第15話 人間の尊厳
エルモテとの戦いが始まった。イコルは彼女の前に立つ。
サビオとフエルテは援護しようとしたが、川の中から水しぶきを上げて、飛び出してきたものがあった。
それはモノオンブレだった。麻で作られたふんどしを引き締め、胸にサラシを巻いていた。彼女らは川の中でずっと待機していたのだ。
目には鼻出し二つ眼鏡をかけていた。真鍮で作られたもののようである。
彼女らは海女のように素潜りをしていたのだ。海女は女性の方が脂肪が多いため、海水の温度に耐えやすいという話があった。
「リオムヘルでござる! 川の中を自在に泳ぎ、貝や魚を捕るメスたちでござるよ!!」
プリンシペが教えてくれた。リオムヘルたちはサビオたちを襲っている。武器は持っていないが大きな手はまるで蟹のハサミのように頑丈そうに見えた。
フエルテはポーズを取り、マッスルスキルを発動しようとしたら、リオムヘルのひとりが腰に抱きつき邪魔をする。それをサビオが脇をくすぐり、無力化させていた。
別のリオムヘルがサビオを捕まえようとしたが、彼は素早くしゃがんでかわす。そして股間を蹴り上げた。
メスなのでお宝はないが、蹴られた衝撃はかなりのようである。股間を抑えうずくまっていた。
フエルテはそれを見て「ホビアルが見たら怒るぞ」と言った。
サビオも「少しやりすぎたかな。球はなくても女の子を蹴るのはよくないよね」と反省している。
どこかのんびりしており、戦っているという印象が強い。それはサビオの持つ雰囲気が殺伐な空気を緩和させているのだ。
ちなみにプリンシペは何もしていない。むしろ邪魔であった。
「ヨソミヲスルナ。オマエノアイテハ、ワレダゾ」
エルモテが両腕で構えると、右手で突いてきた。まるでボクサーのようである。モノオンブレに知識はないが、知恵はあると言われていた。独特の文化の中で人間と同じ技術へたどり着いても不思議ではない。
イコルはポージングを取り鼻毛を伸ばす。鼻毛の拳は基本的に軽い。それでも人間を殴り飛ばす威力はある。
大根があれば簡単に折れるし、金槌を使ってくぎも打てる。
しかし、エルモテのように骨が太く、肉が重い相手にはきつい。ぺちぺちと叩く音は子供が母親に対してお腹を叩く音と同じだ。
エルモテは鼻毛の拳に当たらないようにかわしていた。かつてアメリカで活躍した黒人ボクサーのように蝶のように舞い、蜂のように刺すような姿勢だ。
もっともイコルはそれを知らない。エルモテも誰かから聞いたわけでもない。偉人の偉業は途切れることはないのだ。それは別の誰かの口に残り、神応石の影響で残るのである。
イコルは困惑していた。今までのモノオンブレは様々な特技を持っていた。
トルナドは身体を竜巻のように回転させていた。
ムエルテは死神のように鎌を使っていた。
ギーガンテは巨体を利用し人間を掴んでは投げてきた。
エルモテはそれがない。突起した特技や武器に頼らず、自分が磨いた技術の身で勝負してきた。
奇をてらわず相手を確実に倒す。一番厄介な相手だ。
イコルの鼻毛をかわし、例え当たっても大したダメージはない。物を持ち上げることはできるが殴ることは滅多になかった。それ故にエルモテを倒す決定打がないのである。
イコルは耳毛に集中した。一本の耳毛が船の床を這い、知らない間にエルモテの足元にまとわりつく。
「フンガッ!!」
しかしエルモテは高くジャンプした。そしてイコルの真正面に立つと耳毛を乱暴に引き抜く。
耳穴に激痛が走った。ぶちっと毛を抜かれたために耳がじんじんとなる。
「ブチュゥ!! レロレロツー!!」
「ブキュゥゥン!!」
さらにエルモテは両手でイコルの顔を掴むと、いきなり口づけをした。
イコルは何が起きたのかわからなかった。なぜモノオンブレのメスが自分にキスをしたのか、理解できない。考えが追いつかないのだ。
エルモテは猿だが顔立ちは人に近い。毛深い豪快そうな美人に見える。しかしイコルの好みではない。口の中は意外にさわやかだ。柑橘類の匂いがする。口臭を気にしているのだろうか。嫌な気分ではない。
