを手で止めてから、ミドリに向かって話始めた。
「ミドリ、いいか。おばあちゃんは死んだんだ。僕達のいる世界にはもういない」
ミドリの瞳が少し揺らいだようにオレは感じた。だがそれ以上の変化は口調にも現れていない。
「じゃあどこにいるの?」
「そう…ずーっと遠くだ。今の僕達は行けない」
「いつかは、行けるの」
「行けるよ。ミドリも僕も皆。でもそれはずっと先の話だよ。だからその頃にはおばあちゃんはいないかもしれない」
「………」
珍しくたくさん話していたミドリが、そこで沈黙した。聞く事がなくなったのか、父さんの言葉を考えているのか。オレは後者だろうと思う。父さんは遠まわしではあるけど、二度とばあちゃんには会えない事を言ったのだ。ミドリには理解できるはず。しかしそこへ、沈黙に耐えられなくなったアオイの声がした。
「ミドリはおばあちゃんに会いたいの?」
少し怒ったような、責めるような声。ミドリは驚いたんだろうか、目を見開いて横にいるアオイの方を向いた。アオイは返事を待たずにキツイ口調で言った。
「それは無理なの。もう二度と会えないの」
父さんがアオイを見た。口を開きかけるが、何も言わずに閉じた。何を言おうとしたんだろう?アオイは、父さんの様子が目に入らないかのように更に言った。
「ねえ、わかってるんでしょ?本当はミドリにもわかってるんだよね。…悲しい時は、泣いてもいいんだよ」
アオイは最後、口調を和らげて言った。それはミドリに向かって言っているが、アオイ自身に向けての言葉でもあるような気がする。
それを聞いたミドリの目がまた揺れた。そして下を向いたミドリの目からは、それでも涙は出ていなかった。代わりに小さな声が出た。
「わかんない」
父さんがミドリとアオイを痛ましそうに見た。
「わかんない…」
ミドリの声が、しんとした室内にいやに響いた。
夜。オレは今アオイの部屋にいる。いつもは一階の部屋で寝ているのだが、今日はアオイの部屋にミドリと共にお邪魔した。隣からはアオイの規則正しい寝息が聞こえる。アオイはここ数日メソメソしていて疲れているのだろう、よく眠っている。泣くのは体力がいるのだ。
同様に、隣室のかあさんも、色々な処理で動いていた父さんもよく眠っているはずだ。芳しくないのはオレと、アオイの向こう側でしきりに寝返りを打っているミドリだな。オレはミドリの様子を見ながら、オレ達は案外似ているのかもしれないと思った。
それなら、ミドリの気持ちを最も理解しやすいのがオレだ。これは何とかせねばなるまい。この家の世話役として、同時にわが愛する弟のために。
しっかし、具体的に何をすればいいんだ?
