春
最近オレは調子が悪い。どうも動くのが面倒に思える。すぐ疲れるしな。まあ、こう暑さ寒さの差が激しいと無理もない。毎年この時季はこんなもんだ。が、今年はいつもより悪い気がする。
それとは反対にミドリは徐々に元気になっていた。あくまで徐々にだ。急におしゃべりになったり、喜怒哀楽が激しくなったりしない。それでもミドリが何か楽しそうなのは見て取れた。今も帽子をかぶって背中に鞄をしょって(鞄が大きくてどちらが背負ってるんだか、という雰囲気だが)学校から帰って来た。
少し前からミドリは学校に行っているのだ。
アオイはミドリが学校へ行くことを心配していたが、今のミドリを見れば心配は無用という所だ。ミドリは楽しくもないのに笑えるような技術は持ち合わせていないのだ。
家に入ったミドリは、昔園服や鞄がかかっていた場所に帽子と背中の鞄をかけると、鞄から本をだして見始めた。
オレはソファーに寝ながらミドリを眺めた。学校に行ってからは毎度こんな調子で、恒例の散歩も時々になった。オレはオレで勝手に出歩くから別に構わない。ただ、ばあちゃんがいなくなり、散歩がなくなり、ミドリも学校に行って…その変化が何だか不思議だ。オレが調子悪いのもちょっとは関係あるのかもしれないな。ちょっとな。
オレは何気なく外を見た。相変わらずすっきりしない天気だ。悪い訳ではないが、風は強いし、風景も今いちぼうっとかすんでいる。今日はこのまま寝ていることにした。
そんな調子で日は過ぎて行く。オレはだるくて家にいることが多くなった。となると家の様子がよくわかるのだが、やっぱりと言うか何というか、ミドリに友人がいる気配がない。特にアオイは毎日のように遅くまで仲間と何やらやっているようで、ミドリとは対照的だ。だからといってミドリはつまらなそうでなく、むしろ本を見たり何やら書いて面白がっているようだ。それはそれでいいとは思うが…
「ミドリさあ、誰かと遊びに行かないの?」
珍しく早く帰ったアオイが言った。ミドリは本から顔を上げて言った。
「誰かって?」
アオイは考えるような表情をすると言った。
「同じクラスの人とか」
「先生の所にはたまに遊びに行く」
「そうじゃなくてさ」
ミドリの言う先生はミドリの組の久頼先生のことだ。この人は以前ばあちゃんの墓参りで出会った女性なのだ。自分が先生と言う事もあって、生徒と同じ年くらいのミドリが気になっていたのだと言う。担任になったのは偶然だが、そうでなくてもミドリと女性は関わることになっただろう。
「じゃーさ、隣とか近くの席の子はどんな子?どんな話する?」
ミドリはアオイをじいっと見た。アオイは居心地悪そうにしているが、これはアオイを見ているのではなくて考えているのだ。最近良く観察しているせいか、わかるようになってきたぞオレは。
ミドリは言った。
「左隣はマリカちゃん、右隣はキョウカちゃん、前がショウ君で、後ろがミナト…」
「ミナトって名前なの?変わってんね。その子とよく話すの?」
アオイは興味がある様子で楽しげに聞いた。が、ミドリは首を振った。
「僕はあんまり好きじゃない」
珍しい。ミドリが他人に対して好きだとか嫌いだとか言うのを、オレは初めて聞いた。それはアオイも同じだったのだろう、意外そうに重ねて言った。
「へえー、アンタも嫌いな子いるんだ。でもなんで?」
「こわいから」
何!まさか殴られたりしてるのかっ?
