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23.甘くて酸っぱい



 ギャレットが嘘つきで詐欺師だということくらいとっくに知っている。なのに、この胸を押しつぶすような寂寥感は、どこから生まれてくるのだろう。

 そう。虚しくて堪らないのだ。


 ふいに、影が差した。


「なんで泣いているの?」


 バルが私の前へハンカチを差し出した。


「え、あれ? えっと、あはは。なんで、で、しょうね」


 泣きたい訳じゃない。でも、涙は止まってくれなくて。

 問われた言葉への答えも、死に戻りについての説明も、なにも私の中にはなくて。

 情けなさで、また涙が溢れていく。


 ハンカチを受け取り、目元を押さえた。


 そんな私に、バルはそれ以上は何も聞かなかった。

 ただ、私が泣き止むまで傍にいてくれた。


「いきなり泣き出したりして、ごめんなさい」


「いいよ。もう落ち着いた?」


 いつの間に取り出したのか、彼は本を読んでいた。

 メーダ国へ修行へ行った薬師の手記の、写本だった。彼が読んでいたのはその中の、私が書き足して貰ったチョコレートとハチミツのお酒に関するページだった。


 そうだ。彼は何も言わず、お父様を説得するための根拠を捏造してくれるのを手伝ってくれたんだ。たぶんきっと、あの時にはすでに私のノートを読んでいて、それでも黙っていてくれたのだと今更分かる。


「君がどうして、一年後にこの地をハリケーンが襲うのかとか、異国の知識を知っているのかを聞き出そうとはしない。それは安心してほしい」


 本から視線を外さずに告げられた。それは、とても静かな声だった。


「え。……いいの?」


 絶対に、問い詰められると思っていたので拍子抜けする。

 だって我ながら怪しさ満点だ。


「私にだって誰にも言えない秘密くらいあるからね。あぁ、もちろんターシャ嬢が話したいなら聞くけど」


 目線を上げて私を見る。分厚い眼鏡のせいで相変わらずその目ははっきりと見えないのに、まっすぐに見つめられているのが分かる。


「一生、話さないかもしれなくてよ?」

「一生の付き合いか、それもいいね」


「!! ばっ。なんでそんな言葉だけ拾うのよ!」


 いきなりぶっ込んでくるの、やめてよ。乙女という生き物は、あっという間に恋の色に心を染め上げてしまうのだから。


「あはは。顔真っ赤だ。それでね、話を元に戻すよ。ハリケーン対策はかなりできていると思うんだ。だから、そんなに一人で悩まなくていい」


「でも」


「デュラム小麦を使った乾燥パスタの人気のお陰で、従来の小麦畑からデュラム小麦の生産に切り替えた農家が増えている。だから丘がまるごと農地になった。つまり水没する農地が減ったということだ」


「……」


「君が主張したお陰で、ショコラ酒の工場も侯爵邸と同じ頑強な造りになった。君が宿泊施設や商業施設を作る前に、水路の整備を主張したので、空き地になるところだった従来の小麦畑だった場所に調整池というんだっけ。水を貯めておける池にした」


「あれは、水の少ない季節のためのもので」


「洪水対策にも使えるってちゃんと考えて提案したんだよね。すごいよ」


「……それは、そうだけど」


「古い教会や孤児院を壊さずに倉庫にすることで、いざという時の避難所が倍になった。本当にすごい」


「……」


「領地に収入を増やした。それも人々の小さな苦しみに希望を与える形で。ニキビ治療薬も子宝薬も。本当にすごい」


「あーっ! もうやめて! これ以上褒めないでぇ!!」


 あぁぁぁぁぁぁ。ほめ殺しはやーめーてーーーーー!!!!


 これ以上聞いていられなくて耳を塞ぐ。


「あはは。真っ赤だ。なんでそんなに褒められ慣れてないの。沢山褒めて貰っているだろうに」


 優しい声だった。そこあるのは、からかいなんかじゃ、ない。それは分かるし、家族の名誉のためにも伝えなくてはいけない。


「お父様もお母様も。お姉さまたちだって、今は、たくさん褒めてくださるわ」


 けれど、私は、私には、その賞賛を受け取るだけの価値も権利も、本当はないのだと。


 本当のことを教えたら、バルは私を、軽蔑するかしら。

 ぎゅっと下唇を噛んで涙をこらえた。


「それに。ヴァロー侯爵領はかつてないほど発展してる。ヴァロー侯爵家の蓄財も進んで備蓄庫はパンパン。領民だってそうだ。そうして皆笑顔だ。それはターシャ・ヴァローの頑張りのお陰なのだと、自分で認めてあげないと。はい、これは私からのご褒美。頑張ってえらい」


 バルが摘まみ上げたショコラが、私の唇をつついた。


 震えながら、閉じていた唇を開けると、そこに甘いショコラが差し入れられた。


「リンゴンベリーの、味がするわ」


 溶けだしたチョコレートの真ん中で、酸味の強いリンゴンベリーが鮮やかに主張していた。不思議な食感と味わいが鮮烈だ。


「真ん中にジェリーが入っているんだって。どうやって作るんだろうね」


 もう一個。


「こっちはキャラメルだわ」

「甘さに甘さを重ねるとか。すごいね。甘さの違いってあるんだなぁ」


もう一個。


「ミルクジャムだわ」

「うん。これは悪くないな」


「バル」

「うん?」


「バル。ありがとう」

「どういたしまして」


 笑った顔が、眩しすぎる。


 いつか、その分厚い眼鏡を外した顔を見たい。そう思う。


 どうしよう。


 私は、バルが、好きだ。


 バルは商人──平民なのに。


 前のターシャよりひどい。ギャレットは遠い国ではあっても一応貴族、子爵家子息だった。


 侯爵令嬢であるターシャの結婚は、父であるヴァロー侯爵が決めるものだ。


 死に戻った時にあれほど後悔して、今度こそはと誓った。


 それなのに。


 再び大粒の涙を流して声を出して泣き出した私に、バルが慌てる。

 その姿が、可愛く見えて仕方がない。ほんと困る。

 涙でにじんで歪んでるけど、私はきっとこの時のバルを一生忘れないだろう。


 口では意地悪をいっぱい言うけれど、優しい人。


 愚かな記憶を持つ、あさましい女が想いを寄せていい人じゃない。傍にいるだけで冒涜だ。分かっている。


 ……でも、今だけでいいの。


 いっぱい慌てて。いっぱい焦って。私のことで、あなたの心をいっぱいにして。


 今だけで、いいから。


 そう願っていたからだろうか、私の涙はなかなか止まらなかった。






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