それでも好きでも嫌いでもない相手に接吻されたら不快になる。イコルは気持ちを落ち着かせ鼻毛を操る。
鼻毛の手はエルモテの脇をくすぐった。だが彼女は動じない。次にわき腹をこちょこちょとしたが、ぷっと吹き出す程度だ。
「アオン、ウォォン!!」
今度は尻を撫でまわし、尻尾を引っ張った。これには反応し、甘い喘ぎ声をあげた。
さらに調子に乗り、エルモテの胸を揉む。もちろん鼻毛の手でだ。鼻毛を通して触ってみると脂肪と筋肉がほどよく合わさった胸であった。
イコルは全身を撫でまわし、エルモテの性感帯を攻めた。その結果彼女は果てた。
その様子をサビオはやたらと楽しそうに見ていた。相手をイラつかせるような笑みを浮かべている。
フエルテは微妙な顔であった。頬を赤く染め、目をそらしている。豪快な見た目だが中身は純情なのだ。
ちなみにプリンシペは両手で目を覆っていた。
「フフフ、ナカナカヨイナ。オマエハケモノアイテニ、ヒワイナコトヲシタノダ。マッタク、オマエハチクショウイカダナ」
エルモテはイコルを皮肉った。彼女はイコルを殺すつもりはなかった。メスの自分を利用してイコルの人間としての尊厳を失わせたのである。
その事に気づいたイコルの顔は真っ青だった。死人と間違えるほどだ。
エルモテは大声を上げると川に背を向けながら飛び込んだ。他のリオムヘルたちも一緒に逃げる。
結局エルモテにいいようにあしらわれた形となった。どこか悔しく、情けない気持ちになる。
☆
イコルは膝まずいた。興奮したとはいえエルモテに性的な行為をしたことに罪悪感を抱いた。
「くそぅ、私は何をしていたのだ……。猿相手にあんなことやこんなことを……。アスモデウス司教に知られたらどんな目に遭うだろうか」
イコルは目を閉じる。そこには怒りで目をランランに光らせ、右こぶしを握り締めるヨダカの亜人アスモデウス司教の姿が見えた。
彼女は卑猥なことが嫌いなのだ。きちんと花街で働くなら文句はないが、それ以外に性を娯楽として扱うことをアスモデウス司教は忌むべきものと思っていた。
「たぶん殺されるね」
背中でカバンに変化していたベビーエビルが、モールス信号のようにつんつんと背中を突いて答えた。
それを聞いたイコルは胃の中に鉛を飲み込んだように、身体が重くなる気がした。
「ねえ、彼女の身体はどうだった? モノオンブレのメスって触れたことがないから聞きたいんだよね」
「サビオ……、空気を読め」
フエルテがたしなめた。サビオの底抜けに明るいキンキン声は癪に障る。思いっきりぶん殴りたいが、たぶんうまいこと躱された挙句、逆襲される恐れがある。サビオは見た目通りのひ弱そうな秀才ではない。羊の皮を被った狼で、相手を油断させ、隙を突いて地獄へ叩き落すことを娯楽としているとしか思えないのだ。
「ところでこの船はなんなのかな。モノオンブレの住処にここまで近づく船なんてネプチューンヘッドの持つ大頭船くらいのはずなんだけどさ」
「それは俺の船だ」
突如声がした。それは二十代後半くらいの男だ。日焼けした肌に鍛えられた肉体は磯の波で削られた岩のようであった。
身に付けているのはブーメランパンツにサンダルのみ。頭に革性のヘッドギアをつけていた。
「お前らは何だ。俺様の船に土足で踏み込みやがって。俺様の大恩ある女性の名を持つ船は、他所の男を乗せないと決めているんだよ。もっとも弟たちは別だがね」
「そうでしたか。この船がモノオンブレに乗っ取られていたので追い払ったんですよ。主にそこにいる小山のような彼がやってくれました。とてもすてきなモノオンブレのメスで、あまりにエロい方法で追い払ったのですよ」
「……殺すぞ」
イコルはイラっと来た。そこにもうひとり女性がやってきた。
「ふぅ、彼女は無事保護で来たわね。プラタ、船は大丈夫……」
それは鉄人間だった。鉄の肌で出来た女性だった。髪の毛は石の綿で作られている。美しい女性の人形であった。それが人間と同じく生きて動いていた。
「……イエロさんですか?」
サビオがつぶやいた。