だらけてた体をオレは起こした。だがそういうことではなかった。同じ年だが、ミドリよりだいぶ背が高くて、目がいつも睨んでいるようなのだと言う。
「他の子もそう言ってる」
付け加えるようにミドリが言った。アオイはそんなミドリの様子が面白いようだ。ちと下品にニヤニヤ笑っている。
「ほんとー?ミドリが怖がってるだけじゃない?」
ミドリは真顔で首を横に振った。アオイは落胆したように言った。
「なーんだ、そうか。本当はいいやつで、ミドリと仲良くなればいいのにねー」
ミドリは不思議そうに首をかしげた。アオイの方も不思議そうに、何その反応、と言った。
「僕とミナト君が仲良くなるとなんでいいの?」
「あんたのそういうとこが直るんじゃないかと思ったの」
ミドリの問いに、半ば諦めた様にアオイが言った。ミドリは益々わからなくなったようだが口には出さなかった。ミドリも姉ちゃんの性格がわかっているのだろう。アオイなら、このまま話が進むと怒りだしそうだ。
アオイは母さんに呼ばれて台所へ去った。ミドリは手元の開いた本を手に取ったが、読まずに閉じて外をしばらく見ていた。
そんな調子で数日が過ぎた。オレは今だにだるくて気分が沈んでいたが、今度はミドリもさえなかった。
「遠足で、ミナト君と一緒の班になったの」
夕飯の席で、ミドリが急にきり出した。自分から話始めると言う事はよっぽど何かあるんだろう。その割には普通と同じ顔や口調なのがミドリらしい。
その話題にまっ先に反応したのはもちろんアオイだ。父さん母さんは「ミナト君って誰?」と言っているくらいだからな。
「だいたい席が近い子と一緒になるもんね。でも顔が怖いだけで乱暴なわけじゃないんでしょ?」
茶碗を持ったままアオイは横を向いてミドリに言った。せめて茶碗は置けよ。せっかちな。と思っていたら、案の定母さんが釘を差した。
「アオイちゃん、茶碗は置いた方がいいわよ。で、誰なのミナト君って」
母さんはアオイほどではないが興味深い様子でミドリに話しかけた。ミドリはアオイに話した内容をほぼそっくりに母さんに話した。オレはミドリの記憶力に驚いたが、この際そんなことはどうでもいい。
ミドリの話を受けて母さんが言った。
「じゃあ、見た目が少し怖いってだけなのね?誰かを叩いたりってことはないのよね」
ミドリは頷いたがその後付け加えた。
「でも、大きい声出すの」
「そりゃあんたの声が小さいのよ」
アオイがすかさず言った。そして母さんにたしなめられた。その後、今度は父さんが話に加わる。
「大きい声で何て言うんだ?誰かを驚かせる?」
今度はミドリの首が横に振られた。
「普通に名前呼んだり返事するだけ」
「何それ。じゃやっぱりミドリが勝手に怖がってるだけじゃん」
アオイが言うと、ミドリは俯いた。父さん母さんも顔を見合わせる。オレも拍子抜けした。もし変な奴だったらオレが見に行ってやろうと思っていたんだが。
父さんは困った様に笑ってミドリに話しかけた。
「多分ミドリは今まで会った事ないような子だから怖がってるんだと僕は思うよ。だからもっとよくわかれば大丈夫になるんじゃないかな」
「そうかもしれないわねー。なら今回はいい機会よ。遠足で観察日記でもつけてみたら?」
「お母さん前にも似たような事言ったよね」
母さんとアオイのやり取りに、ミドリが微笑した。ヤレヤレ。オレは今回出番なしかな。
遠足の当日になった。天気はなかなか良好。この分だと昼間はだいぶ暑くなりそうだ。
母さんはミドリに帽子と水筒、弁当入りのリュックを持たせた。水筒は普通よりは小さいが、小柄なミドリには大きく見えた。しかし水分は重要だ特に今日は。
