三年前の穀潰し
馬の蹄が、地盤を通じて先に来た。
石畳ではなかった。北街道から城門手前の砂利を踏む音だった。軽くなかった。鎧の重さと馬体の重さが乗った蹄音だった。まだ北街道の向こう側だったが、足裏が知っていた。一頭ではなかった。数が多かった。騎士団の旗が見えた。城門の外から、旗が動いていた。騎士団の旗だった。金と青。間違えない。
カイは東側拡張区画の杭の前に立っていた。炭筆を握ったまま、動かなかった。
蹄の音が近くなった。
「カイさん」
ヴィルが東側から走ってきた。前髪が乱れていた。帳面を胸に抱えていた。「北街道から来ています。騎士団の旗です。先頭は白馬。紋章から見て団長クラスの馬です」
「何人ですか」
「馬で二十騎以上。荷車が四台。後続に歩兵が続いています。合わせて六十は越えます」
カイは杭の位置を確認した。今日の朝に打った杭だった。東側拡張区画の基線の最初の一本だった。まだ木の匂いがした。
「工事を続けてください」
「続けますか」
「続けます」
ヴィルは帳面を開いた。走り書きで何かを書いた。「迎えの準備は」
「グラン爺が北側城門にいます。城門を開けるよう伝えてください」
「了解しました」ヴィルは走り出した。三歩目で止まった。振り向いた。「カイさん。つまりこういうことですよね——あなたが直接、迎えに出る」
炭筆が手の中にあった。地面に打った杭が、足元にあった。
「行きます」
北側城門の前で、グランが待っていた。
老棟梁は杖を持っていなかった。両手を後ろに組んで、城門の外を見ていた。城門の扉は半分開いていた。移住者の朝の通行のために開けた幅だった。まだ全開ではなかった。
カイが来た。グランは振り向かなかった。
「来たな」
「二十騎以上です」
「聞こえておる」グランは北街道の先を見た。「足音が違う。普通の移住者ではないじゃろ」
北街道の向こうに、白馬が見えた。
三頭並んでいた。先頭の白馬は一頭だった。他の馬より頭半分高かった。馬上の人間は甲冑を着ていた。胸板に騎士団の紋章が入っていた。金と青の紋章だった。
十五歳の冬のことだった。磨き油の匂いが染みついた作業台。金糸の縁が、磨き終わった後の指先に引っかかった。その感触が今日の朝と重なった。
先頭の白馬が橋の手前で止まった。
馬上の人間が橋を見た。再建した橋だった。梁九本、金具固定、板材二重敷きの橋だった。かつて工作員に壊された橋を、カイが設計して造り直した橋だった。馬上の人間は橋の構造を見ていた。一頭が渡ったとき、振動を確かめるように足踏みした。橋はびくとも動かなかった。騎士団長は橋脚の砂岩積みに手を伸ばした。一度だけ、指で押した。動かなかった。手を離した。
先頭の白馬が橋を渡り始めた。
グランが低く言った。「あれが団長か」
「そうです」
「お前を追い出した男か」
カイは何も言わなかった。
白馬が橋を渡り終えた。蹄が橋の板を叩く音が来た。響いた。橋脚を通じて砂岩を伝い、地盤から足裏まで届いた。重さがあった。しっかりした重さだった。この橋はそれだけの重さを支えられるように造ってある。
先頭の白馬が城門の前で止まった。
馬上の人間の顔が、カイの高さから見下ろした。四十代に入ったくらいの顔だった。日焼けしていた。騎士団長の役職にある顔だった。三年前も同じ顔だったが、少し皺が増えていた。口髭がある。銀が混じっていた。
目が合った。
その瞬間、足裏の重心が一瞬だけずれた。砂岩の上に立っているのは分かっていた。動くわけがなかった。それでも、ずれた。炭筆を握った指に、知らず力が入った。
「カイ……か」
声は低かった。確認する声だった。眉が少し動いた。予想していたよりも何かが違った顔だった。
カイは答えなかった。握った炭筆の先が手のひらに食い込んでいた。それだけ力が入っていた。
「ハルムの管理官……ということになるのか」騎士団長は馬から降りた。甲冑の重さを乗せて地面を踏んだ。砂岩の上に重みが来た。足裏がそれを知った。後ろに副官が続いた。「三年前に——追い出した先だ。覚えているか」
「覚えています」
「そうか」騎士団長はカイの顔を見た。まっすぐ見た。目を逸らさなかった。確認していた。何かを計っていた。「大きくなった」
カイは何も言わなかった。
「城を見ていいか」
「どうぞ」
騎士団長は城門をくぐった。
