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(前)

 「何かしてないと落ち着かないときってあるじゃん? それ」

 サツキは僕と目を合わせながら吐き捨てた。

「ただ打ちたいだけ。文字に触れていたいだけ。書いていたいだけ。

 私、やることはキチンと終わらせたじゃん。無意味だろうが、不気味だろうが、あんたに関係ないよね。好きにさせてよ。気付かないフリしてなよ。これも見なけりゃいい話でしょうよ。

 あんたがそう言ったんじゃん。私に」

 サツキの指はひたすらキーボードの上で踊り、立ち尽くす僕を見る眼は、冷え冷えと蔑んでいた。



 好きな小説が映画化された。

 物語の舞台は、いったん寂れてしまった観光地だ。ある時、理由が分からぬまま急に活気を取り戻したところからその小説ははじまる。

 おとなたちの思惑と期待の圧に翻弄されるなか、幼馴染の高校生たちが自分の将来を模索していく…という内容だった。


 映画で起用された俳優さんたちは、年齢層が高かった。しかし、演技力と美貌で学生服を自然に着こなしていた。

 映画館へ観にいった僕は「現役高校生に見える。凄いなぁ」と感嘆した。


 その映画の挿入歌が大ヒットした。

 流れに乗ったのか、もともとの予定だったのか、コミカライズが発売された。アニメ化し、地上波でシーズンを重ね、その愛らしい絵柄はお菓子や炭酸飲料のラベルを飾るようになった。コラボ商品の紹介ととも聞こえてくるストーリーやキャラクター性に「そんな感じだったか…?」と違和感を覚えだした頃、()()()映画が決定した。


 そちらは青春ものだった。

 今をときめく人気アイドルや若い俳優さんたちが起用され、物語も高校生たちの色恋が主題になっていた。

 情熱的で不器用な青春模様は見応えがあったものの、肝心の観光地が再生していく流れや、直近の利益に目が眩んだおとなたちの悲喜劇、主人公たちが抱える将来への憂いはそっちのけだった。

 観てみた僕は「これ、原作小説を読んでおかないと背景の意味が分からないだろうな」と戸惑った。ちょっとモヤついてしまった。


 映画の冒頭で登場した廃れたシャッター街は、中盤になると、説明なく、ポップな店と観光客がひしめくオシャレな買い物横丁へ変わっていた。

 年嵩の店員らの笑顔は洗練されていた。演技も手慣れていた。とてもじゃないが「数か月前までは何十年も閑古鳥でした」という店の田舎のオバサンオジサン店員には見えない。

 なにより困惑したのは、原作小説では、ひとり都会の大学へ行くはずのヒロインが、その映画では何故かラストで数年ほど時間が飛び、地元で主人公と結婚して主婦になっていたことだ。


(うーん…確かに小説でも、このふたり結婚したんだろうなという匂わせはあったけど。はたして彼女の性格でUターンするだろうか?

 あんなに努力してやっと地元を出れたのに、結婚したら全てを捨てて戻る?

 彼女は地元でつらい思いをしていて、無神経な2次的被害にも耐えかねていたのに。その嫌悪感と居心地悪さで思いつめていたのに)