見送りは、オレ、母さん、父さんの三人だ。アオイは学校へ早く行く用事があって先に出た。前日の夜に「ミナト君観察日記後で見せてね」とミドリに言いながら笑っていた。何がそんなに面白いんだか知らないが、ミドリよりアオイの方が楽しそうだ。ミドリはそれほど楽しみにしてる様子がなかった。つまらなそうでもないんだが、何となくミドリの考えがわかってきたオレには、少々緊張しているように見える。
「じゃあミドリ。いってらっしゃい。気を付けてね」
「楽しんでこいよ!」
母さんと父さんが言った。ミドリは何も言わずに手を振って他数人と出て行った。年齢はさまざまだが、皆同じ学校のようだ。ミドリと同じ年くらいの子もいた。
オレはどうも嫌な予感がした。ついて行こうかと思ったくらいだ。しかし甘やかしちゃいかんな。先生もいるし、一人って訳じゃないから大丈夫だろう。
オレの隣で父さん母さんもちょっと心配そうにしていた。
「何だか心配よね…。最近のミドリ、以前より表情が良くなってて嬉しかったんだけど…」
「そうだなあ。話もよくするようになって。母さんの時はどうなるかと思っていたけど…逆にいい方向へ行ったみたいだ」
そこで母さんは安心した様に微笑んだ。
「そうよね。お母さんも守ってくれるわよね。うん」
いいながら母さんは自分の言葉に確信を持ったらしく、何度も頷いた。
「そうよ。むしろいい機会よ。ここでミドリにも仲良しの子ができるかもしれないわね」
「そうそう。僕らはミドリの土産話を楽しみに待っていよう」
二人はいつもののんきな雰囲気に戻っていた。うーん、単純。さすが父さん母さんだ。そして二人は、時計を見て思った以上に時がたっているのに気付き、急いで仕事に行く支度を始めた。オレには特になにもないのでソファーで二人を見ていたが、母さんに「あんたはのんきでいいわね、ヨータ」と嫌味を言われた。母さんにそんなこと言われるなんて…ショックだ。母さん父さんほどのんきな人達はそうそういないと思うぞ。
オレは父さん母さんを見送ると外へ出た。何となくミドリが行くはずの場所へ目を向けた。距離は近いがかなり深い山だ。ミドリくらいの年齢ならほんの入り口を歩くだけだろう。それでもオレは何だか気分がさえなかった。暑さにやられたかなあ…。
オレの予感は的中した。
「そんなに遠くには行けないはずです。ミドリ君は焦って走りまわったりするタイプではないですし」
久頼先生が母さんに向けて言った。母さんは頷いたが、やはり不安げな表情は変わらない。
オレ達は山の入り口にいる。周りにはミドリと同じ年くらいの、似たような格好をした子供達。それから、迎えにきたらしい親達。子供達の中にはオレをじろじろ見る奴もいた。ええい、散れッ!別にオレはミドリの親でもなんでもないが、そんなことはどうでもいいだろうっ。なにせ監督役だからな。
久頼先生は不安げな顔を見せずにしっかりした声で説明した。オレは感心した。なかなか立派だよ。
「行きは良かったんですが帰りにはぐれてしまって、班ごとに固まって、班と班の間もそんなに空いてなかったんですが、ミドリ君達の班は最後尾でした」
もちろん先生は久頼先生だけじゃなかった。一クラス四班で、先頭に久頼先生、一番後ろにもう一人先生がついていた。後ろにいた先生は、ミドリ達がいるのを確認していた。その時ミドリがトイレに行くと言って離れたのだと言う。先生はついていかず待っていた。
「でもなかなか帰ってこないので、ミドリ君が行った。木のかげに見に行ったんです」
すると、ミドリの姿がなかったと言うのだ。慌ててその付近を見渡したが、見当たらなかったそうだ。