オレは朝食を取りつつ考える。これまで休んでいた父さん母さんも仕事に復帰し、アオイも学校だ。ミドリも保育園。母さんはもう少しミドリの方は休ませた方が、と言ったが、父さんが首を振った。
現実問題として面倒を見る人がいない。それにいたとしても、今までばあちゃんのいた所に別の人が入るのでは余計戸惑う。そんな風に父さんは言った。
「大丈夫。ミドリなら頭のいい子だから大丈夫だよ。それに多分…ミドリはおばあちゃん似だと思うよ」
ばあちゃん似だから何だと言うんだろう。オレは不思議に思ったが、母さんはそれで納得したらしい。ミドリの意思を聞く事を前提にその案をのんだ。ミドリはと言うとあっさりと保育園に行く支度をした。
オレがミドリの立場だったとしても行くだろうと思う。でもそれはオレがミドリより年上で、“死”ってものを少しは知ってるからそう思うんだ。今のミドリは・・・どうなんだろう。
まあ少なくとも家にいるよりはマシだ。家にはばあちゃんの名残がたくさん残っているからな…。オレはそう思い、ひとまず様子を見る事にした。
ミドリは、五時少し前に母さんと一緒に戻った。
前と同じような時間だ。ただ、家に入ってもばあちゃんの「おや、おかえり」がないだけ。ミドリは自分のただいまの声だけを聞くと、三秒位黙ってから家に入った。母さんはその様子に複雑な沈黙を返した。
さて、以前ならこの後ミドリとオレとばあちゃんでそこらをブラブラしていたわけだが、今日はどうするんだろう。
オレはミドリを観察する。肩からかけた鞄を降ろすと、洋服掛けの一つに引っ掛けた。帽子もその近くにかける。園服を脱ぎ終えると、その間に母さんが用意した長袖のシャツを着た。
母さんはミドリの園服を拾ってハンガーに掛けながら言った。
「…ミドリ、お散歩行くの?」
ミドリはすでに防寒用の上着を手に持っていた。そのまま頷く。母さんはちょっと笑った。そしてミドリの手から上着を取ると、ミドリに着せた。
「今日はカレーよ。早く帰ってね」
そして母さんはオレの方を向くと、ミドリを頼むわねと言った。
大抵オレが先頭を歩き、ばあちゃんとミドリが二列で後ろについて来ると言う感じだった。しかし今はばあちゃんのいた位置にオレがいる。ミドリを歩道側にして、オレはミドリから見て右斜め前を歩いている。
ばあちゃんだったらすぐ横にいてたまに話しかけたりするが、オレはそういうのは苦手だ。黙って歩いた。ミドリの方もあちらこちらと周りを見ているので、オレはミドリが転んだり川に落ちたりしないよう、監督役をすることにした。
いつものコースを歩きながら、オレはあることに気付いた。
ミドリはしきりに道の端を見ている。何か落ちているのかと思ってオレもそちらに目を向けるが、ゴミくらいしか落ちていない。寒い時期だから花もない。もしかして、ばあちゃんの真似だろうか?ばあちゃんは散歩の時道に咲いている花を指差しては、名前を言って色々説明していた。
ミドリの方は何を言うでもなく、時々上や下を見ながら歩き続けた。
折り返し地点の、家が多く並ぶ通りに出た。家の一軒からおばさんが一人出てきた。手に袋を一つ抱えている。中身がうっすらすけて見えるが、内容まではわからない。近くによると、おばさんの顔と袋の中身が見えた。袋にはフタつきの容器が二個だ。
ミドリはこんにちはとあいさつした。おばさんはあいさつを返すと、袋をミドリに差し出した。
「漬物なの。前にもって行った時、おいしいって…言ってたから」
それでオレは思い出した。以前父さん母さんが旅行に出た時、近所のおばさん達が色々と食べ物を持って来てくれた。そのおばさん達の一人だ。確かばあちゃんが「この漬物はうまいね」って言ってたな。なるほど、それでか。きっとおばさんはミドリが来るのを待ってたんだろう。
ミドリはおばさんをじっと見ながら袋を受け取った。受け取っても視線を外さず、そのまま言った。
「お花はどうやってもう一度咲くの?」
「えっ?」
おばさんは裏返ったような声で言った。自分の声に驚いて口に手をやる。気を取りなおして言った。