 僕のモヤモヤをもそっちのけで、実写化映画はとてつもなく大ヒットした。



 モデルとなった観光地は、このとおり大盛況だ。

 何かしようとすれば、まず並ばないといけない。休憩したいなぁ、でも同じく。


 サツキと初めて出会ったのは、そうした行列のひとつだった。彼女も僕もひとり旅で、たまたま前後に並んでいた。

 彼女はカバンからスマホを取り出そうとして、取り落とした。

「っ、あ。すいません…っ」

 スマホは上手いこと僕の靴の上に乗って、故障の難を逃れた。

 僕も少し驚いたが、彼女もそうだった。「早く拾いたいけど、勝手に触っていいものか」という困惑交じりの遠慮を察した。

 僕は微笑ましく思った。僕こそ他人様のスマホを触ることに抵抗はあったが、素知らぬ顔に努めて拾いあげた。


 スマホケースが原作映画の方のグッズだったため、内心で(おっ)と心が弾んだ。浮かれた勢いで、つい原作映画を演じてしまった。

 個性派俳優さん演じる教師が(恐らくはアドリブだろう独得の所作で)主人公に日誌を渡した時のように、「どぅぞぅ?」とスマホを渡した。

 初めてやったが、まぁまぁの完成度だったように思う。ぽかんとする彼女に、僕は自分のスマホケースを掲げて見せた。

 原作映画のグッズ、色違い。


 彼女は瞳を見開き、パァッと花が咲くように微笑んだ。

 それから、ほんの少しだけ映画の話をした。良いですよね、同感です、という4、5往復くらいの会話だ。

 とびきりの笑顔を魅せられた段階で、正直、僕はくらっときていた。

 軽く話しただけなのに心地よく、一瞬、彼女と交際している未来の自分が脳裏をよぎった。バカな。僕は慌てて会釈し、脳内空想ごと会話を切り上げた。

 唐突につっけんどんな感じにしてしまったが、彼女はさらっと受け入れてくれた。

 愛らしい笑顔で会釈をしてくれて、スマホの上で指を踊らせはじめた。


 そこで終わると思っていた縁は、なんと仕事で繋がった。

 最初は新入社員の彼女と、バイトの僕、接点はないまま終わった。

 1年後、僕が採用された会社に彼女が転職してきて、たまたま同期になった。

 気が合う、話も合う。互いに互いの持ち味が好ましく映り、金銭感覚もテンポも似ていた。さほど日数かからず良い雰囲気になって、自然に付き合いだした。

 告白は付き合った後だ。

「いつ私のこと好きになった?」

「かなり前。サツキより先だろうね、絶対。好きだよ。すごく」

 こころを込めてそう言うと、照れたサツキは腕の中から逃げだした。すぐ戻ってきた。

「私だってすぐ好きになったよ、陽向(ひなた)のこと」

 僕の腕にぎゅうとひっつき、サツキは満面の笑みを浮かべた。

 花が咲くような笑顔は魅力的で、僕も笑いかえして肩を抱いた。髪に頬を寄せる。柔らかい。良い香り。心地よい会話のテンポ。気が抜ける空気感。愛しい。僕の顔はデレデレだったと思う。


 お互いの仕事が軌道にのりだした頃、僕は彼女に同棲を提案した。

 サツキのことが凄く好きで、ずっと一緒にいたくなった。サツキとなら一緒に暮らすのも楽しそうだ、それくらいの考えだった。

 サツキはとても喜んでくれた。その時に「まず1年? …3年?」と聞かれた。

(何が? あ。賃貸の更新。そういや契約期間によって家賃が変わる部屋ってあるな。

 同棲してみたら噛み合わなくて、でもクールダウンできずギッスギスのまま期間を耐える、みたいな話も聞くもんなぁ…)

早合点した僕は、よく分かっていないまま答えた。

「じゃあ…1年? 問題なく季節を一周できれば、ずっと大丈夫じゃないかな。とりあえず目指してみようよ。仲良く暮らせるよう、僕、頑張るから。つど話そう」

 サツキは目を見開き、いきなり身をひるがえした。ベランダに逃げた。すぐ戻ってきた。なにやら作り笑いをしながら寄ってくる。とびきり愛らしい笑顔だった。

 うるみだしだ瞳をうろうろと揺らしながら、前髪をしきりにいじる。唇にぐっと力を入れて、平静を装う不器用な笑み。

「うん。うん。私も頑張る。よろしくね」

 甘い声も、汗びっしょりの手のひらも、それに自分で気付いて「つけすぎた! リップクリ、違う! ハンドクリーム! を!」と、洗面所へ逃げる後ろ姿も、とてつもなくかわいかった。

(愛しいな)

 ぐっと胸が締め付けられる。ときめきで微かな疑問は吹っ飛んだ。

 むちゃくちゃ幸せだった。



 ふたりで住むために、部屋を探し始めた。

 サツキは服と本。僕はギターと本、あと据え置き型ゲーム機。

 互いに趣味の荷物が多いため、自分の部屋がどうしても必要だった。「2LDKは絶対だね」と意見が一致した。


 その部屋を見つけ出したのは僕だ。

 カップル向けを条件に設定して探していたはずだが、何故かその部屋が紛れていた。

 ファミリー向け。それ以外はほぼ理想的だった。

(この区分って絶対なのかな? 籍いれてないとダメとか?)

 気になった僕は、サツキに「これどう?」をする前に、まず問い合わせた。すぐ電話がかかってきた。

『入籍前でも大丈夫ですよ。ここの物件は二人入居ができますので。

 ご案内できる日をお調べいたします。このままお待ちください。見学可能な他の物件を併せてご紹介させていただくことも』

 電話の相手はプロだった。ハキハキした口調でしれっと誘導され、たじたじになりつつ「彼女に相談してまた連絡します」と繰り返すことで、ようやく切ることができた。


 スマホを机に投げだしたとたん、思わずため息が出た。

(…内見の日付くらい勝手に決めても良かったのかな。どうなのかな。電話のひと、「この男スマートじゃないな」って感情が出てたな。あ。凹む…)

 ふとベッドを見て、戸惑った。サツキがいなかった。ついさっきまでゴロゴロしながらスマホを触っていたはずなのに。


 顔を上げて見渡すと、サツキはキッチンの隅にいた。もじもじしていた。

 照れている時の所作だったので不思議に思い、そこでやっと僕は気づいた。

(そうか! あの年数は、そういう意味か…!?)