「ミドリ君が入れそうな穴もありませんでした…」
先生は俯いた。久頼先生より三つ四つ若そうな女の先生だった。しっかりした態度をとっている久頼先生に比べ、この女性はもろに反省の色を見せていた。反省は必要だが、落ち込んでる暇があったらとっととミドリを探せと言いたい。
久頼先生がもう一人の先生に言った。
「ヒロセ先生、私はもう一度ミドリ君を探してきます。ヒロセ先生は他の生徒達を親と一緒に帰してください」
「私も行きます。そもそも私が目を離したのが悪いんですから」
ヒロセ先生は答えたが、久頼先生は頷かなかった。
「どちらかは残っていませんと。私の方が土地鑑はあると思いますよ」
ヒロセ先生は少し不安げにだがわかりましたと頷いた。こう見ているとどうやら久頼先生の方がだいぶ先輩みたいだなあ。年はあんまり違うとは思えんが。
ヒロセ先生は、他のクラスの先生と一緒に親へ説明しているようだ。オレはと言うともう久頼先生と一緒に行く気マンマンで待機していた。そこへ、男の子が一人やってきた。
「先生。おれも行く」
低い声がボソッと言った。
オレはこれが例のミナトだとわかった。ミドリの言うように、周りの子と比べて飛び抜けて背が高い。表情も確かに怒っているような感じだ。おまけに声も子供らしくない低い声である。こりゃ、ミドリが怖がるのもわかるな。
「ミナト君?お母さんは?」
久頼先生が尋ねた。ミナトは首を振った。
「一人で帰るから別にいい。おれも行く」
きっぱりとミナトは言った。お?何かなかなか良さそうな子ではないか?
「ミナト君、大丈夫よ。そんなに広い所じゃないもの、私達がすぐに見つけるわよ」
久頼先生が言ったが、奴は引き下がらない。
「オレ班長なのにちゃんと見てなかったから」
何ィ?そうだったんかい!オレは驚いた。ミドリはそんなこと話してなかったからな。じゃ、何か?ミドリがはぐれたのはこいつが原因か?
「ミナト君は何も悪いことしてないじゃない。大丈夫だってば」
なだめるように久頼先生は言った。しかし奴は首を振った。
「おれがリスを見たって騒いだんだ。そうしたら珍しくミドリは興味を持ってた。きっとそのリスを探しに行ったんだ」
はあん、なるほど。そういうことか。確かに可能性はある。普段はおとなしく見えるが、何か興味あるものを発見すると行動に起こすのが早い。しかも周りには予告をしない。黙って行動にうつす。
しかしなあ…家の近所ならともかくこんな山の、しかも学校行事でそんなことするとは思えない。時と場合はわきまえられる子なのだ。
久頼先生は不思議そうに言った。
「そう?ミドリ君が黙ってそんなことするとは思えないけど」
先生もオレと同意見らしい。そこで久頼先生は言葉を切って改めてミナトをみつめた。ミナトも見返したので、ちょっとの間見つめ合う形になった。
久頼先生はふいに笑った。雰囲気が緩んだ。
「わかった。一緒に行きましょう。ただしミナト君まではぐれないで。それが守れないなら連れていかない」
後半は真顔に戻って先生は言った。ミナトはちょっと緊張気味に、大きく頷いた。先生はミナトの背を軽く叩いてから、他の先生と母さんの所へ行った。
母さんはオレを手で示しながら何事かを話し、頭を下げた。先生もオレを見てから頷いた。オレはミナトの斜め横で二人を見ていた。
先生は小走りでこちらまで戻ってくると、ミナトを促して歩き出した。そのとたん、ミナトが言った。
「先生。もしかしてコイツも行くの?」
ミナトがオレを指差して言った。オレは何となく腹が立った。その指に噛み付いてやろうかと思ったほどだ。
「そう、この子も一緒。その方が早く見つかりそうでしょ?」