「あの、どういうこと?もう一度って?」
「お花は枯れてもまた咲くでしょ。どうしてまた咲くの?」
おばさんはミドリの態度に戸惑っている。オレにもよく解らん。オレとミドリが似ているなんて、気のせいだったのかもしれない。
おばさんはそれでも、ミドリの真剣な態度を見て取り、考え考え答えた。
「えーっと…新しい種が飛んできて咲くんじゃないかしら…」
「桜とかは?種は関係ないよね」
「う…それは…木自身が栄養をとって自分で咲かせるのかしら…」
「栄養って?」
「お水と…太陽の光かな…?」
「あ、そっか。お水をたくさんあげればいいのか」
ミドリは、おばさんのしどろもどろのセリフから、何かを得たようだ。オレにもおばさんにも結局訳がわからないが、ミドリは気が済んだらしく、漬物のお礼を言って家に戻った。振りかえると、おばさんはあっけにとられた様にミドリの後姿を見ていた。
次の日も、ミドリはちゃんと保育園に行った。オレと母さんは家の前まで出て、ミドリがバスに乗っていくのを見送った。
「ミドリ…大丈夫かしらね…」
ポツリと母さんが呟いた。独り言だと思いオレは特に反応を返さなかった。が、母さんはそうではなかったらしい。横にいるオレの方へ問いかけてきた。
「ヨータわかる?ミドリ、何か変わった事ない?」
しかしオレが答えるより先に、ヨータに言ってもしょうがないか、と言ってため息をついた。失礼な。とはいえ今回ばかりはその通りなので黙っていた。
昨日と同じ位の時間にミドリが帰って来た。やはり今日も散歩へ行く気のミドリは、せっせと着替えをしている。母さんは二階に洗濯物を取り込みに行った。ミドリは母さんが階段を上がっていくのを確認すると、脱いだ服をほおって、珍しく慌てた様子で自分の鞄を開けた。何か白い紙に包んであるものを取り出す。何だか甘いにおいがする。
ミドリはそれをそのまま防寒用上着のポケットに突っ込んだ。案外大雑把だな…。意外な一面を見た。ミドリは更に、鞄のチャックを乱暴に閉めると、床にほおってあった園服をハンガーに掛けた。背が少し届かず背伸びしたので、服は肩がずれた形で引っかかった。ミドリは直さなかった。小走りで階段まで行くと、上に向かって「いってきます」と言った。
そしてくるりと後ろを振り向くと、また小走りでオレの前を通り過ぎ、玄関へ行った。
おいおい、何だ?昨日といい今日といい、なんかおかしいぞ?オレはミドリの後を追った。
ミドリは急ぎ足で外へ出ると、いつもの散歩コースと反対方向へ歩き出した。
おいおいおいー。どこに行く気なんだ。いつもはオレが先にたっているのに、今日はミドリに付いて行くかたちになっている。オレは大いに戸惑った。監督役としては止めるべきなのか?
そんなオレの考えがわかったはずはないが、タイミングよくミドリが止まって後ろを振り向いた。その目にはいつにない光が見えたような気がした。ミドリはいつも、どこか遠くを見ているような目をする。真っ直ぐには見ているが、目の前のものを通りこした遠い何かを見ているような。でも今は、何かを伝えているような感じだ。その中まではわからないが…。
『まだ少し目覚めていないのかも』
急に以前母さんが話していたことを思い出した。オレは、今日だけはミドリの後ろを守る事に決めた。
ミドリの足取りに迷いはなかった。どこに向っているんだろう。この道はミドリにはなじみのない場所のはずだ。保育園に行く道でも、母さんとよく行く店への道でもない。けれどミドリにはわかっているようなのだ。
夕暮れの道をオレとミドリは進む。周りは畑で少し遠くにぽつぽつと家が見える。車や人の通りはなかった。まずいな。やっぱり止めれば良かったか。暗くなったら帰りの道がわかりにくくなってしまう。そう考えて悩むオレを引きつれ、ミドリはずんずん進み、角を曲がった。すると遠くに石の階段が見えた。オレはそこでやっと気付いた。ミドリがどこへ行こうとしているのかを。
