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穀潰し、廃村へ行け

追放状は、羊皮紙にしては薄かった。


薄い。人生の転換点を告げる書類が、こんなに薄くていいのか。よくない気はするが、薄くても内容は読める。内容は一行で読み取れた。


 王都騎士団第三隊所属・カイ、規律違反の廉により即時除隊を命ずる。なお、辺境ハルム村の村長代理職に任ずる。


隣に立っている副団長は、まだ喋っている。


「穀潰しが。剣も魔法もできない頭だけが肥大した役立たず——廃村に行って一人で腐ってろ」


カイは書面に視線を戻した。副団長の顔を見ると、言葉を聞く時間が余計にかかる——一年かけて出した結論だ。まだ喋っている。聞き終わった時に情報が一つでも増えているか、というのが会話の基準だが、今のところゼロだ。それはそれで才能かもしれない。


書面の右下に、支給物資の列が小さく記されていた。


 羊皮紙五枚、木炭二本、地図(ハルム周辺)一枚、旅費として銀貨三枚。備考・ハルム現住民三名。


五枚。木炭が二本。現住民は三名。


木炭が二本か。


これで廃村を建て直してください、が王国の公式スタンスらしい。担当者に「どういう計算でこの量になりましたか」と一度聞いてみたい。機会はなさそうだが。まあいい。木炭一本で二百五十メートル。二本で五百メートル。足りなければ石に替えればいい。問題ない。


王国の楽観主義は嫌いではない。自分も似たようなものだと思う——木炭二本で来たあたりが、特に。


カイは追放状を折りたたみ、腰のベルトに差した。紙の端が乾いた指先に引っかかった。手の内側に汗が滲んでいることに、そのとき初めて気づいた。


汗か。緊張しているのかもしれない。暑いだけかもしれない。今の季節、どちらかは判断できない。どちらでもいいが。


「荷物をまとめろ。今日中に出ていけ」


副団長の声は続いていた。カイはそれを聞きながら、一つだけ確認した。


「地図は今もらえますか」


沈黙が落ちた。


副団長は何か言ったが、カイはもう聞いていなかった。差し出された地図を受け取る前に、その折り目を見た。四つに折られた羊皮紙。開くと、ハルム丘陵一帯の粗い線図だった。


粗い。距離の尺度がなく、街道との接続が不正確で、等高線はない。


使える。


副団長がまだ何か言っている。内容は聞いていない。地図の方が重要だ。


「出て行け」


カイは地図を折りたたんだ。




荷物は少なかった。


騎士団に入って一年、ついに荷物は増えなかった。制服は今日返した。剣は最初から支給されていない。


魔法鑑定で「無属性・強度ゼロ」が出た。


ゼロか。


要するに「よく分からない」を二段階で言っただけだ。まあいい。そもそも期待していなかった。


剣は半月でやめられた。


半月て。


師範は理由を言わなかったが、「なぜこの打ち方をするのか」と聞くたびに答えられなかっただけだと思っている。今でも気になっている。設計の方が向いていたのでまあ良かった——ただ半月は早い。一月は見てほしかった。


残った荷物は、腰の測量紐と木炭と、追放状と地図。それから親戚の家から持ち出してきた父の道具袋が一つ。


バランスが良かった。重くもなく、軽すぎもない。


騎士団の宿舎を出るとき、廊下で同期の騎士とすれ違った。何か言っていた。「ざまぁみろ」か「可哀想に」か、どちらかだと思う。どちらでもいい——ざまぁみられるほどの地位にいた覚えはないし、可哀想なほど期待してもいなかった。むしろ今の方が面白そうだ、とは思ったが、それを言っても信じてもらえないので黙っておいた。どうせ信じてもらえない。片手が、無意識に道具袋の革紐に触れた。


革が温かかった。父がよく使っていた証拠だ、と親戚の伯母が言っていた。重さは想定より少し重い。道具がまだ中にある。それだけ確かめてから、歩き続けた。


外に出ると、初夏の光が石畳に平たく落ちていた。


暑い。


それだけを思った。追放された十五歳が廃村の村長代理として王国辺境へ旅立つ。物語的には悪くない出だしだ。支給品が木炭二本でなければ。




王都の東門を出ると、道はすぐに細くなった。


振り返らなかった。振り返る理由がない。


北街道に入ってから三時間、カイは歩き続けながら地図を一度だけ広げた。広げた理由は確認のためではなく、測量のためだった。道の幅を歩幅で数え、傾斜を足の裏の感覚で拾い、遠くの丘の形を視野の端に入れる。地図の粗さは分かっている。その粗さを、歩きながら補正している。