先生が答えた。先生の言葉に免じてオレはミナトに対する怒りを抑えた。ミナトはそれ以降何も言わず、オレと先生とミナトで山へ入って行った。
オレは先頭で周りを探りながらゆっくりと歩いた。が
「ちょっと・・・待って・・・そっちにいるの?」
久頼先生の声が切れ切れに聞こえる。振り返ると先生とミナトがだいぶ離れていた。ギリギリ表情がわかる程度の距離だ。先生は苦しそうだがミナトはそれほどでもない。しかし小走りだったので、疲れるのは時間の問題だ。オレは立ち止まった。
追いつき早々ミナトが言った。
「はぐれるなって先生が言ってただろ!お前が迷子になっても探してやらないからな」
おまえが偉そうに言うなよとオレは思った。いつもなら何か言いそうな久頼先生は、俯いて息を整えていた。まあオレも確信があって進んでるわけじゃないので早さは落としてもいい。だがミドリのことを考えるとそうそうゆっくりしていられない。どこかで倒れてるかもしれないしな。
「ごめん・・・私の方がへばっちゃって。急がないとね。ミドリ君・・・心細いかもしれないし」
心細い・・・うーん、どうだろう。ミドリは案外根性があるからな。それほどでもないと思うが。しかし怪我がないともいえないから、急ぐにこした事はない。
ミナトの方は先生を見て何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わずに歩を進め始めた。速度を落としたオレを先頭に三人で黙って歩く。十分ほどしてミナトが、確かこの辺だったと言った。
「そう?とりあえずこの近くを見てみよう。ミナト君気をつけて。穴か何かあるのかもしれないし」
オレ達は道から外れた草の中へ入り、がさがさ探り始めた。途中木のかげでミナトが、使用済みのティッシュを見つけた。ミドリがここで用をたしたのは本当らしい。
「リスを探しに行ったんじゃなかったわね」
先生がミナトに語りかけた。ミナトはそれには答えなかった。黙って草の中を歩きまわった。
オレはミドリの跡を探っていた。そして、見つけた。蛇行しながら進んでいる。この分なら、ミドリの足なら、まだ遠くには行ってないはず。
オレは走り出した。
「え?ちょっと何?」
久頼先生の声が耳に届いたが、後ろは振り返らない。ミドリを確認したらまた戻ればいい。大丈夫だ、すぐに追いつく。オレにはわかる。気配がある。無事だ。
しかしオレはこの時、少々気持ちがはやっていたらしい、と後で思う。でなければこんな失態をやらかしたりしない。
走ってミドリの気配がごく近くなったと思ったら、急に足元が低くなった。坂だとわかった時はもう遅い。滑り落ちたオレはどこかを打って意識を失った。
目を開けると、世界がとても明るく見えた。
何本も並んでいる木の濃い茶。
そのてっぺんに茂る葉の緑。
葉の隙間からこぼれる白い光。
木と木の間から見える空の青。
きれいだなと思った。今まで、こんな風だった?今までどういう風に見えていたっけ?
体をゆっくりと起こした。頭がちょっと痛い。突いている両手の先は短い草がびっしりと生えている。ちくちくして痛い。
自分の左手方向に、何か白っぽい塊があるのが見えた。
「ヨータ!」
思わず声が出た。自分でもびっくりするくらいの声だった。
僕はヨータに近付いた。いつもはまん丸に開いている目が、今は閉じている。寝てるだけならいいんだけど・・・。
僕は白い毛並みに触った。お腹の辺りが動いているのを見てほっとする。でも目を閉じたままだ。
「ヨータ、大丈夫?ヨータってば」
ぼくは声を掛けながらふかふかの体を揺すった。それでも起きないのでいつも嫌がるしっぽに触った。