ミドリとオレは二十段くらいの階段を結構苦労して昇ると、頂上へ着いた。目の前には石で作られた長い柱のような物がいくつも秩序よく建てられている。その左わきには花、右には木製の長く薄い板が、更に小さな石の柱に立てかけられていた。
そこで初めてミドリは歩みを止めた。石の柱の数々をミドリは首を回して見渡した。オレはミドリのわきを通り、石の柱たちを両側に挟む様にある道を、奥へ進む。ある一つの石柱の前で止まった。独特の煙たい香りが鼻を刺激した。ミドリはオレの後からそこへ着いた。
オレもミドリもここに来た事がある。その時は父さん母さんが一緒だった。その時生けた花はまだしおれずに残っていた。
ミドリはその花を確認すると、石の前にしゃがみ、上着のポケットから包みを取り出した。石柱の前にある少し突き出た所に、包みを開いて置いた。それはやっぱり菓子だった。柔らかい物だったらしく、形が歪んでいた。ミドリが五口で食べられる位の大きさだ。幼稚園鞄に入っていたのを考えると、自分のおやつを持って来たんだろうか。
ミドリは下紙のしわを伸ばして形を多少整えると、両手を合わせた。
オレはミドリの背中を見ていた。
しばらくそうしていたミドリは、突然勢いよく立ち上がった。そして階段の方へ歩き出した。帰るのか、ヤレヤレとオレは思い後に続いたら、今度は階段を通り越して反対側へ向かった。そちらには家がある。うちよりは古臭く見える家だ。
ミドリが取っ手付きのバケツを持ち上げるのを見ながらオレは考える。オレがミドリがばあちゃんに会うためにここに来たのかと思った。ばあちゃんがいなくなったのをやっぱり信じられなくて、何かの間違いだったのを期待して。でも、ミドリの態度を見ているとそれは違う気がするのだ。
ばあちゃんが下敷きになっているはずの(と言うと何かおかしいが・・・)石の柱をみても、変化はなかった。ただ何かをしなければと言う使命感が見えた。
「どうしたの?一人?」
思いにふけっていたオレの耳へ、急に高めの声が入って来た。一瞬肩が震えた。
重そうに取っ手付きバケツを持ち上げたミドリの後ろに、声の主はいた。髪が波のようにうねっている女性だ。母さんよりはだいぶ年下だが、アオイよりは上だろう。
オレは急いでミドリの元へかけた。女性はミドリを見てあ、という風に口を開いていた。そのままオレの方も同じ顔で見た。
「君達・・・前にも来てたわね。今日はお父さんお母さんは?一緒じゃないの?」
ミドリは頷いた。オレは女性の顔をじっくり見た。そういえば前にもいた。この家の娘なんだろう。
女性はミドリの手からバケツを取ると、言った。
「重いでしょう。私が持ってくわ。どこ?」
ミドリは再びばあちゃんが下敷きになっている石柱の前に来た。バケツから木の棒のようなもので水を汲む。それを左右にある小さめの石柱、そして中央の石柱にかけた。ミドリは中央の石柱のてっぺんから水をかけたので、当然ながら下にあった菓子にかかった。
「お菓子を供える前に水をかければよかったわね」
女性は今気付きましたというように、何気なく言った。だがミドリは気にする風もなく、ありったけの水をかけた。木の棒で取り切れない分は、直接バケツをひっくり返して石柱の周りにまいた。父さん母さんもそうしていたが何の意味があるんだろう。しかもミドリは水をかけ過ぎだ。
「おしまい?」
バケツに棒を置いたミドリに、女性は聞いた。ミドリは首を横に振り、石柱の前にしゃがんで再び手を合わせた。横からオレが顔をのぞき込むと、ミドリは固く目を閉じていた。女性もミドリの後ろで立ったまま手を合わせていた。瞳を静かに閉じて。風が吹きぬける音がした。
三秒後、女性が目を開け、二秒送れてミドリが目を開けた。
「何をそんなに祈っていたの?」
女性がミドリの背中に向けて言った。ミドリは石柱の方を向いたまま答えた。
「おばあちゃんが、また元気に生まれてきますようにって」
「・・・え?」
意外な事を聞いた、という風に呟いた。ミドリは振り向きながら立ち上がった。微笑んでいた。が、その表情もすぐに戻り、また元のように無口になった。