ハルム村。王都から徒歩で十日。


追放されても測量はできる。むしろ今の方が誰にも何も言われずにできる。悪くない。


十日あれば地図をもう少しまともにできる。


計算が動いた。旅費の銀貨三枚。宿に泊まれるのは二泊か三泊。あとは野営だ。食料は銅貨八枚分——干し肉と固いパン。十日持つかは歩くペース次第だ。


足裏の水ぶくれは何日目か。このペースなら四日目の夜か五日目の朝か。毎回だいたい同じところに出る。人体は案外正直だ。水ぶくれが来れば歩幅が落ちる。着到が一日ずれる。それだけだ。


問題ない。


カイは地図を折りたたんだ。


歩き続けた。




二日目の夕刻、南から来た商人の一行と街道で行き会った。


荷馬車が一台、男が三人。先頭の男が街道の端によけながら声をかけてきた。「兄ちゃん、どこまで行くんだ」


「ハルム村」


男は少し黙った。「あの廃村か。今でも人がいるのか」


「三人いる」


「……三人か」男は首をひねった。「何しに行くんだ」


「村長代理です」


男がまた黙った。今度は長かった。荷馬車の後ろの二人とも顔を見合わせていた。


「……いくつだ」


「十五です」


「……」


男は何か言いかけて、やめた。気の毒そうな顔をしてから、それも引っ込めた。最終的に覚悟を決めたような顔になった。


「気をつけな、三日目から道が悪くなる。雨の後は特に」


「ありがとうございます。北側か東側か」


「東だな。粘土が出る」


カイは歩き出した。男が「無愛想な奴だ」と言ったのが後ろで聞こえた。正確だと思った。礼は一応言えた。言い方が良かったかどうかは分からない。


地図を腰から出して、東街道の分岐点に木炭で小さく「粘土」と書き込んだ。情報は入ってきたときに記録する。




三日目の夜、雨が降った。


街道沿いの木の根元にカイは身を寄せた。濡れた木の皮のざらつきが背中に来る。根が地面に食い込んでいる感触——下は粘土質か。排水が悪い。もし道を造るなら、この一帯は石敷きにしないと毎年ぬかるみになる。


誰も道を造らないが、考えた。


地図を取り出そうとして、止めた。革袋の中に押し込んだまま、紐を絞る。雨粒が折り目に沁みれば、書き込みが消える。見えなくても、一度広げた地図は頭の中に残っている。ハルム丘陵の輪郭が、ぼんやりと内側に浮かんだ。


丘陵地。


地図では単なる斜線で示されているだけだった。だが三街道が合流しているということは——北からの道、王都への道、東の鉱山への道。三つが一点に集まる場所。鉱山で切り出した石を王都へ運ぶなら、必ずここを通る。荷物が動けば人が集まる。人が集まれば宿が要る。宿が要れば壁が要る。


カイは雨の音を聞きながら、目を閉じた。


そういう場所は要所になる。父はそれを見に行ったのだと、今なら分かる。


親戚の家を出る前日、革表紙の手帳を開いた。父の荷物の整理を頼まれて、道具袋の底から出てきた。走り書きで、インクが滲んでいた。最初の一行に目が止まった。


 ハルム丘陵は、見るべき場所だ。


その先には続きがあった。だが伯母に呼ばれて手帳を置いた。次に手に取ったとき、しまい忘れた道具袋に一緒に入っていた。今は革紐で封じてある。


父がここに書いた理由を、カイはまだ知らない。知らないまま、同じ場所へ向かっている。


カイは目を開けた。雨はまだ降っている。


問題ない。来週には終わる。


口癖だ。正確かどうかは分からない。ただ言うと頭が整理される。去年から使っている。




五日目の朝、足裏の皮が水ぶくれで硬くなっていた。


計算通りだ。干し肉が半分を切った——それも計算通りだった。靴の中で水ぶくれが潰れた痛みを確かめながら、固いパンを噛んだ。口の中で唾液が足りない。水を飲みながら噛み続けた。


固い。作った人はパンを食べたことがあるのか。——あるはずだ。だとすれば意図してこの固さにしたことになる。腐らないという実利を取ったなら、正しい判断だ。顎が痛いのは自分の問題だ。こういう時間が積み重なって、ハルムへの距離が縮まる。