城門を入った先に、石畳の通路があった。第二城壁の内側に続く幅二間の通路だった。荷馬車が二台並んで通れる幅だった。騎士団長はその通路に入って、止まった。
止まって、上を見た。
城壁の天端が両側に立っていた。花崗岩の石積みだった。目地が締まっていた。高さ三間の壁が両側から通路を挟んでいた。空が細くなっていた。
騎士団長は少しの間、上を見ていた。
副官が隣で帳面を開こうとした。騎士団長が手で制した。副官は帳面を閉じた。
城門を入ったのは騎士団長と副官の二人だった。他の騎兵は城門の外で待機していた。カイが隣に立っていた。グランは城門の脇に戻っていた。老棟梁は客の相手をしない。それはヴィルの仕事だった。ヴィルは騎士団の他の副官を別の通路へ案内に連れていった。
騎士団長は歩き始めた。
通路を抜けると市場区画が広がった。東側の荷揚げ場、南側の屋台列、北側の宿屋棟が三棟並んでいた。その奥に長屋が七棟、石畳で区切られて続いていた。朝の市場だった。移住者が行き来していた。「どいた」荷物を持った男が通った。子供が走って壁に当たった。「あ、痛い」と声が上がった。商人の声も上がった。「安くするよ、今朝だけ」重武装の来客を横目で見る者はいた。しかし足は止めなかった。朝の仕事があった。
騎士団長は立ち止まった。
市場の中央で、止まった。
ゆっくりと、四方を見た。宿屋棟。市場の屋台。石畳。第二城壁の内側の建物列。東側の拡張予定区画——まだ杭だけが地面に刺さっていた。北東角の矢台が張り出しているのが見えた。
騎士団長の目が市場の端から端まで動いた。顎が上がった。人の流れを計っているような角度だった。カイはその視線の軌跡を追った。宿屋棟から荷揚げ場、石畳の幅、矢台の張り出し。見るべきものを順序通りに見ていた。次に宿屋棟の軒の出を見た。雨仕舞の角度まで読んでいる目だった。この城が何を意図して建てられたか、読んでいた。
何も言わなかった。
カイも何も言わなかった。
説明しなかった。案内もしなかった。騎士団長が見ていた。見えているものが全てだった。石が物語ることを、言葉で足す必要がなかった。
騎士団長は城壁の方へ歩いた。内側から城壁の石面を手で触れた。花崗岩だった。指の腹で押した。動かなかった。目地を見た。上を見た。梯子があった。天端へ上がる梯子だった。
「上がってもいいか」
「どうぞ」
騎士団長は梯子を上がった。カイも上がった。副官は城壁下に残った。
天端に立った。
夏の日差しが石の上にあった。踏んだ花崗岩が足裏を通じて熱を返してきた——三年かけて積み上げた石が、今日の太陽を蓄えていた。北の方角が見えた。北林が見えた。北街道が見えた。橋が見えた。今日渡ってきた橋だった。向こうには街道が続いていた。ノルド帝国の方向だった。
「先日、斥候が来たそうだな」騎士団長は北を見た。
「来ました」
「撤退させたのか」
「橋板を外しました。水路を開きました。それだけです」
「武器は」
「使っていません」
騎士団長は少しの間、北林を見ていた。林の縁が朝の光を受けていた。斥候が立っていた場所だった。
「三年で、これを建てたのか」
「そうです」
騎士団長は振り向いた。カイを見た。
真っ直ぐ見た。目を逸らさなかった。三年前とは別の目だった。確認する目ではなくなっていた。何か別のものを見ている目だった。カイは炭筆を握ったまま、石の上に立っていた。手を城壁に触れなかった。騎士団長の手が石の上にあった。
長い間があった。騎士団長の目が、カイの手元の炭筆に一度だけ落ちた。図面を見る目だった。道具を見る目だった。
「《設計眼》だな」
その言葉が来たとき、炭筆を握る指が止まった。称号ではなかった。騎士団にいた頃、一度だけ上官から言われた言葉だった。図面が見える、地盤が読める、石の積み方が先にわかる——その力を指す言葉だった。
炭筆を握る力が変わった。強くなったのか、緩んだのか。指の感覚が追いつかなかった。
カイは何も言わなかった。
「お前の父も——」騎士団長は一度止まった。口を閉じた。天端の石に手を置いた。花崗岩の結晶が指の下にあった。「同じ図面を引いていた」
その瞬間、呼吸が一拍止まった。
炭筆が手のひらに当たっていた。冷たかった。握る力が知らず強くなった。次の瞬間、指から力が抜けた。炭筆を落としそうになった。掴み直した。騎士団長の手は石の上にあった。カイは石に触れなかった。同じ石を、触れずに見ていた。