「おかしいなあ・・・」
犬は耳がよく聞こえるって本で読んだ。ぼくの声も聞こえてると思うんだけど・・・。
ぼくは立ち上がって周りを見た。すぐ横に坂がある。そり滑りにちょうど良さそうな短い坂。ぼく、ここで滑っちゃったんだ・・・。
坂の上を見た。誰かいないかな。
「おーい」
自分でも小さい声だなって思った。これじゃ聞こえないよね・・・。ぼくはがんばって大きな声を出すようにした。これはうまくいったみたい。でも返事は返ってこなかった。
ぼくはちょっと泣きたくなった。そうしたら本当に目の所が熱くなって涙が出てきた。
「あれ?あれ?」
何か変だ。そんなにとっても悲しいことじゃないのに。とっても悲しいことはもっと他にあった。そう思ったらもっと涙が出てきた。ぼくは困って一生懸命手で拭いた。けど間に合わない。
「ど、どうしよ」
そう言ったぼくの声が変な風に揺れているのがわかった。そうしたらもっと涙が出てきた。もうぼくはどうでもよくなって、その場にまたしゃがんで声を出して泣いた。
どの位時間がたったのか解らないけど、頭の上から声が聞こえた。ぼくの名前を呼んでる。
「みどり?」
みなと君だ!ぼくはびっくりしてぱっと顔を上げた。坂の上のみなと君と目が合った。みなと君もびっくりしたような顔をして言った。
「おまえ、泣いてんの!」
ぼくの顔が急に熱くなった。触ったわけじゃないけどそんな感じがした。そして次に、みなと君に向かって大きな声を出したい気分になった。でもその前にみなと君が言った。
「大丈夫か?怪我してんの?犬も!」
そう言われてヨータのことを思い出した。僕はなるべく大きな声で言った。
「ぼくは大丈夫!でもヨータが起きないの!」
ちょっと鼻声になったけど、気にしていられない。早く帰らないと皆心配するよね。
ぼくの声を聞いたみなと君は、またびっくりしたような顔をした。そんなに大きい声だったかな。
ミナト君が言った。
「みどり・・・だよな?いちかわみどり」
「・・・そうだよ」
何を言ってるんだろう、この人。ぼくはぼくだ。見てわからないのかな?まさか寝て起きたら別人だなんてあるわけないのに。
みなと君はそれ以上変な事は言わなかった。かわりに、ぼくに上がれるかどうか聞いた。ぼくは登ってみた。足を引っ掛ける所がなくてなかなか上がれない。がんばれば行けそうだけどヨータが一緒じゃ無理だ。登るのを諦めて、ぼくはみなと君にそう言った。
みなと君は黙ってぼくの方を見てた。でも本当は別の事考えていたんだと思う。目がどこ見てんだかわかんないよ。変な子。
ぼくはみなと君に声を掛けた。
「誰かいないの?先生は?」
みなと君はぼくの言葉でやっと目が覚めたみたいに目をパッチリ開けた。
「そうだっ!先生!ここだよう」
みなと君は勢いよくぼくに背を向けて、声を張り上げた。でも返事がなかった。
「近くにいるんじゃないの?」
ぼくが聞くとみなと君は背を向けたまま、さっきまで一緒だったのに、と呟いた。独り言みたいだ。
ぼくは続けた。
「呼んで来てよ。ヨータをお医者さんにみせなきゃ」
ぼくはヨータをちらちら見ながら言った。今は寝ているように見えるけど、本当はどうかわからない。頭打ってるかもしれないよ。
でもみなと君は背中を見せたまんま答えない。ぼくはちょっと腹が立ってきた。
「ねえ早く!みなと君てば!」
何だかキツイ声になっちゃった。でもヨータが心配なんだもん。みなと君だってぼくを探すために来てくれたんだろうし・・・あれ?何でみなと君が来るのかな、そういえば。あとヨータも。
そんなことを考えているうちに、みなと君の姿が消えていた。探しに行ったのかな?