それだけを確認して、歩いた。


六日目、カイは測量紐を初めて道に出した。


北街道と、分岐して東へ伸びる道の交点。街道の幅を測り、傾斜角を目で読み、地面を靴の先で踏んだ。砂岩混じり——このあたりから岩盤の質が変わっている。足の裏に返ってくる感触が、王都近くとは違う。踏み出すたびに音が少し低い。地盤の密度が上がっている。石を置けば、根が張る場所だ。


地図に木炭で書き込んだ。


細かい字になった。元の地図の余白はほとんどない。


東の空に、遠く丘の稜線が見えた。


あそこがハルムか。カイは地図と見比べた。方位が微妙にずれている。地図を作った者は現地を歩いていないか、歩いたとしても測量していない。


ずれている方向に意味があるかどうかは、行ってみれば分かる。


カイは木炭をしまい、歩き出した。




十日目の昼過ぎ、ハルム村が見えた。


丘の斜面を登りきったところで、眼下に集落が広まった——「広まった」というのは語弊があった。点在している、が正確だ。崩れかけた石垣が三方向に走っており、その内側に建物の残骸がいくつかある。屋根が落ちたものが二棟。壁だけが残っているものが一棟。まともに立っているのは、小さな家が三軒だけだった。現住民が三名で家が三軒——一人一軒の計算が合っていた。追放状の情報は正確だったらしい。


道はあった。草が覆いかぶさっているが、石が埋まっているのが分かる。古い道だ。


思ったより広い。


いや、広いというのは語弊がある——石垣の規模が思ったより大きい。追放状に「廃村」とだけ書いてあったから、もっと小さいものを想像していた。これは廃村というより、廃集落の規模だ。


カイは丘の上でしばらく立ち止まった。


追放状ではなく、地図を取り出した。書き込みで余白がほとんど埋まっている地図を広げ、目の前の景色と照らし合わせる。丘陵の形。道の入り込み方。


北から来る道と、西へ続く道と、東へ伸びる踏み跡。


三つが、この丘の下で交わっている。


頭の中で何かが走った——走ったというより、線が引かれた、という感覚に近い。石垣の位置、傾斜の角度、谷の方向。カイは視線を動かすたびに、何か別のものを見ていた。建物があった場所ではなく、建物が来るべき場所を。


まだ、見えていなかった。おぼろげだった。


だが確かに線が来ていた。


カイは地図を折りたたんだ。丘を下り始めた。


小屋の一つの窓から、人影が見えた。一瞬だけ、すぐに引っ込んだ。




一番まともそうな家の前に、老人がいた。


白髪で、肩幅だけが妙に広い。厚手の作業着に石灰の染みがある。石積みの職人か、と思った。右手の人差し指が、第二関節から先で角度が変わっていた。事故か何かで、治りきらなかったのだろう。


会って十秒で体の傷を三箇所確認しているのは礼儀として合っているのか分からない。ただ見えてしまうので仕方がない。


老人はカイを見た。細い目が、一度だけ鋭くなった。


「カイ、か」


カイは止まった。


「センの息子か」


息が、一拍遅れた。


名を呼ばれた。父の名で呼ばれた。返す言葉を考えている間に、手が地図に触れていた——無意識に、腰のベルトの上。折り目を一度だけ指でなぞってから、止まった。父の手帳の一行が、頭の裏をよぎった。ここに書いた理由を、この老人は知っているかもしれない。


老人は踵を返した。家の中へ向かいながら、肩越しに言った。


「飯を食え。設計は腹が減っても動くかもしれんが、お前は動かん」


カイは老人の後ろ姿を見た。


「グラン、だな」


「そうじゃ。来い」


家の中は石灰の匂いがした。壁に工具が並んでいる——鑿、木槌、細い測量杭。すべて使い込まれていた。ただ置かれているのではなく、使う順番で並んでいる。職人の配置だ。


グランは棚から鑿を一本取り上げ、並び直してから置いた。小さな動作だったが、手が止まらなかった。鑿が定位置に戻った瞬間、わずかに力が抜けた——置いた音が、他の動作より少し静かだった。父を知っている者が、今日来ることを知っていた、そういう重さに聞こえた。