女性はミドリがまた何か言うのを待っていたようだが、ミドリに反応がないのを悟って自分から切り出した。
「生まれ変わりのことを言っているの」
ミドリは首をかしげた。女性は重ねて言った。
「生まれ変わり…あなたのおばあちゃんが別の人としてまた生まれてくる事」
ミドリが女性をじいっと見つめた。三秒後、ミドリは言った。
「おばあちゃんは、おばあちゃんだよ・・・。だって花は枯れてもまた同じ花が咲くよ」
女性はそれを聞くと、中腰になって生けてある花を指差した。
「これとこれ。同じ花」
大きさ、茎の長さなど違うが、同じ種類の花のようだ。香りもほぼ同じ。
「でも見て。大きさが違うでしょう。花の数も、茎の伸び方も。同じじゃない」
ミドリは指先で葉や花びらを触った。女性は続ける。
「君と同じ五歳の男の子でも皆違う。同じ人は一人もいないの。枯れた花も、その次に咲く物は違うものなのよ」
その時、オレは昨日ミドリが言っていた事を思い出した。花はどうやってもう一度咲くのかとか何とか話し始めたんだ。あの時はいきなり何を言ってるのかと思ったが、・・・そうか。花のように、またばあちゃんが同じ人として家に戻ると思ってるのか・・・。ばあちゃんが眠るここに来て、水をかけ過ぎなほど使ったのは、“花に対する水”と同じ意味だったんだな。
オレはミドリをじっと見た。オレには何ができるでもない。ここにいるだけだ。それでもオレは監督として見続ける義務がある。あるはずだ。
ミドリは花を見たままだった。瞳がかすかに揺れている。そのまま言った。
「じゃあ、おばあちゃんはもうどこにもいないんだね」
泣き出す寸前のような顔、けれど涙はない。ミドリは泣かないのではなくて、泣けないんじゃないか?
女性はミドリの様子を悲しそうに見ていた。そして言い聞かせる様にミドリに話しかけた。
「でも消えてしまうわけじゃないの。君は覚えているでしょう?君のお父さんやお母さんも」
ミドリは黙って頷いた。
「それに、おばあちゃんからお母さんが生まれて、お母さんから君が生まれた。ね、もしおばあちゃんがいなければ、君はいないんだよ。君がいなければずっと先の君の子供もいない。繋がってるのよ」
ミドリは少し呆けたような顔をして女性の話を聞いていた。女性は誰に言うともなく、ちょっと難しすぎたかしらと呟いた。
オレはそうは思わない。ミドリには女性の言う事がわかったはずだ。ミドリの目が、目の光が違った。どこがどうとは説明できないが、光が強くなったように見える。ふいに女性が微笑んだ。もしかしたら女性にもミドリの変化がわかったのかもしれない。
女性は水でぐしょぐしょになった菓子を紙で包むと、手に持った。もう片方にはバケツと、その中に入った棒を持つ。女性はミドリに、帰ろうかと呟いた。
帰りは女性も一緒だった。予想通り暗くなっていたので、正直言ってオレ一人ではわからなかった。助かった。
家ではアオイがまず出てきて「アンタらがつるむとろくなことをしない」と文句を言ったが、女性の姿を見ると急にしおらしく礼を言った。今更取り繕っても遅いぞアオイ。その後すぐに父さん母さんが出てきてしきりにおじぎをしていた。
アオイがミドリとオレに小声で毒づいている間に、隣で父さん母さんと女性が話しをしている。母さんは驚いた様子で目を開き、益々おじぎを深くした。女性は静かに微笑んで首を振っていた。
女性を見送ると、母さんはアオイと位置を交換した。ミドリは母さんの小言を聞きながら、今まで見た事のない悲しげな顔をした。母さんの小言が止まる。ミドリは母さんに両腕を使って抱きついた。顔は下向けて、頭を押しつけるようにしている。母さんはひどく驚いた顔をしたけれどすぐに悲しげに笑って、ミドリの背に手を回した。頭をなでる。
父さんとアオイは二人を静かに見ていた。ミドリは何の声も立てず、ただじっとしている。
ミドリと母さんを見ながらオレは確信した。
ミドリの目覚めはもうすぐであることを。