風が来た。
城壁の上の風だった。丘の斜面を這い上がってきた風だった。三年前、何もなかった丘の上に来ていた風と同じ風だった。今は石の上を通って来ていた。
騎士団長は口を閉じた。
それ以上、何も言わなかった。
引いた。言いかけて、引いた。城壁の石を一度、手のひらで押さえた。
頭に何かが弾けた。図ではなかった。父の手帳のことだった。使い込まれて角が丸くなった手帳——その角の丸みが指の感触として浮かんだ。末尾の消されたインクの跡。何かの形だった。
今は確認しない。
確認する時が来れば、来る。
「案内は以上です」カイは言った。「駐屯区画を北側に取ってあります。ヴィルが案内します」
「分かった」騎士団長は手を石から離した。梯子の方へ向いた。一歩踏み出して、止まった。カイの方を見なかった。「……世話になる」
背を向けたまま言った。それだけだった。先に梯子を降り始めた。
カイは天端に立ったままだった。
風が止んだ。石の上が静かになった。
騎士団長の背中が梯子の向こうへ消えた。石の天端に、足音が残った。それだけが残った。炭筆が手の中にあった。
城壁から降りると、ヴィルが副官たちと話していた。駐屯区画の説明をしていた。早口だった。数字が次々に出てきた。「最初の半年は資材が月に三十荷でした。そこから一年目末には倍になっています」副官が帳面を取り出していた。ヴィルの説明のほうが速かった。副官の手が一度止まった。
「……これが三年で?」
「そうです」ヴィルが即答した。「人手は最初の一年、十二人でした」
副官は帳面に視線を落としたまま、しばらく何も書かなかった。数字の意味を呑み込んでいる顔だった。「十二人で……」と呟いた。筆を持ったまま、手が止まった。それきり動かなかった。
カイはグランの方へ歩いた。
老棟梁は城門の脇で、石組みの基礎を手で押さえていた。確認の仕草だった。
「グラン爺」
グランは振り向いた。薄茶色の細い目が、カイを見た。
「何か言ったか」
「《設計眼》と言いました。それから——『父も同じ図面を引いていた』と」
老棟梁の目が変わった。鋭くなった。感情を出す目ではなかった。確認する目だった。カイを、まっすぐ確認する目だった。
「続きは言ったか」
「言いませんでした」
グランは一度、顎の下に手を当てた。石基礎の角に指をかけた。指がそこにとどまった。石の角が何かを知っているように、グランの指がそこを離さなかった。長い間、離さなかった。それから、ゆっくりと手を下ろした。
「そうかの」
それだけだった。老棟梁は石基礎に向き直った。確認の手を当て直した。今日の仕事を続けていた。
カイは東側拡張区画の方へ向かった。
一歩目を踏み出したとき、足が一瞬だけ止まった。止まって、続いた。
朝に打った杭が、地面に刺さったままだった。炭筆が手の中にあった。測量紐を腰から取った。次の杭の位置を確認する。基線が出れば今日中に三点打てる。三点あれば明日の掘りが始められる。
図が広がっていた。
東側の区画。北東角の取り方。矢台の角度。排水経路。全部が見えていた。地面の土の上に、石の壁が重なって見えていた。
騎士団長の声が残っていた。
「お前の父も——」
言いかけた言葉が残っていた。言いかけて止まった。続きがあった。その続きを騎士団長は飲み込んでいた。
上着の内ポケットを、一度だけ手の甲で押さえた。革の固さがあった。重みがあった。
「問題ない。来週には終わる」
誰も聞いていなかった。地面に向かって言った言葉だった。測量紐を張りながら、炭筆を手に持ちながら、次の杭の位置に歩きながら言った。足裏が地盤を読んでいた。東側の土は三寸ほど西より柔らかかった。掘りの深さを計算に入れる。問題ない。
杭を一本、地面に打った。
上着の内ポケットに、重みがあった。革表紙の手帳だった。角が丸い。使い込まれた革の重みだった。それだけの重みが、そこにある。明日も、来週も、ここにある。
あとがき: |
第23話です。騎士団長がハルムに到着しました。三年前に「穀潰し」と追い出した少年が建てた城塞を前に、団長は言葉を失います。城壁の天端で「お前の父も同じ図面を引いていた」——言いかけて、口を噤みました。カイは答えません。確認する時が来れば来る。今日は杭を打つ日です。