「父のことを教えてもらえますか」


「飯が先じゃ」


グランは鍋の火を確かめた。


「あの男は急がせると碌なことを書かん。腹を満たしてから聞け」


「書いた、というのは」


「手帳のことじゃ。知っておろう」グランは振り返らなかった。「読んだか」


「一行だけ」


「一行か」


しばらく沈黙があった。鍋が小さく音を立てた。


「急かすな」グランは木杓子を動かした。「その一行を十年かけて書いた。続きを聞くのも急ぐな。飯を食え、カイ」


十年か。


それ以上は言わなかった。だが「あの男」と言ったとき、グランの目は鍋の方を向いていた。カイの方ではなく、どこか遠くの方を。




夕暮れに、カイは宿舎にした建物の土間に座って地図を広げていた。


追加の書き込みで、紙はほとんど埋まっていた。余白があるのは右下の隅だけだ。そこに、丘陵の形を大まかに描き直した。今日歩いた道の傾斜、石垣の残存位置、井戸の場所、北と東と西の三つの道がどの角度で集まっているか。


三街道の交点。


カイは木炭の先を紙に当てたまま、止まった。


頭の中で、午後からの残像が戻ってくる。丘から見下ろしたハルムの景色。廃村ではあったが、石垣は残っていた。あれは誰かが意図して積んだ場所に積まれている——地形の高い方を背に、三方向の道が見渡せる位置に。


偶然ではない配置だ。


三街道が交わる地には人と荷が集まる。人と荷が集まれば、そこを守る必要が生まれる。そういう場所が——


カイは木炭を動かした。地図の右下の隅に、小さく「要衝」と書いた。確信ではなかった。ただ、木炭が止まらなかった。手が先に動いた——そういうことが、たまにある。頭が追いついてきたとき、文字はもう紙の上にあった。


木炭の先が、「衝」の最後の一画で欠けた。


カイは「要衝」の文字を指先でもう一度なぞった。紙の上の木炭粉が指腹に移る。温かくも冷たくもない感触。ただそこにある、という感触。


廃村だった。老人が三人いるだけだった。資材も人もない。王都から十日かかる辺境で、支給は銀貨三枚の旅費だけ。


問題ない。来週には終わる。


カイは地図を折りたたみ、腰のベルトに差した。


翌朝にグランの家へ行くことを決めた。飯の後で言葉が続かなかった。父のことを聞く時間は、まだある。手帳の続きに何が書いてあるのか——グランはきっと知っている。一行を十年かけて書いた、と言った。その意味を、まだ咀嚼しきれていない。


土間の外では初夏の虫が鳴いていた。カイは横になり、目を閉じた。


石の床が背中にざらついた。石灰岩か、砂岩か——膝をついて叩けば分かるが、今は遅い。


明日でいい。




翌朝、カイは日が出る前に外へ出た。


霞のかかった丘陵を歩いた。追放状ではなく、地図でもなく、ただ足の裏の感触を頼りに歩いた。砂岩、石灰岩、泥混じりの土、固い岩盤。地盤は一様ではない。傾斜も単純ではない——丘の上は硬く、中腹から柔らかくなる。水が通っているのかもしれない。


足が止まった場所がある。


丘の西側の中腹、少し張り出した岩棚のある場所。地面を踏んだとき、返ってくる感触が違った。硬い。周囲と比べて明らかに岩盤が近い。


カイは膝をついて地面を手のひらで押した。


冷たい。岩盤の冷たさが手に来る。


頭の中で線が動いた。岩棚の位置、傾斜の向き、三方向の道への視線。


もし城壁を積むなら、基礎はここが要る。


手のひらを地面から離さなかった。冷たさが指の腹から手首まで上がってくる。線が見えていた——石垣が伸びていく方向、道を挟んで建物が並ぶ位置、人が来て荷物が動く流れ。夕暮れに地図に書き込んだ「要衝」の文字が、今朝の岩盤の冷たさとつながった。夕方には文字だったものが、今は地面の下に根を張っている感触になった。


一息、ゆっくり吐いた。


そういう場所に、この廃村はなれる。


カイは立ち上がった。手のひらの冷たさが、じわりと引いていった。


地図を腰から抜いて、もう一度広げた。ハルムの丘陵を描いた右下の隅、「要衝」と書いた文字の横に、木炭でもう一本線を引いた。


岩盤の冷たさは、もう手のひらにない。それでも、さっきの固さは足の裏が覚えている。


手帳の続きを、まだ読んでいない。


廃村へ向けて、カイは歩き出した。



あとがき: |

第1話です。追放状の薄さから始まる物語を書きました。

カイは何も怒らず、何も嘆かず、ただ地図に書き込んでいます。

父・センの一行「ハルム丘陵は、見るべき場所だ」——この言葉がカイを動かす燃料です。

次話ではグランとの本格的なやり取りと、廃村の三人の老人たちが登場します。

どうぞよろしくお願いします。

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