ぼくが待っていると、すぐにまたみなと君が現れた。しゃがんで手を突き、こちらをのぞきこんでいる。困ったような顔してる。いつも怖い顔してるから、何だか別の人みたいに見えた。
みなと君が言った。
「どうしよう。はぐれちゃった。道わからないよ・・・」
いつもと違う小さな声に、ぼくはなんだかよくわからないけど腹がたってしまった。
「いつも大きい声出してる癖に、こんな時ばっかり情けない声出さないでよ!もっと呼んでみればいいじゃない!」
ぼくは言った。みなと君の肩がびっくりしたように動くのが見えた。今だけみなと君とぼくが入れ替わったみたいだ。ぼくも自分でびっくり。たぶん、ヨータが寝てるから、ぼくががんばらないとって思ってるのかな。自分の事なのによくわからない。今は体がうきうきしてるような・・・どきどきしてるような、不思議な感じ・・・。
ぼくはまたみなと君が何か言うより先に、坂を登り始めた。やっぱりヨータと一緒じゃ登れないや。誰か大人の人がいなくちゃ。
ぼくが登りきると、みなと君が声を掛けてきた。
「登っちゃって大丈夫なのか・・・?」
何だか・・・みなと君の方がぼくを怖がっているみたいだ。ぼくは少し笑ってしまった。
「ぼくだけじゃ、ヨータと一緒に登れないもん。それならこっちで早く先生を探した方がいいよね?」
そう言ったら、みなと君もちょっと笑った。なーんだ、あんまり怖くないんだ。お姉ちゃんの言う通り、ぼくが怖がってただけかも。
それからぼくとみなと君は、一生懸命声を出した。みなと君はいつもの大きい声に戻ってた。二人でそんなことをやってるうちに、だんだん“どっちが大きい声を出せるか”っていう競争になってきた。どちらかが言い出したわけじゃないんだけど、ぼくが声を出すとみなと君がもっと大きな声を出してきて、ぼくも負けまいとがんばって。
やっと先生達が来る頃には、ぼくらはとっても疲れていた。
「どうしたの?大丈夫?」
久頼先生が心配してぼくらの所に走って来た。大丈夫とぼくは言ったけど、声がおかしかったからもっと心配させちゃったかも。でも代わりにみなと君が、
「先生!おれ達は大丈夫だよ!犬が下に落ちたまんまなんだ」
と言ってくれた。
みなと君の声、おかしくなってない・・・。何か悔しいなあ・・・。
久頼先生はそれを聞いて、一緒にいた男の先生を呼んだ。男の先生はうまく坂を降りて、ヨータを連れて上がってきた。
大人の人がやると早いなー。僕は普通に登るだけでも大変だった。
ぼくは先生が連れてきたヨータの傍に寄った。もう目が開いている。だったら自分で上がってくれば良かったのに。
「この犬、足怪我してますね。自分では歩きづらいようですよ」
先生が、ヨータを抱いたまま言った。
えー?そうなの!じゃあ早く戻らなくちゃ!
ぼくは久頼先生を見た。先生はぼくに気付いて背を押しながら笑った。
「良かった。碧君が無事で。港君とこの子がみつけてくれたのよ」
先生が指差した先で、ヨータがこっちを見ていた。
山から出ると、たくさんの人がいて驚いてしまった。同じクラスの子、違うクラスの子、あと大人の人もいっぱい。その中に、お母さんもいた。
「みどりちゃん!」
嬉しそうにお母さんが駆け寄ってきて、僕を抱きしめてくれた。とってもあったかい気がした。変なの初めてじゃないのに。
母さんが離れると、今度はみなと君が謝ってきた。
「リス?なんのこと?」
ぼくはみなと君が何を謝っているのかよくわからなかった。
「あー、じゃ、いいんだ。それなら。よかったよ、みどりが怪我とかしてなくて」
怪我!そうだヨータを病院に連れてかなくちゃ!ぼくは母さんにそう言った。
「ああ、そうねえ。でも大丈夫よー。何たってヨータだし」
先生の腕できょとんとしているヨータを見て僕は笑った。
「ところで、どうしてこんなに人がいるの?」
周りの人達は帰り始めていた。帰る時に、ぼくの方を見て笑っていく人が多かった。
「みどりのこと心配してここにいたんでしょ」
母さんがそう言ったので、ぼくは驚いた。そして、ぐるーっと周りを見た。
「どうだった?皆と仲良くなれそう?」
お母さんがぼくに聞いて来た。ぼくは笑って頷いた。きっと鏡があったら、本当に嬉しそうに笑っているぼくが見えると思う。
次回で最終回です。