 僕にとって結婚という概念は他人事だった。プロポーズなんてまだ夢物語の産物、とはいえその時がきたなら最大に気を遣うべき特別な行事と理解していた。

(やばい…っ、さすがにアレでプロポーズをすませたと思われるのは…! 懺悔するか? そんなつもりなかったと? いまさら? いや、…)

 一瞬の熟考を終え、僕は開き直った。

(ちゃんとしたプロポーズは別途ありますけど?顔をしよう)


 もじもじ俯くサツキに近寄ると、彼女は慌ててキッチンタオルをちぎって電子レンジの蓋を擦りはじめた。

 さも「掃除してるだけですけど?」を装う可愛いひとの顔を覗き込み、開き直った僕はしれっと宣言した。

「来年さ、特別な食事をしようよ。何を食べたいか、決めておいてくれる?」


 ロマンティックなサプライズなんざ知ったことか。そもそも僕にスマートさなど存在しないことを彼女は知っている。はず。ごめん。

(来年までに諸々の覚悟を決める! そしてビシッと決めてみせる! …とっさに食事って言っちゃったけど、考えたらシチュがベタすぎるか? もっと何かあるか? いやでも)

 僕は内心で冷や汗ダラダラだった。しかし、見つめ合っているうちにこれでも大丈夫な気がしてきた。

 サツキが、蚊の鳴くような声で「…ふぁい」と鳴いたからだ。

 ちょっと虐めたい衝動にかられたが、あいにく虐め方が思いつかず断念した。

 とりあえず頭をなでてみたら、怒られた。

「この編み込み大変なんだよ。崩れるの嫌。もっとやさしく」

「はい」

 眉とマスカラのみの素顔だろうと部屋着だろうと凝った髪型は崩しちゃダメと知った僕は、代わりにほおやおでこ、耳あたりを指先で撫でることにした。

 さすがにピンポイントすぎたようだ。くすぐったかったらしく、サツキは首をすくめてケラケラ笑い出した。

「確かにね、それなら崩れないね。ありがと。…好きぃ」

 サツキははにかみながら満足げに呟いた。

(僕も好き。かわいい。愛しい)



 僕らは双方の親へ挨拶に行った。喜び浮かれる親をそれぞれで宥めつつ、同棲の準備は着々と進んでいった。


 物件の担当者さんに案内され、ふたりで部屋の内見に行った。

 その部屋は写真でみた時と違い、どこか暗く感じた。

「日差しは…十分だな。まぁいいか。どうかな、サツキ」

 サツキから(いら)えがない。

 不思議に思って振り返ると、彼女は部屋の一角をじっと見つめていた。

「どうしたの? 虫?」

「…うん。ここ、住むの?」

 らしくなく声に抑揚がない。

「え。うん。サツキが良ければ、そうしたいけど」

 サツキは「へぇ」と不器用に笑った。ちょっと見たことのない表情だったので面食らった。

「サツキ?」

「いいよ。住んでも」

 さらりと応えた。あっけにとられる僕を後目に、サツキは担当者さんに入居の話を切り出した。

 担当者さんはとたんにニッコリした。慣れた口調で説明をはじめたので、僕もハッと我に返った。慌てて聞く。


 手続きを終えた頃には夕方になっていた。サツキはやたら疲れた様子で、そんな自分に対し首をひねっていた。

「何か…何だろ。分かんない」

「大丈夫かな。夕飯どうする? 卵とじうどんくらいなら僕でも作れるよ、ウチ寄る?」

「うーん…? ごめんね、食欲ないかも。やっぱ明日から仕事だからかな。やたら眠い」

「…さては脳が出社拒否してるな」

「それだ」

「痛ましい」

 泣く真似をしてみせると、サツキはようやく笑ってくれた。

 サツキらしい雰囲気が戻ってきてホッとしたが、どうにもその笑みに力がない。


 帰路の途中でコンビニに寄り、ゼリー飲料を買った。

「ビタミンとれば何とかなると噂で聞いた」

「ありがとう! よぉし実験だぁ! 結果をSNSにあげるわ」

「いや、レポートでよろしく」

「卒業したのに!? まだ書かせる!? いやだぁ。もう書きたくなぁい」

 軽口を交わしあいながら、彼女を送り届ける。

 いつもどおりに「また明日」と笑いあって、その日は別れた。

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